2008.6.10


津田 秀一
プロフィール


巨大で清潔な成都から猥雑で停電のカトマンズへ(2)

2008年3月18日(火)

  5時に wakeup call で目を覚ます。預けていた貴重品のことは覚えていたのだが、保証金200元を返してもらうのを危うく忘れるところだった。 たまたま、従業員が電話で 「押金」 と話しているのを耳にして、思い出したのだ。これは、結構忘れる人が多いのではないだろうか。 フロントマンの副収入になっているのかもしれない。キャッシャーに4月6日にもまた泊まりたいと言ったら、会社を通じて申し込んでくれ、ここでは受付できない、と言われる。

  ホテルの前にタクシーが止まっていて、運転手が眠っていた。窓ガラスをノックして起こす。「空港」 というと、「OK、だけどコンスー○○が要る」 と言っている。 「コンスーとは何だ?」 と訊いても 「コンスーだ、コンスー」。「分からん」 と埒が明かない。「まあいいから、乗れ」 と言うので乗り込む。

  しばらく走るとまた、「コンスー」 と言うので、「書いてくれ」 と紙とボールペンを差し出すと 「高速路収費站」。 「聞いたら分からんけど、読むと分かる」 というと、「お前は何人か」 と訊く。「日本人だ」 と答えると、「お前の中国語はまあまあだ」 とほめられる。

  空港で3人のネパール人に会う。1人は肌が白く、他の二人と微妙に違う。3人とも別の人種だと言っていた。中国にはプレハブ建築の仕事で来たそうだ。

  機内で席が隣り合ったのはスウェーデンから来た若い女性の二人連れ。カトマンズで何をするのか、と訊くので 「トレッキング。 それから寺を見て回る、僕は仏教徒だ、君は?」 と訊くと、ムスリムとのこと。「母がエジプト出身だ」 という。そういえば顔に少しオリエンタルが入っている。髪も黒い。

  窓側に座っている連れの女性は典型的なスカンジナビアンで、金髪。学生かと訊いたら、働いているとのこと。5週間の休暇を取ってアジアを旅行しているとのこと。 ナマステ (こんにちは) とダンニャワッド (ありがとう) を教えてあげる。

  約2時間でラサに到着。格安チケットの案内には、成田発成都経由カトマンズ行き、としか書いてなかったのだが、やはりラサで乗換えだ。 空港内には武装警官の姿はなく、全く平穏。しかしセキュリティー・チェックは厳しく、3回もあった。全員、靴も脱がされる。 パスポートチェックはすでに済ませたのに、どういうわけか、パスポート・コントロールもある。

  チェックイン・カウンターで、「カトマンズ行きの飛行機にお前の名前がない」 といわれる。 ボーディング・パスの半券を見せて、「カトマンズ行きと書いてあるだろう」 と言っても 「いや、名前がない」 と言って、あちこちに電話をかけている。

  隣の職員がその職員に何か言って、やっと僕がトランジット客だと分かったようだ。チェックイン・カウンター前に列が2列あり、 左側の列にトランジット客が並んでいたのだが、右側の列が空いていたので僕はそっちに移動したのだ。 この列はラサから新たに乗る人がチェックインする列だったのだ。 それにしても、カトマンズ行きの搭乗券を持っているんだから、すぐにトランジット客と分かりそうなものだが。


ラサ空港


ラサ空港

  ラサ空港に一時間の滞在でカトマンズに向けて出発。また、スウェーデン女性達と同じ席。隣のイスラム教徒はライラ、向こうの金髪はジョセフィーヌ。 客室乗務員に頼んで三人の写真を撮ってもらう。

  カトマンズ着。空港を出たところで、白人の女性レポーターが僕を捕まえて、「ラサからの飛行機に乗っていたのか」 と訊く。 「そうだ」と答えると、「ラサの状況を教えて欲しい」 という。「空港で飛行機を乗り換えただけだから分からない」 と答える。

  パスポート・コントロールで VISA の発給をしていた。最初、VISA 代金の支払いは USD でなければだめだと思い込み、 一旦、パスポート・コントロールを出て外の ATM に行った。このときパスポートのチェックは無し。どうなっているのか。ATM に行きたいといえば、外に出られるのだ。 ところが ATM が壊れていた。空港にはこの一台しか ATM は無いとのこと。

  仕方が無いので、中国元をドルに変えよう、とまたパスポート・コントロールを逆戻りする。そのときになって、VISA 代金の支払いは日本円でも OK と分かり、 持っていた日本円で3人分を僕が立て替える。代金は一人 USD30又は JPY3200。1USD=96円〜97円なのに、古いレートを使っているようだ。 米ドルと日本円以外の通貨は使えない、という。お釣りをネパール・ルピーでくれる。

  ジョセフィーヌが写真を持っていなかったので、写真料金230ルピーも僕が立替えてあげる。写真屋に1000ルピー札を渡すと、270ルピーのお釣り。 「あれ、僕は1000ルピー渡したよ」 というと 「あ、そうだった? ごめん、ごめん」 と500ルピーをくれた。危ない、危ない。

  やっと VISA を取得し、荷物を転がして空港を出る途中に、プリペイド・タクシーの窓口があった。タメルまで400ルピーという。 「地球の歩き方」 では250ルピーと書いてあるのにおかしいな、と言うと、「400ルピーですよ」 と壁に貼ってある料金表を指差す。 「ただし、Lonely Planet にも載っている、ブルー・ホライゾンというホテルに宿泊するならばタクシー料金は無料」 と言う。 ホテルで部屋と料金を確認して、もし気に入らなかったらそのときに400ルピーを払って他のホテルに行ってもOK、とのこと。

  ジョセフィーヌが、「いい提案ね」 と言うので、そのホテルに行ってみることにする。運転手は英語が達者だ。 「私は日本人大好き。甲斐よしのりを20年前から知っているが、今は麻薬で刑務所に入っているね」 と一方的に話しかけてくる。 タメルに着き、二人が ATM に行ってる間に 「Beautiful ladies. Why don’t you get your girl friend one of them?」 と言われる。よけいなお世話だ。


空港からカトマンズ市内へのタクシーから


空港からカトマンズ市内へのタクシーから


空港からカトマンズ市内へのタクシーから。選挙ポスターが貼られている

  ブルー・ホライゾン・ホテルに着いた。運転手がタクシー代は要らないがチップをくれないか、という。仕方ないので1ドルあげると、少し不満そうな顔で受け取る。 部屋をチェック。最初バスタブ付の大きな部屋を案内される。30ドル。彼女たちは一番安い部屋でいい、という。15ドルという部屋を値切って12ドルにして妥協した。 僕には20ドルと言う部屋を15ドルにしてくれたが、そこはシャワーしかなかったので、最初に見たバスタブ付の部屋を20ドルに負けさせてそこに決めた。 小さいがこぎれいなホテルで、庭にも緑が生い茂っている。

  ホテルのフロント近くでマネジャーが僕を呼び止めて、トレッキングのアドバイスをしてくれた。 「マオイスト (筆者注:ネパール共産党毛沢東主義派) がいるのでガイドは必要」 とのこと。「日本人で何度もトレッキングをしている人の話ではガイドは必要ない、 と言っていた」 というと、「以前と今は違う。今は危険だ」 と言う。

  「ガイド料はいくらか」 と訊くと 「ガイドの食費、宿泊費込みで一日20ドル」 とのこと。ガイドブックには一日10ドルと書いてあるよ、というと、 英語や日本語がしゃべれる質のよいガイドは20ドルだ、という。また、5日間の予定にしていた、アンナプルナ・ジョムソン・トレッキングには一週間は必要とのこと。

  ヒマラヤ・トレッキングのベテランの魚住先生から聞いた情報を元に、ガイドを付けずに一人で5日間のトレッキングに行く積もりだったので、 彼の言うとおりにすると、大分予定が狂ってしまう。「もう少し情報を集めてから詳細は決める」 と宣言する。 マネジャー氏は、入山許可証を取るのに2日かかるのですぐに申し込んだ方がよい、と食い下がってくる。 2000ルピーと写真3枚が必要、というので、入山許可証はどのみち必要だと思い、2000ルピーを渡し入山許可証を頼む。

  今は乾期だが、夕方5時過ぎにものすごい雷鳴とともに雨が降ってきた。

  6時頃から散歩に出かける。タメル (カトマンズ市内で外国人観光客に一番人気の地区) の街中で、ラサ空港で知り合った韓国人の若者たちと出会う。 一日5ドルの部屋に投宿し、インターネット・カフェに行く途中、とのこと。彼らと別れ、何か食べよう、とレストランに入る。 一人でビールを飲んでいた青年がいたので、一緒に座っていいかとたずねて、同じテーブルに座る。イングランド出身のジョニー。インド、ネパールを数ヶ月間旅行中。

  編集者と自称する、歯の数本抜けた老人が店に入って来て、僕たちのテーブルに来た。旅行者にインタビューしているのだと言う。 彼が作ったという雑誌を見せて 「世界中の若者たちのネパールについての感想を載せている。写真と文章を送ってくれれば、この雑誌に載せる。 日本人は初めてで嬉しい。ついては雑誌を作るのに金がかかるので少しカンパしてくれ」 という。 「ただで文章を送ってやるのだから (カンパしなくても) いいだろ」 と答え、カンパは断る。ジョニーは少しカンパしてやった。

  ジョニーと分かれてインターネット・カフェに入る。10時くらいまでメールチェックをし、55ルピー。小銭が無かったので1ドルを渡す。釣りが無いと言う。 まあ、いいや、と外に出る。

  街はネットカフェに入る前とは打って変わって真っ暗だ。インターネット・カフェは自家発電で動いていたので気がつかなかったが、停電なのだ。 今日着いたばかりでもあるし、どこがどこだかさっぱり分からない。

  ホテルから大通りに出てからはほとんど曲がらずに来たはずだ、と見当をつけて、雨上がりの暗いでこぼこ道を歩く。すれ違う人の顔も全く判別できない。 ホテルは大通りから細い道を入ったところにあったハズだ。ここだったかな、と入っていくと行き止まりになっていて、犬がうなっている。 狂犬病の犬だとヤバイな、と後戻りするとさらにうなって追いかけてきそうだ。

  もとの大通りに戻り、しばらく歩く。小さな店にいた二人連れのネパール男性に地図を示してここに行きたい、という。 ホテル名もうろ覚えだ。「ブルー何とかと言うホテルだ」 というと、「ブルー・ダイヤモンドか?」。「いや違う」。「ブルー・ホライゾンか?」。 「ああ、そうだ。そのホテルだ」。「それならこっちに行って最初の角を右だ」 と教えてくれる。お礼を言って又歩き出す。

  言われた通りに最初の角を右に曲がったが目指すホテルは無い。真っ暗な通りに自家発電の明かりが見え、小さな立ち飲み酒場があった。 中にいた飲み客に訊いたが 「知らない」 と言う。もう、30分くらいさまよっている。途方にくれていると、リクショー (自転車タクシー) が通りかかった。 「ブルー・ホライゾンを知っているか」 というと 「知っている」 とのこと。「いくらだ?」 と訊くと 「As you like」 という僕の大好きな答え。

  リクショーに乗ると5、6分で着いた。僕は大通りを一本まちがえていたのだ。小銭は1ドルしか持っていなかったので、「これでいいか」と差し出すと、 「5ドル欲しい」 と言う。アズ・ユウ・ライクではなかったのか。ホテルの男が出てきて、事情を説明すると、「2ドルでいい」 という。 ホテルのフロントで両替をしてもらい、150ルピーを渡す。

  すでに10時半。12時まで停電だと言う。夕方、ホテルに着いたときも停電だった。ローソクの炎が階段の踊り場でゆれている。 ベッドに入って、成都から持ってきた紹興酒を飲む。スーパー・マーケットで寝酒用に買い、 チビチビ飲んで余ったのを瓶からミネラル・ウォーターのペットボトルに移し変えて持ってきたのだ。 テレビでも見ようかと思ったが、停電でだめ。ローソクの炎の下で、日記を書く。



巨大で清潔な成都から猥雑で停電のカトマンズへ(1)

2008年3月16日(日)

  5時起床。池袋から特急で成田へ。
  旅行会社のカウンターでインターネット予約した格安チケットを受け取り、北京経由成都行きの中華航空機に乗り込む。 機内で黄色いワッペンをもらい、胸に付ける。北京空港でトランジット客を分別するためのワッペンだ。

  北京に現地時間12時半に到着。空港で成都行きのトランジット客だけが別室に通されて、搭乗券の半券を見せ、北京→成都の搭乗券を渡される。 この搭乗券は全員同じもので、座席番号は記入されていない。13時20分発成都行きの飛行機に乗り換え。北京までの飛行機と同じ番号の座席に座る。

  隣の席に女の子。日本人かと思ったが、東京の日本語学校に通っている中国人で19歳とのこと。中国では、女性に年齢を訊くのは失礼ではないのだ。 それどころか、他人の収入を訊くのも失礼ではないのだそうな。彼女は半年間日本にいるとのこと。日本語は僕の中国語より少しうまい。

  機内で、セビリアから来たスペイン人が奇妙なものを持っている。50センチくらいのスチールの棒の先に小さな柄杓が付いている。 樽の中のワインの香りを嗅ぐ道具とのこと。シェリー酒は食前酒かと思ったら、食事中に飲むものだそうだ。中国のワイン鑑定に来たとのこと。 中国では酒類は驚くほど安い。昨年行った内モンゴルでは、大瓶のビール1ダースが15元 (225円) だった。 紹興酒も1本5元くらいからあるので、スーパーで寝酒用によく買う。紹興酒よりも少し高いが、ワインも美味いのが手に入る。

  女の子と反対側の隣席には成都の大学に留学し、中国人女性と結婚しているという日本人男性。 中国で家具商をやっていたが、他の店で売っている商品の値段が彼の仕入れ値よりも安い。調べてみると、伐採禁止地域から木を切り出して材料にしていた。 役人もグルになってやっていた。これでは歯が立たない、と辞めてしまったそうだ。

  彼は成都で交通事故に遭った。軍の車が一方通行を逆行してきて、彼の乗っていたタクシーと正面衝突した。相手が悪かった。 緊急任務だったとか理由をつけて、一切非を認めない。結局、外国人だからと普通の3倍という300元の保証金を渡されておしまい。 タクシーはめちゃくちゃに壊れていたが何の保障もなく、運転手が可愛そうだったそうだ。彼は後遺症のために、現在仕事が出来ない状態という。

  成都空港に到着。ターンテーブルで荷物を受け取って出口を出ると、待機していた3、4人の女性が声をかけてくる。「タクシー?」、「どこのホテル?」。 ホテル名を言うと100元とのこと。「高い」というと、すぐに80元に下げたが、「考えてみる」 と言い放って、ずんずん歩いてタクシー乗り場に着く。 ここのタクシーだと40元だ。インターネットで予約したホテルの住所の英語表記 Honxing Road, Three Section, 16Street をそれぞれ紅星路、3段、 16号と読み替えて運転手に伝える。

  4星ホテル。ルームカードを入り口にかざすと、青い光が点滅し、ピピッといってドアが開く。室内のメイン電源もこのカードを差し込むことでONになる。 差込口にサイズが合うクレジットカードを差し込んでもダメだった。日本でいつも使う手は使えない。カードの内部に IC チップか何かが埋め込まれているようだ。

3月17日(月)

  ホテルは成都市庁舎の少し南にある。ホテルを出ると、広い通りが全部ホコテンになっている。花壇がしつらえられ、良い天気なので、 パラソルの下で休憩している人もいる。ごみは全く見当たらない。 ミニスカートの女の子が通りの脇に備えられたゴミ箱に近づき、腰をかがめ身を乗り出してプイッと口の中のものを吐き出す。果物の種のようだ。

  このあたりの交差する道路が全部ホコテンになっていて、一帯が広場になっている。 2年半前、ラサに行く途中で寄ったときとは比べ物にならないほどきれいになっている。中国の大都市は来るたびに発展していることを感じる。


ホコテンの成都市内


巨大ショッピング・センター

  マシンガンを携えて防弾チョッキに身を固めた武装警官隊がたむろしている。ラサ事件を受けて街をパトロールしているらしいが、全く手持ち無沙汰の様子。


成都市内とパトロールする武装警官

  広場の一角の、「天下為公」 と壁に大書されて一段高くなったところに孫文の像があり、人々が記念写真を撮っている。そこにも武装警官が5、6人いる。


孫文像の建つ広場にも武装警察隊の姿が

近くで味千ラーメンを食べる。16元。美味い。隣の 「張飛牛肉」 で、寝酒のつまみ用に中国版ビーフ・ジャーキーを買う。


味千ラーメン

「張飛牛肉」にて
  ホテルの一階に陣取る旅行会社で九賽溝への旅行を聞いてみる。1800+30元 (30元は外国人用保険料とのこと)。 街の成都青年旅行社で同じ旅行の料金を訊くと、1560+30元だった。カトマンズからの帰りに寄ってみようと、申し込もうとしたが、 「現在飛行機の時間が分からない、当日、空港に着いてから時間を電話で連絡するが、 お前の中国語ではきちんと内容が伝えられるかおぼつかないのでダメだ」 と断られる。なかなか良心的な会社だ。

  ホテル近くでマッサージを受ける。マッサージ師は成都からバスで2時間のところの出身。ラサで数十人が殺されたことを知っているか、と訊くが知らない、とのこと。 ホテルのTVはニュースを流すチャンネルは全部CCTV (中国中央電視台) で、ラサのことは全く報じない。