2014.2.15

ホタルの宿る森からのメッセージ
〜アフリカ熱帯林・存亡との戦い
西原智昭
目次 プロフィール
第二回
「アフリカ熱帯林という場所への序曲」


写真1:上空から見たアフリカ熱帯林の姿(黒い部分は雲の影) © 西原恵美子撮影

  静寂な森。長い人類の歴史の中で、人の手からまぬがれてきた原生の熱帯林(写真1)。 そこには一切人工的な音はない。樹冠からこぼれる木漏れ日が地上に降り注ぐ。その筋状の光に映えてまばゆいばかりに輝く雨のあとの新緑の葉。 そういうときたったひとりで森の中にたたずんでいると、そうした熱帯林の大地に思わず伏せたくなるような自然な衝動。 明りのない闇夜のキャンプを照らす三日月。樹冠の間から垣間見える澄み切った夜空の星々。 森のキャンプ地で寝転がっていると、高い木々の間を渡っていく無数のホタルたちが見える。 時には数10mもの高いところであり、それはまるで人工衛星のようであった。

  アフリカといえば、乾燥した草原地帯に動物がいて、しかし酷暑で、飢餓や病気が蔓延している世界。 内戦などで政情が安定していない危険な場所。多くの日本人が抱くアフリカのイメージはそうであろう。 いまだに 「暗黒大陸」 という者さえいる。こうしたアプリオリな言葉でしかアフリカを語れないのは、端的に情報がないからである。 アフリカはそれだけではないといっても、日本ではメディアからの確かな情報はないし、学校の教師も情報を持ち合わせていないから、 現行の日本の教育制度の中では小学校から大学まで 「真のアフリカの姿」 を学ぶ機会はない。

  「多様なアフリカ」 には、アフリカには湿度の高くじめじめとした、そしてときには寒さを感じるくらい気温が下がる、 しかも見通しの悪い鬱蒼とした熱帯林地域があるのである。それはアフリカ中央部に位置している(下図)。


地図:熱帯林を保有するアフリカ中央部の主な国々 © 西原恵美子作成

  凶暴でうっとうしいと感じざるを得ないあまたの虫。100%に近い湿度で、洗っても乾かない服。干し魚とキャッサバという現地のイモ類が基本の食生活。 1m以上直径のある木をなぎ倒すはげしい雷雨。足を踏みはずせば沈んでいく沼地の連続。 猛毒のヘビもいれば、病気や大怪我をすれば帰る手段のない奥地。水道も電気もないし、奥地に行けば無論携帯電話もネットも通じない。 アフリカの熱帯林はそういう場所だ。

  そこにはゴリラがいた(写真2)。静かで大きな体躯をもったわれわれ人間の近縁種。 無器用だが、きれい好きで、隣のグループ同士ともいたって友好的なゴリラたち。 バイと呼ばれる湿原へ向かっていくとき走りながら聞こえてくる嬉々とした声。 そしてバイでは泥沼に肩まで浸かりながらも幸福そうに目を細めて大好物の水草を食べているゴリラ。 ぼくがアフリカの大地に初めて入り、コンゴ共和国の熱帯林ンドキにて、野生ニシローランドゴリラの生態研究を始めたのは、1989年のことである。


写真2:見通しの悪い熱帯林の中で、初期調査のころ観察された
ニシローランドゴリラ © 黒田末壽撮影

  森にはゴリラだけではない。チンパンジー、幾種類ものサル、マルミミゾウ(写真3)、アカスイギュウ、カワイノシシ、 ダイカー(ウシ科の小型動物)、ヒョウなどなど。 森について無知で不案内な新参者であったぼくは、森をよく知っている先住民−狩猟採集民−と、そうした動物たちを森の中に追って歩いた。 彼らの経験と知識を頼りに、森の植物や昆虫のことをも知っていった。彼らは伝統的に森の産物に頼ってきた森の民だ。 彼らのうたと踊りはこころに深い感銘を与える。ぼくはそうした仲間たちと共に生活をし、日々交流してきた。


写真3:コンゴ共和国ヌアバレ・ンドキ国立公園基地における野生のマルミミゾウと筆者
© 西原恵美子撮影

  しかし周知の通り、熱帯林には伐採や密猟による危機が間近に迫っていた。 動物だけではない。従来からの生活をしてきた先住民の生活基盤も消えていこうとしている。 それにともない森の民のもつ貴重な森の文化や知識、技能も次第に失われていく。特に、ここ10年での変貌は著しい。

  90年代の初め、研究ばかりをしていたぼくに契機を与えた人物がいた。WCSのアメリカ人の野生生物学者で自然保護に従事するマイク・フェイだ。 ぼくの人生に巨大な契機を供与してくれた人物の一人。その人の強烈な意思と啓発に惹かれるように、 ぼくは日本の大学への教官としての就職の可能性も放棄、純粋な学術目的の研究から、研究調査を基礎とした自然保護への道へ歩むことになった。 目の当たりにする熱帯林の崩壊と密猟で死にゆく野生生物を前にして、そうせざるを得なかった。 奇しくも、底に横たわる問題は日本人と無関係ではなかった。それを示唆してくれたぼくの人生での最初の人物がマイクだったのだ。

  1997年には内戦という危急の事態にもかかわらずぼくは銃撃戦の中の首都を脱出、現場に残ることを決意、戦火のとき国立公園の基地を死守する役目。 そのころから、ぼくはWCSのスタッフとなり、現在にいたっている。 内戦後は、国立公園基地における人事・会計・物資補給という基本作業だけでなく、研究者の調査や定期的な森のパトロールのためのサポート、 コンゴ人のための育成プログラム、国立公園訪問者の案内など、国立公園に必須なマネージメントの様々な仕事を始めた。

  熱帯林で生じている数々の緊急の問題。そのひとつにゾウの密猟がある。象牙目的だ。現場で相当の対策と努力を重ねてもそれは終わりを知らない。 象牙取引の背後にある国際的な象牙の需要。そしてそれに最も関与している国の一つがぼくの同胞である日本人であった。 象牙だけではない。われわれ日本人が抱えている野生生物利用に関する問題。それは根深いものであった。

  一見われわれ日本とは遠い世界で起こっているアフリカ熱帯林の環境問題や野生生物保全の現実と、その地球規模での結末。 しかも、それは日本人にはほとんど知らされていない。しかし、日本人であるからこそ、日本人としての責務がある。 樹冠のはるか高みにホタルが宿る森、森の民が依拠する森。そこに通底する素朴でゆるぎない自然のシナリオ。 それはわれわれ人類誕生以来の歴史よりも古い。筆者の取り組みは、それを地球の財産としてこれからも存続していくようにすることだ。 この連載記事の場を通じて、メディアでも知らされず学校でも教わらないこうした地球の現実と課題の一コマを、日本と関連した課題も提供しながら、 少しでも多くの方に理解していただけるように尽力したい。