【マスメディアをどう読むか】
◎「総選挙」 か、「強い政治姿勢」 か
2008年 新聞は何を訴えようとしているか── 元旦の社説を読む (上)
年の終わりにはその年の 「総まとめ」 を、そして年の初めには、1年間にするべき課題や、それに対する方針、決意を書く。
多くの人が日記や手帳に書き込むことを、新聞は年末年始の紙面に込める。とりわけ、元旦の社説は重要な意味を持つ。
それは、それぞれの新聞──それは論説担当者だけの場合があるのかもしれないが──が、今年、何を大切に考え、何を伝え、何を訴えようとしているか、
を示すものだからだ。元旦の各新聞の社説をざっとリサーチしてみよう。
▼「穏やかならぬ」 と朝日
まず、3大紙の社説のタイトルは、「平成20年の意味―歴史に刻む総選挙の年に」 (朝日)、「08年を考える 責任感を取り戻そう」 (毎日)、
「多極化世界への変動に備えよ 外交力に必要な国内体制の再構築」 (読売) というものだった。
いずれも政治の方向について述べたものだが、例によって、朝日、毎日と読売とは全く違っていた。端的に言って、「総選挙」 なのか、福田政権の 「強い姿勢」 かである。
朝日は、イラク戦争前夜の5年前に 「穏やかならぬ年明けだ」 と書いたことを思い起こし、現在の日本について、「外から押し寄せる脅威よりも前に、
中から崩れてはしまわないか」 と表明、その要因は 「ねじれ時代」 など 「政治の混迷」 にあるとし、「改めて総選挙に問うしかあるまい」 とした。
「今年、政治の歴史に大きな節目を刻みたい」。
毎日は、世界情勢から説き起こした。サブプライムローン問題を例に、米国の責任を追及、「世界のリーダーとしての責任放棄だ」 と指摘、
「『平和と安定』 という世界のための公共財を提供すること」 が 「超大国としての役割」 なのに、イラク戦争でも地球環境問題でも、
米国が 「世界をリードするのが難しくなった」 とその責任放棄を批判した。そして、「無責任では日本も同断」 と、「対立したまま合意から遠い」 与野党や、
「偽装」 続発の企業などを批判、「復古的な国家優先主義」 ではない、「公」 の回復が必要だと論じている。
そして、「ねじれの解消も民意、つまり選挙にゆだねるべきだ」 と言う。
▼首相に 「強い姿勢」 求める読売
これに対して読売は、日本外交にとって、基軸を日米関係に置きながら、中国との関係が、「もっとも難しい重要な課題となる」 とし、
「戦略的互恵関係」 を維持するためにも、「国内政治の安定」 が必要で、福田政権は、「内外に強い政治意思を示すこと」 が必要だとした。
そして、消費税の引き上げなど 「新テロ特措法案に限らず、外交上、財政上、あるいは国民生活上必要な政策・法案は、
憲法に定められる 『3分の2』 再可決条項を適用して、遅滞なく次々と断行していくべきである」 と要求、「問責決議を恐れる理由は、
まったくない」 「解散・総選挙を急ぐ必要はない」 と言い切っている。
政治への発言を重要だと考える大手各紙は、元旦にはどうしても政治動向を主体とした社説を掲げることになりやすい。
「国の在り方」 は確かに、主権者として関わらなければならない重要な問題だ。それを論じるのもメディアの使命だ。
しかし、生活者としての国民からは、まだまだ政治は遠い。一体どこに問題があるのか。つまり、「民意」 をどう読みとるか。そこに焦点があるのは確かだろう。 (つづく)
◎「環境の年」 にリーダーシップを
2008年 新聞は何を訴えようとしているか──元旦の社説を読む (中)
いま世界で最も重要な問題は何か、と聞かれたとき、貧困や飢餓、平和の問題と同時にあげられるのは、地球温暖化の問題である。
2008年と決められていた京都議定書の最初の約束の期間を迎えるが、ことし北海道の洞爺湖サミットを前にしても、問題は残されたままだ。
元旦社説には、さすがに、この問題について論じたものも少なくなかった。
▼温暖化対策の制度設計に言及
日経は 「国益と地球益を満たす制度設計を」 と題して、京都議定書の目標は、「本当にささやかな1歩でしかない。
ただ、それは文明史上画期的な意味を持つ1歩」 と指摘した。そして、「日本は一連の国際舞台でその覚悟と政策能力を試される」
「経済社会の中に、環境という価値をきっちり組み込まない限り、ことは成就しない」 「制度設計では残念ながら欧州が断然、先行している」 として、
さまざまな排出権取引のタイプを含め、「どんな制度を選び、どう使いこなすかが世界の関心事」 「制度設計に背を向けてきた日本は、
特殊な国というレッテルをはられつつある。洞爺湖サミットが不安だ」 と結んでいる。
北海道新聞も 「サミットの年に考える 瀬戸際の地球をどう守る」 と題してこの問題を取り上げた。「今世紀半ばまでに、環境は激変する。
このままだと人類が生き延びられるかどうかの瀬戸際にさしかかるのは、ほぼ間違いない」 と述べ、「『自然を守れ』 という言い方は人間のおごりかもしれない」 と、
「人間も自然の一部」 だとするアイヌ民族などの思想を思いをいたした。そして、近代の工業・都市文明の 「消費をあおり、
資源をムダ遣いして顧みない経済・社会の構造」 に問題があると指摘した。
▼日・米の責任と世界の運動
そして、「国境を越えた投機的なカネの動き」 が個別の利益優先のため、全体の利益を考慮しない傾向に拍車をかけ、
「各国の中でも、世界的にも経済格差を広げている」 として 「これ自体がサミットの大きな課題だ」 と取り組みを求めた。
そして、温暖化対策の 「背中を押すのは世論」 だとし、「各国の世論が連帯し、国家の利害を超えた、地球民主主義とも言うべき考え方が求められる」 と、
家庭のごみを減らし、地産地消を広げ、環境問題に不熱心な企業の製品は買わないなど、「脱温暖化の住民運動」 に期待を表明した。
このほか、「京都議定書元年 目標実現へ決意を新たにしたい」 と書いたのは愛媛新聞。昨年夏の記録的な猛暑に触れ、極地の状況を紹介、
「これらはまさに地球への警鐘」 「危機に見舞われているのは極地の動物だけではなく、人類と現代文明そのもの」 と強調した。
「民生部門を含めた一層の削減努力」 を訴え、「本県も温室効果ガスの削減目標は九〇年度比で6%減だが、〇五年度の排出量は23%増」 と取り組み強化を求めた。
同紙はさらに、バリ島での 「COP13」で、米国が消極的で、日本がそれに同調したことに 「疑問が残る」 と指摘し、サミットでは、「米国追随でなく、
毅然 (きぜん) としたリーダーシップを発揮できるかどうか、日本にとっても正念場となろう」と結んだ。
サミットでは、飢餓や貧困をはじめとする新自由主義がもたらした社会問題について、先進国の責任を問うNGOの運動も企画されている。
メディアに求められるのは、こうした面にも視野を広げた報道や論評である。 (つづく)
◎「社会」を変える
2008年 新聞は何を訴えようとしているか──元旦の社説を読む (下)
ここ数年、小泉──安倍政権下で、ただ騒がしく、あわただしく、立ち止まって考えることがしにくかった政治状況が続いた。
しかしその中で、足下の地域社会は一体どうなっているのか。新年に、社会と地域を考えた社説は多かった。ここでは2つを紹介しよう。
▼「貧困」 に立ち上がれ
まず紹介したいのは、「『反貧困』 に希望が見える 年のはじめに考える」 という中日・東京の社説だ。「グローバル化のなかで貧困層の増加に歯止めがかかりません。
貧困問題に向き合い、若年層への有効な手だてを講じないかぎり、日本の未来が語れません」 と書き出す社説は、「反貧困たすけあいネットワーク」 を取り上げ、
社会の状況を紹介した。
「パートやアルバイト、派遣の低賃金長時間労働に疲れ果て、体を壊したり、一日の生活費を二百円に限定したり、
『ケーキを食べること』 や 『アパートを借りること』 が夢の若者」 「ワーキングプア層とも呼べる年収二百万円以下が千二十三万人 (〇六年)」
「相対的貧困率 (平均所得の半分に満たない人の比率) はOECD諸国中、米国に次いで世界二位」
「生活保護受給者の百五十一万人と国民健康保険の滞納は四百八十万世帯」 「若年層に絞ると、四人に一人が非正社員で、
三人に一人は年収は百二十万円ほど」 「パート・アルバイト男性の四人に三人が親元に身を寄せて、結婚は極めてまれ」 …。
そして、この反面、一部の大企業が 「勝者」 となり、全産業の利益は10年前の倍。社説は 「不正や理不尽な扱いには抗議の声を上げ、
時には法律を武器にした法廷での闘いも必要」 と書き、「最後には社会を変えたい。
いくら働いても暮らしが成り立たないような社会はどうかしている」 と言う代表運営委員・湯浅誠さんの言葉を紹介した。
▼「コミュニティーの再生」 説く
もうひとつ、西日本新聞の社説は 「コミュニティー再生が必要だ」 と、昨年、国民の信頼を裏切る事件が続発したことから、
「今年は社会をつなぐ信頼の糸を紡ぎ直すことから始めねばならない」 と強調した。
「信頼が揺らぐと人は不安になり、トラブルにつながる。貧困は生活をすさませ、格差は人間関係をぎくしゃくしたものにする」 という視点だ。
そして、「利益競争は人から余裕を奪い、他者や社会への気遣いを失わせる。倫理感や道徳性は二の次となる」 と述べ、同紙が取り上げてきた過疎の辺地や離島、
住民の高齢化が進む福岡市の都心や郊外の団地など九州各地の状況から、「コミュニティーの再構築に乗り出すときである。
効率化一辺倒の流れに歯止めをかけ、人が支え合い、認め合う社会を取り戻すのだ」 と主張。
国には、権限と税財源の地方移譲を要求し、同時に 「貧困、高齢化に対処する労働法制や社会保障制度の拡充」 を求めた。
そして、「日本社会には弱者への配慮や競争の敗者への共感があり、企業にもその役割と機能があった」 と 「従業員の暮らし、地域への配慮を忘れない企業へと、
軸足を戻してほしい」 と要望した。
政治、環境、社会…、そう続けて読んでみると、いまの日本が鮮やかに浮かび上がる。
問題は、日本自身の在り方の問題である。「大国」 でなくても、他国と肩を並べなくてもいい。本当に大切なのは、地域で、職場で、
人々がみんな幸せに暮らしていける条件をつくること以外にないのではないか。
2008年、多くの新聞はそう語っているように思えてならない。 (了)
2008.1.2
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