2009.10.2

大学生70日間世界旅日記
〜イースター島編〜
相川 和真
目次

  17日、リマからのフライトで朝の6時頃にサンティアゴに到着。イースター島へ向かう国内線へ移動している最中にどこかで財布を紛失。 必死で探すも見つからなかったので、仕方なくイースター島へのフライトに乗る。これ以降は一緒に行ったやつから金を借りながらの旅になる・・・

  昼頃に到着し、空港で勧誘をされた宿に泊まることに。一泊US20$。安くも高くもないまあまあの値段だったのでここに決めた。

  荷物を置いて、街を歩く。イースター島の雰囲気は沖縄の離島である座間味に似ていて、時間の流れがすごいゆっくりだった。 チリの首都サンティアゴまで約4000q離れているので、まさに絶海の孤島という感じだ。気温は、半袖で十分なくらい暖かかった。 ふらふら歩いていると、モアイ像の近くで少年がサッカーをしていた。ボールがこっちに来たので蹴り返すと、その少年は笑顔でこっちに蹴り返してきた。 お互いがただボールを蹴り合っていただけだったが、その時間がとても楽しく思えた。


イースター島の海岸線

  その後、海岸沿いを散歩していたが、ただぶらぶらとしているだけで心地よかった。夕方過ぎに宿の近くまで戻って、食料を買った。 輸送費がかかるのか、物価が異常に高かった。細かい値段は忘れたが、1食食べるのに日本で昼食を食べるのと同じくらい高かった。 大体チリ本土の2〜3倍位だったと思う。なので、一番安くて簡単なパスタを購入。 宿のキッチンで調理し、少し物足りなかったので日本から持参した緑茶とインスタント味噌汁を食べた。久しぶりの日本の味に感動した。

  食後は風呂に入ったが、なんと水しかでない・・・。宿を決めるときに確認した時はホットシャワーが出たが、たいていの場合この確認は意味を持たない。 というのも、確認するのは大体太陽が出ている時なので水温も多少は温かくはなっているし、 しかもわずかな時間確認するだけなのでそれが継続的に出る保証にはならないからである。

  さすがに夜は冷えるので、体にはかけられず頭だけ洗った。

  夜になるとイースター島の魅力がさらに増える。外に出てみるとまさしく満天の星空。見たこともないくらいの数の星で天然のプラネタリウムだった。 光のもや(星雲?)みたいなのも見られ、その光景は人生でトップ3に入るくらい感動した。 話を聞くと、どうやらイースター島にはモアイではなくこの星空を目当てに来る人も多いそうだ。 地理的に天候が変わりやすく、雲が全くないと思っていたら、たちまちどんよりとした曇り空になってしまうことが多いらしい。 なので1週間滞在しても天候に恵まれず、星が見られなかったという人もいるくらいで、たった2日の滞在で星を見られた僕らはけっこう運が良かった。

  その後は宿に戻り就寝。

  18日、朝9時頃起床し、海岸沿いに15体が並ぶ有名なアフトンガリキのモアイを見に行くことに。メディアなどでよく見るモアイはまさしくここのモアイであり、 僕たちのモアイ像のイメージの元になっているのがこのアフトンガリキのモアイ像群だ。それらのモアイを見る現実的な手段はツアーしかなかった。 しかしツアーは高いので(確か一人200ドルくらいしたはず)自力でいくことにした。
  一番安くいける方法はレンタサイクルだったので、無謀にも宿からアフトンガリキのモアイ像までの片道20qを自転車で向かうことにした。 海沿いの整備されていない砂利道を灼熱の太陽を浴びながら延々と走る。途中何台もツアーの車が横を通り過ぎていったが、めげずにひたすら自転車をこぐ。 1時間半ほどかかって到着。15体が一列に並ぶモアイは圧巻だった。ちなみにこのモアイ像は1960年のチリ沖大地震による津波で全て倒されてしまった。 そして1988年に日本のTV番組 「世界ふしぎ発見!」 でイースター島が取り上げられ、そのTVを見た日本の企業 「タダノ」 がこのモアイ修復に協力した。 その甲斐あって1995年に15体全てのモアイ像が修復され、今に至っている。そのためこれらのモアイ像の横には日本語での説明があった。


横たわったモアイ


アフトンガリキのモアイ

  そのほかにたいしてみるものもなかったので、10分程いた後、来た道を再び自転車で戻る。この日は疲れたので宿に戻ってすぐ寝た。

  19日、この日は次の街へ向かう日だったので朝から空港へ。特に何をするといったこともなかったので、ずっと空港で待機していた。 次の街はチリの首都であるサンティアゴだ。


イースター島の先住民の墓