2011.10.17

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
谷戸基岩
目次 プロフィール
第27回
クラシック音楽の問題点(6)
掛替えのない録音遺産の保存の必要性

  私が第5回の原稿を書き終わってから40日ほどして東日本大震災が発生した。その時、私は杉並区の自宅に居た。 遅い昼食を近くの飲食店で済ませて家に帰り、DVDを観ようとディスクを入れた瞬間に揺れを感じ始めた。 最初のうち、弱い横揺れを感じたので 「これは遠い地震だから大丈夫、10秒もすれば収まる」 と漠然と思っていた。しかしどんどん揺れが大きくなる。 しかも収まる気配が無い。心配になって仕事部屋に行くと、本棚の上にブックエンドで支え並べてあったLPが次々と落ち始めていた。 隣の部屋ではスライド式本棚の上にポリプロビレン製のキャリーボックスに入れて保存していたコンサート・プログラムが箱ごと落下、 大破していて足の踏み場も無い状態。怖くなって居間に戻り、揺れが収まった時点でテレビをNHKニュースに切り替えた。
  それから後は東京で、自宅にいて東日本大震災を体験された多くの方々と同様に余震に怯えながら、 津波の猛威を伝える驚愕すべき映像をただただ呆然と見つめていた。 こんなことが本当に起こってしまうとは…改めて東日本大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに、 半年以上経っても遅々として進まない復興が被災者の方々の意見を十分に取り入れる形でスピードアップして行くことを祈らずにはいられない。

  大震災のその日のうちに私はキャリーボックスを買い直して、ほとんど整理もせずにプログラム類を収納し、 ブックエンドで止めていただけのLPレコードを、今度は簡単には動かないようにするため箱に詰めて自重を重くして元の位置に戻した。 早目に手を打たないと余震でどうかなるのでは…そんなことを考えて行動したのだった。 それにしても震度6を超えるような地震が来たら私の家に保管しているかなりの量の音楽関係のソフトや楽譜、書籍などはどうなってしまうのだろうか?  今でも不安で仕方ない。我が家では本来なら寝室になっているはずの二部屋が完璧に書庫と化している。 スライド式本棚に本とCDがびっしりと詰まり壁の全てを占領。それだけでは足りずに部屋の中央にも高い本棚が立っている。 居間にも、クローゼットの中にも楽譜、音源や映像のソフト、音楽関係の書籍が入っている有様だ。 十分な震災対策を講じるには余りにも保有している資料類が多すぎるのだ。

  そんなに多くのもの持っていて一体どうするのですか、必要なものは様々な図書館などで当たればいいのではないですか?  と疑問に思う人もいるかもしれない。しかしこれらの多くは自分にとって掛替えのない資料なのだ。 たしかに音楽大学などの図書館をはじめ様々な施設に音楽関係の図書やソフトが数多く所蔵されている。 けれどもそうしたものは不特定多数の人々にとって重要と施設側で判断するベーシックなもの、今日的な評価が確定しているような作曲家、作品、 演奏家に関するものが大半である。だから私は楽譜や書籍に関しては自分が特に強い関心を持っている鍵盤音楽・室内楽を中心に、 一般には知られていない作品を中心に蒐集している。私はどこの図書館にでもありそうな有名な曲に関しては仕事で必要な最小限にし、 省スペースにこれ努めている。とにかく一般に知られざるもの、 関心の低いものについては個人的に蒐集するしか手軽にアクセスする有効な方法が無いのが現実だ。

  私のコレクションで自分が重要と考えているもののひとつはやはり一般的に知られていない作曲家・作品の楽譜とそれらに関連した書籍。 例えば私はスペイン関係の楽譜や書籍をサラゴサ(スペイン)の書店から買っているが、そうしたものがどれ位、 我が国には輸入され図書館などに所蔵されているのか見当がつかない。恐らくほとんど無視されているのではないだろうか?
  たしかに最近では著作権切れの楽譜を電子化し、自由にダウンロードできるようになっているホームページもある。 私は最近その存在に気付いたのだがこれはとても便利だ。一般の人が古い楽譜を自炊(PDF化)して投稿しているケースが多いのだが、 ヨーロッパの図書館自体が古い蔵書を電子化して公開しているものさえある。 つまり現地に行かなくても自宅に居ながらにして初期の手稿譜などを見ることができるのだ。 私が特にこだわりを持っている18世紀の作曲家ではドイツの作曲家クリストフ・グラウプナーや、 ポルトガルの作曲家カルロス・セイシャスの手稿譜などを直接見ることが出来て大変重宝している。
  けれども世界各地のあらゆる図書館がこうした作業を積極的に進めているわけではない。またそれはあくまでも著作権切れの楽譜に関してのみである。 なおかつ作品としての著作権は切れていても新たに校訂された版で出版されているものを、 こうした無料サイトを通じてダウンロードは当然のことながら出来ない。 有料のサービスまで活用したとしてもインターネットからのダウンロードでは入手できないものは多い。 デンマークのダン・フォグという中古楽譜店から年に数回送られてくる中古楽譜のリストを見ると 「え、こんなものがあったのか!」 という作品が載っていて、 自らが楽譜を蒐集する必然性を改めて実感してしまう。まだまだ電子化された楽譜は十分とはいえないのだ。

  こうした一般的ではない作品の音源(CD、LP、DVD)に関してはどうか?  例えばCDによってポーランドの音楽の歴史について知ろうと思ったらアクト・プレアラブルやDUX、 スペインの音楽の歴史について知識を深めようとするならスペイン音楽学会、 ラ・マ・デ・ギドをはじめとするマイナー・レーベルの音源を蒐集して行かないと十分なものが揃えられない。 そこには世界で唯一録音されている楽曲なども少なくないからだ。そうしたものは輸入業者を通じて国内市場に流通はするだろうけれども、 それらが公共の図書館に継続的に買い入れられている可能性はほとんど無いだろう。 ただこうした比較的最近に出版されたものに関しては、 ある程度の時間がかかったとしても発売元の会社にアクセスすれば何らかの方法で入手することは可能かもしれない。 ただし、それもそのレコード会社が存在していればの話である。

  実は私が自分のコレクションで最も大切と考えているのは、今日あまり顧みられない過去の様々な演奏家たちの録音の数々、 特に古いLPレコードだ。そうしたものの中には一度失ってしまったらもう二度と入手できない可能性があるもの、 できるとしても膨大な手間隙がかかってしまうであろうものが少なからずある。 今日的な評価は低いかもしれないが演奏史の流れを追っていく上では欠かせない音源というものがとても多い。
  例えば1970年代から80年代にかけてポルトガルの A VOZ DO DONO(HMV) レーベルから発売されていた “LVSITANA MVSICA” というシリーズの10枚のLPはルネサンス〜バロック期のポルトガル音楽復興の先駆けとなった大変重要なシリーズであり、 名演奏が揃っていたのだが残念ながらCD復刻されていない。 こうしたものは恐らくポルトガル国内の図書館などには所蔵されているのではないかと思われるが、果たして日本国内ではどうだろうか?
  こうしたレア・アイテムでなくとも音楽大学の図書館などでもLPレコードの保存には困っているところが少なくないようだ。 CDに較べて活用される頻度が少ないこともこうした資料の置かれた状況を悪くしている。図書館から遠く離れた倉庫に別途保存されたり、 場合によっては売却されてしまうことさえあるようだ。そうするとやはり万が一の場合には発売元のレコード会社が最後の頼みの綱ということになる。

  けれどももしそのレコード会社が無くなってしまったら、あるいはどこかの会社に吸収合併されてしまったらどうなるのか?  多くの場合そうした音源は資産として売却されたり、別のレコード会社のカタログに加えられたりする。 けれども実際の制作者ではない他人の手にその発売権が移行した音源というのは一部の売れ筋のものを別とすれば、大きな関心を持たれず、 冷淡な扱いを受ける可能性が高い。また新しい録音を行っているような会社では新発売の商品に力を入れて宣伝するし、 たまにカタログを集中的に再発売するような企画があっても、それは過去の売り上げ実績から評価の確定しているものに偏してしまうことが多い。 その結果、クラシック音楽の世界では膨大なカタログがあるにもかかわらずそれらのほとんどが眠ってしまう結果になっている。
  その中にはどうでもいいようなものも少なからずあることだろう。 けれども同時に、一般には知られていないけれども掛替えのない名盤が埋もれていることが多々あるのだ。 メジャー・レーベルではこうしたカタログの一部を別な復刻専門の会社に権利を貸与して再発売させ、印税収入を得るという方策を講じているケースが多い。 しかし、そうしたものを加えても我々が容易にアクセスできるのは過去に録音された膨大なカタログ全体のほんの氷山の一角に過ぎないのだ。

  多くの場合、古い余り一般的ではない音源というのは、その眠りを覚ますような旺盛な探究心を持った企画者に出会わないと埋もれてしまうケースが圧倒的だ。 私は18年半にわたりレコード会社で海外のレコード会社から発売されているLPやCDを国内盤化する作業に携わって来た。 そんな中でとりわけこうした埋もれてしまっている音源の眠りを覚ますような作業に熱心に取り組んできたと自負している。 音楽評論家になってからも過去の忘れられてしまい復刻されていない優れた音源について積極的に記すようにしている。 また優れた復刻盤に関しても可能な限り取り上げるようにしている。
  それにしてもディスクユニオンなどの中古レコード店に行くと、未だにその存在すらも知らなかったLPレコードに遭遇することが少なくない。 先日もフランスの名指揮者アンゲルブレシュトが振ったグリーグ 「ペール・ギュント組曲」 (抜粋)の25cm盤を発見し、慌てて買い求めた。 その時点ではこれがどんな演奏なのかは聴いたことがないので判らなかった。 けれどもアンゲルブレシュトは1880年生まれであり、ドビュッシーと親交がありこの作曲家を得意としていた指揮者だ。 しかも近年欧米ではグリーグがドビュッシーに与えた影響に関して研究が進められている。 またアンゲルブレシュトはドレーフュス事件に際してグリーグがドレーフュス派であることを表明し、 激しいバッシングを受けたことも同時代者として知っていたはずだ。そうした状況からなおさらのことこのLPには興味がある。 いずれにせよ自分の好きな曲に関し、過去にどんなアーティストによるどんな演奏があったのかを知る努力をすることは、 その音楽を語る上で常に重要なことではないだろうか?

  クラシック音楽は常に過去を参照しながら、その歴史を辿りつつ新しいものを創造して行くものだという風に私は認識している。 けれどもクラシック音楽業界の産業の一部門としてレコード会社のクラシック部門が位置づけられている現状では、どうしても現役のアーティスト、 新しい録音を宣伝することにクラシック音楽担当者の目が行きがちだ。 それゆえになおさらのこと音楽評論家こそは優れた過去の録音遺産を常に研究し、 継続的にクラシック音楽ファンに対して啓蒙していくことが大切だと私は考える。 たとえそれが身銭を切ってなおかつ手間暇がかかる割に報われないことであったとしても…
2011年10月17日 谷戸基岩



「グリーグ:ペール・ギュント組曲(抜粋盤)」
D.-E.アンゲルブレシュト指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団
クローディ・マミシェル(ソプラノ独唱)
〔デュクレテ=トムソン盤LP 255 C 066〕