【マスメディアをどう読むか】
◎「先進国だけでは動かなくなった世界」を伝えたか?
「サミット報道」が示したもの
「反G8 サミット直前札幌ルポ 『世界の民意と隔たり』 『新自由主義いらない』」(7月7日付)、「特需の地元は無関心 過剰警備は拍子抜け
反G8も開幕 盛り上がりいまひとつ」(7月8日付)、「サミット取材 『市民メディア』 も終結」 「マスメディアとの共存 情報 『補完できれば』
『低い目線』 存在感」(7月9日付)、「G8宣言への疑義 解決遠い大国目線 穀物高にエゴ便乗 食糧危機対策 専門家ら批判 『新たな格差の仕組み』」(7月10日付)―。
まだほかにもあるのだが、東京新聞の 「こちら特報部」 の 「G8記事」 の見出しだ。
洞爺湖畔で開かれた 「G8サミット」 は、大騒ぎの末、目立った成果はなく終わった。
各紙の7月10日付社説は 「数字は一夜で消えたが」(朝日) 「危機感の共有から行動へ」(毎日) 「危機克服へ対話を続けよ」 と、G8の 「合意」 と 「課題」 を問題にしたが、
今回のサミットが見せつけた問題、つまり 「世界は先進8カ国だけではどうにもならない」 という基本的な問題については、ほとんどが素通りし、
わずかにこの東京新聞の報道や、朝日などが、短い記事でいくつかの集会を拾ったのが目立つ程度だった。
「G8報道」 とは何だったのか、これでよかったのか。まず、ここから考えてみたい。
▼多彩に展開されたNGOの活動
G8が日本で開かれるのは5回目だったが、これまでと全く違ったことは、このG8に合わせ、世界の多くのNGOが日本に結集し、
それぞれの主張を展開してアピールしたことだった。
今回、G8に合わせて開かれたNGOの集会は、7月6日から8日まで、札幌で開かれた 「市民サミット2008 (オルタナティブ・サミット)−世界、
きっと、変えられる」 や、6月末、東京で相次いだ 「世界の半分がなぜ飢えるのか」 で知られるスーザン・ジョージ氏を招いた 「G8サミット東京直前行動
SHUT DOWN 貧困と環境破壊のG8」、マイケル・ハート氏らによる 「G8対抗国際フォーラム」をはじめ、
G8と同じ時期に開かれた 「先住民族サミット・アイヌモシリ2008」、「オルタナティブ・ビレッジ=キャンプ」 「チャレンジ・ザ・G8サミット1万人の市民ピースウォーク」
など多彩だった。市民サミット行事が44、関連行事が26、という報告もある。
いずれも、「貧困・不安定雇用・社会的排除をなくせ」 「自由貿易が食糧危機、環境破壊を招いている」 「金融投機をやめさせ、国際金融システムを改めよう」
「EPA (経済連携協定) FTA (自由貿易協定) に問題あり」 などといった要求である。
実はこうした運動は、2001年、イタリアのジェノヴァで開かれたサミット以来、様々な形で展開されてきていた。
その主張は、「世界の人口のたった13−14%程度を代表する8つの国の首脳だけで、世界の将来を決めていいのか」 という世界に民主主義を求める主張であり、
「世界は売り物じゃない。民営化反対、野放しの自由化反対」 という、新自由主義と帝国主義に反対する主張である。
「世界経済フォーラム」 に対抗して、世界の社会運動体が集まる 「世界社会フォーラム」 同様、「もうひとつの世界は可能だ」 も、異口同音のスローガンだった。
しかし、少なくとも日本の一般のメディアでは、昨年のドイツ・ハイリゲンダム・サミットの時と同様に、デモ隊と警官隊との衝突を 「暴動」 と報じることはあっても、
そうした 「異議申し立て」 があることすら、きちんと報道せず、その内容についても十分伝えられなかった。
▼では、そのNGO集会の内容は?
そして今回も、その 「異議申し立て」 の報道は、先に述べた通り、東京では、わずかに東京新聞の 「こちら特報部」 が気を吐いただけ、という状況だった。
もちろん、こうしたNGOの動きが全く報じられていなかったわけではない。「デモで4人逮捕」 も報じられたし、「NGOフォーラムが開かれた」 もあった。
しかし、こうしたNGOの会議で、どのようなことが話し合われたかは、北海道では違ったかもしれないが、東京で見る限り、ほとんど報道されていないのだ。
例えば、「NGOフォーラム 貧困開発ユニット」 が7月7日開催した国際ラウンドテーブル 「世界市民の声〜貧困をなくすために」 では、
「札幌宣言−世界の貧困をなくすための市民の声」 という文書が採択された、という。「そんなに目新しくもないNGO文書」 かもしれない。
しかし、今回食糧が問題になり、貧困が大きなテーマになっていただけに、その提起は政府の側のG8にはない提起であり、重要だと思うのだが、どうだろうか。
「私たちの生きる世界は不公正な世界である。わずか2%の最も裕福な人びとが世界の富の半分を享受する一方で、
貧しい側の半分の人びとが世界の1%の富を分け合う世界。10億以上の人びとが今なお、1日1ドル未満で生きざるを得ない世界。
食べ物はあるのに、人々が飢えている世界。薬はあるのに、予防・治療が可能な原因で人々の命が奪われる世界。
資金はあるのに、人々が、とりわけ周縁化された人々が、貧困によって死にゆく世界。これが私たちの生きる世界である」 と書き始めた 「宣言」 は、
「私たちは、この不公正を受け入れることはできない」 として、「富裕国」 に国連の場で何度となく確認されてきた、
貧困をなくすための 「過去の約束」 を果たすよう求めている。
「世界には8億5000万人もの飢えに苦しむ人びとがいるが、昨今の食料価格の高騰は、『静かなる津波』 として新たに1億もの人びとを飢餓状態に追いやろうとしており、
2015年までのMDGs (Millenium Development Goals=国連ミレニアム開発目標) 達成へのあらゆる努力に負の影響を与えている。
食料安全保障の欠如が主な原因で、貧困人口が17億人に増加するのではないかという報告もある。
世界には十分な食料があるにもかかわらず、先進国を利する金融投機やバイオ燃料政策が食料価格を引き上げ、公平な食料の分配を大きく妨げている」―。
(全文は、 こちら 参照)
▼いま、世界で最も重要な問題は何か
今回のサミットで日本政府は、「温暖化対策」 を中心に、「環境サミット」 とするべく宣伝し、2050年までにCO2を半減するという数値目標の合意を、と考えていた、
といわれている。しかし、この問題については、米国などの反対であえなく潰え、その代わり、中国、インドなど発展途上国も含めての 「努力」 を確認することでお茶を濁した。
そして、そんな思惑をよそに、世界経済は、米国のサブプライムローン問題を契機にした世界的な金融危機が始まり、
石油高騰や燃料作物問題が複雑に絡み合う中で生まれた新たな食糧危機が浮上し、実は温暖化対策どころではない状況が生まれてきていた。
G8諸国としては、そんな状況の中で、アフリカ諸国を含めた会合を開き、その声を聞くというポーズを取らざるを得なかった。
ここでも、G8は、自分たちだけで問題を解決することはできず、これまでの責任を忘れて、問題を 「世界」 に返さざるを得なかった。
まさに、G8諸国による 「資本主義の行き詰まり」 そのものである。
G8をどう捉えるか? それは実は、いまの世界をどう捉えるか、ということであり、世界の問題がどこにあるのかを正確に認識することである。
しかし、メディアは、そのことを考え、正しく意識していただろうか?
メディアは、「持ち回りの年中行事」 が日本にやってきたことを意識し、前例に沿って取材体制を組み、出稿予定を作ってそれなりに対応しただろう。
しかし、「G8を機会に世界のいまを伝えよう」 とか、「いま世界で一番問題になっていることは何か、それを世界の人々がどう解決しようと考えているか」 について、
民衆の動きと共に伝えよう、などとは考えなかったのではないだろうか。
サミットの前に、政府以外の場所からは、いろいろな問題提起があった。NGOの会議を組織した人たちの議論もそうだったが、湯川秀樹、
下中弥三郎らによって始められ、現在は、武者小路公秀、土山秀夫、井上ひさし氏らによって引き継がれている 「世界平和アピール七人委員会」 が、
6月27日発表したG8に関する初のアピールもそうである。
そこでは、「グローバル経済の拡大のもとで、価格高騰や食糧不足が現実化し、国家間でも各国内でも経済的社会的傘が広がり、
社会不安や軍事紛争の危機を招いている」 と指摘。「先進工業国の責任を自覚し、問題の根幹を捉えた的確な決定を」 と訴え、
「地球環境の保護、国際金融の規制ルール、国際的な人権の擁護、核兵器の禁止などについて積極的な決定」 をすべきだ、とG8首脳に要望。
@ 環境対策は弱者の視点から A 「反テロ」に名を借りた戦争や人権の抑圧に反対する B 核兵器保有国は削減義務の履行を−と提言した。
しかし、そのアピールもほとんど報道されなかった。
(全文は こちら 参照)
実はこれらが、いまの世界の最大の問題なのであり、メディアはこうした問題提起に耳を傾けなければいけなかったのである。
▼「視点」はどこにあったのか
ジャーナリズムに必要だったのは、霧の洞爺湖湖畔で豪華ディナーを食べながら食糧危機を論じた人たちとは違った 「視点」 だった。
しかし、日本のメディアは、その 「豪華ディナー」 に対する批判ですら、欧米のメディアに先を越された。
「豪華ディナーを食べ食糧危機を語るG8首脳を 『偽善的と』 と断じた英各紙の鋭いセンスには、ジェラシーを感じた」 と書くのは、
G8声明に対するNGOの記者会見を詳しく報じた東京新聞 「こちら特捜部」 の 「デスクメモ」 だ。
東京では唯一だったこの優れた記事を出稿したデスクが、外国の新聞に 「ジェラシー」 を感じなければならなかった、日本の新聞の報道の 「仕組み」 とは何なのか。
私には、これは、洞爺湖畔に集まった新聞各社の 「G8取材班」 は、各国首脳や、ホストの外務官僚らとの面識はあっても、そこで発表される膨大な文書や、
首脳夫人の動きまで、G8が提供する情報の海を描くのに精一杯で、
「世界で最も重要な問題は何か」 という基本的な 「視点」 が失われていたことを示しているのではないだろうか。
独断でものを言わせてもらえば、「こちら特報部」 は、その 「海」 とは全く違う場にいたからこそ、別の 「視点」 を持つことができ、
優れた記事が書けたのではないかと思う。
私は、このことこそ、日本のメディアの構造的な問題として、今後も引き続いて考えていかなければならないのではないかと思う。
▼メディアセンターの活動に意義
しかしその一方で、記憶されなければならないのは、こうしたNGOの活動や主張を伝える 「市民メディアセンター」 が設けられ、
実際にインターネットの動画サイトなどを通じて、多くの情報が発信されたことである。
このメディアセンターは、昨年7月以来、多くのNGOと連携しながら、G8に関わる動きを内外に伝えようとしてスタートしたもので、
「レイバーネット日本」 や 「Our Planet-TV」 「NPJ」 なども加わって組織されたもので、実際に、記者会見場がある 「市民メディアセンター in 北海道大学」、
コミュニティ・ラジオ局のためのスタジオを設けた 「市民メディアセンター札幌」、
ビデオ編集スタジオを持った 「インディペンデント・メディアセンター」 の3個所の拠点が創られ、ここをベースに登録した内外の約100人の市民ジャーナリストが活動した。
開会前の5日、札幌市内で約3000人が参加した 「ピースウォーク」 のデモでは、
これを取材中のロイター通信のカメラマンが 「警官の腰を蹴った」 として公務執行妨害で逮捕されたが、撮影中のカメラマンの背中を強引に引っ張り、
カメラマンが抗議する状況が居合わせた市民ジャーナリストによってビデオ撮影され、インターネットサイトにアップされたことから、
警察も釈放せざるを得なくなったのか、7日に釈放されたというケースもあった。
この映像はテレビにも放映され、「事実」 が世の中に明らかになり、警察の 「意図」 も見えてしまった。
繰り返すが、いま世界がどうなっているか。それを見詰めるには、洞爺湖に集まった首脳やその関係者を取材するだけでは足りないことは、はっきりしていた。
そんななかで、日本人が正確な国際認識を持つためには、NGOの主張も正当に伝えられなければならなかった。
市民メディアセンターの活動は、まだまだ小さく、決して十分ではなかったが、そのNGOの活動を伝えることに貢献した。
「新自由主義」 に席巻されている世界の矛盾と、それを推進してきた先進国の責任。洞爺湖サミットは、それが改めて露呈したサミットだった。
この中で、世界はどうすべきなのか、われわれはどうすべきなのか。
日本のジャーナリズムは、この問いにまだ答えていない。
2008.7.22
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