2010.2.8更新

「企業の政治献金を表現の自由として最大限保障?」
─米最高裁判所政治資金(広告)規制法違憲判決
(2010年1月21日)を考える─

弁護士 田場暁生

  2010年1月21日、アメリカ最高裁で、企業・団体等が政治広告に資金を支出することを制限した政治資金規制法についての違憲判決が出た。 裁判では、保守系の団体が資金を出して制作したヒラリー・クリントンを批判する内容の映像をケーブルテレビで放映しようとしたところ、 これが企業及び労働組合等の団体の資金によって 「選挙運動通信」(「明確に特定された連邦候補者に言及して、 本選挙等の一定期間前に行われる放送等」 をいう)を行うことを禁止する法に該当するとして放送を禁止されたことをめぐって争われていた。 アメリカでは、もしかすると違憲判決が出る可能性もある、 その場合ここ10年で最も重要な表現の自由に関する最高裁判決となるかもしれないと言われるなど判決前からの注目度も高かった。

  まだ判決は斜め読みの段階だが、裁判官は多数意見5(違憲:保守+中道)対4(合憲:リベラル)にわかれ、多数意見はケネディ判事によって書かれた。 多数意見は違憲の根拠として、企業・団体等は政治的表現の自由について個人(自然人)と同じ権利を持つ、だから資金を出すのも個人と同じ保障が及ぶ、 よって表現の自由に対する許されない規制である、という点を上げている。多数意見はまた、メディア法人と他の法人を区別する合理的な根拠はないので、 少数意見のように企業・団体に対して、個人と異なる特別の規制を認めることは、新聞やテレビの政治的表現に対する議会の抑圧を許すものだ、とも主張している。 これに対して、在裁判官職史上最長位(35年)のスティーブンス判事が少数意見をしたためた。反対意見の核心は、 政治市場に企業・団体の資金が溢れることを許容することは民主政治を崩壊させる、 企業・団体の言論を個人(自然人)の言論と同視する多数意見は誤りである等の点にある。

  ニューヨークタイムズやワシントンポストなどの比較的リベラルとされるメディアでも指摘されているが、 今回の事件については、法そのものを違憲もしくは合憲と判断する以外の選択肢も十分にあり得た。 今回問題とされた映像は法で禁止された 「選挙運動通信」 にあたらない等として、本件に法を適用することが憲法違反であるという手法である(適用違憲)。 この手法によれば法自体を違憲とする必要はなかった。にもかかわらず、あえて多数意見が法自体を違憲としたことに、保守派の強いメッセージがうかがえる。 なお、多数意見は、ケネディ(レーガンが選任、以下カッコ内は選任大統領)の他、ロバーツ(長官:ブッシュ・ジュニア)、アリート(ブッシュ・ジュニア)、 トーマス(パパ・ブッシュ)、スカリア(レーガン)の5人から構成され、少数意見は、スティーブンス(フォード)の他、ギンズバーグ(クリントン)、 ブライヤー(クリントン)、ソトマイヨール(オバマ)から成る。

  アメリカの政治資金規制法制と判例は複雑で若干理解が難しいが、これまで、今回違憲とされた企業・団体等による政治広告支出制限規定のほか、 企業・団体等の一般財源から特定の候補者や政党等に資金を直接支出することを禁止する規定等が存在し、 いずれも最高裁で合憲とされていた(McCONNELL v. FEC, 2003年等) 。ただ、企業・団体等は完全に政治資金支出を禁止されていたわけではない。 一般財源からの寄付こそ禁止されていたものの、企業等はその分離基金(Separate Segregated Fund:企業等が間接的に寄附を行うための組織。 いわゆるPAC(政治活動委員会))を通して選挙運動通信に資金を支出することは可能であった。この法制は抜け穴として評価されていた反面、 このような他の手段があるので企業等の政治献金を全面禁止することにはならず、よって憲法違反にはならないとする判例上の理由にもされていた。

  今回の判決は、前記 「選挙運動通信」 に対して企業・団体等の団体が資金を出すことを禁止する規定等に対する違憲判決であるため、 企業等が候補者等に対して直接資金を出すことの規制は今回の判断によって直接影響を受けない(この点についても違憲訴訟が提起されている)。 アメリカの政治資金法制は、今回の違憲判決にもかかわらず、情報公開の厳しさなどなお日本よりも進んだ部分も少なくない。 しかし、日本と比較にならないほどの資金力・集金力を背景に、企業等が無制限に政治的意見広告に資金をつぎ込むことができる影響はきわめて大きい。 報道によれば、24の州法が影響を受けることになるという。

  今回の判決を受けてオバマ大統領は 「石油会社・ウォールストリートの銀行・保険会社の大勝利。支出制限がなければ、彼らは多額の金を支出して、 一般のアメリカ人の声をかき消そうとするだろう」 と述べている。ニューヨークタイムズも、「最高裁判決は、ロビイストに新しい武器を与えた。 ロビイストは、議員などに対して、“(我々の利益に反する)提案や対応をするならば、(私が代表する企業や利益集団等は)無制限の資金を使って、 あなたの再選にはっきりと反対の意を示す意見広告をする。” と主張できるようになった」 と報じている。

  前述のように、今回の違憲判決を受けても、なお、企業・団体等が個人と全く同じように献金ができるわけではないが、 そもそも、企業等の政治資金の寄付等について個人のそれと差異を設けることは合理的であろうか。 今までのアメリカの最高裁判決の中には、企業・団体等に対して一般国民よりも強い政治資金の規制をすることについての合理的理由を説得的に述べたものも存在する。 今回の判決では2つの先例が覆されたが(Austin v. Michigan Chamber of Commerce-1990年-, McCONNELL v. FEC-2003年-,)前者の判決では、 一般国民(自然人)に比べ、法人に対して法的・経済的な特色や財産を蓄積するのに有利な扱いがされていることが、法人に経済市場で資源を集め、 政治市場で不公平なアドバンテージを得やすくしている、として法人の政治資金規制の合憲性を導いていた。

  日本の最高裁のように、政治ビラ配布の規制・取締りなどについて、表現の自由の価値に配慮せずに安易に合憲判決を下すのは情けない限りであり、問題外である。 アメリカの判例には、具体的に表現の自由の価値を歌い上げるものも多く、その歴史と格調の高さに尊敬の念を覚えることも少なくない。 今回の判決にも、表現の自由の価値等について触れた部分がある。検閲の危険性に触れた部分だ。 (When government seeks to use its full power, including the criminal law, to command where a person may get his or her information or what distrusted source he or she may not hear, it uses censorship to control thought," "This is unlawful. The First Amendment confirms the freedom to think for ourselves.") しかし、これは琴線に触れない。 この判決しかり、また、黒人・ユダヤ人などに対する差別的表現(ヘイトスピーチ)規制についてのアメリカ最高裁判決しかり、 社会の弊害を乗り越えるための努力や悩みも見せない表現の自由万能論的発想には、しらけるばかりである。

  企業・団体等の政治的寄付の自由や差別的表現も、他の純粋な表現の自由同様に保障すべきという主張の根底には、 触れることができる情報・意見は多いほど望ましいという 「思想の自由市場論」 (marketplace of ideas)がある(2007年、成立した憲法改正国民投票法(日本)の議論の際、 テレビ広告禁止の是非が論じられたが、これを考えるにあたっても同様の思考が当てはまるだろう)。 多くの情報・意見に触れるために、企業の政治献金や差別的な表現を保障することが望ましいことであろうか。 アメリカ憲法にも日本の憲法にも等しくいえることであるが、憲法上、表現の自由だけでなく平等も保障されている。 平等も実現すべき重要な憲法上の価値である。企業がその強大な経済力で、選挙過程をコントロールすることができる状況を、 金を出すことは表現の自由として保障される、として放置して良いのであろうか。巨大な資金を有する法人の政治資金を規制することは、 一般国民の政治的自由を確保するという平等確保の観点から十分な合理性と持つと思われる(同様に、差別的表現の規制についても、 構造的な差別を受けている被差別者の立場に立って考えれば、十分に検討の余地があろう)。 法による人工的な創造物に過ぎない法人(企業)に、一般国民同様の政治資金の寄付の自由を認める必要はない。

  今回の判決をきっかけに、100年にわたるアメリカ社会の政治資金規制の歴史が逆コースを辿るのか。 はたして、企業の政治献金全面禁止を公約に掲げた日本の民主党はどう考えるのか。対応を注目したい。