2009.11.27

高田健の憲法問題国会ウォッチング


小沢一郎の「国会改革」の危険性と
内閣法制局の憲法解釈の功罪

【巧妙に仕組まれる内閣法制局つぶし】
  先の衆議院議員総選挙で圧倒的な多数議席を占めた民主党の幹事長・小沢一郎が 「政治主導の国会改革」 を看板に、 国会法の改定にからんだ危険な動きを強めている。 いま、小沢幹事長が進めようとしている 「国会改革」 は、かつて彼が自民党の幹事長だった当時からの積年の主張だが、その主張に権威をもたせるために、 イギリス議会政治の視察のための 「訪英団」 の派遣や、「新しい日本をつくる国民会議」 (21世紀臨調)の 「政治改革小委員会」 の 「国会審議活性化の緊急提言」 などという小道具まで使って、強引に進めようとしている。そのかたくなな姿勢は議会の基本ルールを定める議論にまったくふさわしくない。 すでに国会の各方面や言論界からもこれに疑念が表明されているが、小沢幹事長らの 「国会改革」 の動きはいまいっそう強められている。 この問題は憲法と議会制民主主義の根幹に関わるものであるだけに、事態は極めて重大である。

  民主党は11月12日、「党政治改革推進本部」 (本部長・小沢一郎幹事長)の全体会議をひらき、会議の冒頭、 小沢幹事長は 「我々の活動の場である国会が官僚支配のままでは、何が政治主導かということになってしまう。 国会論戦を政治家同士の論戦にすることを優先課題として取り上げていきたい」 とあいさつ、国会改革の課題として、政府参考人制度の廃止、 政府特別補佐人として答弁が認められていた内閣法制局長官の答弁を原則禁止とするなどを確認した。

  たしかにこの間の自民党が定着させた国会の議論における官僚答弁は目に余るものだった。 閣僚はまったく不勉強で、あらかじめ官僚がつくった答弁書を棒読みし、質問されて答えに詰まると本来は大臣が答弁しなければならないのに、 政府参考人として陪席する官僚に答弁させるという、無責任で見苦しい光景が目立った。この 「慣習」 は民衆の政治不信の一つの要因であった。 小沢幹事長らの主張する 「官僚答弁禁止」 は、こうした人びとの疑問と不満に便乗しようとしている。 しかし、問題は 「官僚答弁」 にあるのではないだろう。閣僚の不勉強そのものにある。問題によっては 「官僚答弁」 の必要なときもあるのではないか。 それを一律に禁じたからといって問題は解決しない。

  小沢はこれを恣意的にやり玉に挙げながら、その実、「内閣法制局長官も官僚でしょう。官僚は入らない」 というなど、 「内閣法制局長官」 の答弁を禁止することにこだわっている。

【過去の内閣法制局の役割の功罪】
  内閣法制局の仕事は、各省庁作成の法案を閣議にかけるまえに憲法や他の法律との整合性を審査し、チェックすることだった。 その立場から、国会での論戦においては政府の憲法解釈を独占的に解釈し、答弁してきた。 2001年に小泉内閣が土井たか子衆議院議員の質問に対して答えた 「政府は、従来から、我が国が国際法上集団的自衛権を有していることは、 主権国家である以上当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、 我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、 憲法上許されないと考えてきている」 という、9条と集団的自衛権に関する解釈などはその答弁の典型であった。 その意味で内閣法制局は海外での自衛隊の武力行使、戦争加担などに一定の歯止めをかける役割を果たしてきた一方、 歴代自民党内閣の解釈改憲の論建てを助け、 普通に考えれば違憲にあたる自衛隊の海外派兵などを無理矢理正当化する解釈改憲の本山としての役割を果たしてきたという罪状もある。

  しかし、内閣法制局の解釈は憲法の縛りからまったく解き放たれた解釈をすることはできず、 その論立ては海外派兵や集団的自衛権行使の合憲化を推進しようとする極右派からみれば、うとましい存在でもあり、 憲法調査会などにおいても繰り返し改憲派の議論のターゲットともなってきた。

  事実、内閣法制局は小沢一郎が自民党幹事長だった1990年に国連平和協力法案(廃案となる)に関して、自衛隊の派兵条件の著しい緩和に抵抗し、 怒った小沢らが長官の罷免を主張したこともある。 以来、小沢は内閣法制局封じを自らの原理主義的主張とし、2003年、自由党の党首だった当時には 「内閣法制局廃止法案」 まで作成したことがある。 以降の民主党時代にも、小沢の 「権力をとったら内閣法制局をつぶす」 「憲法は政治家が解釈する」 という主張は彼の独特の持論となってきた。

  2007年の雑誌 『世界』 11月号の小沢論文で以下のように主張したことは有名である。 「(私は)国連の決議でオーソライズされた国連の平和活動に日本が参加することは、ISAFであれ何であれ、何ら憲法に抵触しないと言っているのです。 ……しかし、日本政府(内閣法制局の解釈)はこれまで、すべて日本国憲法を盾に国連活動への参加を拒否してきました。 私は、まずその姿勢をあらためるべきだと、繰り返し主張しているのです」 と、9条下での海外派兵論を述べた。

  このように小沢一郎は国連の決定があれば武力行使を含むものでも、自衛隊の海外派兵は違憲ではないという特殊な憲法論を持っている。 小沢の国会改革が進めば、民主党内閣のもとで、この独特の憲法解釈を合理化することが可能になる。

  「政治主導」 などというきれい事には、憲法調査会の議論を6年にもわたって監視してきた筆者はその内容にいささかの幻想ももてない。 とりわけ右派改憲派の議員たちの議論では、議論の名に値しないイデオロギッシュで、感情的改憲論が横行していた。 これが多数決で憲法解釈を決めることになることを考えれば背筋が寒くなる。

【集団的自衛権の憲法解釈がターゲット】
  憲法上、違憲立法審査権をもつはずの最高裁判所が事実上、政治権力にお任せを決め込み、 「憲法の番人」 としての違憲審査を回避している現状自体が大きな問題である。

  11月5日、平野官房長官は 「憲法の解釈について、現時点では、解釈は従来と変えておりません」 という条件付きながら 「内閣法制局長官の過去の答弁に縛られない」 考えを示し、憲法9条などの解釈は 「今後は時の閣僚によって構成する内閣によって判断する」 とのべた。 鳩山首相も4日、記者会見で 「法制局長官の考え方を金科玉条にするのはおかしい」 と述べた。 また同日、衆院予算委員会では首相は 「集団的自衛権という言葉のもつあいまいさを払拭させ、 別の考え方で日本自身の防衛の在り方を主張する時期をつくらなければならないのではないか」 などとも述べた。

  これは憲法解釈をその時々の内閣の政治判断で自由に変えようとするものであり、立憲主義の立場から見ても極めて危険な考えだ。

  11月18日、横路孝弘衆院議長はこうした動きに対して 「首相が替わるたびに憲法解釈が変わったら憲法は機能しない。 過去のいろいろな議論の経緯、解釈について、法制局の機能は必要という意見も各党に強いのではないか」 と批判した。

  社民党の重野安正幹事長は12日午前の記者会見で、「憲法を大事にするわが党からすれば、 政府から独立して憲法観を表現する法制局長官(の答弁)は必要だ」 「(民主党が)法制局長官を排除する動機には単純に 『はい、 そうですか』 とは言えない深いものがある」 と批判した。 福島みずほ少子化・消費者担当相(社民党党首)は17日、小沢一郎が官僚の答弁禁止を盛り込んだ国会法改正案を今国会に提出する意向を示していることに関し、 「みんなが賛成する形でなければ成立はできない。慎重に(議論を)するべきだ」 と述べ、改正の際は全会一致が不可欠との認識を示し、待ったをかけた。

  共産党も連日、厳しい批判を展開している。

  しかし、事態は予断を許さない情勢である。国会の内外で今進められようとしている 「改革」 の美名に乗じた民主党の 「国会改革」 の危険性について全力で警鐘乱打しなくてはならない。 かつて私たちは 「政治改革」 の美名のもとに自民党やメディアまでが翼賛的になって小選挙区制を成立させてしまった苦い経験をもっている。