2010.1.23

【 メ デ ィ ア 傍 見 】 4

前澤 猛
目次 プロフィール

氾濫する「匿名・出所不明」の記事

  「関係者によると…」報道への批判
  「メディア傍見」 3に続けて、匿名問題について、この4を書いていたところ、民主党小沢幹事長にかかわる政治資金規正法違反容疑事件で、 政府、民主党、検察庁、メディアを巻き込んだ情報リーク問題が浮上した。

  争点は、新聞の見出しの言うように 「民主、検察批判に拍車 メディアにも矛先」 (2010年1月20日、朝日4面)だが、こと、メディアに関しては、 「関係者」 という表現に見られるような、情報源をあいまいにした報道が、原口一博総務相などから批判された。 いわゆる、リーク(意図的な情報漏えい)を疑われているのだ。

  経験豊富なジャーナリスト、原寿雄さんは、1.「検察がいつも正義だと信じていいかは疑ってかかる必要がある」  2.一方で 「『関係者によると』 という引用の是非はジャーナリズム論として理解できる」  3.だが 「電波の公共性を理由に文句をつけるところに政治的意図を感じざるを得ない」――と、主に3点を指摘している(同紙)。

  同感する。ただ、「情報出所の明示」 を重視する筆者の持論からすると、「関係者によると」 という表現を初めとする情報源秘匿の報道慣行は、 大いに改善されるべきだろう。

  NHKは 「原口発言」 以降、関係者を従来より特定化する一環としてか、「関係者によると」 の代わりに、「小沢幹事長側の関係者によると」 という表現を用い始めた。 それはそれで、一つの改善だが、さらに進んで 「小沢幹事長側の○○弁護士によると」 (実名表記)と、なぜできないのか。

  誰が言っているのか
  ここで、情報源に関する日本のメディアの特異性について考えてみよう。まず、藤井財務相辞任に関する読売新聞の解説記事(1月6日朝刊3面)を見ていただきたい。

読売新聞(2010年1月6日3面)
  よく読んでみても、この記事内容に責任を持つのは誰か、さっぱり分からない。執筆記者の署名はある。しかし、引用されている情報や談話の提供者は誰なのか?  要するに、情報源、発言者のアイデンティティ(身元、本人確認)が、安易に、あるいは意図的に隠蔽されているのだ。 わずか、約50行、数パラグラフの記事の中で、情報元のほとんど全て(傍線)が伏せられている。つまり―

  読売新聞
  「閣僚の1人に…」
  「…との見方がある」
  「首相周辺はこう指摘する」
  「…をあげる与党議員もいる」
  「…との見方もある」
  「…との見方もある」
  こうした書き方は読売新聞だけではない。他紙の関連記事も、以下のような書き方をしている。

  朝日新聞
  「関係者によると…」
  「…を伝えたとみられる」
  「関係者によると」
  「説得されたという」
  「…とみられる」
  「…と見られている」

  毎日新聞
  「閣僚の1人は…と疑ったという」
  「党内には…指摘する声もくすぶっている」
  「首相周辺からは」
  「指摘する声も上がっている」
  普段見慣れた表現で、日本の読者にはとくに奇異には映らないかもしれないが、欧米のジャーナリストにとっては極めて不思議な文体なのだ。

  “例外” に慣らされている読者
  とくに政治記事では、こうした情報源を不明にする慣習が強く、各紙、各放送局で許容されている。 さらに、困ったことには、情報の出所や談話の主を隠す書き方が、他の分野の記事にも広がっているのだ。

  1月13日の各紙が伝えた 「グーグル 中国撤退も」 を例に見てみよう。
  毎日(共同通信の記事)―「グーグルは」 「同社は」 「同社によると」 「…としている」
  読売―「グーグルは」 「同社幹部は」 「米当局とも」
  グーグルという 「会社」 やアメリカの 「当局」 という非人間がしゃべり、実際の発言者は特定されていない。 「アメリカのニュースだから、発言者の特定は省略した」 という説明もありうる。だが、朝日は 「米国務省のクローリー次官補は朝日新聞に対し…と話した」 と、 主要情報源の1人を明示している。

  アメリカの報道を見てみよう。匿名(anonymity)の場合はこのように書いている―
  13日のAP:
  The officials spoke on condition of anonymity because they were not authorized to speak publicly about the issue.
  14日のワシントン・ポスト紙 :
  The industry sources spoke on the condition of anonymity.
  ニュースソース、つまり発言者を特定して報道できない場合は、「匿名を条件に語った」 と、いちいち 「断り」 を入れている。

  実名が原則、匿名は例外
  前回、紹介した元ワシントン・ポスト紙オンブズマン、エボラ・ハウエルさんは、彼女のコラムで、「スポーツ関連記事に匿名情報源が多い」 と批判していた。 しかし、スポーツ記事でも、情報源を伏せることには躊躇しているし、「断り」 を入れてもいる。
  大リーガーのマグワイアが禁止薬物ステロイド剤の使用を認めた記事を見てみよう。

  典型的な日本の報道
  「大リーグ関係者からは一般論として 『疑惑があっても謝罪すれば殿堂入りを認めてもいいのでは』 との意見も出ている」 (毎日12日夕刊)
  アメリカの報道
  “McGwire ? did not want to make his admission until that announcement was made because he did not want to appear as if he were trying to affect his chances of getting into the Hall of Fame, according to a person with knowledge of the matter. The person spoke on condition of anonymity because he did not want to be identified discussing the intimate details of McGwire’s decision to admit his use of steroids.” (ニューヨーク・タイムズ紙13日)
  やはり、「内輪の詳細情報を身分を明らかにして論じたくない、として匿名を条件に語った」 などと、説明している。

  NHKの匿名放送
  ことの是非は別にして、原口総務相が問題提起した放送の 「関係者によると」 という表現に集約された匿名報道志向は、ニュース報道だけではない。 その底流として、広く一般番組に浸透しているのだ。それはとくに、視聴者参加番組に顕著だ。

  NHKのホームページに掲載されているラジオの 「投稿ルール」 は、以下のように規定している(要旨)。
名前:ラジオネーム
■本名でも、ニックネームでも構いません。10文字以内でお願いします。
■一人、1つでお願いします。読んでいる人が混乱するからです。(変更は自由です)
■ふりがなを入力してください。読み方が分からないと、ラジオでご紹介する時困ります。
  メールアドレス・電話番号
■基本的にご記入をお願いします。
■もちろん、掲示板には公開されません。
■事情があって書けない場合は、「持ってない」 とか 「0」 とか記入してください。
■メールアドレスか電話番号がない場合は掲載されない場合があります。
  「ニックネームで構いません」 と明示し、実名記載を条件としていない。
  朝のラジオ番組 「ラジオビタミン」 は、この規定に忠実なためか、匿名、ニックネームの羅列になっていて、筆者には聞き苦しい。

  テレビでも、22日夜の視聴者参加番組 「そりゃあんまりだ」 を見て、驚いた。北海道・赤平市の 「老朽市営住宅の補修問題」 では、投書者が実名、素顔で登場した。 しかし、その前の 「建設、埋め立てを繰り返すトンネル市道」 では、投書者は仮名で、姿は曇りガラスの裏だ。なぜ、そのような区別が生じるのか。 「当人の希望」 というが、明確な基準は分からない。姿を隠したおどろおどろしさは、演出にさえ映る。

  実名が原則の放送番組も、決して少なくないし、むしろ、今後は、それが常態となるよう望みたいものだ。
  1月10日のNHKラジオ 「歌の日曜散歩」 を聞いていて感銘を受けた。投書を読もうとした坪郷佳英子キャスターが 「おや、お名前がありませんね」 と躊躇すると、 間髪をいれず鎌田正幸キャスターが 「実名のないものは、取り上げません」 と、やや厳しい口調で、後を引き取った。

  この件についてNHKのラジオ・センターに聞くと、担当者は 「鎌田さんは、しっかりした方です」 との感想を語った。

  あらためてこの番組のHPを見ると、鎌田氏は投書について、「一枚一枚丹念に目を通し…最近かけたばかりの曲や歌手の歌、名前の書いていないもの、 ラジオネームのものなどを省いていきます」 と、明確に述べている。前述の 「投稿ルール」 を、否定しているところが、むしろ快い。
(2010年1月23日記)