2010.12.18

内田雅敏の 「君たち、戦争ぼけしていないか?」

弁護士 内田雅敏
目次 プロフィール

歴史は薄められて再来する
――5・15から2・26事件への誤ちを繰り返すな――


1.ビデオ流出と 「知る権利」 は別問題
  尖閣諸島海域で領海侵犯を警告する海上保安庁巡視船に追突する中国漁船を撮影したビデオテープを、海上保安官が勝手にインターネットで流した。 公務員の守秘義務違反であり、違法な行為として許されない。ところが政府がこのビデオを秘密扱いとし、国民に開示しないことに対する批判もあることから、 国民の中の一部にこの海上保安官を称賛する声がある。そしてそれに押されて捜査を担当している検察当局は、 件の海上保安官を逮捕することすら出来ていない。

  大阪地検特捜部検事による証拠物の変造という不祥事によって世間の信を失った検察庁は、 件の海上保安官に対する 「国民の同情」 の前に完全に腰が引けている。しかし、検察庁が本当に国民の信を取戻するためには、 ここでこそ法に基づく厳格な姿勢を示すべきである。

  検察当局のこのような腰の引けた捜査態度を見て、1936年2月26日に一部青年将校らが起こした反乱、いわゆる2・26事件後の同年5月7日、 第69帝国議会において民政党の衆議院議員斉藤隆夫のなした有名な粛軍演説の一節、「三月事件 (注1) に対する軍部の態度が、 十月事件 (注2) を喚び出し、十月事件に対する軍部の態度が五・一五事件を喚び出し、 五・一五事件に対する軍部の態度が実に今回の一大不詳事件を(2・26事件・筆者注)惹起した」 を想起した。

  巡視船に追突した中国漁船の船長の逮捕・勾留そして釈放の当否について、様々な意見があるのは当然だ。
  また、その追突画面を撮影したビデオテープを政府が外交上の必要からとして秘密扱いし、 国民に開示しなかったことについても国民の知る権利との関係でその是非について議論があってしかるべきだ。
  しかし、そのことと今回の海上保安官によるビデオテープの流出は全く別問題だ。今後の中国との外交交渉にも影響を与え得る件のビデオテープを、 官僚機構の末端にある一海上保安官が個人的な判断で勝手に流出させる行為は絶対に許されない。 もしこのようなことが放置されるならば、国家の秩序は崩壊してしまう。

  違法行為をなした中国船の船長を釈放しておいて、 私利私欲に基づいて行ったのではない件の海上保安官を逮捕するのはバランスを欠くという論がまことしやかに語られている。 しかし、前者と後者は侵害法益を異にする全く別な問題であり、その比較自体が意味をなさない。 仮に件の海上保安官が政府による情報の隠蔽に怒り、「正義感」 に基づいてビデオテープを流出させたとしても、 そのことによって守秘義務に違反した行為の違法性が阻却(失われる)されるわけではない。

  今回のケースではビデオテープは野党を含めた一部議員の間で開示されており、 件の海上保安官が流出させなければ闇から闇へ葬り去られようとしているような類のものではない。 またその流出についてもこれ以外に他に方法がないといったわけでもない。インターネットへの投稿に際して、 仙谷官房長官の名前をもじったセンゴク何とかを名乗ったのも、何かかつて世間を騒がしたグリコ・森永犯みたいで、 今回の行為に何が何でもこれをしなくてはというような真剣味が感じられない。
  その意味では沖縄返還に伴う日米の密約が問題となった、毎日新聞の西山太吉事件とは明確に異なるものであることを理解すべきだ。

2.海上保安庁は国家の暴力装置の一つ
  海上保安官という職は、単なる官僚機構の末端ということでは済まされない問題を有している。海上保安官は自衛隊員、 警察官と並ぶ武器の使用を認められた国家公認の暴力(実力)装置の一員であることを思い起こすべきだ。

  今回のような海上保安官の行為が不問に付されるならば、今後類似の行為が続出することは必至だ。 私達は現役の航空幕僚長という自衛隊の最高幹部の一人が、 政府の公式な歴史認識と真っ向から対決する歴史認識――先の大戦は侵略戦争でなかったとする見解――を示し罷免されるという田母神問題(2008年暮) を経験している。
  罷免された彼が国内の一部で英雄視され、その後もテレビ、週刊誌などで様々な暴言を吐いていることはよく知られている。 今回の尖閣諸島問題でも <銃撃せよ> などと無責任な放言をくり返している。 このような、否、この程度の人物を最高幹部に据えていた自衛隊という国家公認の暴力装置の存在を恐ろしく思う。

  その自衛隊の隊友紙とも言うべき 「朝雲」 の 「寸言」 (2010.8.5付)に以下のような一文が載っている。
  「このところ宴会で政治の混迷がよく話題になる。 先日、旧友たちとの酒の席で冗談半分に 「どうして自衛隊はクーデターを起こさないのか」 と聞かれて返答に困った。 旧軍と違って自衛隊は民主主義の教育を受け、文民統制が徹底している、というのが正当な答えだろう。 だがそれだと、民主主義の下で国民に選ばれた選良が政治をしているから、国民に不満はない、と言っていることと同じで、間違いではないが説得力がない。
  自衛隊は安定した職業であり、普通の勤め人と同じで会社への不満や社会への心配はあっても、安定した人生を棒に振るようなことは誰も考えていない、 という答え方もある。が、そういう 「軍隊」 が国を守れるのかと聞かれたら、やはり困ったことになりそうだ。
  田母神元空幕長のような主張もあるが、という思いもあった。だが、彼も厳しい政治批判を展開してはいるが、クーデターまで主張しているわけではないと、 半可通な答えになった。]

  クーデター云々は戯れ言だとしても、こういう記事を隊友紙に載せるという緊張感のなさ。先のイラク戦争の際に、 イラクに派遣された陸上自衛隊の隊長が帰国後、派遣中、機会があれば自衛隊に対する直接の攻撃でなく、他国の軍隊に対する攻撃があった場合にも、 情報収集の名のもとに駆け付け、警護の名のもとに武力行使をするつもりがあったと発言し物議を醸したことがあった。 彼らは武力行使がしたくてたまらないのである。この隊長は後に自民党の参議院議員となり 「勇ましい」 発言をしている。 警視庁のテロ 「情報」 の流出という問題もある。事態は私達の予想以上に深刻だと考えるべきではないか。

3.粛軍演説と反軍演説
  斉藤隆夫の 「粛軍演説」 は言う。
  「もしかの三月事件について、軍部当局がその原因を芟除(さんじょ)して所謂抜本塞源の徹底的の処分をせられたならば、 必ずや十月事件は起こらなかったに相違ない。また遅れたりといえども、十月事件について同様の処置をせられたならば、 後の五・一五事件は起こらなかったに相違ない。この両事件に対する軍部の態度がひいて五・一五事件を惹起するに至った大なる原因の一つである。
  いやしくも軍人たる者が党を結んで白昼公然総理大臣の官邸に乱入し、天皇陛下の親任せらるるところの一国の総理大臣を銃殺する、 国を護るがために授けられたるところの兵器をもって、国政燮理の大任に当たっておりますところの、国家最高の重臣を暗殺する、 その罪の重大であることはもとより申すまでもないことであります。しかるにこの重大事件に対して、国家の裁判権は遺憾なく発揮せられているのであるか、 当時海軍軍法会議におきまして、山本検察官は畢生の力を揮うて堂々数万言の大論告をなした、すなわち事件の重大性と、 直接行動の許すべかざることを痛論して、動機の如何にかかわらず国法を破ることはできない、軍紀は乱すことは出来ない、 軍紀を紊り国法を破りたる者に対しては、法の命ずる制裁を加うることは国家の存立上やむを得ないと論じて、 その首魁(しゅかい)と目せらるる三名に対して死刑の要求をなした。
  しかるにこの論告に対して如何なる事態が現われたかというと、ある一部に おきましては猛烈なる反対運動が起こった。 監督の上司はこれを抑制するところの力がない、山本検察官の身上には刻一刻と危機が迫る、 多数の憲兵をもって検察官の住宅を取り巻いてこれを保護する、家族一同は遠方に避難する、こういう事態のもとにおいて、裁判の独立、 裁判の神聖がどうして維持することができるか。果せるかな裁判の結果は、死刑の要求が十三年と十五年の禁錮、 軽きは一年二年の懲役に処せられてしかも執行猶予の宣告がついている。」

  斉藤隆夫の粛軍演説は、当時、議会、言論界においても圧倒的な支持を得た。それは、2・26事件暴発に対する国民の激しい怒りと恐怖があったからである。 しかし、それから4年後の1940(昭和15)年2月20日、第75議会において彼のなした 「支那事変処理に関する質問演説」――軍部の日中戦争遂行過程、 及びそれに引きずられた政府の無策を厳しく批判したもので、後に 「反軍演説」 と称された――については、軍部の怒りを買い、 議会において除名決議を受け議員たる資格を剥奪された。

  粛軍演説と反軍演説、この4年の間に日本社会の何がどう変わったのか。1937(昭和12)年7月7日、北京郊外盧溝橋で日中が衝突したとき、 当初日本政府は不拡大路線を採り、紛争の早期解決を目的とした。しかし軍中央も現地の軍の暴走を押えることが出来ず、政府もこれに引きずられ、 <暴支庸懲> を国民に煽り、遂には<蒋介石政権を相手にせず>と果てしのない泥沼に入りこんだ。

  対中問題が泥沼に陥る中で、もはや議会、言論界そして国民の間で斉藤隆夫の反軍演説を正確に受け止めるべき冷静さが失われていた。 それが議会での圧倒的多数――賛成298名、反対7名――による斉藤隆夫への除名決議となって表われた。

4.「愛国心」というやっかいな代物
  今、尖閣諸島問題をめぐっての日本国内における反中国感情の発露は前記 <暴支庸懲> を煽られたときと似たところはないか。 件の海上保安官を英雄視する背景に中国に舐められるなという気持がないか。 中国でのインターネット上の反日デモの呼びかけには日本で大きな反中デモがあったから集まろうと書かれているという。
  事実、日本国内であの田母神氏らの呼びかけによって、反中国集会、デモが行われているし、 また中国大使館に対して銃弾等が送られるなどの嫌がらせもなされている。無責任な扇動家による反日、反中の憎しみの連鎖を断ち切らねばならない。

  数年前、中国の重慶などで起きた反日デモで、デモ参加者らが 「愛国無罪」 を叫び、日本商店などに対する乱暴を働いたことはまだ記憶に新しい。 建造物侵入、破壊、暴行といった犯罪が 「愛国」 の情に基づくものならば、 許されるという奇怪な――乱暴狼藉を働こうとする者にとっては誠に都合のよい――論理だ。
  「愛国」 という誰れもが気軽に叫ぶことのでき、しかも誰れからも非難を受けない 「正義」 ほどやっかいな代物はない。 私達はこのことを歴史の中で体験してきたのではなかったか。<愛国心はならず者の最後の砦> と喝破したのはサミュエル・ジョンソンだ。

5.政治の無策
  尖閣問題をめぐって日本社会がおかしくなってしまっているのはもちろん政治の責任だ。政府があまりにも無策だからだ。 巡視船に体当たりする中国漁船の船長を逮捕し、身柄を押えたことは理解できる。 しかし、その送致を受けた検察庁が勾留請求をなすかどうかに際しては、それが中国との外交問題に発展することは必至であることからして、 検察庁単独での判断でなしに、国土交通省、外務省、法務省、内閣官房など関係省庁の協議によって政府の判断がなされるべきである。
  もし、この中国人船長を前原国土交通大臣(当時)の言うように 「国内法に則って粛々と処罰」 していたら、日中関係がどうなるか。 少しでも洞察力を働かせば分るはずだ。尖閣諸島問題は領土問題であり、領土問題は外交問題であると同時に国内の政治問題であり、 この扱いを誤ると大変な事態を招来することはどこの国も同じである。

  尖閣諸島は日本の領土であり、したがって中国との関係で領土問題は存在しないとする。それは日本の見解としては正しいと思う (注3)。 しかし、それだけでは解決しないということもまた理解すべきである。竹島(独島)について、韓国が、 北方四島について、ロシアがそれぞれ領土問題は存在しないとしているが、日本はこれを受け入れているわけではない。

  領土問題はかつて、寸土を争い何度も戦争を繰り返し、多くの若者の命を失わせた独、仏が、第二次世界大戦後、欧州石炭鉄鋼共同体条約を締結し、 それがECを経て今日のEUにつながったことを教訓とすべきである。
  ドイツとの国境の町フランスのストラスブールの町の中心部の共和国広場には、1人はドイツ兵もう1人はフランス兵、 2人の息子を抱えた母親の像があるという。二つの国に引裂かれた悲劇の歴史が刻まれているのだ。
  尖閣諸島(中国名、釣魚台)海域は古来より、琉球(沖縄)、台湾、福建の漁民達の共通の漁場であった事実を思い起こすべきである。

6.政府は国民に語れ
  今回の事態を冷静に考えれば政府は検察庁に勾留請求などさせず、中国人船長を強制送還するしか選択肢がなかったことは明らかである。
  すなわち、この段階で検事総長は政府の意向を確認すべきであった。仮に検事総長からそのような確認の作業がなされなかったならば、 政府は当然のこととして、前記関係省庁との協議で決定した政治判断を検察庁に伝えるべきであった。 このような外交問題に直接関連することについては、政府は躊躇なく検事総長に対して指揮権発動すべきである。 このことと、三権分立、すなわち政府が裁判所に介入してはならないとすることとは、全く別な問題である。
  その上で、政府は国民に対して政府の方針について説明すべきであった。しかし、政府はそれをせずに、あくまでも検察庁の判断に任せるという体裁をとり、 そして事態がさらに悪化した段階で、船長を釈放させるや、これもまた検察庁の判断であるという逃げの一手を打った。 那覇地検の判断などという政府のとぼけた説明を信じる者など誰もいない。政治の無責任さの極みであった。

  何故、堂々と政府の判断だと明言しないのか。そのような判断をなすことが、何故必要なのかを国民に語ろうとしないのか。 そうすれば、一部の狂信的な分子、あるいは反中感情を煽ることを目的とする分子は別として、大多数の良識ある国民は理解できるはずだ。
  歴史は再来するという。しかしそっくりそのまま同じ形で再来するわけではない。それは形を替え、あるいは薄められて再来することを理解すべきである。 歴史的に長く 「一衣帯水」 関係にある日中間において日本を <中国に舐められるな!> などと若者が叫ぶような悲しい国にしては絶対にいけない。

【追記】
  法相の資質を失うと思われてもやむを得ない発言をした柳田法相の辞任は当然として、仙谷官房長官の自衛隊は暴力装置発言など、 それが国会の場での発言の当否はあったにしても――彼は直ちに実力組織と言い換えた――軍隊、警察を国家公認の暴力装置と呼ぶのは、 ドイツの社会学者マックス・ウエーバーの 『職業としての政治』 で語られているように、社会学、政治学のイロハであり、広辞苑にもその旨の記載がある。 にもかかわらず、党利党略の立場から “言葉狩り” に終始している昨今の政治状況を見るとき、民政党の浜口内閣を攻撃するために、 政友会の犬養毅、鳩山一郎がロンドン海軍軍縮条約を統帥権干犯だと騒ぎ立て、統帥権という魔物の跳梁を導き出し、 政党政治の終焉をさせたという歴史的事実――5・15事件で若手の海軍軍人らによって射殺された犬養毅首相は、 自らその事態を招き寄せたと言われても仕方がない――を思わざるを得ない。政治不信からファシズムの到来までは数歩でしかない。

【追々記】
  11月23日、北朝鮮が突如、黄海上の韓国、延坪島を砲撃した。許し難い暴挙だ。 だがこれを受けて仙谷官房長官が閣議で、朝鮮学校への授業料無償化制度の適用について手続を停止することが望ましいと発言し、 また岡崎トミ子国家公安委員長も 「在日朝鮮人総連合会」 に関する情報収集に万全を期すよう都道府県警察に指示したという報道(11月24日毎日新聞夕刊) を見て、驚き呆れ、かつ情けなく思った。国家(政府)と市民は明確に区別されるべきだ。 こういう時だからこそ政府が冷静に対応しなければならない。これでは朝鮮人に対する 「恐怖感」 を煽り、差別、迫害を助長しているようなものではないか。 一体、仙谷官房長官、岡崎国家公安委員長は、本当に私達が知っているあの仙谷由人、岡崎トミ子なのか。

(注1) 1931(昭和6)年3月、陸軍佐官クラスの軍人らによって企てられ、宇垣一成陸軍大将を首班とするクーデター未遂事件。
(注2) 1931(昭和6)年10月に企てられた荒木貞夫陸軍大将を首班とする同クーデター未遂事件。
(注3) 尖閣諸島は、中国名釣魚台とあるように歴史的に見て、もともと日中帰属のはっきりしない小島であった。 日本政府は日清戦争中の1895年1月に尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定し、 この日清戦争の勝利によって編入は既成事実化されたという経緯がある。