2010.4.28

高田健の憲法問題国会ウォッチング


64回目の憲法記念日を迎えて
「9条改憲反対」 の広範な共同をさらに広げながら、
消極的 「護憲」 の多数派から、
積極的「護憲」の多数派への不断の努力を

  1947年5月3日、日本国憲法が施行されて以来、今年はまる63年になる。そしてこの6月は旧日米安保条約が締結されてから60年、 安保条約が改定されてから50年目を迎える。さらにこの8月は旧大日本帝国が韓国を併合し、植民地支配して以来 100年目にあたる。 50年目とか、100年目という数字自体に何か決定的な意味があるのではないが、こうした節目は私たちにとって歴史を振り返り、 今日的な課題を明らかにする上で重要な好機となしうるものである。

  言うまでもなく、日本国憲法は朝鮮半島の植民地支配をはじめとして、 アジアと日本の民衆に多大な犠牲を強いたアジア太平洋戦争の歴史の反省の上に出発した。 前文と9条、及び基本的人権の尊重などに象徴される日本国憲法は、この戦争の敗北を受け入れたとはいえ、 戦争をまともに反省もせず 「国体護持」 に汲々としていた内務省など旧国家権力の当事者たちとの激烈な争いの中で成立した。 占領軍の中心にあった米国も、戦後の米ソの冷戦体制に対応するうえで、日本をどのようにして利用していくかの戦略的な狙いがあり、 象徴天皇制の存続や沖縄の分割占領など、平和憲法とはあい矛盾する占領政策をとった。 間もなく1950年に朝鮮戦争が勃発し、その最中に対日講和と日米安保条約が締結され、日米安保体制の下での再軍備の動きが始まり、 改憲の策動が台頭した。

  1960年の日米安保条約の改定を経て、第2次世界大戦での日本の敗戦後の戦後政治は、平和憲法と呼ばれてきた日本国憲法体制と、 この日米安保条約を根拠とする米軍のアジア・世界戦略の中での軍事力の復活強化という戦争法体系という相対立する2つの法体系の間にあって、 「戦争のできる国の復活」 をねらう勢力と、反戦・平和を求める勢力の拮抗の歴史であった。 戦後の歴史は、この過程で幾度も明文改憲の動きが蠢動し、それに広範な人びとが抵抗し、反撃を加えてきた歴史でもあった。 改憲派が幾度か試みた9条などの改憲を阻止してきた力は、ヒロシマ、ナガサキの被爆体験や15年戦争などの戦争体験に根ざす、 広範な人びとの厭戦・反戦の思いであり、それによる世論であった。 その世論は60年安保闘争や、その後のベトナム反戦闘争の大きな高揚はあったものの、米ソの冷戦体制下の世界に於いて、 必ずしも日米安保体制を拒否するものではなく、「平和憲法」 も 「象徴天皇制」 も 「日米安保体制」 も容認するという、いわば消極的な反戦論、 消極的な9条護憲論とでもいうべきものであった。 それは戦争の被害の記憶を前提とするものであり、戦争責任、戦後責任を問う議論が起きてくるのはしばらく後のことであった。

  こうした一定の弱点をもったものではあったが、 戦後の護憲・平和運動は米国とそれに追従して日本を戦争のできる国にしようと企てる勢力にとっては大きな障害になってきた。
  ポスト冷戦の時代である1990年代から、あらたに登場した90年代明文改憲運動は、とりわけそのターゲットを9条に絞り、 改定安保条約の枠をも突破して、グローバルな規模で唯一の覇権国家となった米国に追従し、その世界戦略を軍事的にも補完することによって、 再度、世界に進出していくことをねらうものであった。 自民党などの政界、財界、読売新聞などの大手メディアなどがあい呼応して、憲法9条を攻撃し、それを破壊しようとした。 明文改憲の動きを強めながら、有事法制など憲法の下位法をさまざまに成立させることによって、事実上 「戦争のできる国」 に変質させながら、 明文改憲をねらう動きであった。 この過程で憲法調査会が作られ、憲法調査特別委員会になり、安倍内閣の下では改憲手続き法が成立させられた。 PKO法から、有事法制、テロ対策特措法、イラク特措法、自衛隊法の改悪などなど、さまざまな海外派兵法が作られ、 今日では海外派兵恒久法が論じられるところまで至っている。

  これらの動きに再度大きな反撃が始まったのが、改憲を呼号していた小泉内閣の当時、 2004年に呼びかけられた 「九条の会」 や 「憲法行脚の会」 などの改憲反対の動きである。 とりわけ、「九条の会」 は 「九条改憲阻止」 の一点でいわゆる保守層をも含めた幅広い共同の運動として、この6年の間に全国に7565カ所に設立されるなど、 改憲反対の世論の形成に大きな歴史的な役割を果たした。 この運動は60年安保闘争、60年代後半のベトナム反戦運動に次いで特記されるべき戦後の民衆の広範な歴史的運動であった。 こうした世論を反映して、改憲暴走の安倍内閣が崩壊し、与野党の矛盾は激化し、07年の参議院選挙、 09年の衆議院選挙による 「政権交代」 を経て永田町における明文改憲の動きは急速に収束した。

  本年4月9日に毎年恒例の 「読売新聞社・憲法に関する全国世論調査」 (3月27〜8日実施)が発表された。 この調査は面接で全国の3000人を対象に行っているもの(回収率58%)。 同紙によると、「憲法を改正したほうがよい」 と答えた人が43%で、「改正しないほうがよい」 は42%だった。 昨年(09年)の調査より 「反対」が6%増、「賛成」 が9%減という結果だった。実は08年の調査では 「反対」 が43・1%、「賛成」 が42・5%と、 同紙の調査では15年ぶりに賛否の数値が逆転していた。それが、昨年は再逆転したが、今年の調査では再び08年の結果に接近したことが明らかになった。 自民党支持層でも改憲賛成が反対より少なかったという。

  この賛否は 「第9条」 についての意見を問うものではなく、現行 「憲法」 のどこか一つでも変えた方が良いかどうかを問うものだ。 改憲賛成の理由は 「押しつけられた憲法だから」(35%)とか、「権利の主張が多く、義務がおろそか」 (26%)、 「国際貢献など新しい問題が起きている」 (45%)などで、9条に関わる 「自衛権と自衛隊の存在を明記せよ」 は31%だった。

  調査では第9条についても問うている。「これまで通り解釈や運用で対応する」 44%、「9条を厳密に守る」 16%で、 9条を変える必要がないという立場の人は計60%(08年60%、09年54%)だ。「9条を変える」 は32%(08年31%、09年38%)だった。
  9日の読売新聞社説は 「政治の混迷で改正論しぼむ」 と題し、「民主党は憲法論議を停滞させている責任を自覚すべきだ」 などと不満を書いた。

  3月13〜14日に行われた日本世論調査会の 「安全保障に関する国民の意識」 調査では、 日米安全保障条約改定からことしで50年を迎える節目に日米同盟の評価を聞いたところ、「現状のままでよい」 との答えが59%を占めたという。 戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条に関しては51% が改正は不要と回答。「9条」 も 「安保」 もという世論の多数派状況は依然として続いている。

  先ごろ、自民党の憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)は自民党改憲案の改正に取り組むとして 「徴兵制」 まで検討項目に挙げた。 改憲派は4月末には決起大会をやるという。鳩山政権のもとでもさまざまな解釈改憲の動きはおさまっていない。 焦眉の課題である沖縄の普天間基地撤去の課題は当面する最大の9条問題である。

  今後の改憲反対運動の課題は 「九条の会」 などの運動が勝ち取ってきた9条擁護のもっとも広範な運動をさらに発展させながら、 この有利な条件を活かし、これらの世論調査の結果に見られる 「9条」 も 「安保」 もという消極的9条護憲論を、安保と9条が対立するものとしてとらえ、 最近では 「日米同盟」 などとまで呼ばれる日米安保体制を解消し、9条が生かされる日本をつくり出すという積極的9条護憲論にまで高めることにある。 そのためにはさらに本格的に草の根に 「九条の会」 などを組織し、改憲反対運動を活性化して行かなくてはならない。 憲法記念日を迎えるにあたり、このことをあらためて決意したい。
(「私と憲法」 108号所収)