2012.10.27

アラスカ ベア・ビューイングの旅
クマと人の共生をめざして 2
榛田敦行


クマを観察するベア・ビューイングの参加者のようす
  「ベア・ファースト」 のキャンプ
  私が参加したキャンプは、ベア・ビューイングをおこなっている企業ではもっとも老舗のうちのひとつ。 キャンプ生活もエコフレンドリーをこころがけており、規律もきびしかった。
  はじめてクマを見に出かけるとき、ガイドからキャンプでの優先順位が示された。第一に守るべきは参加者の安全。 第二は、ここで暮らすクマたちが、本来の姿のまま邪魔されずに生きていくこと。第三が、参加者が良い写真をとったり、良い体験をすることである。 ちょうど同じ時期に、自然ドキュメンタリー映画の撮影で、カメラマンやクルーがキャンプに滞在していた。 しかし、撮影の成功は、クマの日常をまもることよりも優先順位が下らしい。「ベア・ファースト」 は、そのキャンプの理念のようだった。

  具体的には、まず、食料は 「食堂」 とされている大型テントから外に持ち出すことを禁止されている。 自分がキャンプにもちこんだ食料も 「食堂」 にあずけなければならない。 昼食用に持ち歩くサンドイッチとお菓子は唯一の例外として 「食堂」 から持ち出せるのだが、ジップロックにいれて、においをもらさないようにする。 どれも、クマに人間のもっている食料の味やにおいを教えないための対策だ。
  キャンプをでて移動するときは、パーティの先頭は必ずナチュラリストのガイドがつとめる。決してガイドより前に出てはいけない。 パーティは6〜7人くらい。パーティの人数が多すぎるとクマをおどかすことになるし、ガイドの指示がいきわたらないというのもあるのだろう。

  ガイドは参加者に細かく指示を出す。クマに近づくときはガイドの後ろから広がらずに1列ですすみ、クマを観察する時は小さくまとまって座る。 これらはクマをおびやかさないための配慮だという。また、見通しのよくないところを通る時はもちろん、クマとの距離が近いときは、 見晴らしのよいところでも、ガイドが 「ヘイ、ベア!」 とよびかけてクマに私たちの存在を伝える。 これらの配慮によって、クマはこちらを見ることはあっても、ほとんど興味を示さない。
  人間は危害をあたえる存在ではないとクマに伝え、人間を襲うことで食料などのご褒美がもらえるということも決してクマには学習させない。 また、「はちあわせ」 などの偶発的な事故もおこさないように細心の注意を払っている。


スゲの草むらでは、大きなブラウン・ベアがあちこちで草をはんでいる

  柵もなしにクマのそばで同じ時間をすごす
  そういう環境でクマを見た。
  白夜で、夜も日の沈まない極北の空。あたり一面がクマの好物であるスゲの草むらだ。 そのむこうには氷河がつくりだす大きなカール(氷河に削られた地形で、スプーンですくったように削られている地形)をかかえた山々が、 残雪をたくわえてそびえたつ。体重二百キログラムはゆうにあるだろう、大きなブラウン・ベア(北海道のヒグマの近縁種)が何頭か、草むらにちらばって、 おだやかに草をはんでいる。その風景は、まるで馬や牛が草を食べている牧場のようだ。 ときどき、クマは前ぶれもなしに、その場で尿や糞を排泄する。尿の飛ぶ方向で、メスかオスかがわかる。前に飛ぶのがオス。真下に落ちるのがメス。 これはガイドに教えてもらった判別法だ。

  クマたちは、まるで無防備で、まったく警戒心が感じられない。ごくまれに頭をあげてそっと横をむく。それは、近くに別のクマが来たときだ。 自分よりも強いクマなら、その場をそっと離れる。気づかずに草を食べていると、強いクマに、うなり声をあげて追い払われることもあるが、 たたかいなどめったにおこらない。「まるで水牛のようだね」 とアメリカ南部から来た参加者がもらす。 私は、むかし動物園でみた象のようだな、と思った。アラスカで出会ったクマたちは、とてものんびりしていた。

  しかし、そうはいってもクマはクマだ。かわいいぬいぐるみではない。クマの肩は、コブ状にもりあがっている。 これはブラウン・ベアの特徴で、筋肉のかたまりだ。筋骨隆々とした体格。もしも襲われたらひとたまりもないだろう。 パンチ一発で失神してしまうかもしれない。しかし、キャンプですごした日々のなかで、クマに襲われるかもしれないという恐怖は一度も感じることがなかった。 親子のクマにいたっては、ふつうは単独のクマよりも危険なのだが、親子で遊ぶ、そのかわいらしさにすっかり魅了されてしまった。

  クマは肉食だと勘違いされることもあるが、実際は人間と同じ雑食であり、なんでも食べる。 アラスカの大自然のなかでは、初夏は草むらで栄養豊富なスゲの草を食べ、潮が引くと干潟に行き、すぐれた嗅覚で貝をとって食べる。 夏になり、サケが川をのぼる季節になるとサケをつかまえ、秋にはベリーの実を食べる。それが一般的な姿である。 そこには、ヒトを襲うべき理由がない。ヒトを襲うと容易に高カロリーの食料がとれることもクマは知らない。栄養豊富な残飯もゴミ捨て場もない。 それゆえ、ここでは、ヒトとクマは、たがいにおびえることなく、ともに同じ時間を過ごすことができる。

  いちばん近くまでクマがきたとき、私とクマの距離は3メートルもなかった。それでも、まったく恐怖は感じなかった。 そのとき感じたことを文字にするのは難しい。しかし、人間が智恵を使ったとき、クマとヒトは一緒にすごすことができるという体験は、私を確実に変えた。 それは間違いない。


クマは2〜3メートルまで近づくことがあるが、恐怖心は感じない
(つづく)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(はりたのぶゆき)
  1971年生まれ。 東京都在住。 北海道大学大学院在学中から北海道の山登りをはじめる。 最近は小学生の息子と山登りを楽しみ、今年の夏は大雪山トムラウシ縦走を親子ではたした。 ナキウサギふぁんくらぶ会員。現在開催中のナキウサギ写真展にも出展。