2013.12.18更新

【 メ デ ィ ア 傍 見 】 34

前澤 猛
目次 プロフィール

「機密」 がもっと速く周知されていたら?

  友人SさんへのEメール(2013年12月17日)
  「太平洋戦争を体験した子供たち」 の文集編集は進んでいますか。今日の朝日新聞の投書欄 「声」 が、「語りつぐ戦争」 特集でした。 貴女の企画も同じテーマですね。
  たまたま、その投書者8人のうちの二人が、敗戦直前の8月7日に、愛知県豊川市の海軍豊川工廠で、 動員された女子挺身隊員や学徒など2500人が空襲の犠牲になった体験を語っています。
  原爆が投下された広島、長崎はもちろん、日本の内外で、敗戦濃厚なこの時期、多くの人が亡くなったことの無念さを、改めて実感しました。
  文集の刊行を、期待を込めてお待ちしています。

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  犠牲を増大させた情報秘匿
  ここで、私は前回 「メディア傍見・33」 で書いた 「空から撒かれた 『国家の最高機密』」 の内容を、補正しなければならない。
  「33」 では、真珠湾収容所の捕虜たちが、日本に 「ポツダム宣言」 を知らせるビラを作成し、日本に投下したことに触れた。 ビラの見出しは 「三国共同宣言発表・日本に対し戦争終結を提議・荒廃か平和か決断の秋(とき)至る」 で、1945年の7月26日付だった。それは事実だ。
  「高松宮日記・第八巻」(中央公論社1997年刊)の同日付には 「(軍令部次長より)和平噂しきりに始まり、これでは 『特攻』 もいかなくなるし、 暗殺もはじまるであろう等の所見あり」(カナをひらがなに変換)と記されている。
  しかし、日本政府は、この噂(うわさ)、つまり戦争について、国民に 「真実」 を伝える情報であるビラを無視した。 このことに、是非 、改めて触れなければならない。

  実は、終戦への決定的な役割を果たしたのは、「日本の皆様」 と訴えた2回目のビラだった。


国家機密 「ポツダム宣言に対する日本と連合国の応答」 を報じたビラ (国会図書館提供)
  それは、宣言に対する日本政府と連合国とのやり取りを報じたもので、8月14日に昭和天皇の決断を促し、 「終戦の詔書」 の同深夜の録音と翌日正午の 「玉音放送」 をもたらした。 しかし、二つのビラの間、即ち政府が一連の情報を 「保護」 し 「秘匿」 したこの3週間に、国民は甚大な犠牲を強いられたのだった。

  終戦を決断させた 「秘密暴露」 のビラ
  オーテス・ケーリ著 「真珠湾収容所の捕虜たち」(筑摩書房2013年7月刊)は、こう書いている― 「このポツダム宣言の全文を知れば、和平への機運が国内で高まるに違いない」 「われわれの喜びは、間もなく鈴木(貫太郎)首相の黙殺放送で吹き飛ばされた…その悪魔の声≠ェ招いたかのように、原子爆弾が広島を襲った」

  そして、二度目のビラが作られ撒かれた。
  日本人捕虜の一人は、次のように、当時の焦りを綴っている― 「12日も13日も日本からはなんの回答もなく、米軍の日本本土爆撃は再び熾烈さを加えようとしていた… 私たちはラジオの前でじりじりしはじめていた」 「ちょうどその頃、私たちが作ったこの(二つ目の)ビラが日本政府に最後の引導を渡していた等ということを、 当時私たちは知るよしもなかった」(小島清文著 「投降」 図書出版社1979年刊)
  しかし、二つ目のビラは、次のように、決定的な効果を挙げた。
  「昭和二十年八月十四日(火)晴 敵飛行機は聯合国の回答をビラにして散布しつつあり。 此の状況にて日を経るときは全国混乱に陥るの虞(おそれ)ありと考へたるを以って、 …(昭和天皇に)拝謁、右の趣を言上す」(「木戸幸一日記・下巻」東京大学出版会1966年刊)

  天皇自身の証言を記録した 「昭和天皇独白録」(文芸春秋1991年刊)によれば、昭和天皇自身が、この日を次のように回想している。
  「このビラが軍隊一般の手に入ると 『クーデター』 の起こるのは必然である。 そこで私は、何を置いても、廟議の決定を少しでも早くしなければならぬと決心し、(8月)十四日午前八時半頃鈴木総理を呼んで、 速急(即急)に会議を開くべきを命じた」

  政府の恣意と国民の安全
  太平洋戦争開戦記念日の直前、12月6日に国会は 「特定秘密保護法」 を成立させた。その数日後、大学で学生に、この法律の話をした。 ほとんど関心のなかった(ように見えた)学生たちに、このビラのエピソードを交えて、同法や戦前の治安維持法などについて、 次のように私見を述べたところ、真剣な眼差しに変わった。

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  「特定秘密保護法」 と 「情報の公開」 に関連して、自民党の石破茂幹事長は12月11日、 日本記者クラブの記者会見で 「(特定秘密の)報道によって我が国の安全が極めて危機に瀕(ひん)するなら、 何らかの方法で抑制されるべきだろう」 と述べました。さらに報道の処罰についても、「最終的には司法の判断になる」 と否定しませんでした。 後でこの発言を訂正しましたが、これは同法に賛成の論調を張っている読売新聞も報じています。
  特定秘密保護法の言う 「国家及び国民の安全を保障」 する情報が、国民の知らないところに秘匿されて、それで国民は安眠できるでしょうか。 「治安維持法」 とは違うといいます。しかし、政府の恣意で秘密を特定し、管理し、半世紀以上も秘匿し、そのために国民を重罰でおどす法律は、 「国体を否定し、または神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜すべき事項を流布すること」 を禁じた治安維持法と、その発想や意図が、 本質的にどれだけ違うと言えるでしょうか。
(2013年12月18日記)