2011.3.1

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎「アナログ停波」 と 「テレビを見る権利」

  画面がいきなり 「シャー」 と音を立てて砂嵐のようになり、やがて子どものような声。「驚かせてごめんなさい。ボク、地デジです…」。 そしてどんなニュースにも、ドラマにも関係なく、四六時中、「地上デジタル放送にはUHFアンテナが必要です」 「地デジへの対応をお早めにお願いします」 などの帯が流れる。

  「大体、視聴者に失礼じゃないのか!」−。本気になって、ついそう言ったのだが、「地デジ問題」への放送局の対応は、自分たちの社会的責任について、 あまりにも無自覚で、他人事になっていないのだろうか。法律を改正して、いまのアナログのテレビ放送を勝手にやめて、「地デジ」 への切り替え、 つまり、古いテレビを持っていたり、対応ができていない視聴者にとっては、テレビの買い換えか、コンバーターの購入を要求する。

  「切り替えが近づくと、混み合って工事が間に合わないこともあります…」。「わかった。対応しよう。ただ、費用はどうしたらいいのか?」 −その疑問は当たり前だ。

  難視聴地域に住むフリー・ジャーナリストが 「工事費などが自己負担となるのは違法」 と、国を相手取り、地デジ移行差し止め訴訟を始めたそうだが、 本当に国や、テレビ局は、国民の 「テレビを見る権利」 をどう考えているのだろうか。

  憲法25条は、国民に 「健康で文化的な最低限度の生活」 を保障し、その内容を改善していくよう求めている。 「最低限度」 が問題になるが、昔は 「贅沢品」 で、持っていると生活保護も受けられなかったテレビも、今は 「生活必需品」。 「テレビを売って生活費に当てろ」 とは言われない。災害対策などを含め 「なくてはならないもの」 になっている。

  テレビ番組の 「質」 やニュースの取り上げ方には問題が多いし、いろんな意見がある。 しかし、そのおかしな番組、くだらない番組、公正とは言えないニュース判断も含めて、テレビはわれわれの生活に生きている。 われわれはテレビによって、世界や政治や世の中の動きを知り他の人たちの意見を聞く。 だから、テレビは 「知る権利」 の担い手として、国民から激励されるし、批判もされる。 第一、「テレビの免許」 は、放送が公共の福祉としてその責任を果たし、「効用」 を発揮するために与えられた免許のはずだ。

  1月24日、総務省と放送業界による 「完全デジタル化最終行動計画」 発表会でのデータによると、アナログ停波対応策は90.3%とされたが、 これは、プラズマ・液晶テレビ、デジタルチューナーなど、複数の種類を合算したもので、人によっては3重にカウントされているという代物。 80歳以上は調査から除外することにもなっている。昨年9月の総務庁調査では、地デジ化でテレビが映りにくくなるとされる山間部などの難視聴地域は、 全国で約24万1千世帯に上っている、という。

  国にも言えることだが、放送界は自分たちの電波と番組が、視聴者に見てもらって初めて価値を生むという事実と、 それは情報を獲得する、という国民の基本的人権に支えられていること、突然テレビが見られなくなる、ということは、 この人権の問題であることを改めて確認すべきではないだろうか。

  私は、「デジタル難民」 が予想される現状のもとでの強行実施に反対だ。アナログ停波は延期するべきだと思う。
(2011/3/1)