歴史を作った沖縄県民大会
田場祥子
9月24日〜10月1日、沖縄県名護市辺野古を訪れました。辺野古に造られようとしている海上基地の建設を阻止するためです。
2004年9月に訪れてから今回で11回目となります。今回は米軍の北部訓練場・国頭郡東村 (ひがしそん) 高江のヘリパッド建設阻止行動にも参加し、
N-1ゲートで座り込み、寝袋で一夜を明かしました。このあたり山原 (やんばる) は生物の宝庫といわれるほど多くの動植物が棲息しているところです。
9月29日、沖縄県宜野湾市の海浜公園で、 ’06年度の高校歴史教科書検定で沖縄戦における 「集団自決」 に軍の関与は無かったと削除・修正された問題で、
「教科書検定意見撤回を求める県民大会」 が開催されました。
私も名護市辺野古の海上基地建設阻止行動の仲間たちとテント村で海上の監視行動をした後、
12時半に用意されたマイクロバスにおじぃ、おばぁと一緒に乗り込みました。
バスには命を守る会の黄色の幟や横断幕、辺野古への座り込み要請のチラシ10,000枚や、おじぃ、おばぁが会場で座る椅子、夜食用のおにぎりなどが積み込まれました。
国道は混んでいましたが、どの車も宜野湾に向かっていると思うとそれも嬉しいことでした。
途中の休憩所の伊芸では、本部 (もとぶ…名護市西側) の友人に声を掛けられ再会を喜びました。
彼女はお年よりのために町に県民大会へ行くバスを要請したのですが、良い返事が貰えなかったところ、高校がバスを貸してくれたといって町の人と乗り込んでいました。
3時開催の会場には2時過ぎに着きましたが、もう前の方は一杯で、まとまって座れるのは後ろだけになっていました。
おじぃ、おばぁたちに椅子を並べ、のぼりの用意などをして落ち着きましたが、残暑続きの沖縄の暑いこと。
若い船長がパラソルをたてて、おじぃ、おばぁたちの上を覆っていました。
会場は見る見る人々で埋っていきました。他の集会と違うと思えたところは、幟が組合や団体のものだけでなく、いろいろな町のものが見られたことです。
なるほど全市町村で 「検定意見撤回」 の決議が採択されただけのことはあります。
途中で号外も発行され、私も琉球新報を手に入れることが出来ました。私は当初チラシ配りの役目がありましたが、
「田場さんはおばぁたちのトイレの世話をしてあげて」 と言われ、ビラ撒きは出来ませんでしたが、10,000枚のチラシは直ぐにはけたようです。
さすが参加者11万人です。同時開催の宮古島や石垣島も合わせると11万6000人でした。この人数は沖縄県民の約10%に当たります。カンパも半端でなく678万円とか。
3時に 「平和の火」 をともした中学生たちによるトーチが会場に入り点火しました。
仲里利信実行委員長 (県議会議長) は、不退転の決意で教科書検定意見の撤回を求めていくことを誓い、
「今こそ県民が一丸となって立ち上がり、教科書から沖縄戦における軍隊の削除に反対しよう」 と挨拶しました。
会場の人々はわが意を得たりというような拍手で、その決意を迎えました。個人的には挨拶の中に 「英霊」 という言葉を使っているのが気になりましたが…。
続いて仲井真弘多知事は、「集団自決の日本軍の関与は隠すことの出来ない真実である」 と述べました。
県民の怒りを知った後、態度を豹変させたというイメージが定着しているのでしょう。拍手はありましたが、その程度でした。
あとから、知事に拍手を送る人がいるなんて考えられない、という厳しい意見も聞きました。
読谷高校の2人のメッセージは、若い率直な、真実を知りたいという思いに溢れた力強いものでした。
佐喜真美術館にある丸木位里・俊さんの沖縄戦の図・チビチリガマに描かれている悲惨さ…それが誰によるものか…、
を聞かされて育ったであろう彼等には、ウソは要らないと言える基盤があると思いました。
大会は終わりになろうとしているのに、まだまだ会場に向かっている人々が大勢いるという案内がありました。
みな自分の思いを参加することで伝えたかったのですね。
大会決議要旨 「文部科学省の教科書検定によって 『集団自決』の記述について日本軍による命令・
強制・誘導等の表現を削除・修正させているがそれは歴史を歪曲しようとするものである。
このため今まで口を閉ざしていた多くの体験者が子供たちに誤った歴史を教えることの危機感から、辛い体験や真実をようやく語り始めている。
教科書は未来を担う子供たちに真実を伝える重要な役割を担っている。
沖縄県民は本日の県民大会において、県民の総意として、国に対し今回の教科書検定が撤回され「集団自決」記述の回復が直ちに行われるよう決議する。」
歴史的な県民大会に参加できてよかったと思っています。
東京に帰ってから、沖縄県民の怒りを感じ取った政府が動き出す様子が感じられました。
一気に撤回させましょう。ある学者は修正前の意見にさらに付け加え充実させたいと語っていました。歴史は自分たちで作るものだという思いを新たにしました。


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