第二次世界大戦末期、日本は労働力不足を補うため、1942年の閣議決定により約4万人の中国人を日本の各地に強制連行し苦役を強いた。
広島県北部では、西松組(現・西松建設)が行った安野発電所建設工事で360人の中国人が苛酷な労役に従事させられ、原爆による被爆死も含め、
29人が異郷で生命を失った。
1993年以降、中国人受難者は被害の回復と人間の尊厳の復権を求め、日本の市民運動の協力を得て、西松建設に対して、事実認定と謝罪、
後世の教育に資する記念碑の建立、しかるべき補償の三項目を要求した。以後、長期にわたる交渉と裁判を経て、
2009年10月23日に、360人について和解が成立し、双方は新しい地歩を踏み出した。
西松建設は、最高裁判決(2007年)の付言をふまえて、中国人受難者の要求と向き合い、企業としての歴史的責任を認識し、
新生西松として生まれ変わる姿勢を明確にしたのである。
太田川上流に位置し、土居から香草・津浪・坪野に至る長い導水トンネルをもつ安野発電所は、今も静かに電気を送りつづけている。
こうした歴史を心に刻み、日中両国の子々孫々の友好を願ってこの碑を建立する。
2010年10月23日
安野・中国人受難者及び遺族
西松建設株式会社
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