2012.9.27

高田健の憲法問題国会ウォッチング


「領土問題」 は平和的な対話で解決を
石原慎太郎らの戦争挑発と改憲をうち破り、
いまこそ第9条を輝かせよう

(1) 好戦的な改憲論者の挑発で緊張する 「領土問題」
  いま、日本の周辺においては尖閣諸島(中国名 「釣魚島」)、竹島(韓国名 「独島」)、北方四島(ロシア名 「南クリル諸島」)などの 「領土問題」 をめぐり、 中国、台湾、韓国、ロシアなどと、ここしばらく類例を見なかったほどに緊張関係が高まっている。

  とりわけ尖閣諸島をめぐる日中の対立は、現在、かつてない深刻な状況を招いている。今年は日中国交回復40周年という記念すべき歴史的な年にあたる。 この40年、両国の友好関係は発展し、特に経済関係は抜き差しならないほどに密接になり、深まってきた。 本来、今年は日中友好を祝うための様々な祝賀行事が盛りだくさんに行われるはずの年であった。
  今回、日中間で尖閣諸島をめぐる問題が深刻化したきっかけをつくったのは、平和憲法敵視、改憲世論の盛り上げと、 この日中友好ムードの盛り上がりをたたきつぶすことを狙った右翼ナショナリスト・石原慎太郎東京都知事による尖閣諸島の都有地化と、 その資金の一般からの募金という挑発行動である。
  本年4月16日、大仰な前触れの下に訪米した石原知事は、保守系で有名なシンクタンク 「ヘリテージ財団」 で講演し、 都が尖閣諸島の3島を購入する準備をしていることを明らかにし、中国と日本政府の従来からの同島をめぐる対応を批判した。 前後して、石原知事は尖閣問題で繰り返し中国を挑発する発言を行い、その結果引き起こされる日中の軍事的衝突に米国を巻き込むねらいを公言してきた。
  石原知事は尖閣諸島の買収工作をすすめながら、日本政府に 「尖閣問題棚上げ」 を破棄し、施設建設や要員の常駐化など、 その実効支配を強化するための対策を要求してきた。 動揺した野田首相は、7月26日、衆院本会議で 「わが国の領土、領海で不法行為が発生した場合は、必要に応じて自衛隊を用いることを含め、 政府全体で毅然と対応する」 と首相の職にあるものが言ってはならないことを述べた。 結局、同島への施設建設にまでは踏み切らなかったが、政府による 「買収」、国有化に踏み切り、 くりかえし警告を発してきた中国政府をして強硬政策に転じさせた。この結果、日中関係は最悪の事態をむかえつつある。

  自民党総裁選の各候補者の主張に見られるように、一部の政治家や右派メディアは、この問題をナショナリズムの鼓吹に利用し、 世論を改憲と日米軍事同盟の強化、集団的自衛権行使の方向へと導く好機にしようとしている。

  中国でも政府や軍の機関の一部が対日強硬策を相次いで主張し、各都市では日本への抗議デモや、日本人狩り、 尖閣海域への中国船の頻繁な登場などの動きも起きている。

(2) 日本周辺の 「領土問題」 の淵源と 「論争」 の限界
  これらの 「領土問題」 について日本政府は 「それらは日本固有の領土である」 「領土問題は存在しない」 という主張を繰り返してきた。 しかしながら、これらの領土問題は日本政府がいう 「固有の領土」(政府解説によれば 「歴史的にみて一度も外国の領土となったことのない土地」 とされている)であるどころか、わずか100数十年前、日本の幕末・明治以降の近代の歴史の中で発生した問題であることは明らかだ。

  「北方四島」 は現在、ロシアが武力を配置し実効支配しているが、日本政府はこれを 「固有の領土だ」 と主張している。 18世紀末の徳川政権と明治政府の 「北海道(アイヌモシリ)」 開発の過程で、アイヌなどの先住民族(2008年6月、 アイヌを先住民族として認めるよう政府に促す国会決議が衆参両院で可決)から奪い、日本の版図として編入してきた歴史があり、 その後のアジア太平洋戦争の敗戦とポツダム宣言受諾、サンフランシスコ単独講和の結果、生じている問題である。 いわゆる北方領土をめぐる論争には 「4島返還」 「2島返還」 「全千島返還」 など様々な議論があるが、 これらの議論はさまざまな勢力のさまざまな思惑を背景にもつれている。

  竹島は韓国が武装警官を配置し、実効支配しているが、日本政府は固有の領土だと主張している。 竹島問題は日露戦争のさなか(1904〜1905年)に日本領に編入、その直後には日本は韓国を事実上、支配下に置いた。 その後、サンフランシスコ単独講和の過程で、李承晩ラインの設定などを含め問題が複雑化した。

  尖閣諸島は日本が領海権を確保し、実効支配しているが、中国、台湾は自らの領土だと主張している。 尖閣問題は、1872年の琉球藩設置から1879年の沖縄県設置を経て、強権的に琉球を日本に編入した 「琉球処分」 の歴史と不可分であり、 尖閣諸島が日本領に編入されたのは日清戦争の最中の1895年1月である。 尖閣諸島の周辺では近代よりずっと以前から沖縄の先島、台湾などの漁民が相互の友好的な交流の中で平和的に生産と生活を営んできていたといわれる。

  これらの 「国境問題」 には相手国には相手国の論理があり、 日本政府が国際的にも通用しない 「固有の領土」 というひとりよがりの理屈で 「領土問題は存在しない」 と言い張ってみても、全く解決にならない。 こうした歴史問題から発生する国際関係に関わる国境問題を、ただただ一方的に自己の正当性を強弁し、 ナショナリズムを煽りたて、相手国を非難するのは問題の解決を困難にするだけだ。 2010年、中国の漁船と海上保安庁の巡視船が衝突したときに、日本の菅政権は 「(尖閣諸島の)領有権問題はそもそも存在しない」 として、 中国漁船などに対して 「日本の国内法で粛々と対応する」 などと息巻いたが、 領有権を主張する日中双方に 「国内法」 があることを考えれば問題をこじれさせただけである。

  アジア太平洋戦争で、ポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏した日本は、中国、 ソ連などが参加しないままに米国などの連合国側とサンフランシスコ講和条約に調印し、日米安保条約を調印した。 また、米国はこれら地域に領土問題の火種を残すことが戦後の米国の世界戦略の利益と考えた結果、ソ連(ロシア)、南北朝鮮、中国など、 日本周辺には未解決の国境問題が残された。

  日本政府は戦後処理において、周辺各国との国交回復を重視し、領土問題を棚上げにして、後日の平和条約交渉にゆだねた。

  1956年日ソ共同宣言が合意され、国交が回復したが、「北方領土」 問題が残され、日ロ(日ソ)平和条約は未締結のままになっている。

  韓国との間では1965年に日韓基本条約が締結され、その際、歴史認識問題や竹島(独島)の帰属問題は 「解決せざるをもって、解決したとみなす」 で知られる丁・河野(一郎)密約により棚上げとされた。北朝鮮との間ではいまだに国交の回復すらできていない。

  中国との間には1972年日中共同宣言で国交を回復し、1978年の日中平和友好条約を結んだが、尖閣諸島問題は棚上げにするしかなかった。

  たしかに 「棚上げ」 は問題の先送りだが、時間をかけて解決する機会を得ることであり、ただ非難するにはあたらない。 平和的に解決するためのチャンスとされるべきである。

  前述したように、米国はこの地域の領土問題で自らの影響力の保存のため、サンフランシスコ講和以降、問題の全面解決を望まず、 「北方領土」 でも、「竹島」 でも、「尖閣」 でもあえて紛争の火種を残した。 しかし、「同盟国」 の日韓の対立は不都合であるし、米中経済関係の現状から必ずしも 「米中対決」 の到来を歓迎できない。 石原ら日本の右翼勢力が、懸命に日中紛争を挑発し、日米安保の適用、米国の軍事介入を画策しているが、 米国は 「条約の義務を遂行する立場は変わっていない」 といいつつ、「主権に関する紛争は、いずれの国の肩も持たない」 「平和裏の解決を望んでいる」(パネッタ国防長官)という立場の表明を繰り返し、容易に乗らない状況にある。 事態の深刻化は、結局、日中の友好関係のみが破壊され、両国の民衆生活が大きな打撃を被るだけである。

(3) いかなる覇権主義にも反対し、
      対話による平和的解決と東アジア地域共同体への 「夢」

  領土問題は偏狭なナショナリズムの餌食になりやすい問題である。オリンピックで知らずしらずのうちに自国チームの応援に熱中するような危険性がある。 好戦主義者はこの 「国民感情」 を利用し、対立をあおり立てようとする。

  昨年の3・11東日本大震災に際して日本は中国、台湾、韓国、北朝鮮など東アジアの多くの国々から多大な支援を受けた。 2009年の総選挙において民主党はそのマニフェストで 「東アジア共同体」 構想をかかげたが、その後の経過はさておき、私たちはこの東アジアにおいて、 各国との平和と友好、共生の関係を築き、維持することがいかに重要なものであるかを大震災の中でもあらためて痛感した。

  しかし、それから1年、領土問題の深刻化で日本と周辺各国との関係は最悪のものとなりつつある。

  あえて確認するが、「国連憲章」 2条3項には 「すべての加盟国は、 その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」 とあり、 日本国憲法第9条には 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない」 とある。

  これを1947年に文部省が発行した 「あたらしい憲法のはなし」 では以下のように解説したことは教訓にみちている。

  「よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。 おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。 また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。 そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです」 と。

  尖閣諸島をめぐる緊張の発生に際して、石原慎太郎らの右派からは自衛隊を動員してでも断固として国家主権を防衛すべしという声が聞こえる。 中国国内でも 「日本との戦争を恐れず」 などという声があがっている。 この東京と北京で無責任に戦争を呼号する連中の好戦的な動きが現実のものになったとき、真っ先に犠牲を被るのは沖縄の民衆であり、 地域周辺の民衆である。これを避け、問題の解決をはかる方策は平和的な話し合いのテーブル上以外にはない。

  すでに、1972年の日中国交回復の共同声明と1978年の日中平和友好条約は以下のようにのべている。

  「日中共同声明(1972年)」 日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、 平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
  両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、 武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
  「日中平和友好条約(1978年)」 第1条 両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、 平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
  両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、 すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
  第2条 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、 また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

  この第1条、第2条は東アジアの平和と共生の関係を打ち立てる上で、すべての国々の手本となることができる。 いまこそ、日中両国指導部はこの条約を再認識し、両国関係に生かすべきであろう。 まさに日中いずれもが 「覇権を求めるべきではなく」 「覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対」 しなくてはならない。 この原則は近代史の100数十年に於いてアジアに覇権を求つづけ、 いままた日米安保条約体制の下で軍事力を強化している日本に当てはめられるべきであるし、中国もまたらち外ではない。 日中平和友好条約締結の際に、当時の中国側の最高責任者・ケ小平が日本の園田直外相に対し、「中国は、将来巨大になっても第3世界に属し、 覇権は求めない。もし中国が覇権を求めるなら、世界の人民は中国人民とともに中国に反対すべきであるとし、近代化を実現したときには、 社会主義を維持するか否かの問題が確実に出てこよう。 他国を侵略、圧迫、搾取などすれば、中国は変質であり、社会主義ではなく打倒すべきだ」 と述べたことを中国当局は真剣に想起すべきであろう。

  領土問題の対立を克服し、東アジアの平和と共生の関係を打ち立てるにあたって、 相互に国家主権をぶつけ合う国家対国家の関係を前面に出した争いは有効ではない。 領土問題の解決にあたっては国家の視点を極力薄め、国家対立を後景に置くことだ。 そして争いのタネである資源は民衆のものであり、生活者の視点で、共同で利用することこそ肝心なことだ。 尖閣諸島の問題は日本、韓国、中国、沖縄、台湾の民間の地域会議を創設し、発展させる必要がある。 「国家主権は分けることは出来ないが、資源は分割できる」 という警句があるという。 竹島は日韓北朝鮮の政府間交渉だけでなく、それぞれの漁民の参加が必要になるだろう。 北方四島の議論では日ロ政府の議論だけではなく、アイヌ民族にも加わってもらわなくてはならない。 これは 「東アジア共同体」 の夢につながるものとなるだろう。

  これはかつて自覚的なNGOによって取り組まれてきたGPPAC(=武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ)に通じるものがある。 2001年国連のアナン事務総長(当時)は 「紛争予防における市民社会の役割が大切」 だと述べ、世界の紛争予防に関するNGO国際会議の開催を呼びかけた。 これに応えて発足したプロジェクトがGPPACで、東北アジアには 「GPPAC東北アジア」 がある。こうした民間のNGOの努力が有効になる可能性がある。

  ともあれ、領土問題に武力の行使は絶対にしてはならない。すべての当事者は無用な挑発を停止し、日本国憲法第9条や、 日中平和友好条約第1条、2条の精神にもとづいて、平和的な話し合いで対応せよ、という声を多数派の世論にするため、全力を尽くさなくてはならない。
(「私と憲法」 137所収 高田健)