【 メ デ ィ ア 傍 見 】 28
「出エジプト記」 私版
知人、家族の心配を後に4月上旬エジプト・ツアーに参加し、無事 「帰国」 した。
「帰宅」 と書くべきところだが、何か別世界から日本国に帰ってきたという思いが深く、「帰国」 という感覚になった。
改めて、日本は本当に平和で、心も経済も豊かな国だと痛感させられる。
旅行中も、カイロの一部でコプト・キリスト教徒とイスラム教徒の衝突が二度(5日、7日)あり、6人死んで100人以上が負傷した。
しかし、観光地やカイロ中心では、そんな気配は〈全く〉感じとれなかった。
ツアー参加客はみんな 「出発前には家族から反対されて…」 といっていたが、こうした惨事には、ガイドも触れず、
テレビも日本語放送がないので、誰も事実を知らず、不安を抱かなかった。
しかし、2年前の 「アラブの春」 は結果的に市民生活を苦境に陥れた。度重なる紛争と事故(熱気球炎上など)の影響で、
観光で支えられていたエジプト各地は(カイロなどを除いて)、どこも閑古鳥となった。
ギザのピラミッド周辺で乗り手を待つらくだは手持ち無沙汰
海外の観光客に ‘過度に敬遠されている’ とはいえ、事実、政権を把握した同胞団と、若者を中心とするその反対派の対立は激しく、
国情は揺れ動いている。警察官までがストを打つし(3月初め)、インフレは激しく、市民生活は苦しくなるばかり。
こうした状況は気の毒というより、悲しい。政情の安定はいまだ遠く、このまま、同国は倒れてしまうのではないかと、案じられる。
外形的には、社会の大半は平穏に動いていて、一見危険は感じないが、ガソリン・スタンドには、安いガソリンを求めて車が長蛇の列を作っている。
最近赴任してきた日本人は、「家族を呼ぼうかどうか、決めかねている」 といい、緊張を隠せない。
徴兵制の軍隊は、いまのところは中立を守っているが、この先混乱が続いたり、拡大したりすれば、「どう動くかはわからない」 と、不安を覗かせた。
ピラミッドやアブシンベル神殿やルクソール王家の谷などは、まさに悠久の沈黙を刻む幽冥世界だが、そこに群がる物売りたちのしつこさと強引さには、
儲けるためというより、生きるためという生々しい現実がある。1米ドル、あるいは1エジプト・ポンド(14円)を求めて、彼らは必死なのだ。
ルクソール事件現場のハトシェプスト女王葬祭殿前も今は閑散
【注】 1997年11月、イスラム過激派集団によって、日本人10人を含む観光客61人と警察官2人が殺害された。
現地では、アメリカのユダヤ系の謀略だといっている。
観光客あての物価は、みやげ物を除いては、かなり高い。それにしても、カイロ空港ロビーで、機内用にワインを買ったら、
小瓶一本に15米ドル払わされた。しばらく経ってから納得できず、キャンセルして返金を求め、別の店で買い直したら、3ドルだった。
名門カイロ大卒で日本語が巧みな現地ガイドは、いつも明朗闊達だったが、別れる前に 「お疲れ様。明日からは何日休みがとれますか」 と聞いたら、
「ずっと休みです。まったく仕事が入っていません」 との返事。その一瞬の暗い表情に、言葉を失った。
2年前の 「革命」 で焼かれたままの国民民主党(ムバラク大統領与党)ビル。
市民は、ムバラク側が証拠隠滅のために自ら火をつけたという。 隣の考古学博物館から写す。
以上は、私の簡単な 「出エジプト記」。
追記:エジプトの人々は、苦境にあっても、イスラム信者の5行のひとつ 「喜捨」 を守っているようだ。
しかし、富裕な湾岸諸国は、かつてアラブの盟主だったこの国を、シリア同様、見放しているのだろうか?
(2013年4月12日記)
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