2009.2.27

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎「日米同盟」とは何か
基本にかえった「新たな日米関係」の構築を

  危機に立つ麻生首相は、24日、「初の外国の要人として」 という触れ込みで、オバマ米・新大統領と会談、 「日米同盟をより重層的なものに強化することで一致した」 と報道された。オバマ大統領は会談で、「日本は東アジアの安全保障の要石。 アフガニスタンの安定のために日本が積極的な役割を果たすことを歓迎する」 などと注文を付けたという。
  会談の中で、大統領と首相は 「基軸通貨であるドルの信認確認が重要だ」 と米国債の引き受けを約束したとも受け取れるような発言もした。
  「日米同盟」 という言葉が、あっさり使われるようになってもはや久しい。 しかし、オバマ政権が登場し、米国がブッシュ流の単独主義から国際協調主義に変わろうとしているいま、日本も、この数年間、何の疑問も持たないかのように使われ、 「日米同盟だから仕方がない」 という米国追従の路線を、具体的な政策課題ごとに再検討し、日本国憲法の精神を生かした外交路線に立ち戻るべきではないか。
  どうしても 「日米同盟」 と呼びたいのなら、その内実を憲法に沿って明確にしなければならないのではないだろうか。

  ▼「同盟関係」は「軍事同盟」ではないのか
  もともと 「同盟」 とは、「協商」 と呼ばれる軍事的義務を伴わない提携関係と違って、「軍事的関係」 を持つのが当然だとされている。 その意味で、双務的には軍事行動を伴わない日米安全保障条約は、「同盟」 とは言えないだろう。ところが、それが大きく変化している。
  このことは、メディアがもっと敏感に反応し、国民に問題提起し、考えさせてこなければならなかったことである。
  歴史をたどってみると、日米首脳会談で、共同声明に 「同盟関係」 という表現が初めて使われたのは、1981年5月のレーガン・鈴木会談だった。 日米安全保障条約の締結から30年目だったが、共同声明では 「総理大臣と大統領は,日米両国間の同盟関係は, 民主主義及び自由という両国が共有する価値の上に築かれていることを認め,両国間の連帯,友好及び相互信頼を再確認した」 と述べた。 (※参照
  もちろん 「同盟」 には当然軍事関係を含む。帰国後、この 「同盟関係」 について野党の追及にあった鈴木首相は、「共同声明は会談内容を適切に反映していなかった。 軍事的な意味は持たない」 などと述べたが、追及された外務省は、「軍事的関係が含まれない同盟はありえない」 などとし、伊東正義外相は責任を取って辞任した。 伊東外相も 「日米安保条約に軍事問題が含まれるのは当然」 という立場を崩す訳にはいかなかった。
  しかし、こうした議論を経て、日米軍事関係の変化よりも、貿易摩擦など経済問題に国民の関心が奪われるようになり、その裏で、軍事態勢の連携強化が進められた。 89年の海部・ブッシュ会談では、「グローバル・パートナーシップ」 が強調され、かつて、「日本及びその周辺」「 極東」 とされた 「日米安保」 の視野は、全世界に拡大された。

  ▼日米安保の「変質」
  つまり、かつての 「日米安保」 は、ほぼ完全に 「変質」 してしまっており、本来なら、国会できちんと議論して作り直さなければならないはずなのだ。
  この 「日米安保の拡大・変質」 を形にしたのが、1997年9月の 「日米防衛協力のための指針」 (日米新ガイドライン) であり、1999年の 「周辺事態法」。 日本はこうして日米軍事協力体制を強化していった。この結果、この 「日米同盟」 という言葉が何の批判もなく使われるようになり、 橋本内閣、小渕内閣などでも平気で使われる状況になっていった。
  この路線は、米国が日本に押しつけて来た超党派の政策でもあった。2000年10月、リチャード・L・アーミテージ氏を中心に、ジョゼフ・S・ナイ、カート・M・キャンベル、 マイケル・J・グリーン氏らの超党派のメンバーによる米国防大学国家戦略研究所 (INSS) の特別報告書 「米国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」 は、 「日本は集団的自衛権を採用し、日米軍事同盟を英米関係と同じような新たな段階に引き上げるようになるべきだ」 と提言した。 「同盟」 を基礎に日本の軍事的、経済的 「貢献」 を、全世界に広げさせ、米国の安全保障面の世界戦略の中心にしようという 「グローバル・パートナーシップ」 の考え方だった。
  2001年9月11日、米国を襲った 「同時多発テロ」 は、その戦略を具体化させるのに格好の事件だった。 アーミテージ氏は日本に 「旗を見せろ」 (ショウ・ザ・フラッグ、Show the Flag !) と要求し、 2年後のイラク戦争では 「軍靴を履いて戦場に立て」 (ブーツ・オン・ザ・グラウンド、Boots on the Ground!) と求め、いまなお、その姿勢は変わっていない。
  オバマ大統領は、麻生首相に 「日米の友好関係が極めて重要だ」 と強調、「米軍再編のロードマップを着実に実行する」 ことを約束させた。 毎日新聞が 「日本に 『責任共有』 促す」 と報じた通り、米国の利益になるための政策について、日本にも 「分担」 してほしい、というメッセージが貫かれている。
  麻生訪米の前に、日本を訪れたヒラリー・クリントン国務長官は、抜け目なく沖縄の米海兵隊の一部をグァムへ移駐させるため、 グァムでの基地強化経費28億ドルなど、計61億ドルの負担を約束させている。
  26日付 「しんぶん赤旗」 によると、英紙フィナンシャルタイムズは 「日本がアフガンの8万人の警官の給与半年分を支払うと約束した」 と報じている、という。

    ▼「経国済民」ということ
  麻生訪米に、オバマ大統領は、「この執務室に入った最初の外国の賓客だ。日本との友好関係を重要だと考えている」 とお世辞を言ったが、 米国のメディアは、ワシントンポストが 「悩めるリーダー麻生、オバマと会見」 (Japan's Beleaguered Leader to See Obama) と書き、 CNNは 「1時間の会談のために1万1000キロの長旅」 とのべるなど、冷ややかな扱いだった。
  簡単にいえば、うまいことあしらわれて、金づるにされ、格安で軍事基地を展開できる国として扱われているのではないだろうか。
  2月25日のNHK 「クローズアップ現代」 は、沖縄軍用地が投資対象になっている現実があることを指摘した。 軍用地料は次第に上がる仕組みになっており、基地から離れられない環境をつくっていく実態が報道された。
  この事実は、軍産複合体が作られることで、戦争がなければ産業界が困るのと同様、将来の日本の国づくり自体が深刻な状況になっていることを示している。 麻生首相は 「第2の経済大国」 と胸を張ったが、生産拠点はどんどん外国に移転し、そこでの収奪によって国が本当に将来、やっていけるのか、 本当に考えなければならないところに来ているのだ、と私は思う。
  「経国済民」 ということばがある。「経済」 という言葉のもとになったといわれるこのことばは、「国をはか (経) って、民をすく (済) う」 という意味だという。 「外需頼み」 「円安頼み」 とかいうこと自体、おかしなことで、大きくなくてもいいからバランスの取れた、経済に次第に作り替えていくことを考えなければ、 問題は絶対に解決しない。
  「国際関係」 も同じことで、米国とだけではなく、中国や韓国とも平和で、公正な経済関係を築くことを考えなければならないはずだ。
  それとも、やっぱり、中国とは 「協商」 で、米国とは 「同盟」 なのだろうか?
2009.2.26