2008.7.19

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎犯行の引き金は「誤解」ではなかった!?
続・「秋葉原通り魔事件」に見る青年の孤独

  「秋葉原通り魔事件」 について、論議は続いている。しかし、問題は少しずつずらされ、両刃のダガーナイフの所持を禁止する方向が提案されたり、 相次ぐネットへの脅迫まがいの書き込みを 「業務妨害罪」 で立件するなど、「安全・安心の街作り」 のための政策は次々と打ち出されているが、 一方で、より本質的な問題である「製造業への派遣労働」には手を付けず、「日雇派遣禁止」 の方向をちらつかせるだけでお茶を濁している。
  しかし、この事件をめぐる具体的な事実、とくに彼の働き場であり、挫折を繰り返してきた青年労働者・加藤智大に、 希望を与えることができなかったトヨタの主力工場、関東自動車の実態については、その後全くと言っていいほど報じられていない。
  加藤容疑者への 「共感」 と見えるものさえ、散見されると言われるネットの書き込みは、それが行き過ぎれば 「犯罪」 であることは事実だとしても、 「労働実態の告発」 もあるとすれば、軽視するわけには行かない。その意味で、メディアに求められるのは、詳細な 「事実」 の発掘であることは、昔も今も変わりはない。

  ▼彼は 「解雇通告」 されていた
  現場を訪ねたことが明らかになっている数少ないルポの中で、「週刊金曜日」 6月27日号の横田一レポート、「派遣先自動車工場での容疑者の日常」 は、 これまでの報道の中でわれわれの頭にインプットされた事件の概要が、実は大きな間違いをはらんでいたのではないか、ということを指摘してくれている。

  つまり、われわれが報道によって認識してきている 「事実」 は、次のようなものだった。
  子ども時代は優秀だったが、進学校で挫折した。自動車整備工を目指して短大に進んだが、結局目的を果たさないまま故郷に戻る。 だが、定職に就けず、転職を繰り返し自動車工場の派遣工へ。期間工から正社員への道どころか、また解雇、転職か、と夢が壊れたと思い、絶望した。 200人の派遣工のうち150人を解雇する方針が出され、何人かずつ上司に呼ばれて計画が伝えられた。 彼については解雇者には入っておらず、たまたま門の所で遭った派遣会社の社員に 「君は大丈夫だよ」 と立ち話で伝えられた。 しかし、事件直前の6月5日、出勤したところ、なぜか彼の 「つなぎ」 の作業服がなく、それで荒れて、会社を出ていってしまった。 継続が決まっていたのに、作業衣がなかったことで、解雇されたと思い込んだ…。

  だからわれわれは 「切れやすい子だったんだなあ」 と思い、そんな彼に育て、結局、守れなかった社会を考えた。 しかし、横田レポートが伝えている 「事実」 は衝撃的だ。
  つまり、@ 彼は解雇通告されていた A 「つなぎ」 は彼が 「ない」 と早合点して騒いだのではなく本当になかった  B そのとき、同僚が上司に 「説明してやって下さい」 と伝えても、上司は誰も説明せず、止めることもしなかった−というのである。

  横田レポートを引用する。
  「秋葉原殺人事件三日前の六月五日早朝、トヨタの子会社 『関東自動車工業』 (静岡県裾野市) で加藤容疑者が暴れ出した。 『つなぎがない。いらなくなったら (首を) 切るのか』 と叫びながら、職場仲間のつなぎをぶちまけ始めたのだ。同僚のT氏は、すぐに上司に訴えた。 『止めてもらえませんか。解雇通知を受け取り、精神的の動揺して暴れているのです』」
  「しかし上司は止めなかった。『君は解雇されない。延長の予定だから誤解するな』 となだめることもしなかった。T氏はこう振り返る」
  「『加藤容疑者の夢は正社員でした。 《いまは派遣社員だけども、そのうち期間工になって、正社員になるんだ》 と話していました。 でもその夢が解雇通知とつなぎの件でうち砕かれた。加藤容疑者にも解雇通知は来ており、ショックを受けていました。 会社は 《加藤容疑者は延長する予定だった》 と事件後の記者会見で説明しましたが、それなら、なぜ暴れたときに伝えなかったのですか』」−。
  取材に応じたT氏は、横田記者に 「つなぎ (作業服) 本当になかった。現場にいた者としてはっきりいえます」 とも語っている。

  ▼「全員解雇」 の中での 「選別」
  偽装倒産事件などでよくあるのは、いったん全員を解雇して、その中から会社に忠実な、問題を起こさないものだけを採用するやり方である。 労働者の働く権利など完全に踏みにじったやり方だ。しかし、その方法が会社にとって、労働者の 「選別」 をしやすい方法であることは言うまでもない。
  かつて、国鉄の分割民営化では、反対する国労組合員に対してこの方法がとられたし、いままた社会保険庁の廃止・民営化で同様のことが語られている。 「組織替え」 という名の労働者の 「選別」 であり、「物言わぬ職場」 作りの方策だ。
  しかも、一般正社員で、労働組合に組織されている労働者であれば、闘う方法もあるだろうが、借り上げのアパートに住まわされている派遣工は、 いまの派遣先を 「クビ」 になれば、住んでいる場さえ明け渡さなければならず、生活の場も奪われてしまうのだ。 その 「選別」 に異議を唱えることなどできず、派遣会社がどこかほかの派遣先を見つけてくれれば幸せ。そこに行く以外、方法がない。

  今回の事件で、伝えられている派遣工200人中150人の大量整理についても、なぜそうしたことが行われるのか、「解雇通告」 がどういう形で行われたか、の報道はない。 「何人かずつ集められ、『解雇されるものがある。6月末まで頑張ってくれ』 と言われ、本人も落ち込んだ」 という趣旨の報道しかない。
  枚数の関係かもしれないが、横田レポートにも、賃金などの労働実態は取材されているが、150人解雇のやり方や、会社が何をしようとしたか、 いまどうなっているか、の記述はない。関東自動車には、6月5日に、上司はどういう行動を取ったのかを含めて、なぜ150人合理化が必要だったのか、 生産体制をどう変えたのか、明らかにする責任があるのではないだろうか。
  6月5日早朝、「つなぎ事件」 で職場を飛び出した加藤容疑者は、暗澹たる気持ちで一日を過ごしたに違いない。 毎日新聞6月10日付によると、「あ、住所不定、無職になったのか ますます絶望的だ」 とネットに書き込んだのは、この日の夜、6日午前1時44分のことである。 ネットに書き込んでも、止める人はいなかった。朝日新聞6月21日付によれば、彼は、取り調べ官に 「初めてきちんと話を聞いてくれる人ができた」 と語ったのだそうである。

  ▼改めて労働現場の取材−事実報道を
  彼が働いていた関東自動車は、トヨタが50%を超える株を持ち、トヨタから社長がやってくる基幹工場だ。
  ベルトコンベアの中の 「労働疎外」 については、鎌田慧氏が 「自動車絶望工場―ある季節工の日記」 (1973年) で書いている。 「これは労働かもしれないが、何も作らない。作るのは機械であり、コンベアであるだけだ」―。
  その時代から、「派遣法」 が動き出して、1985年、16の専門業種に限って派遣労働が解禁され、相次ぐ労働法制の 「規制緩和」 の中で、 「例外」 だった 「労働者派遣」 は当然のことになった。99年に原則自由化、2004年には、製造業にも解禁された。当時の日本経団連会長はトヨタの奥田碩氏である。

  横田レポートは、事件の背景にある 「派遣社員の不安定さや正社員との絶望的な格差に加え、 派遣社員を部品扱いするトヨタ生産方式 (利益至上主義) も関係しているのではないか」 と指摘し、全トヨタ労働組合の若月忠夫委員長の話を紹介している。
  「一番屈辱的なのはボーナスの日。正社員だけがボーナスをもらえて、非正規社員はもらえない。 欧州では、正社員でも非正規社員でも同じ仕事をすれば、給料が同じ 『同一労働同一賃金』 が当たり前ですが、日本では実現されていないのです」。
  若月氏は 「『(加藤容疑者のいた) 塗装工程の検査は大変』 という報道もありますが、正確ではありません。全行程が大変なのです。 私は、組み立て工程など他の工程も担当したからよくわかりますが、『大変』 ではない工程なんか、この工場にはありません」―。  

  彼が置かれていた状況と犯罪に至る心理は、これまでの報道が示すように、解雇はされないのに勝手に解雇されると思いこんだ 「誤解」 だったのか、 横田レポートが示すように、実際に 「解雇通告」 を受けたあとのショックだったのか、 あるいは、自分が 「選別過程=まな板の鯉」 状況に置かれていることを知ったためだったのか―。
  このことは、犯行に至る彼の心理と、事件の持つ意味を考えれば、格段に違いがあるのではないだろうか。

  また、「つなぎ」 はなぜ、規定の場所になかったのか? まさか、労働者のふるい分けのための 「テスト」 が行われたわけではないだろうが、 暴れる彼を止めなかった 「上司」 は、もしかして、つなぎがそこに置かれていないことを知っていたのではないか? 「彼は荒れるかもしれない」 と読み込み、 解雇の材料にしようとしていたことはなかったか?
  これは 「勘ぐり」 である。しかし、若干の労働組合の取材を経験したことがある私から見れば、そんなことがあっても、 「クビ」 の数を合わせる数あわせに窮々としている派遣工管理の下級労働者 (そう、彼も労働者なのだ!)=横田レポートの中で言われている 「上司」 =がそんなことを考えても、全く不思議ではない。「労務管理上必要」 なのだ。

  ▼若い記者とジャーナリストに期待する
  そして、新聞。いままで多くの読者は、加藤容疑者について、「誤解した結果の暴発」 と思っているはずだ。
  しかし、横田レポートによって明らかにされたのは、読者のこの 「誤解」 を解くために、極めて重要な事実ではないか。 私は、もう一度、「改めて現場を」 とまた言いたい。もし、読者が得ている印象が間違っているなら、それをただす責任が記者にはある。 裾野市は、中央紙で言えば、静岡支局の管内、三島、沼津、あるいは御殿場通信部か、そんなエリアの担当だろうか。記者は決して多くないし、忙しい。 しかし、この問題を明らかにしてほしい。
  精神鑑定で心神耗弱などが認められれば別だが、7人も殺したら、いまの状況では死刑は間違いないし、「誤解」 が元でも 「クビ」 が元でも大した違いはない。 情状で変えられる部分はまずないからね…、と法律家は言うかもしれない。
  しかし、ジャーナリズムの論理は違うはずだ。この事実の究明こそ、新聞の責任だ。

  ひとつ、心に残った記事のことを付け加えておこう。
  毎日新聞が7月17日付で、神澤龍二記者の 「記者の目」 を載せている。29歳で同世代だと感じる神澤記者は、東京から裾野の関東自動車を訪ねて、 加藤容疑者の元同僚に話を聞き、自分の体験を通じてこの事件を考えている。神澤記者は、加藤の 「内面」 に生育歴から迫りながら、書いている。
  「私たちの世代には実はいまだに、加藤容疑者のように固定化した価値観に縛られて生きている人たちは多い。 呪縛から解き放たれるため、『いろいろな価値観や職業、分野で生きる人々と本音で付き合ってみる』 ことが必要ではないか」−。
  神澤記者は、自らのボランティア体験の中で自分が励まされたことを書いている。率直で、若々しく、いかにも 「記者の目」 らしい記事だ。記者は現場で学び、成長する。
  ぜひとも毎日新聞にお願いしたい。現場を踏んだ神澤記者の積極的な活動を活かし、彼と共に、複数の記者を現地に入れ、徹底的な取材を積み重ね、 労働現場での労働と労務管理の実態と、資本の 「非人間性」 を明らかにしてほしい。
  そこが明らかになり、何かが変わらなければ、余りにも空しい事件だ。第2第3の加藤容疑者を生まないためにも、それが求められているのではないかと思う。

2008.7.19