2009.12.10

小さき人々にとっての20世紀

中野 慶 (編集者)
目次

第四回 沢内村の経験をどう受けとめるのか

  映画 「いのちの山河(日本の青空K)」 を鑑賞した。岩手県沢内村(現西和賀町)の深沢晟雄村長(1905〜1965、村長在任は1957〜1965)が、 豪雪、病気、貧困という村が直面した苛酷な現実と向き合い、老人医療費無料化を突破口にした独自の 「生命行政」 を村民とともに進めていく姿を描いた映画である。

  日本の医療、社会保障問題に関心を持つ人にとっては、沢内村はあまりにも著名である。 菊地武雄 『自分たちで生命を守った村』 (岩波新書)や今回の映画の原作である及川和男 『村長ありき』 (新潮社)をはじめとして、数多くの関連書籍も刊行されている。 また2007年にはドキュメント映画 「いのちの作法」 (小池征人監督)が製作されている。

  「いのちの山河」 を見ながら、沢内村の歴史と風土に思いを馳せ、かつて出会った情景が蘇ってきた。 たとえば 「箱ゾリ」 というのは、冬季間の病人を医者に運ぶために作ったソリだが、実際には医者に診せること能わず病人が死んでしまい、 死亡診断書を書いてもらうために死人を乗せていく場合も多かったという。 沢内村は戦前には長らく無医村であり、死亡診断書を入手するために隣村の病院まで箱ゾリで行かねばならなかったのだ。

  半年間は豪雪に覆われてしまうという土地柄なので、戦後になっても冬期の道路は整備されていなかった。 それだけに深沢村長が最初に道路問題に取り組んだのも当然である。そして深沢村政はそれにとどまらず、 もっと困難な課題、老人医療費、乳児医療費の無料化や村ぐるみの保健事業に挑戦していくのである。

  26年前に私はこの村を訪れた。沢内病院前に建つ 「いのちの灯」 という記念碑をつくる会の活動に多少関わったので、現地での除幕式に参加したのだった。 交通事情は昔から格段に進歩していたとはいえ、遠隔の村であることが十分によくわかった。 沢内病院の増田進院長(当時)のお話しとお人柄が何よりも心に残っている。 今は亡き斎藤茂男さんも後に、「増田先生のような人からジャーナリストは学ばなければ」 と語っていたのを思い出す。

  当時の私は素人なりにこの村が辿ってきた足跡に心から共感していた。その証しとして、記念碑の概要を伝えるリーフレットに、次のような 「詩」 を綴った。

鉛色の空から/止めどなく落ちてくる雪の重さに耐えかねていた/暮らしはまずしく/紅葉のような手を思いっきり延ばすこともなく/赤ん坊たちが死んでいった/ わずか二十数年前まではそんな村だった
今も雪は家々を埋め尽くしてしまうほど降る/老人たちの話すことばが変わってしまったわけではない/でも、はっきりと何かが変わったことを私は感じている(以下略)

  いま読み返すと、関連文献を読めば、誰でも書けるフレーズであることに赤面するしかないが、今回の映画と小生の拙い 「詩」 を貫くものは、 深沢村長という傑出したリーダーの存在と村長と心を一つにしてきた村人たちへの共感であろう。 1950年代の東北の寒村が苛酷な現実に負けずに、日本のどの地域でも成し遂げられていなかった老人医療費無料化という理想に向けて邁進したのであるから。 そして赤ん坊がコロコロ死んでいく村から、乳児死亡率ゼロ(1963年)へと前進を成しとげたのであるから。

  この1950年代という時代における貧しさ、都会人の想像を絶する寒村の厳しさをバネにして、雄々しく村を変えていった人々への尊敬を胸に、 今も沢内村が語られ続けている。時代を超え、それだけの魅力を放ち続けている。沢内村の経験は思想・信条を超えて多くの日本人に伝えられて然るべきことであろう。

  ただ映画に共感しながら小生は、やはり少し気がかりだった。沢内村を讃えるということがどれだけ今の主題として有効だろうか。 やはり過去の記念碑としてのみ、自分は沢内村を認識しているのではないだろうか。過去の栄光を顕彰すればそれでよいのだろうか。

  沢内村を語ることは、まさに今の問題ではないかという反論も当然予想される。大澤豊監督も産科や小児科、救急医療が切りすてられ、地域医療が崩壊し、 「後期高齢者医療制度」 が存在している今こそ、沢内の教訓は輝いているという趣旨をパンフレットに書いていた。その角度からの主張は筆者もよく理解できる。

  ただ 「老人医療費の無料化」 が現時点で可能かと問われれば、医療と社会保障の素人には困難さばかりが目につく。 病院のロビーが老人たちに占拠されたという類の非難に与するつもりはないが、 1973年〜1983年の老人医療費無料の時代に今すぐ帰れるという見通しは持つことができない。 それは小生が、医療費無料化を実施している海外の主要国の事例に疎いからだけだろうか。

  加速する高齢社会の下で、医療があまりにも高度化し、劇的に進歩したこと、人々の医療への要求水準が格段に高まったことが決定的に思える。 もちろん医療切りすてや貧しさゆえに治療の機会が奪われている人たちは救わなければならない。 それは昔も今も同様である。その意味で沢内村の挑戦は現在でも極めて教訓的である。 しかし四半世紀前とくらべても、医療の質や豊かな終末期が患者自身によって強く求められるようになった現在は、 老人医療費の無料化というスローガンがキラキラと輝いていた時代から、かなり変化しているのではないだろうか。 映画を見た後に、そんな仮説を思い描いた。今後、少しはこの分野を勉強しつつ、仮説を検証していきたい。