【 メ デ ィ ア 傍 見 】 23
消えない過去
「93年を忘れるな」
4月から5月にかけて旧ユーゴ諸国を回った。スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、
そしてマケドニアなどの多民族国家からなる旧ユーゴスラビアは、1991年から2000年まで、それぞれの独立獲得をめぐって内戦を繰り返した。
「アドリア海の真珠」 と称されるドゥボルヴニクを初めとする多くの都市国家は、砲火にさらされ、大きく破壊された。
幸い、ユネスコを中心とした世界の支援を得て、観光客の目には、世界遺産はそのほとんどが元通りに復旧したように映る。
しかし、注意深く目を凝らせば、痛ましい犠牲と破壊の記録が方々に残っている。その一端を写真で紹介し、報告に代えたい。
@ 新旧の赤瓦が混在するドゥブロヴニク旧市街(クロアチア)
公文書館には犠牲者の写真パネルが飾られ、噴水塔には弾痕が刻まれたまま。
旧市街を取り巻く城壁から眺める赤い甍の波は、破壊から拾われた瓦と、新しく補充された瓦とで、まだら模様になっている。
A 砲火の跡が痛ましいモスタル市街(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
B 復元されたモスタルの石橋
400年以上持ちこたえてきたオスマントルコ時代の石橋は1993年、砲撃により一瞬にして崩壊し、8年前に 「平和の象徴」 として復元された。
C 「93年を忘れるな」
石橋のたもとにある案内所では、石橋破壊の痛ましい実写映画が繰り返し映写されていて、
入り口には 「Don’t forget‘93」 と書かれた小さな石碑に花が供えられていた。
「76年を忘れるな」
さて、帰国後。多くの問題を抱えながらも、戦争や内戦とは縁遠かった日本の平和な戦後のありがたさを噛みしめた。
しかし、その一方、日本人、更に詰めればジャーナリストが、安易に過去を捨て去っているのに気付かされた。
例えば、以下の 【ザ・コラム】 (2012年6月17日朝日新聞朝刊。要約)をどう受け止めたらよいのだろうか。
軽妙洒脱という面では興味深く読まされた。しかし、引っ掛かったのは、筆者が 「コラムニスト」 ではなく、
社会部の現場を率いる現職の 「社会部長」 として書いていることだった。
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角栄氏の情愛 豪胆さの裏、悩める男 山中季広社会部長
漫談師のような抑揚をつけて、田中角栄元首相の非嫡出(ちゃくしゅつ)子である佐藤あつ子さん(54)は来し方をふりかえった。
母は、一昨年亡くなった 「越山会の女王」 佐藤昭子さん(享年81)。母との葛藤の歳月を赤裸々につづり、「昭 田中角栄と生きた女」(講談社)として刊行した。
若手議員に嫁がせようとする母に、「あんたなんか田中角栄の愛人じゃないか」 と言い返した。対照的に父との思い出は甘くやさしい。
会えば必ず娘の頭を腕で抱え込み、「こらあ勉強しとるか」。
元首相の功罪を論じたいわゆる 「角栄本」 は世に百冊を下らない。
その女性関係には改めて驚かされた。わりない仲になったのは5人や10人ではなかったようだ。
比べるのもおこがましいが、私などは妻一人で正直もういっぱいいっぱいである。同じ男に生まれて、この活力の差はどこから来るのか。
配偶パターンに詳しい山階鳥類研究所名誉所長の山岸哲さん(73)。「角栄さんは一夫多妻向きのオスです。」
このところ角栄待望論をしきりに聞く。
直筆の手紙を何通か拝見して驚いたのだが、豪胆に見えて角栄氏、実は愛人から詰め寄られて悩みに悩む男だった。
もしかすると、込み入った情愛関係がもつれ、あっちもこっちも幸せにしなくてはと駆けずり回る間に、
角栄氏は常ならぬ解決力を身につけたのではないだろうか。選挙が近くなくても大金を手もとに置いておく習慣も、もとをただせば女性ゆえだったかもしれない。
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4分の1に縮めたため原著者の意を汲んでいないかも知れないので、
できれば 原文 (有料) を読んでいただきたい。
いわゆる社会部記者の眼で政治を見つめた故・本田靖春氏の遺稿集 「複眼で見よ」(河出書房新社刊。2011年)の中に、
「政治的 『政治記者』 の体質」 という一節がある。次のように書いている。
「社会正義に生きるべく、決して高くない給料で、睡眠不足とたたかいながら、国民の 『知る権利』 にこたえようと日夜つとめている先輩、同僚に、
これ以上、ことあげする気力は持ち合わせていない。しかし、それは、思い込みの上でなりとも 『国民の側』 に立っている記者たちに対してのことであって、
『向う側』 の人間となると、話は別だ」(原文抜粋)
社会部の長が、「向こう側」 にあるはずはない。しかし、社会部紅衛兵の一端にあって、政治の 「黒い霧」 を晴らそうともがいていた私には、
1世代前の事件だからといって、「田中金脈」 や 「ロッキード事件」 の主役達が果たした汚濁の史実を忘却のかなたに置いてストーリーを書く気にはならない。
朝日の社会部記者が、私にこう慨嘆したのも事実だ。
「あれだけの紙面を割いて載せる価値がある論考とは到底思えません。なんだか情けない気持ちになりました。
あのころは良かった、とでも言いたいのでしょうか」
(2012年6月30日記)