2008.7.1 更新

「何でも見てやろう」 熟年版 No.3

津田 秀一
プロフィール


ペワ湖のほとりの美しいポカラへ

3月21日(金)

  グリーンライン・バスでポカラへ。なかなか清潔で座席のリクライニングも出来る。乗客は外国人ばかり。
  隣に韓国の放送関係の仕事をしているジョン、前の席に連れのウーさんとイーさんが座っている。昨日ソウルからの直行便でカトマンズに着いたそうだ。

  ウーさんは韓国一の女性登山家で今までに8000メートル峰を7座征し、今回は5月末までにマカルー、ローツェを征服するつもり、とのこと。 その登山に備えて、高度順応の為にアンナプルナBC (ベース・キャンプ) まで登るのだ。この話を聞いたジョンが、休暇を取って一緒についてきたのだという。 ジョンは39歳、ウーさんは小柄な女性で年齢は35歳くらい、イーさんは30歳くらいか。休憩時間に小食を取った。 彼ら3人は、一つの皿に直接箸をつけ、分け合って食べていた。ジョンは日本人ともよく一緒に仕事をするという。 占領時代の日本の蛮行を謝罪すると、「人間は動物だ。みんな悪いことをする。気にしていない」 との返事。


韓国人の3人と。サングラスの女性が韓国一の女性クライマー

 7時間半でポカラに着いた。

  夕方、散歩に出る。若者たちが道行く人に 「ハッピー・ホーリー」 と叫びながら、顔や体に色の着いた粉を塗っている。 僕も赤、黄、紫、オレンジとカラフルに色づけされた。


ハッピー・ホーリーで色付けされた旅行者


大蛇を巻きつけられたまま、値段交渉

  ペワ湖の湖畔は不思議な光景だ。丈の短い草に覆われた大地が、大きな波のようにうねっている。その波の頂上の一つに胡坐を組む。 近くの平らな土地では男の子たちがサッカーをやっていた。テニスコートに毛が生えたくらいの広さ。

  波の頂上の小山に座って、白人の少女が夕暮れの湖をじっと見つめている。「Excuse me」 と言っても返事をしないし、振り向きもしない。 もう一度言うと、振り返ったが、理解できないようだ。「ボン・ジュール」 「グーテン・ターク」 「ブエナス・タルデス」 といっても分からないようだ。 「どこから来たの」 と英語で訊くと、ベルギーとのこと。


夕暮れのペワ湖を見つめるベルギーから来た少女

  湖で洗濯をしている女性たちにカメラを向けると、「写真はダメ」 と手を振る。「ハッピー・ホーリー」 と叫んでごまかす。


ペワ湖の夕暮れ

  ペワ湖から通りへ戻る途中、マオイストの選挙用ビラを家の前に座って読んでいる女性がいた。「マオイストが好きか」 と訊くと 「イエス」。 「なんて書いてあるの?」。「マオイストが勝ったらこの国を良くするといっている」。「マオイストが勝つと思うか」。「勝つと思う。多くの人が支持している」。 「でも。マオイストも信用できない」。鎚と鎌のシンボルがついた旗を持った、マオイストの宣伝部隊が来たので、話を中断する。

  「マッサージはいかが?」 値段を訊くと600とのこと。「他では500と言ってたよ」、というと 「500でもいい」、との返事。お茶を出してくれる。 これからしてくれるのかと思ったら、今日は予約で一杯だという。彼女はビシュヌというヒンドゥー男神の名前。夫は米屋で働いていて、月給3000。 お金を貯めて外国に行き、マッサージを勉強したいと言う。明日の6時に約束して別れる。お茶は無料。

  ポカラはカトマンズよりもずっと落ち着いていて美しい街だ。 Sacred Volley Inn というきれいなホテルがあったので、 部屋を見せてもらおうと思ったが満室で見ることは出来なかった。バス付で税込み一泊20ドル。 グレート・アドベンチャーが取ってくれたカルキ・ゲスト・ハウスよりもずっときれいで、作りもしっかりしている。

  通りに蛇使いがいた。3つのカゴのうち二つはコブラ、もう一つはもっと大きな蛇。「ほら、咬まないよ」 と説明して、大蛇を首に巻きつけてくれる。 ズシリと重い蛇の肌が、冷たい。僕の写真を撮って、「50ドルくれ」 と言うので 「10ルピーだ」 というと 「これは、危険なビジネスだ。 10ルピーは安すぎる」 と言うので20ルピーを出すと「OK」と開放てくれた。ニューデリーではコブラをけしかけられてはたまらん、 と100インド・ルピー (250円)を払ったが、相場は10ルピーだとリクシャー・ワーラーが言っていた。

3月22日(土)

  6時起床。寝過ごした。
  ご来光を見るためにサランコットに行く予定だったのだ。ホテルの車は5時に出てしまっていた。歩いて登るしかない。6時半ホテル出発。 ペワ湖に沿って歩き、リトルチベット・レストランのあるT字路を右折し、バラヒ・チョウクの交差点を左折し、7時50分に登山口の起点になるビンドゥバシニ寺院前に着く。 茶店でネパール・ティーを飲んで一服する。思ったよりも時間がかかってしまった。

  8時茶店出発。茶店を出るとすぐに背の高い青年が立っていて、「サランコットはこっちだ」、と案内してくれる。彼は現在無職。以前はガイドをしていた。 将来、またガイドをやりたいので、学校で英語を習っている。

  幅20〜30センチの踏み跡のような山道を彼の後について登る。車道を通るよりも近道のようだ。ヨモギによく似た葉をすりつぶしてにおいを嗅がせてくれた。 さわやかなハッカのような香り。昔は胃腸薬として煎じて使ったと言う。シダの葉の小さいのを一枚ちぎって手の甲に載せ、上から反対の手でパンと叩いて葉をはがすと、 黒い肌に白い葉の跡がきれいにプリントされている。ネパリ・タトゥー。僕もやってみたが、あまり鮮やかに出来ない。 叩き方が悪いのと肌の色が十分黒くないのだ。ガールフレンドはいるが、定職が無いので結婚はできないと言う。

  別れ際、「学校に行くのにお金が要る。もし自分のガイドでハッピーになったのなら、500ルピー貰えないだろうか。それで記念に本を買うつもりだ。」 と言ってきた。 彼の案内料としては100ルピーが予算だったが、奮発して5ドルを渡す。350ルピーくらいだ。彼は500ルピーにこだわったが、5ドルで突っぱねる。 最後は握手して別れる。名前はスニ又はスノ。


サランコットへの近道を案内してくれた若者とコーヒーの木

  カンボジアのお寺で僕を案内してくれた、英語とフランス語が上手な高校生くらいの少年は、数千タイ・バーツを要求してきた。 4000カンボジア・リエルが約1ドルなので、数千リエルでも1、2ドルという感覚なのだ。一方、30タイ・バーツが約1ドルなのだ。

  つまり、バーツとリエルでは100倍の開きがある。リエルの安さが身についた旅行者が、リエルの感覚で手持ちのバーツでチップを払うことを狙ったものだ。 バンコク経由でカンボジアを訪れる旅行者が多く、彼らの持っているタイ・バーツを狙った詐欺的な手法だ。 そのときには警備員が来て、少年を追い払ったのだが、別れ際に僕は5ドルをあげた。それに対しても警備員は 「それは良くない」 と僕に注意した。

  彼と別れて、階段を登ると車道に出た。8時50分。急に目の前にマチャプチャレが真っ白で優美な姿を現した。頭上を軽飛行機が飛んでいく。 明日はあれでジョムソンまで飛ぶ。

  背中に巨大な水がめを背負い、両手にも水タンクを持った若い女性が坂道を登っている。背中の水がめは口まで一杯で、歩くたびに水が飛び散っている。 毎日、家まで水を運んでいるそうだ。右手に持っていた水タンクを持ってあげる。これだけでも2リットルはあるだろう。 僕が写真を撮ると、「スクール・ペンを下さい」 と手を出す。生憎、ボールペンは1本しか持っていなかったので上げられなかった。


水がめを背負って坂道を登る女性

  その女性の家を離れると、今度は少年が僕と一緒に歩いてくる。話しながら歩く。高校生で18歳。毎日、片道2時間かけて学校に通っている。 高校の授業は10時〜4時で、その後日本語学校に行く。高校は授業料が年間4000ルピー。日本語学校は月謝5000円 (3500ルピー)。 名前はクリシュナ・アディカリ。クリシュナはヒンドゥー神の名ですぐに覚えたが、アディカリはなかなか覚えられない。ガールフレンドはいるが彼女の年齢は知らない。

  10時頂上に到着。風が強い。頂上には展望台があるきりなので、少し下にある茶店に誘う。クリシュナはファンタを僕はミックス・フルーツ・ラシを注文。 30ルピーと85ルピー。サムザナ・ティムシナという美少女が茶店を切り盛りしている。クリシュナとは友達だという。二人の写真を撮る。 この茶店は小物ショップも併設していて、サムザナに勧められてヤクの毛で編んだ手袋を250ルピーで買う。 最初の言い値は275ルピーだったので僕が200ルピーというと250といい、それで妥協したのだ。若いが商売はなかなか上手だ。


サランコット頂上付近の茶店で。クリシュナ・アディカリとサムザナ・ティムシナ

  クリシュナと別れて、狭い道をペワ湖に向って下る。たくさんのパラグライダーが悠然と空を漂っている。鷹がパラグライダーに近づきその手に止まる。 あまりに近いので、「ハロー、僕の声が聞こえる?」 と叫んだが、返事は無かった。

  一軒の農家に赤ん坊を抱いた母親と少年がいた。少年は 「ナマステー」 と陽気に叫ぶ。母親は人生の苦難を背負ったような暗い眼でじっと僕を見つめる。 ヤギの群れを撮っていると少年が出てきて 「フォト、カメラ」 と叫ぶ。
  二人の小さな男の子が原っぱの坂を飛ぶように駆け抜ける。写真を撮ると、「何かお菓子を持ってない?」 と訊いてきたが、残念ながらお菓子は持っていない。


ペワ湖を見下ろす斜面を飛ぶように駆けていた子供

  小さな茶店があり、ラースト・ビュー・ポイントという看板がある。真下にペワ湖を見下ろす、開けた展望場所になっている。お婆さんと二人の少年が店番をしている。 コカ・コラを飲んで休憩。代金の35ルピーを支払うのに、500ルピー札を出すと、お釣りが100ルピーしかないという。 店番のお婆さんは、差額はチップでくれ、といっているような雰囲気。それはないだろう。 店にいた男の子に、「一緒に下まで降りてくれれば君に払う」、と言ったが、「あのお婆さんは本当の祖母ではない。 祖母の姉妹だから僕はそこまで手伝うことは出来ない」 という。


ラースト・ビュー・ポイント茶店。おばあさんと二人の男の子が店番

  困っていると、丁度若いドイツ人カップルが降りて来た。事情を話すと30ルピーを貸してくれた。大学生とナースのカップル。 「アジアは初めてか」 と訊くと、「昨年は1ヶ月モンゴルに行った。今回も一ヶ月の予定できた。17日間ジョムソン・トレッキングをした帰り」 とのこと。 彼らは飛行機を使わずに歩いて往復したのだ。「1ヶ月の休暇を取るのは簡単か」 と訊くと、「当然だ」、と不思議そうな顔をする。

  下のフルーツ・ジュース屋でマンゴ・ジュースを買って小銭を作り、30ルピーを返そうとすると、「いやいや要らない。他の旅行者にあげてくれ」 と受け取らない。 最後はテーブルに30ルピーを置いて 「ダンケ。アウフ・ヴィーダー・ゼーエン」 と言って立ち去る。


ペワ湖で洗濯をする女性

  2時にホテルに帰着。「宿泊費に込みの朝食はまだ食べれるか」 と訊くと、なんと、OKとのこと。ハイビスカスの咲く庭で、遅い朝食を食べながら、 スイス人女性と庭にいたカメレオンのことを話していると、僕のトレッキング・ガイドがやって来た。ナクル・リジャル。25歳。チェトリ族の中のリジャル族。


ホテルの庭にいたカメレオン?

  カースト制度では、ネアル族が作った食物は食べてはいけない。奥さんはゴルカ族。ネパールには何千もカーストがあるとのこと。 ブラーマンは僧の職業で最高位のカースト。結婚式では村人全員を呼ぶので、みんなが食事が出来るように、ブラーマンが料理をする。 水の入ったグラスを下のカーストの人が触ったらもうその水は飲めない。「同じ血が出るのでカーストはよくないと思う。」 と言う。

  牛肉は食べないのか、と訊いたら、カトマンズではOK。分かっていたら食べないが、知らなかったらOK。5ヶ月前まで日本で3年働いていて、 英語よりも日本語の方が達者。ネパールに帰ってすぐに結婚し、奥さんのおなかにはすでに5ヶ月の赤ちゃんがいる。 奥さんは23歳。大学で数学を勉強している。卒業後、数学教師になる予定。一番上のお兄さんは京都大学で博士号を取り、オックスフォードも出て日本人女性と結婚。 村はカトマンズの北のダディングの近くで、養鶏と農業をしている。兄弟は3人の兄と弟、妹が各1人、18人家族。

マオイストは40〜50%が支持している。

  シャワーを浴び、ナクルと一緒にトレッキング・ギアを借りに行く。トレッキング・ギアのレンタル料もグレート・アドベンチャーに支払い済みということを知らないようだ。 毛糸の帽子を150ルピーで買う。耳も覆えるカバーが付いていて、あごの下を紐で結べるようになっている。

  ダウンジャケットはあったが、寝袋は現在洗濯中で6時にホテルに持っていくという。その時間はマッサージの予約があるので7時半にしてもらう。 ナクルと別れて、マッサージを受けに昨日のビシュヌの家に向う。4時半着。鍵がかかっている。家の前に座って日記を書く。

  5時にビシュヌが帰ってきた。「もう来たの」。「出来たら今からして欲しい」。「お茶を飲んでからね。あなたも飲む?」 5時半になってもお茶が出来てこない。 イライラして 「お茶は要らない。今すぐマッサージを始めてくれ」、というと 「もうお茶の用意をしているから」 と悠然としている。
  「今日は絶食日だから何も食べていない。お茶は重要」 とのこと。僕はすぐ飲み終えたが、彼女は僕から借りたボールペンを使って、 新聞の迷路ゲームをのんびりとやっている。時々、音を立てて茶をすする。部屋は6畳くらいで薄暗い。 床は竹で編んだカーペットでひんやりして気持ちがよい。線香のよい香りが漂う。




停電と雑踏のカトマンズ

2008年3月19日(水)

  朝、ホテルの近くを散歩する。小さな祠があり、お婆さんが線香を焚き、手を合わせて拝んでいる。


路傍の神様にお供えをするおばあさん

  小さなお寺に入ってみる。一人の僧が手に持った鉦を激しく鳴らしながら、猛烈な勢いで寺の塀の内側に沿って歩いている。別の男が入り口近くで太鼓をたたいている。


鉦を激しく鳴らしながら、猛烈な勢いで寺の塀の内側に沿って歩く僧


ミトナ像がビッシリと彫り付けられたお寺

  ホテル2階の、スウェーデン女性たちの部屋の前のテラスで、ライラ (3月18日の原稿で紹介したイスラム教徒のスウェーデン女性) がタバコを吸っている。 朝食をテラスに持ってきてもらい、ライラと話しながら食べる。

  カトマンズ・ゲスト・ハウスの近くにある旅行会社を目指して歩いていると、男が寄ってきて、「ネパールには何日滞在する? トレッキングはするのか? 話だけでも聞いてくれ」 と言ってくる。彼をいなしてからカトマンズ・ゲスト・ハウスに行き、ガーデン・レストランのある庭の隅に立ててある掲示板を見る。

  KEEP の広告が貼ってあったので、広告を一枚取る。KEEP はカトマンズ環境教育プロジェクト Kathmandu Environmental Education Project という NGO で、 ここに行けば、無償で情報が得られそうだ。
  カトマンズ・ゲスト・ハウスの門を出ると、さっきの男が 「どこに行く?」 と言うので 「KEEPだ」 というと、「案内する」 と言い、先にたって歩き出す。

  ゴチャゴチャした狭い道をクルクルと回ってKEEPに連れて行ってくれた。2階の部屋にいたマネジャーみたいな人が、親切に情報を提供してくれた。 もちろん無料。「トレッキング・コースにはマオイストも山賊もいない。一人でもOKだが、あなたの年齢的なことを考えると、何かあったときのために、 ガイドを連れて行くことを勧める」という。一人で旅するよりも、ガイドと話しながらの方が、ネパール人の生の話が聞けて面白いかな、とも思ってきた。

  カトマンズからポカラまでバスで移動し、ポカラ ( Pokhara、ネパール・ガンダキ県の首都。 カトマンズから西に約200kmの位置にある人工約19万人のネパール第三の都市) で2、3泊して装備と情報を入手し、ジョムソン (アンナプルナという、 ネパール、ヒマラヤの中央に東西約50qにわたって連なる、ヒマラヤ山脈に属する山群の総称の中腹に位置する村) まで飛行機で飛び、 一週間かけてポカラに降りてくる、というのが大体の構想として固まってきた。あとは、ガイドを雇うかどうかだ。

  KEEP の売店で、1リットルの水に一粒入れれば殺菌して飲み水に変わる、という薬とアンナプルナの地図を買う。 「せっかくだから、お前の会社でポカラまでのバスとジョムソンまでの飛行機の切符を買ってやる」、とここまで案内してくれた男の旅行会社に行くことにする。

  彼の案内で、グレート・アドベンチャー・ツアーに着く。2階の奥まった部屋の肘掛け椅子でふんぞり返っていたマネジャーみたいな人からいろいろ説明を受ける。 「一週間では足りない。10日間必要だ」、と言われる。結局、ポカラまでの往復バス、ポカラからジョムソンまでの飛行機のほかにポカラのホテル3泊と10日間のガイド、 寝袋とダウンジャケットのレンタルも頼むことになった。日本から持ってきたトレッキング用品としては、 昔ニュージーランドで買ったシューズとペラペラのビニール・ザックくらいだ。

  ガイドは一日15ドル、僕の一日の食費 (飲み物代は別) と宿泊費は16ドル、全部で38883ルピーとなった。5万円ちょっとというところだ。 現金の持ち合わせが無いので、翌日支払うことにして店を出る。


タメルの雑踏

  タメル→アソーク・チョウク (古くからあるカトマンズのマーケット) →オールド・パレス (タメルの西にある旧宮殿) と市内観光する。


お面屋

男が白檀 (?) 製の笛を売りに近寄って来た。買う気は無かったが、値段を訊くと、最初2500ルピーと言ったのがすぐに2000ルピーに下がった。 次第に値段を下げながら、ずっと付いてくる。冷やかしに 「ちょっと吹いてみてくれ」 というと、神妙な顔をしてヒャラヒャラと吹いてくれた。 そんなに悪い音でもないが、とりわけ良い音というわけでもない。「お前も吹いてみろ」 と笛を差し出してくれた。


しつこく付いてきた笛売り

  オールド・パレスの近くに木製のミトナ (ヒンドゥー美術の彫刻。男女交合像) の彫り物がたくさん飾ってある寺があった。 カジュラホー (インド) のミトナ同様、いろいろな体位のセックスを描写している。カジュラホーは石に彫ってあるがこちらは木製だ。 僕がデジカメにミトナを納めていると、笛売りが近づいてきて、「こんなのはこの辺のお寺に一杯あるよ」 と言う。 ついでに、「この笛、いくらなら買うか」 と言うので、「 100ルピー」 と答える。「ノーノー1000」。「 100」。「ファイナル・プライス500」。「 100」 と僕が譲らないので、 最後は 「あっちに行け」 と言われてしまった。お前が勝手に付いてきたんだろうが。


こんなのがいっぱい

  カトマンズの街にはところどころに広場があり、そこが市場になっている。その市場から放射状に6本くらいの道路が広がっている。 どの道路も狭く、人でごった返しているので、よほど注意しないと、どの道路から来たのか分からなくなってしまう。メモ代わりに、来た道への入り口をデジカメに記録する。


これはどう見ても豆腐だ


お寺の石段でのんびりする人たち

  どこかの市場の真ん中の島にいた警察官に道を尋ねた。ついでに、一緒に写真をとってもいいか、と訊くと、大きく手を振って 「ノーノー」 と立ち去ってしまった。 成都で見た、物々しい武装警官の姿と比べると、明るい迷彩服のこちらの警官は何となくのんびりした感じだ。 警棒しか持っていないようだったので、「銃は持っているのか」、と訊いたら、 「俺は持っていないが、持っている警官もいるよ」 といってピストルを持った警官を連れてきてくれた。

  オールド・パレスの中はミュージアムになっていて、歴代の王族の写真なんかが多数飾られている。上の階の壁はメッシュ状になっていて、斜めにせり出している。 そのため、通気性は非常に良いし、外の景色も良く見える。

  寺の軒下で魚の干物や花、みやげ物などを売っている。寺の塔の一部を形成する階段にのんびりと座っているカップルもいる。
 

お寺の軒下で商売をする人たち

そのあたりのローカル・レストランでモモとペプシコーラを注文する。モモは皿に9個載っていて、真ん中にカレーを入れた小皿が載っている。 モモは外見は餃子そのものである。全部で40ルピー。


モモ

  ブルー・ホライズン・ホテルの近くの大通りで、ホテルのマネージャー氏にバッタリ遭う。「トレッキングの打ち合わせをしよう」、と言うので、 「すでに別の旅行社に申し込んだ」、と言ったら、「ショックだ。そんなら入山許可は自分で取ってくれ」、と言うので 「OK」 と売り言葉に買い言葉。

  「本来なら60ドルの部屋を20ドルに負けてやったのは、トレッキングをホテルで予約してくれることを期待してのことだ。 このことは他の客やホテル・スタッフには言わないでくれ」。「ポカラに出発するときにも、旅行会社の車を使わずに自分で歩いてバス亭まで行ってくれ。 今度うちに泊まるときには20ドルにはできない」 と言われる。マネジャーはもはやカモではなくなった僕に対して、すっかり態度を変えた。

3月20日(木)

  カトマンズでは毎日停電がある。朝起きると、まず、停まっている。12時から再開、ということが多い。夕方や夜にも停まる。一日に6時間。大体3時間ずつ2回。 いつ始まるかは日によって違う。何曜日は何時から何時まで、と言うように、シフト表があるようだが、複雑で憶えきれない。

  通りを横切る人を狙って、少年がポリ袋に水を入れた水球を投げつける。若い女性がターゲットになる。うまく命中すると、沿道の男たちは拍手と笑い声を上げる。 カップルで歩いていた金髪の女性の肩にも命中して、背中が水浸しになる。しかし、金髪女性はピクリとも動かず、しばらくして平然とそのあたりを手で払いのけただけだ。 今日はとうとう僕もぶつけられた。ビルの5、6階から投げている男の子もいる。

  「地球の歩き方」 にタンドリ・チキンが絶品、と紹介されていたアンナプルナ・レストランを目指す。 その場所に来ると、レストランの看板は残っていたが、土産物店に変わっていた。看板の下に立っていた男に確認したら、「レストラン・フィニッシュ」 と言って、 手で×印を作った。

  仕方が無いので、道を引き返していると、タメル・チョウク近くの少し広場になったようなところにローカル・レストランが見えた。 小さな店だが、結構客が入っている。入り口の近くにはモモを煮る大きな鍋も見える。ガウリ・シャンカール・レストラン。

  店に入って、空いたテーブルにすわり、何を食べようか、と食べ物が盛られた皿が並んでいるカウンターの前に立って、しげしげと眺めていた。 近くのテーブルに座っていたネパリ (ネパール人) が 「それ、イモ」、「何ですか」 とカタコトの日本語で話しかけてきた。 「それは漬物」、「ここへ座れ」、と4人用のテーブルに一つだけ空いていたイスを譲ってくれた。

  男が二人と女性が一人。一人の男は石川県と町田に1ヶ月、もう一人の男は8ヶ月日本に住んでいたそうだ。 二人ともミュージシャンだそうで、サヌ・ガンダルバと名乗る男がムチュンガを演奏してくれた。もう一人がムクン・ガンダルバ。 ガンダルバはミュージシャンのカーストだ。サヌがムチュンガを口にくわえてビョン、ビョンと良い音で奏でる。

  気に入ったので、彼が持っていたキーの異なる5本セットのうちの1本を1200ルピーで譲ってもらった。ついでに彼らの演奏が入っているCDも700ルピーで購入。 もう一つ持っていたバイオリンのような楽器も弾いてくれたが、こっちの音は安っぽい。こっちは5000ルピーだと言ってきたが、持って帰るには大きすぎる、と断る。

  一緒に座っていた女性は弟の奥さんとのこと。ネパリの兄弟とか姉妹とかいうのは、怪しい。 血縁が無くても、年下の男性は弟、年下の女性は妹と呼ぶので、よく分からないのだ。この店の女主人と若い美人が働いている。 美人は女主人の兄の娘だそうだ。名前はレヌ・ラマ。女主人によると、ガンダルバは音楽などのビジネスをやる、とのこと。

  漬物を一口食べて 「辛い!」 と顔をしかめたら3人が笑って喜ぶ。サヌが漬物の中から唐辛子を脇に取り除いてくれ、スプーンで僕の口に入れてくれた。 今度は大丈夫だ。モモとジャガイモと漬物とレモンティーを頼む。250ルピー。所持金が230ルピーしかなかったので、サヌが20ルピーを出してくれた。 6時過ぎまで一緒に食事して店を出る。7時から別の高級レストランで演奏をするのだと言って、別れ際にそのレストランのパンフレットを渡してくれた。

  チベットゲスト・ハウスに行ったが、満室で部屋を見ることは出来なかった。「地球の歩き方」 を見せると20%ディスカウントしてくれることを確認する。

  ネット・カフェの後で、ガウリ・シャンカール・レストランで Tuborg Beer を飲む。180ルピー。 セクワというバッファローの干し肉とタマネギの刻んだもので作った料理をツマミにする。これは60ルピー。肉は硬いが脂肪分が少なく野生的で美味。 エベレスト・ビールは無い。「ツボルグはネパールのビールか」、と訊いたら、「そうだ」、という。ラベルを見るとデンマークと書いてある。

  女主人の10歳の娘と5歳の息子がいる。息子は日本のゴミ袋に使うような黒いポリ袋の端を口にくわえて回転させて空気玉を作り、 自分の頭にぶつけてパチンと破裂させて遊んでいる。姉が止めさせようとして頭をたたくと反抗して姉の胴体をぶつ。 この男の子は3歳くらいにしか見えない。「高い高い」 をすると喜んでくれる。姉は10歳なのに7年間学校に通っている。5歳の弟も3年間学校に行っている。 ネパールでは2、3歳で学校に上がるという。

  このレストランの家族は以下の4人。
  ランバート・ラマ:女主人の夫
  ソルミラ・ラマ:女主人
  ビニタ・ラマ:10歳の娘
  ビゼイ・ラマ:5歳の息子

  ラマは仏教徒。ネパールには36のカーストがあり、ファミリー・ネームがカーストを表す。また、カーストによって宗教は決まっているようだ。 私はラマだから仏教徒、彼はガンダルバだからヒンドゥーという具合。カドカはヒンドゥーだそうだ。

  グレート・アドベンチャーで1時間交渉。昨日と話が違う。昨日はジョムソンでガイドを雇うと言っていたが、「ジョムソンにガイドがいないことが分かったので、 カトマンズから連れて行く」、という。「ついては、ポカラからジョムソンへのガイドの飛行機代25ドルを追加で払ってくれ」 と言う。 ルドラ (ネパールのジャーナリスト。1年半前に、アムネスティ・インターナショナル・ジャパンの招請で日本の数都市を訪問した際、 私が名古屋のアテンドをした) のいるネパールガンジにも行くことになったので、行程を9日間に短縮する。

  一日短縮したので、以下がコストダウンになるはず、と交渉する。
  ガイド15ドル
  トレッキング・ギア・レンタル料2ドル
  食費15ドル
  宿泊費1ドル
  ポカラ→カトマンズのバスを距離が近いポカラ→ルンビニに変更したので、バス代が安くなるはず。これは5ドルと算定。
  コストダウン合計38ドル。追加費用の25ドルと差し引いて、13ドルをバックしてもらう。ガイドの飛行機代に税金がかかると言ってきたが、これは出さないと押し切る。

  ATMで金を引き出そうとしたが、1台目は引き出せない。2台目は1万ルピーが限度。3台目で3万ルピーを引き出せた。

  ブルー・ホライゾン・ホテルのレセプションの男に、「あなたはネワールか」 と問うと、「私はブラーマン (筆者注:僧の職業で最高位のカースト) だ」、と胸を張る。 「ではヒンドゥーか」 と訊いたら、「自分はそうだが、今では全てのブラーマンがヒンドゥーというわけではない。仏教徒もイスラム教徒もいる」、との返事。

  小さな店で寝酒用のワインを買う。スペイン・ワイン375ルピー、12個入りのスウェーデン製チーズ295ルピー、ピスタチオ85ルピー。