ニューヨークより、弁護士の猿田佐世です。


目次  2008.1.1

人種のルツボ NEW YORK


■カギ十字と首つり縄
  ここ1ヶ月、コロンビア大学で、人種間の憎悪を強烈に感じさせられる出来事が続いた。

  大学内のトイレの落書き。「アメリカはいつか立ち上がって、メッカ、メディナ、テヘラン、バグダッド、ジャカルタ、そして、アフリカの全ての野蛮な場所を核攻撃する。 おまえら、皆、くたばれ。アメリカは白人のヨーロッパ人のための国だ」
  首つり縄が、黒人の教授の研究室のドアにかけてあるのが発見され、ユダヤ人教授の研究室のドアなど、学内にナチスのカギ十字の落書きが発見された。

  直ちに、学生は抗議行動を行い、学長から全学生に、「寛容と相互の尊重がこの多様なコミュニィティでは中心的な価値である。」 「私たちは、一つのコミュニティである。 一つのコミュニティとして、私たちは、これらの忌まわしい行為を克服し、全ての個々人の尊厳と多様性に、最高位の尊敬を払う。」 とのメールが送られた。

  しかし、ことはNY市全体の問題となった。首つり縄が市内数カ所 (9・11のグラウンドゼロの付近でも) で発見され、高校に人種差別の落書きがなされ、 シナゴーグ (ユダヤ教の教会) にもカギ十字の落書きがなされた。また、黒人の高校の校長に、「白人の力よ、永遠なれ!」 と書いた手紙が送りつけられた。

  NY市は、自らを寛容な都市 ( a city of tolerance、「多様性に対し包容力のある都市」 といった意味) と宣言している。 NY市は、これらの出来事を受けて、11月29日を 「憎悪に反対する日 ( Day Out Against Hate )」 と宣言し、コロンビア大学を初め、市内で、イベントを行うことを決定した。

これでもかというアメリカ国旗の山・・・の中でスケート。
ロックフェラーセンターにて

■■人種のルツボNY
  NYは人種のメルティング・ポット (ルツボ) だと言われる。外国から来た人が、一番すぐに 「外国人」 でなく生活出来るのがNYだろう。 日本から来たばかりの、全くの東アジア人の顔をした私が、現地のアメリカ人に道を聞かれる。買い物をしても、「あ、外国人がいる」 という目で見られることは、まずない。
  世界中に源をもつ人が実にたくさん住んでおり、あちらこちらに民族地域が形成され、多国籍文化が育っている。有名なチャイナタウンやリトルイタリー以外にも、 ギリシャ人街、ユダヤ人街等々、多くの民族がひしめき合って生活している。 (ちなみに日系人社会は中国・韓国人社会等に比べてそれほど強くないと聞く。日本人は、第二次大戦時に 「自分は敵国日本に属する者ではない。 アメリカ人である」 として、アメリカに同化する努力をしたという歴史があるからだそうだ。)


ドミニカンパレードの宣伝ポスター 157ストリート駅にて

  夏には、毎週のように、各民族のイベントが開催される。今週末はドミニカ共和国パレード、翌週にインド人パレード、その翌週にブラジル人パレード、 その翌日にウェスタンインディアン人パレード (カリブ海の西インド諸島) という調子である。 普段はみな紛れて生活しているが、その日だけは、皆、お国カラーのTシャツに身を包んで、国旗を振ったり踊ったりしながら、 「こんなにブラジル人って、たくさんいたんだ!」 と思うくらい、大通りがそのパレードで埋め尽くされる。


祭 (大騒ぎ) の後で・・・157ストリート駅にて笑顔のドミニカン一家

  一度、ドミニカ人パレードの後、興奮冷めやらぬ一行と地下鉄を乗り合わせた。車内には、白人も黒人もいるが、大声で興奮したスペイン語が飛び交い、 なにやら電車の後ろの方からガヤガヤした声が聞こえてきたかと思うと、10代の若者たちが20人も30人も、歌い、太鼓を鳴らし、踊りながら列をなして車両を移動して、 ドミニカンダンスを披露していった。私の車両にいた他のドミニカ人も大喜びで、隊列に加わって次の車両に移動していった。 その後、突然、車内放送で 「ドミニカーノ! (ドミニカ共和国万歳!)」 という雄叫びが数回とどろいた。 なんと、彼らは車内放送をジャックしたのだ。これで地下鉄の中での盛り上がりは最高潮に達した。 地下鉄自体がパレードの一部じゃないかと思うほど、ドミニカ人が自分たちの記念日を祝って、踊って歌って笑っていた。

  日本の地下鉄を、中国人が、中国を祝って踊り歌って・・・、ということを想像すると、NYという街の寛容さがよく理解できる。


ブラジル人パレードで、国旗をまとってブラジリアングッズを売る

■民族間の差
  もっとも、「メルティング・ポット」 ではなく、「サラダボール」 である、ともよく言われる。溶け合ってなどいない、というのだ。   冒頭に書いた、大学や市内での差別事件は象徴的な出来事であるが、人種間の差別、そして、経済格差は著しい。

  この夏、ハンプトンという、NY州内の高級保養地に行く機会があった。ハンプトンは電車でマンハッタンから3時間弱の海辺の保養地である。 NYの多くの富豪層 (白人) が、巨大な邸宅を別荘として構え、そこで週末を過ごす。金曜の夜にマンハッタン付近から自家用機を飛ばしてハンプトンに向かい、 週末を別荘で過ごす。ダンスパーティを開き、プール際に寝そべり、自己所有のボート (というより豪華客船) に乗って、リゾートライフを満喫する。 そして、日曜の夜にマンハッタンに戻る・・・これが、NYのお金持ちの1週間の過ごし方だそうだ。 洗濯やゴミ捨てなどしなくてよろしい。月〜金の間に、有色人種の雇い人 (ラテンアメリカ人もしくは黒人) がやってくれる。

  私がハンプトンに行ったときは、もちろん飛行機などないので車だったが、頭上を多くの自家用機が飛んでいった。

  アパルトヘイト廃止直後の南アフリカを訪れたことがあるが、当時、南アでは未だ黒人と白人の経済的格差が著しく、 白人のプール付き邸宅の手入れに黒人が励んでいた。そっくりそのまま、今のNYにも、それと同じ風景がある。

■ハーレムの脇に住む私の生活
  別荘地だけではなく、NYの中心でもその情景は変わらない。   私は、157ストリートに住んでいるが、そこは、ドミニカンハーレムと呼ばれる地域である。

  日本人の思ういわゆる 「NY」 は、マンハッタン島という南北に細長い島のことを指すが、マンハッタン島においては大体の場所は、縦に走るアベニューと、 横に走るストリートで簡単に説明できる。南から1ストリートで始まり、北上すると、街の中心が30〜60ストリート、その後、100ストリート前後まで高級住宅街が続き、 その後に125ストリートがくる。 [参考] NYの地図

  この125ストリートというのが、マンハッタン島を北と南にある意味大きく分ける通りであり、125より北は 「ハーレム」 と呼ばれる地域である。


タイムズスクエア駅

  南北に走る地下鉄に乗って南から北上すると、125street 駅までに白人が次々と下車し、125street 駅を超えると車内の多くが黒人かラテンアメリカンとなる。 私は、そんな地下鉄にそのまま乗り続け、125ストリートを超え、黒人ハーレムを過ぎ、 スパニッシュハーレムといわれるドミニカ共和国やプエルトリコ出身の人の固まるラテンな地域に住んでいる。周りには日本人はほぼいない (私は1人も見たことはない)。

  125ストリートを超えると、世界は、はっきりと違う。まず、景色が黒ずむ (薄汚れると言ってもよい)。おしゃれな店、かわいらしいカフェはなくなるし、 黒人やラテンの若者が街にたむろしていて、夜になれば少し怖い雰囲気も漂う。


私の住む157ストリート付近の町並み。ラテンアメリカな雰囲気

  「157に住んでいる」 と友人に言うと、まず 「危険じゃないの?」 「大丈夫?」 「なんでそんなところに住んでるの?」 という質問が返ってくる。 先日など、日本人留学生の間で、「猿田が終に疲れて、引越したらしい」 という噂が流れたくらいであった (いや、快適に住んでいる)。

  実際は犯罪率も下がり、生活自体は危険なこともなく、人々は明るく、のんびりしていて、私が引っ越してきたときには、 皆で引っ越しパーティをやってくれたくらい素敵な人々が集っている地域なのだが (そんなことは、125ストリートより南ではまずあり得ない)、 その街で見る格差たるや、悲しいものがある。

  一番ショックだったのは、スーパーマーケットである。簡単には、新鮮な野菜や、おいしいパン、いい質の肉が手に入らない。 白人の住む地域と同じ高品質の物 (日本中どこでも手に入る質の物) が手に入らない。これが、アメリカか? と思うくらい、物が貧相である。

  私は、それに気づかず、しばらく 「アメリカってば、こんなものか」 と生活していたが、ある日、学校帰りに、125ストリートより南のスーパーに行って、軽くめまいを覚えた。 全く品揃えが違う。24時間いつでも、焼きたてのおいしいパンやローストチキン、多くの種類の新鮮な野菜や肉が手に入る。 私自身が差別にあっているようなやるせない気持ちである。


ブロードウェイの110ストリート付近。
高級住宅街の一角であり、スーパーの品揃えも豊か

  もっとも、大学のジンバブエ出身の友人 (黒人) から、「この前ハーレムに行ったら、黒人から 『アフリカ人はアフリカに帰れ!』 と罵倒された」 と聞いた。 差別の構造は、自分よりも下を作ることで安心をする、のだろう。 (経済格差と人種差別は少し問題が違うのではあるが、しかし、NYの経済格差は、人種毎になっている現実がある。)

■悩み深く・・・
  NYでは、人種のことについて表だって口にすること自体がタブーになっていると、ロースクールの憲法の授業で教授が話していた。   各民族の文化も守られるべきだから、「メルティング・ポット」 ではなくて 「サラダボール」 でいいだろうが、民族間の不合理な差別・格差をなくし、 うまく混ざったおいしいサラダになる方法はないのか・・・。

  つらつらと、私の身の回りの出来事をつづってみたが、多くの人が数世紀にわたって頭を痛めてきた問題の解決方法など、私に思いつくすべもないし、 問題の全体像すら把握できない・・・。それでも、人種について毎日考えさせられる日々である。NYでは、みなが、常に、根底にこの問題を抱え、 それぞれの方向で悩み考えているような気がする。

  もっとも、日本の状況に照らしてみると・・・「教授の研究室に首つり縄なんて、アメリカの学生はなんて過激!?」 って、思います?
  日本では、東京都知事が、公に、堂々と、中国人や韓国人を 「三国人」 (激しい差別用語) と呼び放ってしまうのですよ。
  包容力など、ないよね。仮に、在日中国人が、例えば、東京・銀座の目抜き通りを、半日車両通行止めにして、 「中華人民共和国成立記念日」 パレードができる・・・はずもない。もし、そんなことを試みようものなら、今の右傾化した日本社会では、 一人や二人中国人が殺害されてしまいそうである。

  「寛容な日本の日」 を作るって、どう?

(2007年 「まなぶ」 12月号掲載)