2009.6.29

北朝鮮の核とミサイルにどのように対抗するか

弁護士 大久保賢一

  問題意識 「一方聞いて沙汰するな」
  朝鮮民主主義人民共和国 (以下、北朝鮮と表記する) が、また、核実験を行い、短距離ミサイル発射実験を繰返している。この事態に賛成する者はいない。 不安や脅威や憤怒を感ずるだけでなく、何とかこの事態を解決したいと考える人がほとんどである。もちろん、私も、核実験にもミサイル発射にも反対であるし、 このような事態は早急に解消されなければならないと考えている。
  そうすると、問題は、どのような方策でこの事態にあたるかである。そのためには、北朝鮮が、なぜこのような事態を惹き起こしているのか、 その理由と背景事情を知る必要がある。そもそもどのような行為であれ、そこには動機や獲得目標があるはずだからである。 そのことを冷静に見ないで、「ならず者国家」 だとか 「不良国家」 などと決めつけたり、「北の脅威」 を煽って制裁や軍事的対応を言い立てるだけでは、 事態は一層深刻化し、解決は遠ざかるだけであろう。
  そこで、ここでは、北朝鮮がなぜこのような行動に出ているのかについて、その主張を追ってみることとする。「一方聞いて沙汰するなと」 いう格言があるからである。 もちろん、その主張が真意かどうかは判らないし、鵜呑みにすることもできないかもしれない。 けれども、最初から 「あいつの言うことはすべて嘘だ」 といってしまえば、そこには信頼どころか対話すら成り立たないであろう。 「平和的な人工衛星の発射」 だと言っているのに、「ミサイルの発射」 だとして国を挙げての 「迎撃態勢」 に入れば、話合いの前提は失われるであろう。 その前提を掘り崩しながら 「六カ国協議の再開」 などを主張しても、それこそ 「正常な思考力」 を疑われるであろう (「朝鮮新報」 電子版5月27日付 「論調」)。 「何をする国か分からない国だ」 と脅えるよりも、かの国がどのような発想と論理で動いているのかを探求し、その対処策を構築することこそが求められているのである。

  核実験の理由
  北朝鮮は、「今回の核実験は、先軍の威力で国と民族の自主権と社会主義を守り、朝鮮半島と周辺地域の平和と安全保障に貢献するだろう」 としている (5月25日)。 その背景には、「平和目的のための人工衛星打ち上げ」 を問題視した国連安保理の議長声明を「朝鮮の自主権を侵害し、朝鮮人民の尊厳を冒涜した措置」 と評価し、 六カ国協議への不参加を表明し、自衛的核抑止力の強化を図るという政策を選択したことがある。「六者協議がなくなって非核化プロセスが破綻しても、 朝鮮半島の平和と安全は先軍の威力で守っていく。」 というのである (4月14日)。また、北朝鮮は、安保理が謝罪しなければ、 核実験や大陸間弾道ミサイルの発射実験を含む自衛的措置をとるとしていたのである (4月29日)。
  ここには、核とミサイルで 「国家の自主権」 と 「民族の尊厳」 を守るという姿勢を読み取ることができる。 核を自国の安全保障の 「切り札」 とするということである。合わせて、北朝鮮は、六カ国協議への幻滅と国連安保理への不信をあらわにし、 あえて 「孤立」 を選択しているのである。
  そうすると問題は、一つには、北朝鮮が、国家の自主権と人民の尊厳を核とミサイルで守ろうとすることは理不尽なのかということと、 二つには、北朝鮮が、六カ国協議や安保理に信頼をおかないのは何故なのかということになる。

  国家の自主権を守るということ
  国家の自主権と人民の尊厳を守ることは、国家と国民の安全を保障することであり、政府の主要な任務である。 領土を保全し、人民の安寧を確保することは政府の存在理由である。米国も日本も国家と国民の安全保障には全力を挙げているところである。 北朝鮮にだけ、そのような国家目標を持つなということなどできない。しかも、国家の安全保障を核兵器とミサイルで確保しようとしている国など世界中にたくさんあるし、 米国はその典型例である。日本も米国の 「核の傘」 に依存し、核兵器の必要性を承認しているのである。 加えて日米両国とも民衆の生活よりも軍事費・防衛費を優先している国である。北朝鮮の 「先軍政策」 と大同小異である。 にもかかわらず、なぜ、北朝鮮が自国と同じ政策を取ることには反対できるのであろうか。
  そもそも国連憲章は、「すべての加盟国の主権平等の原則」 を基礎におき (2条1項)、「人民の同権および自決の原則」 を尊重しているところである (1条2項)。 国連加盟国である北朝鮮に対して一方的に 「武装解除」 を迫る国際法上の根拠はない。 自らの核依存政策は棚に挙げ、北朝鮮の核保有を非難することは身勝手以外の何物でもない。 もし、北朝鮮の核政策を非難するのであれば、自らの核とミサイルを放棄することを約束してからそうすべきである。

  北朝鮮の不安
  加えて、北朝鮮には特別の不安がある。米国が北朝鮮敵視政策をとっていることである。米国は北朝鮮を 「ならず者国家」、「悪の枢軸」 と名指ししてきた。 北朝鮮に対する先制攻撃を仕掛けようとしたこともある。米国は、北朝鮮の現政権が崩壊した後の軍事対応策 (「作戦計画5029」) まで用意しているのである。 北朝鮮にとって米国は最大の脅威なのである。北朝鮮にとって、米国の脅威は杞憂なのだろうか。それとも具体的対応が求められる現実の脅威なのであろうか。
  北朝鮮が米国に脅威を覚えることは、無理からぬところであろう。なぜなら、米国に睨まれれば、大量破壊兵器など持っていなくても持っているとされ、 「テロの温床」 だと決めつけられ、その政府は 「非民主的な独裁政権」 として圧倒的な軍事力で打倒され、国土は米国の占領下に置かれるのである。 この事実は誰でも知っていることである。
  その米国の強力を知っている北朝鮮は、「いわれるままに IAEA の査察に応ずることは、戦争の犠牲者になることであるという教訓を、イラク戦争は教えてくれた。」、 「強い国際世論も、大国の反対も、国連憲章も米国のイラク戦争を止めることはできなかった。 物理的な抑止力、すなわちいかなる洗練された兵器による攻撃も完全に撃退できる抑止力を有していない限り、 戦争を防ぎ、国家主権および国家の安全を守ることはできないことは、イラク戦争の教訓であった。」 としているのである (2003年の 「世界人民との連帯朝鮮委員会」 のプレスリリース。「地球の生き残り」 62頁)。
  北朝鮮は、国際世論や国連憲章を信頼しても、自国の安全保障を確立することなどできないと考えているのである。 国連憲章を信じられないのは、それがあっても米国の武力行使を阻止できないからである。 その下にある安全保障理事会や米国の影響から免れることのできない六カ国協議ではなお更頼りないのであろう。 北朝鮮は、国際社会なるものが、米国の武力行使を制止できないことを知っているのである。その国際社会に自国の命運を託すことは 「自殺行為」 と考えているのである。 こうして、北朝鮮は 「核武装」 と 「孤立」 の道を選択したのである。

  米国の北朝鮮政策は変わったのか
  ところで、北朝鮮は、オバマ政権発足後100日間の政策動向を見極めた上で、「オバマ政権の対朝鮮敵視政策にはいささかの変化もない。 我々を敵視する相手と向き合っても、生まれる物は何もない。朝鮮が自ら選択した思想と制度を消し去ろうというのが米国の朝鮮政策の本質だ。 朝鮮を 『暴政』、『不良国家』 などと前政権の敵対的な発言をそのまま受け継いでいる。」 としている (5月8日)。 「スマート外交」 だとか、「核兵器のない世界を目指す」 などといっても、北朝鮮に対する政策は何ら変化がないと評価しているのである。
  そこで 「核抑止論」 が復活したのである。「核兵器の保有はわが国の安全保障に不可欠である」 との思考と行動である。 この 「核抑止論」 は、米国も日本も採用している政策である。オバマ大統領は 「核兵器のない世界を目指す」 と言うものの、 核兵器がなくなるまでは抑止力は持つとしているし、日本政府も米国に 「核の傘」 をはずさないでくれとしているのである。
  北朝鮮は、六カ国協議や国連安保理による国家の安全保障ではなく、米国や日本と同様に、核兵器とその運搬手段の力に依拠しようとしているのである。

  最悪のシナリオ
  このままでは、北東アジアにおいて、核兵器の応酬が現実化する恐れがある。米軍再編によってグァムに移転した米軍爆撃機が北朝鮮に攻撃を加え、 北朝鮮のミサイルが届かない米国は核の反撃を受けないが、同盟国日本は核ミサイルの反撃を受けるという最悪の事態が想定されるのである。 そのシナリオの中で、北朝鮮も壊滅的打撃を受けるであろう。北朝鮮は、それを望むわけではないが、自国の独立や民族の尊厳がなくなるのであれば、 滅亡を選ぶということなのであろう。その際には、韓国と日本にも大きな傷跡が残るであろう。「死なばもろとも」 という言葉を思い出す。 まさに 「瀬戸際外交」 を展開しているのである。北朝鮮がこのような 「覚悟」 をしているのであれば、いかなる軍事力も抑止力として機能しないであろう。
  他方、北朝鮮に対する先制攻撃を仕掛けようという意見が強くなっている。「敵基地先制攻撃論」 といわれている。やられる前にやってしまえ、という発想である。 北朝鮮のミサイルを日本に到着する前に打ち落としてしまうという計画もある。「ミサイル防衛 (MD) 計画」 である。 この手の発想は、人工衛星の打ち上げまで、ミサイル発射としてしまうのである。これらの発想の共通項は、北朝鮮との関係を武力で解決しようとすることにある。 もちろんそのために邪魔な憲法9条を改定することになる。この発想は、行き着くところ、核戦争も辞さないということにも繋がるであろう。

  最悪の事態回避のために
  私は、このような最悪の事態は絶対に回避しなければならないと考える。そのために求められることは、 第一に、国連憲章の根本理念である 「国家主権の平等」 と 「各国人民の自決と同権」 を基礎において事に当たることである。 北朝鮮の政権がどのようなものであれ、他国がそれに干渉することは、国際法上許されていないのである。 そのことを前提として、北朝鮮敵視を改め、北朝鮮の不安を取り除くことである。北朝鮮の不安を取り除くことは、とりもなおさず、 「北の脅威」 を取り除くことに繋がるであろう。このような政策転換が行なわれて始めて対等平等な協議が可能となるであろう。
  第二に、軍事力で問題を解決するという姿勢を放棄することである。北朝鮮に対する軍事力の行使をしないことを約束することである。 国連憲章は、「政治的独立に対する武力の行使」 を禁止している (2条4項)。 米国が、北朝鮮に対して、アフガニスタンやイラクにしたような事はしないと約束すればよいのである。米国が国連憲章を尊重すればよいだけの話である。 また、戦争により殺され、傷つき、あまたの不幸を強制されるのは、いつの時代も人民大衆である。 日本は、憲法9条を国際社会の規範とするよう努力しなければならないのである。
  第三に、北朝鮮の核兵器を恐れるのであれば、核兵器廃絶のための国際的な政治的・法的枠組みを早急に確立することである。 核拡散を防ぐ根本的な対策は、完全な核軍縮であり、核兵器を廃絶することである。それを目標として、当面、核兵器の先制使用はしないことを宣言し、 北東アジアを非核地帯とし、「核兵器禁止条約」 の制定を目指すことである。
  北朝鮮の核実験とミサイル発射実験を阻止できるのは、北朝鮮に対する制裁でも軍事力依存でもない。 そのような対応は、むしろ事態を危険な方向に導くことになる。根本的な対処策は、核兵器とミサイルに依存しなくても 「自国の自主性と民族の尊厳」、 即ち 「国家と国民の安全保障」 を確保できるという信頼を相互に醸成することである。それが実現しない限り、最悪のシナリオを書き直すことはできないであろう。 国連憲章・国際法の遵守と、日本国憲法9条の国際規範化が求められているのである。
(2009年5月29日記)
自由法曹団 機関誌 「団通信」 1311号掲載