ニューヨークより、弁護士の猿田佐世です。


目次  2009.2.28 3.23更新

中米とカリブとアメリカと (上)
グアテマラ・エルサルバドル・ニカラグア・コスタリカ・パナマ


  「中米」 と言われても、縁もなく、国の名前もいくつかしか挙がらなかった私である。しかし、アメリカにいると、ラテンアメリカが急に身近になる。 アメリカにいるこの機会にと、グアテマラ、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、そして、キューバ、 プエルトリコを回った (プエルトリコは2008年1月、他は2008年8月〜9月)。 回ってみると、(当たり前であるが) 各国それぞれの特徴があり、また、アメリカ合衆国の歴史・政治 (悪行の数々) を知ることにもつながり、大変面白い。 体系的に文章を書くほど各国を理解しているわけではないが、体験したこと、学んだことのいくつかを取り上げてみる。


  グアテマラの一大バナナ出荷港プエルトバリオスにて。
  デルモンテ、ドールといったよく知る名前のコンテナが並ぶ…。

  ■アメリカの影響
  中米地域に一貫して言えることは、アメリカの影響が圧倒的に大きいということである。
  意のままに中南米を操りたいというアメリカの意図はここ100年以上もの間ずっと続いており、 アメリカによる大規模な軍政支援や直接的軍事的介入がグアテマラでもエルサルバドルでもニカラグアでもパナマでもなされてきた。 たとえば、ニカラグアでは、アメリカは左派政権を倒すべく、大量の軍事費、武器を提供してコントラと呼ばれる反政府右派ゲリラを組織・支援した。 ゲリラ兵士の軍事訓練を行い、さらには、直接米軍を派遣して政権を倒そうとした。経済制裁も続け、ニカラグアは徹底的に貧しくなった。 近年でアメリカが一番激しくニカラグアに介入したのは、1980年代のことだが、私の今回の訪問でも、ニカラグアの貧困は厳しいものがあった。 また、ニカラグアにはアメリカ人観光客が他の国に比べると少なかった。ニカラグアの観光地でレストランを開くカナダ人に聞いたところ、 「きっと、まだアメリカ人は、ニカラグアにくるのが申し訳ないんだろうね」 とのこと。

  アメリカにある米軍アメリカ学校ともよばれる軍人教育校では中南米の軍事政権・軍部の幹部が養成され、独裁者も数多く排出している (パナマのノリエガ将軍、 ペルーのモンテシノスなどあげればきりがない)。
  経済的搾取も広くなされてきた。パナマでは、国を支える一番の資金源であるはずの運河の主権を長期間アメリカが独占してきた (1999年に返還)。 また、中米の多くの国の一大産業であるバナナ農園はアメリカ企業に管理され、多くの労働者が低賃金で働いてきた。 結果、強く豊かな国アメリカと弱い貧しい中米という図式はさらに固定化し、中米諸国の経済はアメリカに完全に頼りきりという構造が固定してしまっている。
  エルサルバドルで、「この国は、消費社会だよ」 という発言を聞いた。こんな発展途上国で消費社会? 意味がわからず聞き返すと、 お金はアメリカで働く家族から送られてきて、ここでは物を買うだけ。生活をするだけ。もちろん、ここにいる人も懸命に働いてはいるが、失業率は高く、 また、仕事があっても低賃金労働であるというのが現実…。

エルサルバドルの El Mozote 村の大虐殺の被害者の慰霊碑。 1981年、ゲリラの解放区における一つの村で、757人 (逃げた1人を除く村人全員) が政府軍により殺された。
エルサルバドルには、まだ内戦の傷跡が残る。


  今、ベネズエラのチャベス政権に始まり、多くの中南米諸国が反米政権となっていることに注目が集まっているが、 アメリカや新自由主義に反発する中南米全体の流れは、突発的に生まれたものではない。 背景には、これまでの長い弾圧・搾取の歴史・貧困から抜け出す戦いがある (参考:「反米大陸」 伊藤千尋 集英社新書)。

  ■アメリカに住む移民はどこから…?
  アメリカにはラテンアメリカ人が多く住み、NYでもスペイン語をいつも耳にする。不法移民の問題も常に政治を賑わせている。
  バスでグアテマラからエルサルバドルの国境越えをともにしたエルサルバドル人のネルソンは、数年前まで、不法移民としてアメリカで働いていた。 メキシコ人の女性と結婚して息子が出来たが、その後、妻と離婚、さらにその後、家族全員が国に強制送還され、元妻と息子はメキシコへ、本人はエルサルバドルへ。 ネルソンは、現在、13歳の息子に会うために、年に3、4回、エルサルバドルからメキシコまで、片道6日のバスの旅を繰り返している。 飛行機は高くて乗れない。メキシコのビザも取れないから、メキシコへも不法入国となる。「どうやって国境を超えるの?」 という私の質問に、 「こんな山の中を、ただ行くんだよ。」 とネルソンは草木が生い茂る山を指差した。

  中米からアメリカに不法入国する人たちは、メキシコという巨大な国を通り抜けることになる。常に捕まる恐怖を抱きつつ、山を越えたり、 バスの屋根の上に乗って隠れて移動したりしながら、メキシコを通り抜けてアメリカ領土に到達すると、まずは大成功。 途中でつかまって強制送還されれば、またゼロからやり直し、だそうだ。もっとも、彼はアメリカにはもう戻りたくないとのこと。 「ここ (エルサルバドル) ではアメリカの生活にはあこがれるし、お金は必要だけれど、みんな、(国としての) アメリカは好きじゃない。」

  ■軍隊を持たない国コスタリカ
  コスタリカには、軍隊がない。内戦の後、戦争の原因となる存在である軍隊を1949年に廃止した。現在まで軍隊を持たず、一度も戦争をしていない。 周辺諸国は内戦続きである中、「兵士の数だけ教師を」 「銃を捨てて本を持とう」 などを合い言葉に、軍事費を教育や医療に回して国を発展させた。 学費・医療費無料など社会保障制度が整っている。中産階級が多く貧富の差が少ないため、犯罪も少なく、治安や経済が安定している。 それゆえ、海外からの企業進出も進み、さらに社会が豊かになっていく。他の中米諸国からすると、嘘のように豊かな国である。


「すべての兵舎を博物館に」 を合い言葉に、現在は国立博物館になっている
元陸軍司令部。壁には内戦の弾痕が残る。 コスタリカの首都サンホセ


  軍隊を廃止した故ホセ・フィゲーレス元大統領の妻カレンさんによると、「この国は、軍隊がいらないという考え方を皆が共有している国」 とのこと (参照 「平和に生きる・コスタリカ」 コスタリカの人々と手を携えて平和をめざす会編)。 私も、街で、「軍隊は必要ないのか」 と質問を繰り返したが、見事に、みなが 「もちろん軍隊なんかいらない」 と答えた。 「他の国から攻撃されたらどうするの?」 という問いには、「コスタリカを攻撃する国なんてないよ」 「コスタリカには世界中に多くの友達がいて、守ってくれるよ」 という答え。 「アメリカが守ってくれるから大丈夫」 という答えもあった。
  「軍隊が必要」 と答えた人は実に一人もいなかった。「何かの役に立つの?」 「そのお金があったら、もっと教育や医療にお金をかけたらいいのでは?」 「軍隊にいくらお金がかかるか知ってるの?」


コスタリカのバナナ工場(デルモンテ)。労働者はコスタリカ人と隣国ニカラグア人が多い。


  紛争だらけの中米で軍隊を持たないでいるのは至難の業である。最善の外交努力を続けねばならない。隣国の紛争を自国に飛び火させないため、 隣国の紛争をも平和に収めるために東奔西走する。アメリカがニカラグアに介入していたとき、アメリカはニカラグアの隣国コスタリカに基地を置かせてくれと迫った。 しかし、コスタリカは、1983年、永世中立宣言をして基地設置を断った。その代わり、中米各国の紛争を解決するために奔走し、結果紛争は終結、 1987年、アリアス大統領 (06年から再任) はノーベル平和賞も取得している。
  まさに平和外交を地で行く国である。日本にもこれが出来ないものか。国際反核法律家協会の副理事であるコスタリカの弁護士バルガス氏から、 日本も非武装中立宣言を、というアドバイスをもらう。

  これだけみんなに続けて 「なんで軍隊なんかいるの?」 と真顔で言われ続けると、「日本の非武装中立宣言」 を目標に掲げるのも面白いかな、という気持ちにすらなる。 日本を離れて1年もすると、こんな非現実的な、日本では口に出来ないことを考えるようになるのかも (笑)。 しかし、コスタリカの、平和外交に取り組んでいるその命がけさは、軍隊がないことからも生まれてくるのだとも思う。 平和の維持のためには、単に軍隊をなくすだけでいいわけはなく (現在の日本の政治状況から、これをひよって言い換えると 「9条を維持するだけでいいわけはなく」)、 大変な努力が必要になるのであって、逆に、その努力の可能性を追求することもなしに 「9条改憲」 を叫んでいるのは、 日本が、あり得る一つの選択肢をきちんと見ようともしていない、ということなのだろうと思う。

  なお、1989年に、隣国パナマも軍隊を廃止している。パナマでは滞在時間が少なく、多くの人に話を聞くことはできなかったが、質問した一人の若者は、 軍隊は要らない、金の無駄、と言い切った。
  コスタリカという、軍隊を持たないことを国民全体の価値観としている国が世界に存在しているという事実と、 それを追って軍隊を廃止する国が続いているというのは、本当に心温まる事実である (現在、軍隊がない国は世界に27カ国。 「軍隊のない国家」 前田朗著 日本評論社)。

  ■一人ひとりの顔が見えると
  私の趣味は旅。10代から旅を続けてきて、過去の訪問国は40カ国以上になった。面白いのは、バックパック旅行をしていて出会う多くの人がリベラルである、 ということである。今回の旅行でも、例えば、多くのアメリカ人と道中を共にし、政治の話などに花を咲かせたが、ひとりも共和党支持者はいなかった。 それは、アジアやアフリカを旅していても同じである。国際的になることだけが良いことだとは思わないが、 他の国に、しかも、他の国で普通に暮らす人々の生活に目を向けているという点が共通するだけで、共通する一つの価値観があるのだろうと思う。 自分が訪問し、友達ができた国を敵に回す気にはならないし、ましてや武力攻撃する気には絶対にならない。

(2008年 「まなぶ」 10月号掲載)