2009.2.11

内田雅敏の 「君たち、戦争ぼけしていないか?」

弁護士 内田雅敏
目次 プロフィール

石川護国神社の「大東亜聖戦大碑」に見る時代錯誤

――「大東亜聖戦大碑」と靖国神社遊就館の展示を貫く
聖戦思想の虚構――

  「アジア解放の戦い」という真っ赤な嘘
  靖国神社の遊就館の展示室15 (大東亜戦争) の出口近くの壁に、「第二次世界大戦後の各国独立」 と題したアジア、アフリカの大きな地図が掲げられている。 地図の下に以下のような説明文が記されている。
   「日露戦争の勝利は、世界特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が独立、近代化の模範として日本を訪れた。 しかし、第一次世界大戦が終っても、アジア民族に独立の道は開けなかった。
  アジア民族の独立が現実になったのは、大東亜戦争緒戦の日本軍による植民地権力打倒の後であった。 日本軍の占領下で一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることはなく、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した。」
  「大東亜戦争」 はアジア解放のための 「聖戦」 であったというのである。

  そして、第二次世界大戦後の独立国として、アジア・太平洋地域ではインド、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、ベトナム、ラオス、マレーシア、バングラデシュ、 スリランカ、パラオ、シンガポール、ブルネイ、パキスタンが挙げられ、各国の国旗とともにチャンドラ・ボース (インド)、ガンジー (同)、スカルノ (インドネシア)、 ラウレル (フィリピン)、オン・サン (ミャンマー)、ホー・チミン (べトナム)らの指導者の写真が載せられている。
  上記独立国については、上記地図上でその独立の年代別にだいだい色、黄緑、青、紺で色塗られ色別されている。
  ところが日本の植民地であった朝鮮半島、台湾については、何らの色別もない。 そして朝鮮半島については、ただ 「大韓民国成立:1948年」 「朝鮮民主主義人民共和国成立:1948年」 と他の国々にはない 「成立」 という記載がなされているだけである。 もちろん国旗も代表的な指導者の写真の掲示もない。このような記述を見て、韓国・朝鮮人はどのような気持を抱くか想像することができないのであろうか。

  2008年8月10日、私達は2006年夏に引き続いて、日本 (ヤマト)、沖縄、韓国、台湾の四地域の人々と共同で 「平和の灯を! ヤスクニの闇へキャンドル行動」 を企画し、 シンポジウム、証言、音楽、キャンドルウォークなどを行った。 その前日の8月9日、来日した韓国の韓明淑元総理から靖国神社及び遊就館の案内を依頼されて同氏らとともに靖国神社へ行った。
  韓明淑元総理は、遊就館内の展示の随所で立ち止まり、歴史の捏造を指摘していたが、展示室15の前記地図の表示については怒りはもちろんのこと、 それ以上に呆れ果てていた。
  私はこんな展示が恥かしくてたまらない。

  中国に関しても展示室8 (日露戦争) 中の 「満州の歴史」 中に以下のような記載がある。
   「北は黒竜江から南の長白山脈の間にひろがる広大な地域は、時代によって呼称が異なるが、ツングース系の満州民族の揺籃の地である。 満州地域の国家は、周王朝の戦国時代から知られている扶余をはじめ、高句麗、渤海、遼、金、後金 (清) 等の国家があった。 満州事変の後に清朝の宣統帝を元首とする満州国が建設されたが、現在は中国が支配し東北部と称している。」 (下線筆者)
  ここまで言うか。この下線部分を中国人が見たら何と思うだろうか。
  沖縄や北海道について 「現在は日本が支配し、沖縄、北海道と称している」 と言うのと同じだと考えないのだろうか。

靖国の神々の痛ましさ
  展示室16からは、「靖国の神々」 として戦没者らの写真・遺書が掲示、展示されている。
  その中に以下のようなものがあった。
   「第四十五振武隊 陸軍少佐 藤井一命 (みこと)
   昭和二十年五月二十八日沖縄方面洋上にて戦死
   藤井中尉 (当時) は昭和十八年春より少年飛行兵生徒隊教官として精神訓育を担当。教え子たちが特攻出撃するに及び 「お前達だけを死なせない。 中隊長も必ず行く」 と、自らも特攻を志願した。妻子があり、操縦士ではない中尉が特攻隊員に任命されるはずはなかった。
夫の固い決意を知った妻福子さんは 「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」 旨の遺書を残し、 二人の幼子と共に飛行学校近くの荒川に入水した。翌日遺体が発見された現場に駆けつけた中尉は、冷たく変り果てた妻の足についた砂を払いながら、 妻子の死を無駄にしてはならないと再度の血書嘆願を決意。中尉は異例の特攻隊員の任命を受け 「妻、子に逢えることを楽しみにしております」 と遺書を残し、 部下の操縦する複座式戦闘機に乗り込み特攻出撃した。
   筑波山を望む故郷の小高い丘の上に親子四人の墓は寄り添うように建っている。」

  藤井一、妻子の写真とともに在る解説文である。
  時代の狂気のなせるわざであり、あまりにも痛ましい。亡くなられた方々、とりわけ幼い2人の子供に対しては言葉もない。
  しかし、それを追悼するのでなく、「靖国の神々」 として顕彰し、讃えているとなれば話は別である。背筋が凍りつく思いをするのは私だけであろうか。 前記妻子の入水は、妻が夫の特攻出撃願いを止めようとしたが、その決意が固いため、悲観して自殺をしたというのが真相のようだ。 遺書の一部分だけを恣意的に取り出して記すという作為が感じられる。

  1945年8月15日夕刻、すでに日本が降伏した後、沖縄方面に向け彗星11機で 「出撃」 し、 16名 (3機不時着) もの若者の命を道連れに 「自決」 した第五航空艦隊司令長官、宇垣纏中将の行為を何ら批判することなく、 靖国の神々の一員として顕彰しているのも同じだ。靖国神社は真相を語っていない。 靖国神社は、言葉の正しい意味でのカルト教団以外の何物でもない。
  このような靖国神社に韓国、朝鮮、台湾などかつての日本の植民地下にあった国々の人々が、自分の夫や父がその遺族の意向にかかわりなく、 勝手に創氏改名の日本名の 「○○の命 (みこと)」 として合祀され、靖国の神々として祀られていることについて屈辱であると考え、 合祀取消しを求めるのは極めて当然なことではないか。

  石川護国神社の「大東亜聖戦大碑」
  石川県金沢市の石川護国神社参道に 「大東亜聖戦大碑」 なる高さ12メートルの大きな石碑がある。 1995年、「植民地支配や侵略行為がアジア諸国民に与えた苦痛を認識し反省の念を表明する」 とした戦後50年国会決議に反発した 「日本を守る会」 の呼びかけによって、 2000年8月4日建立されたものだ。

  碑の正面に 「日の丸」 そして 「大東亜聖戦大碑」 と大きな字が刻まれ、台座には、銘として 「大東亜 おほみにいくさは万世の 歴史を照らすかがみなりけり」 と刻まれ、 さらに 「津々浦々の赤誠集ひ 聖なるた々かひの碑 國護る宮に建ちたり 歪められし愛しき祖國救はんための浄き希ひ 正気こ々に蘇らん おほくは語らず  聖戦の詩高らかに 遺し文納めたり 讃え伝へん 永久に燦たり 大東亜戦争」 とある。
  裏面には大きな文字で 「八紘為宇」――全世界を天皇の下に一つの国家とするという意味だという。――と刻まれ、 その下に 「あ々大東亜聖戦の 誇り高くわが心誉れを世に 伝うべし 栄光とはに消ゆるなし」 とある。
  左右裏の台座には、種々の部隊名、戦友会名などがギッシリと刻まれているが、その他にも、戦艦大和、ルバング島小野田隊 (昭和四九年三月停戦) 日本を守る会、 ブラジル日本人会、等々の雑多な名前が刻まれている。金沢若妻コーラス会などは御愛嬌としても、殉国沖縄学徒顕彰会、少年鐵血勤皇隊、 少女ひめゆり学徒隊などの名前を勝手に――「本碑に刻んだ団体や個人名は建立にあたっての支援者であるが、 さらに我々として敬仰顕彰したい部隊名や氏名として揚げた 大東亜聖戦大碑護持会」 とある――刻んでいるのには大いに問題がある。

  これではあたかも亡くなった彼らが、今日においてもこの 「大東亜聖戦」 を支持していると解されることになる。 現に、ひめゆり隊の関係者から削除を申し入れられている。 そればかりではない、この台座にはかつての日本の植民地時代に日本の兵士とさせられた台湾・韓国の人々の名前も、 その遺族等の承諾を得ることなく勝手に刻まれている。
  同碑に名前が刻まれている或る朝鮮人特攻兵 (陸軍中尉、二階級特進で少佐と刻印) は、 盧武鉉政権の際に作られた真相究明委員会――日本帝国主義の時代に植民地政策に協力した分子の責任を問う――より、 日本軍の将校→親日分子の疑いでその遺族が調べを受けるという事態まで生じており、刻銘の削除を求めている。

  先の戦争を大東亜解放のための闘いであったという日本の一部――碑の横には 「献木 (さくら) 参拝記念。小林よしのり。 よしりん企画一同」 と刻まれた碑が建てられていた。――以外、 アジアどの地域においても決して受入れられることのない世迷い事を刻んだ石碑に自分の身内の名前が勝手に刻まれていたら、 そんなふざけたことはやめてくれというのが自然であろう。
  このような 「大東亜聖戦大碑」 の台座への勝手な名前の刻銘が許されないものであることは多言を要しないであろう。

  石川護国神社で販売している絵馬札の絵が空母加賀、一式戦闘機 「隼」、九七式中型戦車の3種類であったのにも驚かされた (絵馬というと、馬の他には十二支などが多いと思われるが)。零戦や特攻兵器桜花らを展示している靖国神社遊就館と同じ発想だ。 この絵馬札に 「○○学校に入学できますように」 「良い人が見つかりますように」 「子供が無事生れますように」 等々の願い事が書かれて吊るされているのだが、 果して御利益のほどは? と思ってしまう。
  護国神社境内入口に、兵隊姿の父と学帽を被った男の子の 「父子像」 が建てられていた。母子像はよく見るが、父子像は珍しい。 早く大きくなって父のような立派な兵隊になれとでもいうのだろうか。
  石川県は、ノモンハン、カダルカナル、インパールと帝国陸軍の三大敗戦すべてに参謀として関わった辻政信を産した地ではあるが、その時代錯誤ぶりも甚だしくはないか。

  「宗教行為」に仮装した歴史の捏造・改竄
  前述したように、靖国神社は韓国人戦没者らを遺族の了解を得ることなく勝手に合祀しているのだが、このことは、 「大東亜聖戦大碑」 がやっている不当な行為と何ら変りはない。

  同~社が日本の近・現代における戦争について
   「日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守るためには、悲しいことですが外国との戦いも何度か起こったのです。 明治時代には 「日清戦争」、「日露戦争」、大正時代には 「第一次世界大戦」、昭和になっては 「満州事変」、「支那事変」 そして 「大東亜戦争 (第二次世界大戦)」 が起こりました。……
   戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、 戦わなければならなかったのです。」
(やすくに大百科、私たちの靖国神社、発行所 靖国神社社務所)
と述べていることは、これまでくり返し指摘したところである。

  厚生省 (当時) との連携の下、戦後14年を経た1959年になってもなお外国人を勝手に合祀し、 護国の英霊として顕彰している靖国神社の実状を一体どれだけの日本人が知っているのだろうか。
  金沢市在の 「大東亜聖戦大碑」 と、同じことをしている靖国神社の行為が何故問題とされないのか。 前者が非宗教行為であるのに対し、後者は 「宗教行為」 だから許されるというのか。 憲法第20条が 「信教の自由」 を保障したのは、靖国神社の行っているこのような不法行為としての 「宗教行為」 を保障するためではない。
  宗教行為を隠れ蓑とする歴史の捏造・改竄を許してはならない。
2008.12.22