2008.6.9

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎「9条世界会議」−その意義とメディア
2008年5月、マスメディア概観 (2)

  何年か経って、と考えてもいい。「2008年5月」 は、どういう時代、どういう時期として記憶されるのだろうか?  四川大地震が起き、自衛隊機が派遣できるかどうか話題になった月なのか、後期高齢者医療制度について廃止法案が提出されたときなのか、 アフリカ開発会議が開かれた月として記憶されるのか。

  ▼記憶されるべきこと
  私はいま、この時代に生きるひとりの日本人として、この2008年5月を、日本の歴史で初めて、「非戦」 「非武装」 をうたった日本国憲法第九条にちなんで、 「9条世界会議」 という大集会が、民衆の手で開かれ、主催者の予想を上回る成功を集めた5月、として記憶したい。
  千葉・幕張で開かれた 「9条世界会議」 ( Global Article 9 Conference to Abolish War ) は、主催者側によれば、31カ国・地域から150人以上の外国代表が参加、 全国からの参加者は、2日間合わせ延べ2万2000人にのぼった。
  初日の4日には、2月24日広島を出発した 「ピースウォーク」 も到着、7000人を予定した会場に、1万5000人が詰めかけた。 このため、入場できなかった人たちが続出、これらの人を対象に急遽、野外集会を開かなければならなかった。
  この集会の中心になったのは、法律家による 「日本国際法律家協会」 や国際交流の船旅を企画・運営しているNGO組織 「ピースボート」。 この二つの団体を核にして、呼び掛け人と実行委員会が組織された。 アナン国連事務総長の呼びかけによる国際NGOネットワーク 「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」 (GPPAC)や、 国際民主法律家協会 ( IADL) が支援した。

  会議では、1日目には全体集会が開かれ、ノーベル平和賞を受賞したマイレッド・マグワイアさん (アイルランド) や、 ハーグ平和会議を主催したコーラ・ワイズさん (アメリカ) などが話したほか、弁護士グループによる 「第9」 のコーラスや、加藤登紀子、 UAさんらによる音楽のアトラクションがあり盛り上がった。
  2日目は、実行委員会主催のシンポジウムが6つ、特別フォーラム、パネル討論、ワークショップがそれぞれ2つずつ行われ、 各種団体による国際自主企画として、14の集会が開かれた。
  このほか、映画やライブ、ミニステージなどの企画も盛り込まれたが、物販や宣伝のためのブースも、2日間にわたって設けられ、111団体が思い思いの宣伝をした。 違憲判決を勝ち取った名古屋のイラク訴訟グループは、いち早く 「判決全文」 を売り出した。
  主催者側にも、どれだけの人が集まるのか、全体としてうまく行くのかについての確信は持てなかったのかもしれない。 しかし、「世界は9条を選び始めた」、「9条は日本だけの問題ではない」 という訴えは、日本中に共感を広げた。 若い女性たちを中心にした、キャンペーン・グループのボランティアは、大小さまざまな集会に出掛けて行って宣伝グッズを売り、「世界会議」 の意義を訴えた。
  そして、その訴えを受け止める大きな中心になったのは、全国で7000団体を超えたとされる 「九条の会」 だったのではなかっただろうか。 多くの 「9条の会」 がこの 「世界会議」 に取り組んだ。仲間たちの訴えに呼応して、チケットも売れ、電車やバスを乗り継いで、 あるいは貸し切りバスで幕張に多くの人々が結集した。「9条はいまや、日本だけのものではない」 という訴えは、決して主催者たちだけのものではなくなったのだと思う。
  集会は幕張に続いて、広島、大阪、仙台でも行われ、それぞれの地域で成功を収めている。

  ▼報じられなかった「歴史的事件」
  ところが、ここでまず考えたいのは、このような大きな企画が成功し、人々が集まっていたのに、 メディアの扱いがやはり小さく、そこからの広がりが感じられていないことである。
  在京の一般紙では、朝日、毎日、日経、東京だけが報じ、NHKが極めて不十分ながら、ひとこと報じたが、読売、産経両紙には見当たらず、 民放各社のニュースにもなかったようだ。

  「9条世界会議」 が4日開かれたことを報じた5日付朝刊の東京での扱いは、「朝日」 は2社面の下に2段格の扱いで、 会場に入りきれず屋外で集まった人たちの写真を掲げ、「9条の思い 会場あふれて 千葉・世界会議」 という見出しの横書き13字詰め23行だった。 「毎日」 も2社面で、右肩に細長い写真とともに、「『9条世界会議』 開会 マータイさんビデオ参加」 の記事が10字詰め40行。 「日経」 が2社面の下にベタで 「『人々に希望』 9条を評価 世界会議で平和活動家」 の11字詰め15行。
  一般紙で最も大きな扱いは 「東京」 で、社会面右下に横見出しで 「『9条で命守られた』 9条世界会議 高遠さん語る 千葉で開幕」 と、 10字詰めで66行の3段の記事だった。
  私はこの 「世界会議」 の実行委員会と国際自主企画にも加わっていたのだから、「公平な第三者」 とはいえない。 しかし、それを差し引いても、やはりこの集会についての新聞の扱いは、これで十分だった、とはいえないように思う。

  「ジャーナリストとは、歴史のデッサンを描く仕事だ」 といったのは、確かワシントンポストの編集局長だったベン・ブラッドリーだったと記憶している。 新聞がニュースとして報じるための基準のひとつが 「歴史的視点」 だとすれば、今回の集会はまさに 「歴史的出来事」 ではなかったのだろうか。 わかりやすい 「ニュース・バリューの判断」 で考えてみよう。
  第一に、「憲法九条」をテーマにした集会で、これほど大きな集会は、戦後日本の歴史になかったことではなかったのか。
  第二に、この集会が決して十分ではなかったにせよ、国際会議として取り組まれ、それなりの国際的広がりをもって行われたこと。 これもいままでになかったことではないのか。
  第三に、これまで憲法九条問題といえば、必ずと言っていいほど政党系列が指摘され、論じられてきた。 しかし、今回は、内部のさまざまな動きや思惑はあったに違いないが、こうした問題を乗り越えて会議が創り上げられ、そこに多くの人々が結集した。

  「人が多く集まったらニュースだ」 「新しい出来事だったらニュースだ」 などと単純なことをいう気はない。 しかし、この集会の 「歴史的意義」 を捉えるなら、この扱いは、「民衆が主人公になっていく時代」 の大きな流れと、 そこでのエポックを捉え損なったメディアの判断ミスだと思う。もし、そうではなく、メディアに 「そんな運動は報道しない」 という癖がついてきてしまっているとしたら、 ジャーナリズムとしての責任放棄だと思えてならない。
  つまり、「9条世界会議」 の 「成功」 は、これまでの 「9条についての国民意識」 が、さまざまな運動と社会情勢の中で、静かに変化し、 広がっていることの表れだったのではないかと考えるからだ。
  これまで 「憲法9条の問題」 といえば、守るか、変えるか、変えて日本を世界にある多くの 「普通の国」 にするのか、自衛隊の存在をどう考えるか、 といった文脈で論じられてきた。
  しかし、広がった 「九条運動」、あるいは 「九条の会運動」 と、その間の情勢によって、憲法9条はそんなふうに抽象的に論ずるものではなく、 戦争の危険を避けるために具体的に活用するものであり、「非武装」 という思想は、世界の人々が生きていく上で、重要なものだ、という考え方が広がった。
  政府解釈を採用しながら 「自衛隊のイラク派遣は違憲だ」 とした名古屋高裁判決が、そうした理解を助け、力づけたことも記憶しておかなければならないだろう。
  9条世界会議に集まった人々、そしてその背後で、幕張に仲間を送り出した多くの人々のそうした 「思い」 「意識」 こそ重要だ。 こうした流れをメディアが捉え切れていないとすれば、それは 「ジャーナリズムの危機」 以外の何ものでもない。

  ただ、5日付紙面だけを取り上げて、これを問題にするのはやや性急かもしれない。「朝日」 はその後、 9日付で 「『非暴力こそ人々守れる』 9条に海外からエール 幕張・世界会議」 との記事を載せ、10日夕刊では 「窓 論説委員から」 のコラムで、 国分高史記者が3日前の改憲派議員の集会と比較して 「『9条』 の集客力」 と題して、次のように書いているからである。
  「安倍さんの力みように比べ、幕張に集まった人たちの言葉や振る舞いは、とてもしなやかだった」 「憲法9条は、 ふだん国会で取材をしている政治記者の想像以上に広く、深く、若者たちの間に根を張っているのではないか。世界会議の盛況を見て、こんな思いを強くした」−。
  論説委員を務めるベテラン記者のこのことばは、「永田町」 では捉えられない 「歴史の胎動」 を 「足」 を運んで現場で得た 「実感」 だったのではなかっただろうか。 この感覚が、なぜもっと早く、全体のものにならなかったのか、残念だ。

  ▼高まるメディアへの関心
  もう一つ記憶しておきたいのは、一般の人たちのメディアへの関心の高さだった。
  「メディアは一体どうなっているのか」−それは、この数年間、「改憲論」 が改めて大きな問題として浮上して以来、多くの人々から投げ掛けられてきた問いかけだった。 「九条の会」 が生まれた時も、メディアは大きく取り上げることなく、「憲法」 はまるでタブーであるかのように、意識的にか無意識的にか、小さく扱われた。
  今回の 「世界会議」 で、私は 「マスコミ九条の会」 「日本ジャーナリスト会議」 のメンバーとして、 「韓国記者協会」 と共催した、国際自主企画 「憲法九条とメディア」 に関わった。 そこでも痛感したのは、憲法問題の深化につれて、多くの人々の間でメディアへの疑問が不信となって深まっているのかもしれない、ということだった。

  このシンポジウムで、パネリストを務めた桂敬一・元東大教授からは 「ことしの憲法記念日、メディアも変化してきている」 という報告があり、 韓国記者協会の金成春・元会長からは 「日本は憲法九条にもっと確信を持つべきだ」 という提言、 朝日新聞の伊藤千尋記者からも世界各地での九条が積極的な意味を持って受け止められていることが報告され、好評だった。
  同様に、別の国際自主企画 「草の根メディア」 による、外国メディアの在日特派員を集めたシンポジウム 「世界の中の憲法九条」 も多くの聴衆を集めた、という。 メディアの問題についての関心が、高まっていること、メディアに対する期待が大きいことを、改めて考えなければならないと思う。
  このシンポジウムについては、その記録を、何らかの形で公開できないか、主催者側で検討している。

2008.6.9