ニューヨークより、弁護士の猿田佐世です。


目次  2008.9.21

ハリケーン・カトリーナの被災地にて


  学生団体によるハリケーン・カトリーナの被災地ボランティアに1週間参加し、ニューオーリンズに行った。
  ハリケーン・カトリーナとは、2005年8月末にアメリカ南部を襲い、200人近くの死亡・行方不明者を出した巨大なハリケーン (台風) である。 台風そのものの被害もすさまじかったが、政府の対策があまりに迅速さ・適切さを欠き、そのために多くの人が命を落としたことからも、 「この超大国アメリカで!」 と多くのアメリカ人が衝撃を受けた出来事であった。

  直後から、多くのボランティアが精力的に活動をした。学生も、Student Hurricane Network (SHN) という団体を立ち上げ、130程の大学から学生が参加して、 現在まで支援を続けている。 今もなお、多くの学生が現地を訪れ、ボランティア活動を続けている。私が参加したこの3月第3週にも、全米30校以上のロースクールから学生が訪れていた。

■プロジェクト
  残る最大の問題は、戻る家がない多くの人が、未だにトレーラーの中での生活を余儀なくされているということである。阪神大震災の仮設住宅と同じ状況である。

  私が参加したのは、「FEMA/HUMAN RIGHTS」 というプロジェクトであったが、これは、未だトレーラーで生活せざるをえない人たちのトレーラーを一軒一軒回って、 法律上の問題を抱えていないか、政府との関係で悩まされていることはないか、聞き取りをするというものであった。 「FEMA」 とは Federal Emergency Management Agency (連邦緊急対応エージェンシー) の略である。 FEMA は連邦政府の国土安全保障省の中で、カトリーナ被害において住宅の整備などの責任を受け持った組織であるが、この学生のプロジェクトは、 名前に FEMA とあるように、政府の対策の問題点を避難者から聞き取るのが第一の目的 (!) というプロジェクトであった。 このことから、このハリケーンを巡る政府の対応が、いかに批判の対象となっているかがよく分かるし、さらにいえば、 「そもそも政府というものは常に批判されるべき対象である」 という国民性が良く表れている (ハリケーンに限らず一般的に、アメリカでは保守派であっても、 確実にそういう意識をもっている。これは日本と全く違う国民性である、と思う。)。

■トレーラーパーク
  学生たちは、朝、ニューオーリンズの地元の大学に集まり、その日の担当トレーラーパークを聞いて、車に分乗して現地に向かう。 トレーラーパーク (Trailer park) とは、トレーラーが停車されているエリアのことである。 トレーラーパークはニューオーリンズの街中にもあったが、私が回った3カ所は、どこも、郊外の家がほとんどまばらになった自然豊かな地域で、 いきなり、大量のトレーラー群が目に飛び込んでくる、というイメージのところであった。 林のある一角が区切られトレーラーパークとして指定され、その中の区画に整然と大量のトレーラーが並べられている。 各トレーラーには順に番号がつけられ、トレーラーパークはさながら小さな街のようになっている。


  ここでいうトレーラーとは、いわばキャンピングカーであるが、誤解を恐れずに言えば、日本で想像するキャンピングカーよりは相当立派である。 トレーラーパークでの生活は、町外れのいわば森の中で、いつ追い出されるともしれず住み続けるもので、悲惨なものであることは間違いないが、 広さと中の設備の充実度 (冷蔵庫・テレビ・ソファーなど) の点では、東京中心部のワンルームマンションなどよりは確実に上である。



■被災者へのインタビュー
  私は、トレーラーを一軒一軒まわり、避難している住民にインタビューをした。 聞くべき質問集が学生団体から用意されていたが、質問は、FEMA (合衆国政府) の対応についてのものが中心で、政府から立ち退きを迫られていないか、 政府は市内への引っ越し・定住について助けてくれるか、政府が現地に撒いた薬による健康被害が生じていないか、などである。 ほか、市内への再定住の最大の障害は何か、土地や家族問題など法律問題は抱えていないか、という質問もした。 また、被災者が確実に所得税の還付を受けられるようにするというのも、私たちの仕事であった。


  被災後3年近くトレーラーで住んでいる人が多かった。多くの人の希望は、早くここから出たい、というものであったが、戻る場所もなく、家を借りても家賃も払えない、 と多くが嘆いていた。ニューオーリンズ市内に引っ越して家族用の家を借りると月に800ドル (約8〜9万円) がかかるが、それを支払うことができないということであった。

  また2008年6月までに立ち退くようにと政府に迫られている人が多かったが、行く当てがない。 また、市内に残った壊れた家を直す費用が必要だと政府に頼んでいるのに、政府からは、「賃貸住宅に引っ越したら、家賃を月々支給する」 と言われており、 壊れた家を直して移り住むことができない、家賃の支給はあっても引っ越し費用の支給がないから引っ越しできない、と言っている人もいた。

  法律相談、政府への不満などを学生がうけても解答はできないため、必要な相談を集約して、ニューオーリンズの弁護士団体や他のNGOに振り分け、 必要な団体が対応することになっていた。一緒に回ったオーウィンは 「何も助けてあげられないのに、嫌な記憶だけ思い出させていて、いい気持ちがしない」 と言っていた。 話すことのできた避難者の方々は概してとても親切で、丁寧に想いを聞かせてくれた。

  ある一角には近づかないように、と管理団体から言われた。ドラッグ中毒やアルコール中毒の人のトレーラーが集められているという。 トレーラーパークの生活は鬱屈したものであって、そういうものに手を出したくなる気持ちもわからないでもない、と学生たちと話をした。

  貧しい黒人の生活が復興していない、と聞いていたが、私が回ったトレーラーの避難者のほとんど全員が白人であったのには、学生皆が驚いていた。

「トレイラーパーク内のコインランドリーの張り紙。他の人の敷地に入ってはいけません。他の人の電話やトイレ、その他全ての物を借りてはいけません。 …・鬱屈した状況下で人々の争いごとが絶えない様子がよく分かる」

■Ninth word (第9地区)
  ハリケーン当時、湖の堤防が決壊し一面が水の中に沈んだエリア Ninth word (第9地区) も訪れた。 当時は一戸建ての一階の屋根の上まで水がかぶったとのこと。なかなか再建作業は進まず、2年半たった現在でも、 幾分か新しい建物が建てられ人々が戻ってきている様子もうかがわれたが、その多くは、倒壊した家のがれきが撤去されて更地になったままである。 未だ被害にあった建物が、被害にあったままの形で建っているのも散見された。

窓ガラスが全て割れ廃屋になりながら、未だ取り壊されない家がたくさん残っている Ninth word

水壁が決壊して、住宅地(写真右側)がみな水没した。今なお更地部分が多い。川はミシシッピ川

■プロボノ活動 (公益のための活動)
  一週間学生が被災地に来て何ができるかというと、直接の効果の程は定かではない。 もっとも、ロースクールの学生が、弁護士になる前にそういった活動を行うことは、その後の弁護士人生に大きな影響を与える可能性があり、 大変有意義であると、私は思う。

  コロンビア・ロースクールでは、毎年春休み、多くの学生が、ハリケーン・カトリーナの被害地以外にも、プエルトリコ、ロサンゼルス、 また NY 市内の NGO (グアンタナモのケースを扱っている団体など) 等の各地で、プロボノ活動…例えば少年犯罪問題や刑務所の処遇問題…に取り組んでいる。 普段から、学生にはプロボノ義務があり、卒業までに40時間のプロボノ活動を行わなければならない。 (だから、プロボノ活動といってもみながボランティア精神にあふれて参加しているわけでもない。もっとも、やる気にあふれた人ももちろんたくさんいたし、 ニューオーリンズで一緒だった他のロースクールの多くではプロボノ義務はなかったが多くの学生が自主的に参加していた。)。 しかし、たとえ義務であったとしても、全く機会がないよりは、人生に一度でも、そういった体験をすることは、その後の弁護士としての意識を大きく変えることは間違いない。

  弁護士になってからも、例えば NY 州では、強制力はないがプロボノ義務がある。 義務うんぬんにかかわらず、そもそも、巨額な金を稼いでいる法律事務所でも、プロボノをやっていることを看板にして宣伝しているところも少なくない。 日本での私の仕事を説明すると 「それはプロボノ活動としてか?」 と言われたりして、その度に、私は、「いや、それは、私の仕事の全てである」 と思って、 複雑な気持ちになったりする。が、大企業や大企業弁護士が、公益活動をするということが表面上だけでも 「あるべき姿である」 となっていることは、 十分ではないにしても素晴らしい一歩であると思う。日本の大企業や大企業弁護士の間にも、わずかにでもそういった意識が芽生え始めているようにも思わなくもなく、 この傾向が進むことを期待したい…。

  もっとも、そもそもの社会問題に対する個々人の向き合い方が、日本とアメリカとでは全然違うのだが…。
(2008年 「まなぶ」 5月号掲載)