2009.8.17

高田健の憲法問題国会ウォッチング


海外で戦争ができる自衛隊をめざす
「安保防衛懇談会報告書」(改憲のススメ)

(1) はじめに
  2009年8月4日、麻生首相の私的諮問機関の性格の 「安全保障と防衛力に関する懇談会」 (座長・勝俣恒久東京電力会長) が、 年末に予定されている 「防衛大綱の見直し」 (2010〜2014年) に向けた報告書を提出した。
  この 「報告書」 は従来の日本の防衛政策の基本となってきた諸原則を否定し、自衛隊を 「海外で戦争のできる軍隊」 に変質させようとする危険な狙いを露骨に表現し、 その実現を迫っているもので、「改憲のススメ」 ともいうべき極めて重大な問題のある 「戦略的報告書」 である。 この報告書は、1.「国防の基本方針」 (1957年策定) の見直し、2.「専守防衛」 (1970年佐藤内閣の中曽根防衛長官のもとで提起) の再検討、 3.「集団的自衛権についての憲法解釈」 (1981年の政府答弁) の見直し、4.「武器輸出3原則」 (1967年政府方針、1976年三木首相答弁) の見直し、 5.「非核3原則」 (1981年衆院決議) の見直し、6.「敵基地攻撃能力の保有」 に関する検討、7.派兵恒久法制定の提唱、 8.PKO5原則 (1992年PKO法) などの再検討、9.文民統制原則の再検討、10.日米軍事同盟の強化、 など従来 「国是」 とされてきたものを含む防衛政策の全面にわたるものであり、憲法第9条が規制してきた従来の防衛政策にたいする縛りを解き放ち、 基本的改編を企てている。これらはいずれも従来の憲法解釈を大幅に変更するか、憲法を改定することなくして不可能なものである。

  1カ月後に総選挙を控え、これまでの自公政権が退場するのはほぼ確実といわれている中での 「提出」 は、極めて政治的な狙いをもったものである。 この報告書が選挙に関して狙うものは自民党のマニフェストの支援であり、次期政権の中軸になる可能性の強い民主党への政策上の圧力である。

  この間、自公連立政権は2000年10月の米国防大学国家戦略研究所 (INSS) 特別報告書 「米国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」 (アーミテージ・レポートJ) の方向に沿って、着々と日本を米国と共にグローバルな規模での戦争に参加できるよう、でたらめな解釈改憲でさまざまな政策を進めてきた。 今回の「報告書」はその集大成ともいうべきものである。
  自らの任期中に明文改憲を実現することをめざした安倍晋三内閣は、 明文改憲への布石と同時並行的に解釈改憲を極限にまですすめようとして 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」 (座長・柳井俊二元駐米大使) (安保法制懇) を組織し、集団的自衛権に関する憲法解釈の見直しを謀った。 麻生首相による 「安保防衛懇」 は委員のうち半数 (北岡伸一・東大教授、田中明彦・東大教授、中西寛・京大教授) が安倍首相の安保法制懇メンバーであり、 専門委員3人のうち1人 (佐藤謙・元防衛事務次官) が安保法制懇メンバーだ。いずれも防衛問題ではタカ派の論者である。 これでは安保・防衛懇がこうした報告をだすのははじめから分かり切ったことだった。 なお委員は他に青木節子・慶大教授、植木千可子・早大教授、専門委員は加藤良三・前駐米大使、竹河内捷次・元統幕議長である。

  民主党は選挙後、もし政権を取ったら委員の構成も含めてこの報告書を全面的に見直すとしており、この 「報告書」 の今後の帰趨は不確かだが、 その内容はあまりにも重大な問題を多々含んでいるので、検討しておきたい。

(2) 安保防衛懇の時代錯誤の情勢認識
  この 「報告書」 は、冷戦終結後20年、米国の 「単極の時代」 のかげりがみられるなかで、「米国の世界に対する関与が減る」 おそれがあること、 日本が 「国際安全保障」 でも、「日本の防衛」 でも、「消極的に行動してきた」 時代は終わりつつあるとして、 「平和を守るためには軍事力を用いなければならない場合もあ」 ることを確認し、「例え犠牲を強いてでも守るべき安全保障上の目標」、 「国家安全保障戦略」 としてあたらしい安全保障戦略、「多層協力的安全保障戦略」 なるものを提示している。

  しかし、この 「報告書」 はその前提となる国際情勢認識で根本的な間違いを犯している。そのために変化への対応策でも基本的な間違いを犯すことになった。
  米国でなぜブッシュ大統領の政権が終わり、オバマ政権が登場したのか。オバマ政権はなぜ多国間協調主義を唱えるのか。 時代と国際情勢が大きく変化しているのは、まさにブッシュ大統領の新自由主義・グローバルスタンダードによる世界支配の破綻と、 一国覇権主義・反テロ報復戦争戦略、先制攻撃戦略の破綻にある。最近の米国発の世界金融恐慌・経済危機にみられるように、その破綻は明らかであり、 米国はもはやこれまでのやり方ではやっていけなくなった。従来の米国の世界戦略の転換は不可避であった。 ところが、「報告書」 はこの変化を見ることができないだけでなく、従来の米国の役割を一部肩代わりすることで危機を切り抜けようとしているのである。 「武力による平和」 が破綻しつつあるにもかかわらず、「報告書」 は 「平和は非軍事と同義ではない。 日本の防衛のためにも、国際社会の安全のためにも、平和を守るためには軍事力を用いなければならない場合もある」 などと称して、 古い時代の論理にしがみつき、憲法第9条に規制されてきた従来の日本の安保・防衛政策を 「見直し」 て、軍事力の強化、 軍事大国化 (軍事大国にはならないという基本の見直しの提唱) をめざしており、とんでもない時代錯誤の認識に基づいている。

  冷戦の時代が終わり、ポスト冷戦の20年の後半で米国の反テロ戦争が破綻したことが明らかになったにもかかわらず、 「報告」 は古い時代の 「ソ連」 と 「テロリスト」 の代わりに 「北朝鮮」 と中国を置き、とりわけ北朝鮮の危険をことさらに強調することで、 この 「見直し」 や転換をやり遂げようとしている。
  この認識は根本的に間違っている。かつてソ連が破綻し、いま、ブッシュの 「帝国」 が破綻したように、「武力で平和はつくれない」 のである。 もしもいま日本の安保・防衛政策をみなおすのなら、非軍事の立場に立って大きな転換をはからなくてはならない。「報告書」 の説く道は歴史の逆行にほかならない。

(3) 「専守防衛」の転換をねらう「報告書」
  いうまでもなく、従来の日本の防衛政策の根幹は 「専守防衛」 であった。これは憲法第9条の 「戦争放棄」 規定に基づいて、日本が軍隊ではなく、 自衛隊という名の実力組織を持つのだとしてきた擬制の、不可欠の原則であった。これによって自衛隊が武力を行使するのは日本の防衛に限ると厳格に枠をはめた。 その結果、他国防衛のための武力行使、集団的自衛権の行使は当然にも封じられたし、武器輸出3原則の考え方もここから導き出されたのである。 自衛隊の持つ実力=軍事力も自衛のための必要最小限度とされ、それは 「基盤的防衛力」 とよばれ、軍事大国にはならないとの基本もここから必然的に出てきた。
  憲法第9条を持つ国が自衛隊という軍事力をもつために編み出した巧妙な解釈改憲を合理化するためには 「専守防衛」 原則はなくてはならないものであり、 これが歴代政権によって 「国是」 として扱われてきた。世界有数の軍事力にまで成長してきた自衛隊は 「専守防衛」 論なくして、 憲法違反の指摘を免れることはできなかった。
  しかし、いま、この安保防衛懇に集った人びとにとっては、この 「9条の縛り」 がじゃまになっている。報告はこういう。

  「この言葉は、佐藤内閣において 『わが国の防衛』 の 『本旨』 とされて以降、『憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢』 いう考え方として定着している。 しかし、この言葉のもつ互換は、日本の率直かつ自由な思考・発想を止めてしまう要因となっていることに留意しなければならない。 私たち日本人が 『専守防衛』 と唱えつづけようとも、世界の安全保障環境はそれと無関係に刻々と変化している。 脅威がグローバル化・トランスナショナル化し、弾道ミサイルなどが拡散する世界は、従来、『専守防衛』 で想定していたものではない。 ……少なくとも、『専守防衛』 の内容が不必要なまでに広く解釈されることは好ましいことではない。 日本は不必要な軍拡競争が生まれないように留意しつつ、有効な防衛力を効率的に整備する、そして、侵略に対しては不退転の決意で防衛にあたる、 ただし、憲法が認めていない 『先制攻撃』 を行うことはない、といった基本的な要素を押さえながら、『専守防衛』 の意味を明確化させることが有益と考える」 と。 そして、「国防の基本方針」 策定以降、情勢が変わり、「日本の主体的条件も、国際システムの受益者から、これを担っていく関与者へと代わってきた」 という認識で、 「『安全保障政策の基本方針』 を定め、内外に示すべきであり、その際にあわせて専守防衛など、日本の基本姿勢を表す概念についても、 今日の視点から検証すべきであると考える」 と述べている。

  これは回りくどい説明であるが、要は日本も海外で武力による 「平和の関与者」 になるために、「専守防衛」 の縛りをはずせと言う要求である。 その際、「先制攻撃はしない」 と約束する等というのは、すでに次期防衛大綱に向けて自民党国防部会が 「提言」 を作成する際に 「先制攻撃」 を可能にする草案が作られたように、「専守防衛」 原則さえなくせば、いつでも取り外すことができるものだ。 すでに安倍内閣の当時、防衛庁から防衛省への昇格に際して、自衛隊の主たる任務に海外での平和維持活動が加えられたときに、既定方針化されたものではあるが、 「専守防衛」 をはずすことは自衛隊の一大変質であることは明らかである。これを許すなら、まさに落ち目のアメリカ帝国を支え、 協力しながら、それと共に海外で戦争ができる自衛隊への飛躍である。

  もしも、「報告書」 がいうように、日本が世界平和に対する 「受益者」 にとどまることなく、「関与者」 になるべきだというのであれば、 自衛隊という武力を行使するのが唯一の選択肢ではない。それどころか、それは世界平和への逆行である。 それは 「報告書」 が言うこととは反対に、全世界で不必要な軍拡競争を促進するだけである。 それは世界でただ一つ冷戦構造がのこる東北アジアにおいても有害以外の何ものでもない。アフガニスタンやイラクでの米国の戦争の教訓に明らかなように、 大国の軍事力による介入は平和を生み出さない。それは米国や英国がたどった道を日本が追いかけることに過ぎない。 9条をもつ日本の、せめて 「専守防衛」 原則を堅持する日本の国際平和への貢献策は、この道ではない多様な可能性がある。 このような 「専守防衛」 原則を投げ捨てることを断じて許すことはできない。

(4) 「集団的自衛権」の政府解釈の転換をねらう「報告書」
  2007年5月、安倍内閣において組織された 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」 は安倍晋三の意向に沿って、 「集団的自衛権行使に関する従来の政府の憲法解釈」 の一部見直しをめざしたものであった。その内容は4つの類型で示され、 「1.米艦防護、2.弾道ミサイル防衛、3.国際平和活動の際の武器使用、4.いわゆる後方支援」を合憲解釈することであった。 この 「安保法制懇」 の討議半ばで安倍晋三が政権を投げだして、「報告」 は安倍の後を継いだ福田康夫首相に提出された。 しかし福田は受け取りおいただけで見向きもしなかった。安倍の同志である麻生太郎はこの 「報告」 を復活させ、活用したいという意図があった。

  「報告書」 はこれについて、まず、最初の2類型についてその意義を確認している。
  「安保法制懇談会では、『米国に向かうミサイルを迎撃すること』、『日米が共同で活動している際に米軍艦船に危機が及んだ場合にこれを防護すること』 はいずれも同盟国として果たすべき日本の任務であり、これらが常に可能になるよう、警察権や武器等防護の論理によらずに、 集団的自衛権に関する従来の政府解釈を変更すべきである旨提言された。本懇談会は、この提言を強く支持」 する、とした。 本小論の冒頭に指摘したように、両懇談会の構成メンバーの半数がかぶっているもとで、「強く支持する」 と力んでも、ヤラセにほかならず、とうてい説得力はないだろう。

  「報告書」 は類型1について 「北朝鮮の弾道ミサイルの性能が向上することにより、その射程には、日本全土に加え、グアム、ハワイなど米国の一部も含まれ、 日米は共通の脅威にさらされることとなる」 「米国に向かうミサイルを迎撃することは日本の安全のためにも必要であり、可能な手段でこれを迎撃する必要がある。 従来の集団的自衛権に関する解釈を見直し、米国に向かうミサイルの迎撃を可能とすべきである」 という。

  従来の政府解釈はこれが憲法違反だと明確にしてきた。報告書ではいま、この 「政府解釈」 を変える合理的な説明がされていない。
  あわせて、ミサイルシステム (BMD) 導入にあたり、2003年の小泉内閣の時代に官房長官談話 (福田康夫) が以下のように確認していることをどうするのかが問われざるをえない。
  「BMDシステムは、弾道ミサイル攻撃に対し、我が国国民の生命・財産を守るための純粋に防御的な、かつ、他に代替手段のない唯一の手段として、 専守防衛の理念に合致するものと考えております。したがって、これは周辺諸国に脅威を与えるものではなく、 地域の安定に悪影響を与えるものではないと考えております。
  集団的自衛権との関係については、今回我が国が導入するBMDシステムは、あくまでも我が国を防衛することを目的とするものであって、 我が国自身の主体的判断に基づいて運用し、第三国の防衛のために用いられることはないことから、集団的自衛権の問題は生じません。 なお、システム上も、迎撃の実施に当たっては、我が国自身のセンサでとらえた目標情報に基づき我が国自らが主体的に判断するものとなっています」
  MDシステムの使用の仕方について、「あくまでも我が国を防衛することを目的とするもの」 と、これほど明確に述べているのに、 いま、同じ自公政権が舌の根も乾かないうちに、「米国の防衛」 のためにも使用するなどと言っているのである。

  これは先の専守防衛原則の見直しと通底するものであり、日米軍事同盟の強化である。この結果が及ぼすものは米国の戦争に対する集団的自衛権の行使であり、 日本が米国の戦争に自動的に巻き込まれ、参戦していく体制になるものである。
  「報告」 は類型2の 「米艦船の防護」 についても、「公海上で当該米艦船に対する攻撃が行われ、かつこれが自衛艦船に対する攻撃と認めがたい時、 自衛隊の艦船が米艦船を防護するための法的根拠は見いだしにくい。……弾道ミサイルへの対処は、日米が緊密に連携して行うものであり、 ミサイルの警戒にあたる米艦船について自衛艦船が防護できないとすれば、日米間の信頼性の低下を招き、北朝鮮に対する軍事的対処ができなくなり、 日本の安全を大きく損なう恐れがある。したがって、このような場合においても自衛隊が米艦船を防護できるよう、 集団的自衛権に関する解釈の見直しも含めた適切な法制度の整備が必要である」 として 「類型の2の合憲解釈」 も必要だと強調した。

  この 「憲法破り」 のキーワードは 「北朝鮮の弾道ミサイル攻撃」 であり、「米国の信頼性の低下の恐れ」 である。 日本が憲法の縛りによって集団的自衛権を行使できないことは、米国が先刻承知のことであって、それが米国の要求であっても、 「信頼性」 云々で 「憲法破り」 の実行を脅迫するのはお門違いであろう。
  こうした理屈で従来、憲法違反としてきた集団的自衛権の行使に踏み込むことは、単なる一内閣による憲法の恣意的解釈であり、 立憲主義の原則が堅く禁じていることである。麻生内閣の私的諮問機関にすぎない安保防衛懇のこのような憲法に対するでたらめな解釈は許されるものではない。

  これらがめざすものは、こうした2類型の 「憲法違反」 規定の解除を経て、これを頭出しにして、 いずれ集団的自衛権の全面的行使の合憲論という論理的には成立しがたい憲法解釈に踏み込むことである。 これには日米安保体制と日米軍事同盟をグローバルな規模で日米攻守同盟に変質させていく狙いがある。 これこそ2000年と2007年に公表されたアーミテージ・レポートの要求する道であり、それへの追従の道である。

(5) 「敵基地攻撃能力の保有」のねらい
  弾道ミサイル対処の一環で 「敵基地攻撃能力の保有」 という危険な主張が展開されている。
  「報告書」 はこういう。

  「北朝鮮の弾道ミサイルは、核開発と相まって、日本の平和と安全に対する重大な脅威である。……弾道ミサイルの脅威に対しては、 これを攻撃や恫喝の手段として使わせないための抑止がもっとも重要である。核による報復的抑止についてはひきつづき米国に依存するが、 その他の打撃力による抑止については、主として米国に期待しつつ、日本としても、これを効果的にするための作戦上の協働・協力を行う必要がある。 ……ミサイル防衛システムは、日本のミサイル対処能力の最重要の柱である。 現在計画中のイージス艦へのミサイル防衛能力の付与と地対空ミサイル部隊へのPAC-3導入をすすめるとともに、 新型の海上発射型迎撃ミサイル (SAM-3ブロックKA) の日米共同開発を促進すべきである。 敵基地攻撃能力など、ミサイル防衛システムを補完し、あるいは打撃力による抑止をさらに向上させるための機能について、本懇談会は、 日米共同対処を前提としつつ、米国との間で適切な役割分担を協議・具体化しながら、日本として適切な装備体系、運用方法、 費用対効果を検討する必要があると考える」 と。

  防衛のために敵基地を攻撃できる能力を持つ、さらに新兵器を日米で開発するというのである。 人類が二度と使用してはならないという核兵器による報復的抑止を米軍が行うことを期待し、それに依存するという、 被爆国家としての 「核の傘論」 の反道義性についてはいうまでもない。
  そしてこの論理は、敵の核基地も含めて、海を越えて他国を攻撃する能力を日本が保有するということである。 敵基地攻撃能力の保有という論議は、いかなる視点で見ても日本国憲法第9条第1項の 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」 に違反するものである。「専守防衛」 の突破はここに導くのである。

  より問題なことはこの 「敵基地攻撃」 論が、「報告書」 が批判を回避するためにあえて否定している 「先制攻撃」 論と容易に結びつくことである。 自民党国防部会・防衛政策検討小委員会が2009年6月9日にだした 「提言・新防衛計画の大綱について」 では 「『座して自滅を待つ』 ことのないよう、 弾道ミサイル防衛能力の一環としての攻撃能力の確保」 が謳われており、 当時、民主党のネクストキャビネットの防衛大臣だった浅尾慶一郎 (現在離党) も 「万に一つでも、北朝鮮のミサイルが日本に命中することは阻止しなければならない。 ……確実なのは先にたたくということ」 だと言っていた。敵基地攻撃論は1956年の鳩山首相が国会で 「座して死を待つことが憲法の主旨ではない。 誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がない場合、誘導弾などの基地を叩くことは、法理的には自衛の範囲に含まれる」 と答えて、 強い批判をあびたことがあるし、小泉内閣の当時の安倍官房長官も敵基地攻撃論を言っていたし、 同内閣の福田官房長官も 「武力攻撃に着手された場合」 として、「攻撃のために燃料を注入するとか、その他の準備を始めるとか」 として、 こうした場合の敵基地攻撃を容認していた。しかし、まさに、これは先制攻撃である。

  このような 「敵基地攻撃論」 にたいして、石破元防衛大臣が、2009年5月27日付の朝日新聞で以下のように語っているように、 全くリアリティのない妄想に過ぎないのである。
  「(中距離弾道ミサイル) ノドンは200基以上配備されており、加えて核も小型化されているかもしれない。 今回の各事件をみれば核を制御する力を相当もってきたようにみえる。小型化だってありえない話ではない。日本に核が降ってくる危険性はあるわけだ。 ……敵基地攻撃論については私が防衛庁長官の時に法的には排除されないといってきた。東京を火の海にするという宣言があり、 ミサイルを日本に向けて撃つ暖気であれば、そこを叩くのは理論的にはあり得る。たっだ、ノドンがどこにあるのか分からないのにどうやって叩くのか。 200基配備されているとして、二つ三つつぶして、あと全部降ってきたらどうするんだ。まことに現実的でない」 と。
  石破氏の主張にすべて同意できるわけではないが、石破氏がこの構想は現実的でないと批判しているように、「敵基地攻撃論」 は危険な火遊びの論理である。

  問題はこうした議論が、如何にして 「武力攻撃に着手させないか」 の真剣な努力を回避して、事態を戦争に導く恐れがあることである。 戦争が不可避なのではなく、それに至るまえに不抜の意志で 「対話」 による紛争の回避のために努力することが必要である。 「敵基地攻撃論」 はこうした真剣な努力に水をさすものである。

(6) 武器輸出3原則の見直しは日本版産軍複合体形成の要求
  「武器輸出3原則」 は 「非核3原則とならんで、日本の防衛政策の骨格的原則であるが、いまこの見直しが叫ばれている。 「報告書」 は回りくどい表現で長くなるので、「報告書」 (要旨) から引用するが、「武器輸出3原則の見直し」 についてこう述べている。

  「欧米諸国は、国際的な分業により先進的な技術や装備品を取得しようとしている。武器輸出3原則によって日本がこのような枠組みに参加できない場合、 国際的な技術の発展から取り残されるリスクが高まっている。また米国からライセンスを受けて精算する装備品等の米国への輸出を可能とすることは、 日米協力の深化にもつながるものであるが、現状では武器輸出3原則等が足かせとなっている。……このような課題に対応できなければ、 日本の防衛力の低下が懸念される。本来は新たな政策方針を定めることが適切である」 と。

  また 「報告書」 にはこうもある。「国内防衛産業の健全な維持・発展を日本の安全保障にとっての基盤の一つと位置づける観点からも、 武器輸出3原則等による国内防衛産業に対する過度な制約は適切でないと考える」 と。
  武器輸出3原則の見直しは小泉・安倍内閣の時代に強調されるようになり、この 「報告書」 を前後して、 自民党国防部会の防衛精算小委員会や経団連などからの要求が相次いでいる。経団連は2005年7月にも 「提言」 を出しているが、 2009年7月の 「我が国の防衛産業政策の確立に向けた提言」 はより強行に3原則の見直しを主張している。 「報告書」 の 「国内防衛産業の健全な維持・発展」 という記述や経団連の要請などを見ても、米国の軍産複合体経済同様に、 軍需産業の育成・強化の意図が露骨にあらわれている。戦争を止めることができない米国の軍産複合体の要求と同様に、 日本でも軍事大国化への動きと防衛産業の育成の動きが一体化している。ミサイル防衛システムの共同開発などをはじめ、 米国の軍産複合体との連携が要求されている。アーミテージ・レポートJは 「防衛技術は、米日同盟全体の不可欠な構成要素と見なさなければならない。 われわれはアメリカの防衛産業を奨励して、彼らが日本企業との戦略的同盟を結ぶことで、最先端の軍事的及び両面利用議十の双方向の流れをそくしんすべきである」 と。

  武器輸出3原則がこれをすすめる上で不都合だから変えよと言う 「報告書」 の要求は本末転倒である。 武器輸出3原則の見直しは軍需産業による戦争の要求に道を開くものであり、世界中に日本製の武器をばらまくもので、平和の流れに逆行するものである。
  武器輸出3原則は1967年4月の佐藤栄作首相答弁 (1.共産圏、2.国連決議で武器輸出が禁じられている国、3.国際紛争当事国、またはその恐れがある国、 への武器輸出はしないという原則) をもとに、1976年2月に三木武夫首相が 「3原則対象外の地域については、憲法及び外国為替及び外国貿易管理法の精神に則り、 武器の輸出を慎む」 として、以降、堅持されてきているものであり、憲法9条を持つ国としてゆるがせにできない原則である。

(7) 派兵恒久法
〜いつでもどこでも海外で米国と共に戦争のできる国へ
  「報告書」 は 「日本は、PKO以外での自衛隊派遣のうち、安保理決議の要請を踏まえた多国間の取り組みについては、テロ特措法やイラク特措法など、 その対象と期限を限った特別措置法によって対応してきた。しかし、その都度法律を作ることは、時間的な損失、政治状況による影響、 派遣基準が不明確などの点で問題があり、また特別措置法では情勢変化に伴う修正や延長が必要な場合、あらためて法的手続きが必要となる。 こうした点を踏まえ、日本が国際平和協力により積極的に取り組むため、自衛隊が参加できる活動範囲を拡大する観点から、活動を行う国際的枠組み、 参加する活動の範囲、武器使用基準、国会の関与のありかたなどを規定した恒久法の早期制定が必要である。 このような恒久法の制定は、国際平和協力に関する日本の基本方針を内外に示す上でも有意義である」としている。

  なんと露骨な表現であることか。自衛隊が海外で活動する範囲を拡大するため、いちいち特措法を作ってやるのは面倒だから、この際、派兵恒久法を作っていつでも、 どこへでも自衛隊を派兵しやすくしようというのである。集団的自衛権の行使できる国をめざす動きと海外派兵恒久法策定の動きは表裏一体のものである。 「アーミテージ・レポートJ」 は 「われわれはアメリカとイギリスのあいだの特別な関係を、米日同盟のモデルと考えている」 と言い切っている。 米英同盟といえば、最近ではイラク戦争における 「ファルージャの虐殺」 が脳裏に浮かんでくる。

  2002年12月、小泉内閣の官房長官福田康夫の下で、「国際平和協力懇談会」 が報告書をまとめた。これが海外派兵恒久法の必要性を唱えた。 そして2006年8月、自民党国防部会防衛政策小委員会 (石破茂委員長) が 「国際平和協力法」 (案)=石破試案を策定した。 これが現在、形としてできている唯一の海外派兵恒久法案である。自公両党は2008年5月に 「与党・国際平和協力の一般法に関するプロジェクトチーム」 (座長・山崎拓自民党外交防衛委員長) を作り、「国際平和協力活動のための一般法の検討について」 という基本文書をとりまとめ、 これに沿って今日まで議論を進めてきた。その間に、与党はインド洋での給油継続のために 「派兵給油新法」 を衆院での再可決によって成立させたり、 「海賊対処新法」 を再可決成立させるなど、派兵恒久法実現へ一歩ずつすすめてきた。

  とりわけ、「海賊対処新法」 はソマリア沖での海賊の取り締まりに名を借りて、自衛隊法82条の恣意的な解釈による先行的な自衛隊派兵のうえに、 ソマリア特措法としてではなく、一般法として成立を強行した。現在、陸海空3自衛隊約1000名の部隊が東アフリカ周辺に派兵されている。 これによって、海賊対処の名目では、いつでもどこへでも自衛隊を派遣することが可能になった。 まさにこれは派兵恒久法への既成事実づくりであり、成立に向けた頭出しである。
  「報告書」 はこれらの経過の上に、派兵恒久法の策定を急ぐよう要求したのである。これが実現するなら、まさにアーミテージ・レポートが言うように、 日米同盟が米英同盟なみにいつでも、世界のどこででも戦争ができることになる。これを許せば、9条は絞め殺されてしまうことになる。

(8) おわりに
  以上、取り急ぎ、大まかに 「安保防衛懇談会報告書」 の問題点を取り出してみた。この自公連立政権のもとで出された 「海外で戦争のできる国」 をめざす報告書が、 総選挙後、そのまま通用する公算は大きくない。いや、この 「海外で戦争のできる国」 をめざす自公連立政権は何としても打ち倒さなければならない。

  しかし、新政権の軸になると見られている民主党内にも、直前に離党した浅尾慶一郎ネクストキャビネット防衛大臣や、前原誠司副代表らのように、 こうした方向を推進しようという勢力が相当いるのも事実である。共同通信社が総選挙をまえに衆院選立候補予定者に対して行ったアンケート調査では、 民主党の候補者の53・5%が改憲に賛成した (反対は10・0%)。改憲賛成のうち、多くは 「9条以外の部分的な改正」 (33・0%) であるが、9条改正派も20%を超えた。
  総選挙後、これがどのような割合になるのか、注目していきたいが、今後の事態は自公政権が倒されたとしても決して楽観できない。 この国で9条が守られ、生かされて行くことができるかどうか、 この帰趨を決めるのは市民運動や労働運動など院外の民衆運動の動向であることを肝に銘じておく必要がある。