2014.4.16

ホタルの宿る森からのメッセージ
〜アフリカ熱帯林・存亡との戦い
西原智昭
目次 プロフィール
第六回
「ゴリラとの遭遇(その1)〜ゴリラは〈うたう〉のか」

  1989年8月19日。昼の12時59分、「ザザー」 という大きなけものが動いたような巨大な音に続き、「グギャー」 と耳をつんざくような騒ぎが響き渡る。 一瞬ゾウとも思われたが、森のガイドである先住民はこの悲鳴に似た声の持ち主はチンパンジーだという。 声が聞こえた方へ近づいていくと、ほぼ同じ方角から今度は 「ポコポコポコポコ…」 とゴリラのドラミング(胸叩き)が聞こえる。 さらに接近すると、果たしてゴリラたちに出くわした。20頭くらいのグループだ。どの個体も異様に興奮している。 3頭の大きなゴリラが、一気に別々の木を15mくらいまで登り、こちらを見下ろしてはさかんにドラミングを繰り返す。 彼ら以外に赤ん坊を抱いたメスなどがいたが、いち早く地上の藪向こうに去ってしまいもう姿は見えない。


樹上で採食するニシローランドゴリラ © 西原恵美子撮影

  ゆっくりと観察するいとまもなく、突然激しい雷雨がやってきた。雷がはげしくとどろく。 木の上のゴリラたちは、強い雨にただうずくまり、「ヴワー」 と力なく声をあげるばかりだ。 その音声を発する調子は雷の重低音にあたかも呼応しているかのようであった。 さらに強まる雨足に、ぼくもガイドも余儀なくその場を撤退せざるを得なかった。ほんの15分ほどの出来事であった。 われわれは、興奮もさめやらぬまま、豪雨の中をキャンプへ急いだ。

  キャンプに着いて一段落したあと、ガイドの先住民たちに先の出来事についてあらためて問い直した。 彼らは口をそろえて、あれはチンパンジーとゴリラが喧嘩をしていたのだという。先回りをした一人はその現場を自分の目で見たともいう。 チンパンジーが発したらしい悲鳴に似た叫び声とゴリラのドラミング、大きな動物たちが一瞬すさまじく動き回ったことを連想させる木々の揺れる騒ぎ。 これらがほぼ同時に同じ方角から、そして同じような距離から聞こえてきたこと、実際に目の当たりにしたゴリラたちの異常な興奮状態を考え合わせると、 先住民たちの証言は正しかったに違いない。

  コンゴ共和国の森はゴリラとチンパンジーが同所的に、しかも両者ともかなりの高密度で生息している森なのである。 こうした事件が起こりうる可能性は十分にあるのだ。


中央アフリカ・チンパンジーの子供 © 西原智昭撮影

  アフリカ中央部西側に位置するコンゴ共和国。フランスが旧宗主国であり、公用語もフランス語である。英語はほとんど通じない。 国の人口は400万弱であり、国土の面積は日本とほぼ同じである。とくにこの国の北部は人口希薄地帯が多い熱帯林地域である。 首都ブラザビルから北へ約900km離れたところに、サンガ州の州都ウエッソがある。 ウエッソからさらにサンガ川を船外機付きボートでおよそ100kmさかのぼると、ボマサという小さい村がある。 このボマサからそう遠くないところに、世界でも類稀な原生の熱帯林が残っていた。 それが 「ンドキの森」 であり、のち1993年には同地域約4,000km2は 「ヌアバレ・ンドキ国立公園」 として制定された。 2012年には 「世界自然遺産」 地域にも指定された。 そこにはニシローランドゴリラや中央アフリカ・チンパンジーをはじめとしたいろいろな動物が、 これまで人間の影響をほとんど受けずに健全な頭数で生息しているのであった。

  ぼくが京都大学理学部の人類学研究室をたずね、大学院でもその研究室を選んだのはもともと 「人類の起源と進化」 に興味を持っていたからである。 人類の起源や進化を探るには、太古の時代の人類の祖先の化石や遺物から検証する(自然人類学)、 人間にもっとも近い現生の動物であるサルの生態や社会を研究する(霊長類学)、 あるいは現生の人類の中でいまだ自然に強く依存して生活している人々を調査する(生態人類学)などの手法が考えられていた。

  4回生の卒業研究では、人骨などを対象にした自然人類学を選択した。 のちぼくの関心は、サルの中でも最も人間に近い類人猿、現生の類人猿の生態・社会を研究していくことに移っていった。 日本の霊長類学者・人類学者がコンゴ共和国に足を踏み入れて初期調査を行なったのは1987〜1988年であった。 1989年、京都大学調査隊の一員として幸運にも行く機会を得たンドキの森で、ぼくはゴリラを研究対象に選んだ。

  なぜか。それは、「ンドキ地域」 の先駆的研究がまだほとんどなかったこと、 調査対象のニシローランドゴリラの詳細な生態がまだ明らかになっていなかったことといった学術上の関心だけではなかった。 無論、これまでの研究成果の蓄積がないため、初期調査で十分な研究結果が得られない可能性があるというリスクは承知の上であった。

  「…ゴリラは歌を歌うんですよ。ハミングなんですが、これがうまい。ヨーロッパの民謡みたいなメロディーで、もう人間そっくりです。 ヤブの中で歌っていると、人間が歌っているのか、ゴリラが歌っているのか、全くわからない。 僕は何度もだまされましたよ。…(ちゃんと音楽に)なってます。メロディーはいろいろですから、アドリブでやっているのでしょう。 人間と同じで、個人的上手下手、好き嫌いはあるようですね。」 これは、マウンテンゴリラの研究に従事していた山極寿一さんによる1980年代の記事である。 大学院に入る何年も前から、「音楽とは何か」 というのはぼくの個人的なテーマの一つであった。 「音楽の本質」 を知りたいのならば 「音楽の起源」 を探るのも面白いだろうと漠然と思ったくらいである。 音楽の起源のもつ属性には必ず 「音楽の本質」 が含まれているはずだからである。 しかし、ヒトに近い類人猿のゴリラ〜数百万年前ヒトと共通祖先を有したゴリラ〜が〈うた〉を歌うのであれば、 「音楽の起源」 について何かわかるかもしれない。その思いが、ぼくをゴリラに近づけたのだ。〉


物思いにふけるような様子のシルバーバック(ゴリラの家族の長に当たるオトナオス)
© 西原恵美子撮影

  ここ20年で野生のニシローランドゴリラの研究は進んできているが、一般の方にはいまだ広く知られていない。 日本の動物園にいるゴリラのほとんどすべてがニシローランドゴリラであることを知る動物園来園者が少ないばかりでなく、 そのゴリラを飼育していながらその生態や社会、棲息危機を伝える動物園も、 残念ながら限られている(動物園における野生生物保全教育の課題については別稿に譲る)。 そうした中で、実際にどのようにゴリラの調査を進めてきたのか、いかにゴリラにアプローチをしたのか、そしてゴリラとのコンタクトは可能だったのであろうか。 ゴリラはどのような生活をしているとわかってきたのか…次稿から紹介していきたい。