2009.5.11

小さき人々にとっての20世紀

中野 慶 (編集者)
目次

第一回 沖縄は見えてきたか

  連休の一日、日本新聞博物館で沖縄タイムス社と同館主催の写真展 「あんやたん」 (沖縄の言葉で 「あんなだった」 という意味)を見学した。 同社のカメラマン、記者が記録した沖縄の 「戦後」 のなかで、米軍支配下から復帰後に至る数々の基地被害と、 祖国復帰へのうねりが高まる時期の写真が抜きん出た迫力を持つように思えた。

  探していた写真に出会うことができた。それは、1969年の沖縄全軍労 (軍労働者の組合) のストの際に、銃剣を手にした米兵がピケ隊に迫る場面をとらえていた。 しかし、それは当時小学校六年生だった私が、強い衝撃とともに見た (別の新聞の) 写真と同一のアングルではなかった。 記憶の中の一枚は、米兵とピケを張る組合員は限りなく間近で、銃剣は胸元に迫っていたと思う。その写真に沖縄の苦難が象徴されているように思えた。

  当時、お受験とは無縁だった私は、ベトナム反戦と沖縄返還を求める渦の中にいた。ベトナム戦争に日本が荷担してはいけないという思いと、 B52が飛び立つ沖縄がアメリカの過酷な支配下に置かれていることへの疑問を、子ども心に一つに重ね合わせていた。 作文の題材として沖縄論を選び、学校でもその問題を訴えた。ベトナム・沖縄に関わる集会にしばしば参加する中で、デモ行進でのデモ隊と警官の対峙は目撃している。 それだけに、銃剣を手にした米兵と労働組合員の対峙の場面は想像を絶していたのだとも思う。

  あのころ 「闘う小学生」 気取りの私は、「沖縄を返せ」 という歌に引き込まれた。「固き土を破りて/民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ」 とよく口ずさんでいた。 これに続く歌詞に、「本土」 中心主義が表現されていることを自覚したのは、成人に達してからである。

  1988年、教科書裁判沖縄出張法廷の際に私は沖縄をはじめて訪れた。二十年前は名前も知らなかった沖縄タイムスと琉球新報の存在感を現地で実感した。 現地と県外の裁判支援者による交流会が深夜まで続いた時のこと、泡盛の勢いで二次会の参加者は持ち歌を披露し始めた。 順番が回ってきた。歌詞に問題があると思うが、初めて沖縄に出会った頃の歌として歌いますと前口上をつけ、「沖縄を返せ」 を私は歌い始めた。 ただ、現地と県外の参加者も加わった歌声は、意気あがらず蕭蕭というか寂寥感さえ感じられた。 とりわけ 「われらのものだ沖縄は」 という一節で声量は落ちてしまった。 選曲を誤ったことへの痛恨の念と、それなら 「銀座の恋の物語」 でも歌えば良かったのかという思いとのせめぎあいの中で、酔いから醒めてしまったことを私は覚えている。 (1995年以降のこの歌の 「復活」 については本稿では割愛する)

  この夜が、沖縄と出会う第一歩になった。1969年に沖縄に出会ったつもりになっていた私は、「復帰」 以降の沖縄の変容も実感するようになった。

  この88年当時を思い起こせば、「本土」 の労働組合関係者などで 「沖縄に行けば安保が見える」 「沖縄に行けば闘うエネルギーがもらえる」 と語る人も少なくなかったが、 (「本土」 の身勝手さが表出されているという意味では) 現在の 「癒しの島」 という沖縄イメージとも相通じるものがあったのではないか。 しかし、私も人様のことを笑える立場にはない。たとえば、奇しくも四百年前に開始された薩摩による琉球支配について、そして沖縄戦、米軍支配下、 「本土復帰」 以後における沖縄の苦難と人々の思いを受けとめ、沖縄の歴史的現実の多面性を理解するのは至難の業ではないか。 1945年の後に限っても、「本土」 における戦後民主主義は、沖縄においては存在する余地がなかったことや沖縄の軍事要塞化という担保のもとで、 憲法九条が制定・施行されてきたという基本的な歴史的事実ですら誰にも知られているわけではない (念のため付言すれば、だから平和憲法が無意味だと主張するわけではない)。 ましてや、基地の島から平和と自治の島へと沖縄の現実を転換していくために、沖縄の地とヤマトの側で何をなすべきかは今も重い課題である。

  近年、沖縄戦 「集団自決」 裁判に関わって、沖縄を訪れることが多くなった。二年前の教科書検定の撤回を求める沖縄県民大会 (6月) で連帯挨拶をした私は、 小学生の時に出会った沖縄、1969年の全軍労ストライキを写した衝撃の一枚についても言及した。 大会終了後デモに移る直前に、一人の参加者から声をかけられた。全軍労の組合員として69年のストライキに参加された方であった。 この日の参加者は3500人、9月の主催者発表11万6000人の大集会の小さな前段でしかないが、 私にとっては元全軍労組合員の方と言葉を交わしながら行進したことも含めて、記憶に残る一日となった。

  この連載では、できれば傑出した著名人ではなく、20世紀を駆け抜けていった人たちについて可能な限り紹介させていただきたいと思う。

  なお沖縄の現在を知る上で、地元二紙の紙面は有益である。両紙の記者の近年の仕事として、 入門書としては前泊博盛 『もっと知りたい! 本当の沖縄』 (岩波ブックレット) があり、沖縄戦については謝花直美 『証言 沖縄 「集団自決」』 (岩波新書) が必読。 普天間基地移設問題については渡辺豪 『「アメとムチ」 の構図』 (沖縄タイムス社) が詳しい。 その他、沖縄関連書目は枚挙の暇がないが、佐野眞一 『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』 (集英社インターナショナル) は 「ごった煮状態」 の叙述で、 アンダーグラウンド等従来描かれていなかった主題を扱う。 また、シリーズ・日本歴史の一冊である荒川章二 『豊かさへの渇望』 (小学館) は1955年から現在を扱うコンパクトな通史だが、 平和国家の中の巨大な軍事空間として沖縄を詳述し、1969年前後の闘争の高まりについても的確に叙述している。 なお、沖縄出身の芥川賞作家目取真俊のブログ 「海鳴りの島から」 は沖縄戦 「集団自決」 裁判をはじめ、この島の現在を考え続ける上で必見である。 (文中敬称略)