内田雅敏の 「君たち、戦争ぼけしていないか?」
民事裁判が刑事手続を本来の姿に戻す
1.はじめに
一昨年 (2006年) 暮、立川防衛庁宿舎イラク反戦ビラ入れ事件が東京高裁で逆転有罪判決 (住居侵入罪)――その後最高裁でも上告棄却――、
葛飾マンションビラ入れ、東京高裁逆転有罪判決 (住居侵入罪) 等々、「微罪」 で逮捕・勾留、立件する公安警察の暴走にますます歯止めがかけられなくなっている。
そんな流れに抗するささやかな判決が12月16日、横浜地裁民事6部 〈三代川俊一郎裁判長〉 で出された。
2.事案の概要
2006年10月24日、母1人が居住する鎌倉の実家に住民票を置いたまま、小田原に妻と住んでいたA氏が、これまでと同様、
住民票の住所――母親の住んでいる鎌倉の実家――で運転免許証の書替をしたところ、神奈川県警公安部によって逮捕・勾留され、都合13日間拘束された。
そして、彼の小田原の自宅、鎌倉の実家のみならず、彼の所属する政治団体の東京、大阪の各事務所合計4ヵ所も家宅捜索を受けた。
逮捕理由は 「免状不実記載」 の容疑だという。親元から離れアパートに下宿しても、
住民票はそのままで運転免許証の住所もそのまま実家の住所で更新することなどはしばしばある。
もちろん、運転免許証上の住所が実際に居住している住所と異なることは好ましいことではなく、なるべく速やかに是正されるべきではあろう。
しかし実家から離れたとはいえ、完全に離れてしまったのではなく、しばしば実家を訪れるようなケースもあろう。
本件で問題とされたA氏もそうであり、月に1〜2回は実家に1人住まいの母親の様子を見に帰ったりしていた。何故こんなことが 「犯罪」 とされ、
その嫌疑ということで突然、逮捕・勾留され、そして彼の自宅も含め、全国で4ヵ所もの家宅捜索―ガサ―がなされるのか。
通常市民生活を送っている者には考えられない出来事である。
キーワードは、公安警察、そして 「極左暴力集団」 である。A氏は、日本革命的共産主義者同盟 (JRCL) のメンバーで学生時代以来の活動家であった。
JRCLは、かつては成田国際空港開港阻止闘争で管制塔突入をするなど、非合法活動をも含む活動をして来ており、
公安警察の監視対象とされる団体であった事実はある。しかし、それは今から30年近くも前のことであり、
今日ではJRCLは、日本革命的共産主義者同盟という名称は別にしても、反戦・平和を主張し、そのために合法的に闘っている数多くの市民運動団体の一つである。
ところが公安警察としては、JRCLが暴力革命も辞さない極左暴力集団でないと困るのである。
何故なら、彼らが極左暴力集団でなければ、極左暴力集団を監視し、対処するという公安警察の存在意義がなくなるからである。
公安警察はその組織を存続させるために仕事、すなわち 「微罪」 を探すだけでなく、それがない場合には自ら作り出すことまでしている。
そのことについて述べたのが、本誌2007年5月号の拙稿 「詐欺罪デッチ上げ事件の真相……治安維持法時代を彷彿させる公安警察の暴走」 である。
友人と一緒に住むためにアパートを借り、賃料の滞りもなく、また通常の住居としての使用をしていたにもかかわらず、
或る日突然アパートの賃借権の取得が詐欺罪に該当するとして、逮捕され、勾留され、そして 「関係先」 への家宅捜索がなされるのである。
公安警察の言い分は、単なる住居として賃借したのではなく、「居住アジト」 として賃借したから家主を欺して賃借権を取得した、
だから詐欺罪にあたるというメチャメチャな論理である。「居住アジト」 とは何なのか。友人が訪れて来たら住居でなく、「居住アジト」 なのか、
何ら明らかにされないままで、被疑者が 「極左暴力集団」 の一員だからとして、すべての行為が許容されてしまうのである。
本件でも同様であるが、この 「極左暴力集団」 というのは、公安警察がその一方的判断でなし、
また一度、この 「極左暴力集団」 の烙印を押されると永遠にそれは消されはしないのである。
何故ならば、もし、「極左暴力集団」 の烙印を取消すと、その団体を監視するという公安警察の仕事が失われてしまうからである。
3.本件A氏のケース
神奈川県警公安部は、
(1) A氏はJRCLのメンバーである。
(2) JRCLは、武力革命を目ざす極左暴力集団であり、そのためにはメンバーの住所を秘匿する必要がある。
(3) A氏が免許証更新手続の際、実際の住居と異なる実家を住所としたのは、そのような目的によるものであり、これはA氏の個人的な行為でなく、
JRCLの組織の方針としてなされているものである。
として裁判所に逮捕令状と家宅捜索令状を請求した。
裁判所は、逮捕令状の請求の際に 「極左暴力集団」 という枕詞がつけられていれば、警察の言い分をそのまま信用し、簡単に逮捕令状を発付する。
「極左暴力集団」 には、法が予定した令状主義――逮捕令状、家宅捜索令状等々については、
裁判所にその当否を判断させる――のチェック機能が全く働いていないのである。そしてA氏の逮捕、A氏の自宅、実家を含め、全国4ヵ所への家宅捜索がなされた。
この家宅捜索たるや、ほとんど嫌がらせといった長時間――例えばA氏の自宅では延々7時間、実家では母親のタンスの引き出しまで開けて調べるといったものだった。
もちろんA氏は起訴されず、逮捕・勾留13日を経て11月2日釈放された。そもそも当初から公安警察は、A氏を起訴するつもりはなかった。
逮捕・勾留し、身柄を拘束し、A氏を苛め、そして当然なことのように関係先 (?) 各所を家宅捜索―ガサをかける―し、情報収集に務めるのである。
情報収集これこそが逮捕の目的なのである。
このような免状不実記載罪を活用しての活動家の逮捕、関係先への家宅捜索が濫用されるようになったのは、80年代半ば頃からであるが、
警察公論1993 (平成5) 年2月号所収の西岡信昭 「過激派構成員にかかる文書偽造罪および免状不実記載罪の起訴事例について」 と題する論文によれば、
「このような情勢を踏まえ、近年過激派構成員に対し、各種罰条の積極的適用が行われており」、「過激派に対し、想像される以上に打撃を与えることになると考えられます。」、
「この種の 事犯の摘発がテロ、ゲリラ事件等により重大な犯人の検挙につながることもあります。」 などと紹介されている。
関係者の検挙のための 「引きネタ」 として免状不実記載罪の目的外使用――この点はビラ配りに対する住居侵入罪の目的外使用と同じ――の効用が説かれているのである。
4.横浜地裁民事6部の判断
本件判決は、A氏についても免状不実記載の被疑事実の存在を認めた。しかし、JRCLが過去に暴力的犯罪行為を犯したことは事実であるが、
それらは30年近く前のことであり、現在もJRCLが 「暴力性を堅持していると認定するにはいささか無理があるように思われる。」、
「近時において暴力的行為を行ったことをうかがわせる事情を認めることのできる証拠はない」 として現在のJRCLの暴力性、犯罪性に疑問を呈した上で、
「本件被疑事件当時、神奈川県警において、JRCLが組織的に暴力性を堅持している団体であると判断したことに合理性があると認められない」 とした。
そして、A氏は、
「氏名につき偽名を用いたものではないし、申告に係る鎌倉の住所地も、実家であり、母親の住所であり、時折、
原告Aが訪れる地である (原告A本人) というのであってみれば、JRCLの組織的活動を目的として、虚偽の住所を申告し、対立組織から身を隠したり、
潜伏して何かを成し遂げようとすることは困難である。」
と本件免状不実記載に組織性はないとし、神奈川県警公安部の主張する逮捕の必要性についても、
「本件被疑事実は、原告Aが免許証の更新の際に、自身がかつて住んでいた実家で、かつ、
住民票上の住所となっていた鎌倉の住所地を住所として申請したというものであり、同所には原告Aの母親も居住していたこと、
かつて原告Aが鎌倉の住所地に住んでいたころにも同所を住所とした免許証の申請・更新がされていたことからすれば、
原告Aと母親との交流が全く途絶え、鎌倉の住所地が原告Aと全く接点を持たない無縁なものとなっていたなどの事情がない限り、
原告Aにおいて、ことさらに自己の身分を秘匿する等の目的を有していたとはうかがわれない。」
「住民票の住所を実家のままにしておく例や転居後も住所変更の届出をしないでいる例は世上よく見られることなどを考え合わせると、
本件更新の実質は、住民票上、本来の住所の変更手続きをしていないことに端を発したものであり、前記犯行態様が悪質なものであったとはいえない。」
「免状不実記載罪の法定刑は1年以下の懲役又は20万円以下の罰金であって、刑法犯の中では比較的軽い罪の部類に属するものであり、
本件被疑事件の事案や犯行態様も重大悪質なものとはいえないことなどからすると、(中略) 本件被疑事件については、不起訴とされるか、
仮に公訴が提起されることになったとしても、罰金ないし執行猶予付の短期懲役刑の軽微な判決が下されることが容易に想像されるところであり、
結果的にも本件被疑事件が不起訴処分となったことは前記のとおりである。
原告Aが内縁の妻であるBと長年にわたって小田原の住所地に同居し、同所からJRCLの事務所まで日々規則正しく通勤していたことが調査により把握されていたものであり、
その他格別に逃亡のおそれをうかがわせる事情も見当たらなかったことからすれば、原告Aが本件被疑事件について任意捜査等を受けても、
逃亡するおそれはなかったというべきである。」
とA氏には逃亡のおそれはないとし、
「本件被疑事実そのものに関する証拠に関しては、神奈川県警は逮捕状請求時において既に十分な証拠を収集していたものと推測される。
不実と解される住所を申請していたことは、免許証それ自体から明らかであり、鎌倉の住所地が住所の実体を有しないことは、
すでに十分な調査をしていたことが窺えるからである。したがって、本件被疑事実の立証にとって、
実効的な罪証湮滅を行うことのできる余地と可能性はほとんどなかったものと考えられる。」
として、罪証湮滅のおそれはないから、逮捕の必要性はなく、家宅捜索の必要性についても、本件免状不実記載の被疑事実につき、
殊更に他の証拠が存在する蓋然性は少なく、したがってその必要性はないと判断した、
「以上のとおりであるから、神奈川県警による本件逮捕状の請求は、
本件逮捕状の請求時において神奈川県警が捜査により収集していた証拠資料等を総合勘案すれば、
逮捕の必要性を認めることのできる合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず、
JRCLについての情報収集を行うことなどを目的としてあえて行われたものであることが推認される。」
として、本件逮捕、同じく家宅捜索についても神奈川県警の違法行為だとしてA氏に損害賠償をせよと命ずる判決を下したのである。
本件A氏に対する逮捕がなされる前に、JRCLのメンバーであった成田空港管制塔被告に対する空港公団からの損害賠償請求に対処するためにJRCLそして、
かつて成田闘争に関わった多くの市民運動家らから約1億円のカンパが寄せられ、市民の連帯もまだまだ捨てたものではないと思わせる出来事があったが、
神奈川県警公安部は、このカンパ者リストを狙った可能性があった。
本件のような、公安警察の暴走を許しているのは、裁判所が令状主義によるチェック機能を果たしていないところに理由があることは、前述したところである。
その意味では、本件判決は、神奈川県警に対する関係では、A氏の主張をほぼ全面的に認めたところは評価できるにしても、
同じく損害賠償を求めていた裁判所 (国) の責任を全く不問に付した点においては、恨みが残らないわけではない。
公安警察の暴走を許しているのは、裁判所がその期待された機能を果たしていないところにこそ原因あるからである。
しかし、そのような不十分性を考慮しつつもなお、本判決はささやかではあるが、昨今の公安警察の暴走に抗するものとして評価できるものである。
5.終わりに……民事裁判が刑事手続を本来の姿に戻す。
前述したように公安警察の暴走、人権侵害に対して人権の最後の砦としての裁判所が残念ながらよく機能していない。
本件にも見られるように令状主義によるチェック機能は作動していない。
かつて弁護人と被疑者の接見 (面会) をめぐって、検察庁がその実務において法務大臣訓令に基づく 「事件実務規程」 によって、
一般的指定書制度というものを定め、本件のような公安事件については、あらかじめ接見を一般的に禁止しておき、
例外的にこれを解除するという刑訴法39条の1項の本来自由な接見の原則と同3項の例外としての具体的指定書権の行使による接見に日時の変更
(実態は制限であった) の逆転がなされていたことがあった。
そして、具体的指定書――わざわざ検察官のところに出向き、これを受取ってくることが必要――の持参を弁護人に強要し、
持参していない場合には接見を拒否したことによって様々なトラブルが長年にわたって発生していた。
このトラブルを解消したのは刑事手続としての準抗告制度ではなかった。裁判所は弁護人からの異議申立をなかなか認めなかった。
残念ながら準抗告制度が機能しなかったのである。
長年にわたったこのトラブルを解消する契機となったのは、1985年に設立された日本弁護士連合会接見交通確立実行委員会の支援の下、
北は北海道から南は九州まで全国各地で提起された接見妨害を理由とする20数件の国賠請求訴訟であった。
この国賠訴訟の勝訴判決の累積を背景として、日本弁護士連合会と法務省との協議を経て1988年4月1日、悪名高き法務大臣訓令に基づく、
事件事務規程の改廃、一般的指定書、具体的指定書制度が廃止されたのである。
何故民事裁判において刑事手続を本来あるべき姿に戻すことが可能であったか。それは民事裁判の場において十分な論争をなすことによって、
刑事手続の現場において、いかに法の建前に反する実務が行われているかを明らかにすることが可能となったからである。本件判決もまさにそうである。
ところで神奈川県警公安部は、本件判決によって多少なりとも反省するであろうか。否である。もともと違法捜索を常套手段としている。
公安警察はすでに情報収集は終わっており、「やり得」 なのである。刑事警察の場合と違ってもちろん責任者の処分もなされない。
本件判決は、公安警察の暴走に抗するささやかな判決である。だが、このささやかな判決を得るために。
A氏およびその関係者、支援者が費やした労力は決してささやかなものではない。
しかし、このような労力を費やすことを厭わない市民の存在が世の中を変えることができる。私達は微力ではあるが無力ではない。
なお、この日、横浜地裁第6民事部は、A氏の国家賠償請求訴訟判決言渡しに先立って、指定広域暴力団稲川会の組員が市民を殺傷した件に関し、
親分の使用者責任を認める判決をなした。
期せずして国家の暴力団 (神奈川県警公安部――1986年11月神奈川県警公安部が共産党の幹部宅を盗聴していた事実が発覚したことはまだ記憶に新しい――) と、
民間の暴力団それぞれに対して損害賠償を命ずる判決がなされることになった。
2008.12.22
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