2009.12.6

【 メ デ ィ ア 傍 見 】 1

前澤 猛
目次 プロフィール

  [はじめに]
  小生が、大学で最終講義をして、いわゆる現役を離れて4年になります。現在は、翻訳のほかは、もっぱら俳句や書などの趣味に明け暮れています。 しかし、長いことメディア批評や社内オンブズマンを続けていたため、メディアとは縁が切れず、一人でぶつぶつ言いながら読んだり観たりの日々を過ごしています。 〈梟が鳴いていますと独りごち〉(愚句)というところです。
  そこをつけ込まれて、「NPJに何か書け」 とのお達し。「不定期の雑文ならば」 とお引き受けしたのが、今回から始まる 「メディア傍見」 です。 「傍観」 より、もう少し意味のあるメディア・ウオッチングに、身辺雑記をも交えて、肩のこらないコラムにしたいと思います。


「ナチス発言」に見る政治家とメディアの歴史認識

  9月末、自民党総裁に選ばれた谷垣禎一氏は、10月26日の鳩山首相の所信表明演説について記者団の前で批評した際、日ごろの慎重な物言いに似合わず、 演説と議場の様子をヒトラーとナチスになぞらえた。発言の様子はテレビにも映り、一部の新聞は 「問題になりそう」 と書いたが、 その後、この発言を批判する報道や論評はほとんど現れなかった。せいぜい、以下のコラム(要旨引用)が目に付いたぐらいだ。
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◇民主党批判の谷垣発言 念頭には剛腕・小沢氏
  ドイツ人大学院生、シュテファン・ゼーベルさん(33歳)が、『毎日新聞』 の投書欄(11月16日付)で、 〈ドイツ人として、このようにドイツのナチ時代が、相手を誹謗中傷するために利用されるのは非常に軽率だと思い、個人的に不快感を抱いた〉と異を唱えたが、 その気持ちはわかる。問題は次のゼーベルさんの主張だ。
  〈民主党政権とナチス政権の一体どこに共通点があるのか。自民党は、民主党に政権交代した途端、日本が再びナチスのように侵略戦争を起こし、 何百万人もの死者を出すと本気で考えているのだろうか。むしろ、私自身はいまの民主党政権について正反対の印象を受けている。 ようやく市民主体の生き生きとした民主主義の時代が始まった…〉
  これはゼーベルさんの過剰反応である。谷垣さんは民主党をナチスと同一視したのではない。いわんや鳩山さんをヒトラーみたいと批判したわけでもない。
  では、谷垣さんの意識のなかに、〈ヒトラー〉がまったくなかったかといえば、だれもが、あの発言を聴いた瞬間に、「あ、鳩山さんでなく、 小沢さん(一郎・民主党幹事長)を念頭に置いているな」 と感じたはずである。
  国家社会主義はまさにナチスが掲げた政治思想で、自民党は小沢さんをヒトラー的リーダーとみ始めていることがわかる。 そういう背景があったからこそ、谷垣さんは思わず口走ったのだろう。
岩見隆夫(毎日新聞東京本社編集局顧問。
サンデー毎日2009年12月6日号)
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  谷垣発言への批判を過剰反応としたうえで、岩見氏は、自民党や谷垣総裁が 「小沢一郎をヒトラーになぞらえるならば許容される」 と言っているようにも受け止められる。 だが、谷垣発言の問題の本質は、「思わず」 にしろ、「他人や政治家をヒトラーやナチスと同じだ。あるいは同じようだ」 と誹謗する無神経さ、 そして、その背景にあるヒトラーやナチスや全体主義に対する歴史認識の浅薄さにあるのではないだろうか。
  この鳩山演説は 「平田(オリザ)さんら専門チームが添削を繰り返して完成させた」(11月3日毎日新聞)という。 平田さんも 「すさまじいヤジだけが誤算だったが…」(同紙)というほど、劇場的演出は成功し、議場は歓声と喧騒に包まれた。 だからといって、内閣官房参与として演説を補佐した平田さんらがヒトラー的煽動を狙ったわけではない。 本人自身が 「劇作家として一番イヤなのは自由な表現を抑えるファシズム」 と語っている(朝日新聞12月5日)。

  以下は、谷垣発言を聞いて、思わず直ぐに投書した拙論だ。(小生の投書が新聞に載ったのは初めて)
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ヒトラーの例え 見識を疑う
  10月26日の鳩山由紀夫首相の所信表明演説は、従来の首相演説とは大きく異なっていた。格調高いとするか、中身が薄いとするか、 その評価や論評は聞く側の自由だ。ただ政治家や政党党首として批判する場合には一定の矜持(きょうじ)があって当然だろう。 谷垣禎一自民党総裁が、記者を前にしてヒトラーやナチスに例えて皮肉っていたのには驚いた。
  朝日新聞によれば、民主党議員についても 「ヒトラー・ユーゲント(=ナチス・ドイツの青少年組織)とか(のように)ね、 ヒトラーの演説に賛成している印象を受けた」 という表現を使った。
  これは、個人的印象を率直に語ったといって済まされるだろうか。ヒトラーやナチスと同じだという積もりではなかっただろうが、 欧米では、政治家の資質や思想の比喩にヒトラーやナチスを使うのは最大の侮辱であり、タブーでもある。発言者自身の政治的生命すら失いかねない。
  谷垣氏は発言を速やかに撤回して欲しい。そうでないと日本の政治家の資質や歴史認識を疑われることにもなる。
(朝日新聞 「声」 2009年10月29日。転載許諾済み)
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  上記の問題提起は見当はずれだろうか。
  たまたまこの春、私はバルト3国を訪れた。つい20年前まで、ソ連やナチの全体主義圧制に苦しんできた国々だ。 その思いを次回にでもレポートしたい。天皇・皇后両陛下は2年前に3国を訪問され、 リトアニアでは、数千人のユダヤ人をナチスから救った故杉原千畝氏(元リトアニア日本領事館領事代理)の記念碑も訪ねられた。 谷垣さんも一度、こうした国々を見聞されれば(あるいはすでに?)、比喩にも他人を 「ヒトラー」 や 「ナチス」 呼ばわりすることを慎まれるに違いないと思う。
(2009年12月6日記)


〈ヒューマニズム不言実行の士凍土に眠る〉 猛


杉原千畝記念碑 (リトアニアのビリニュスで前澤写す)