【特別投稿】
主権者として、大衆運動が議会に影響力を行使するため、
デモを有効利用しよう
――「主権者による国会占拠(オキュパイ・ダイエット)」の提言

石田 雄(政治学研究者・東京大学名誉教授) 2012年9月


●最近のデモに見られる大衆運動の性格変化を踏まえて
  長い間、デモの参与観察者であった私から見て、60年安保に代表される保革対立当時のデモと今日のデモを比べると、その性格の変化は明らかである。 60年安保当時、デモは革新政党の指導部による動員の手段であった。 しかし、現在では日常生活に根ざした人々の自発的な発言手段として、存在するようになっている。 この変化に象徴される現在の大衆運動が、革新政党の議会内での勢力維持による政治への影響力とは違った形で、 行政や司法に対して様々な影響を与えるようになっていることに注目する必要がある。
  それを具体的に見れば、2008年末の年越し派遣村に集った運動の力は厚労省の建物の扉を開け、 派遣切りをされた人たちが日比谷公園から庁内に移ることを可能にした。 そして、その後、派遣村村長だった湯浅誠が内閣府参与に任じられ、ワンストップサービスの実現に向け、行政を動かすなどの成果を生んだ。
  また、イラク参戦反対の訴訟運動の成果として、2009年、名古屋高裁の違憲判決を引き出すことに成功したのは大衆運動の司法への影響力を示している。 この影響は原発問題についても、運転差し止め訴訟から今日の東電に対する告訴、告発の運動にまで続いている。
  ところが、立法の領域においては、阪神/淡路大震災後のボランティア活動の台頭によるNPO法の成立及び改正という点で成果が見られる程度だ。 そして、政治家は政局に関心を集めて、選挙民の方を向いていないという不信感が一般化している。 この傾向を放置すれば、対外的な脅威を強調して、排外主義を煽り、「強い政治指導者」 として、デマゴーグが登場する危険性がある。

●立法府に大衆運動が影響を与えるために、
                 デモが果たすことができる役割

  毎週金曜日に首相官邸前に集まっている人々のデモを有効利用して、主権者としての国民大衆が議会に対して、影響力を強めるため、 議員をこのデモの前に引き出し、対話を行わせようというのが私の提案である。
  これまでも何人かの議員がデモの前に現れ、話しをしたが、彼らは元々、脱原発に賛成の人たちだった。 彼らの中には首相とデモ主催者の会見実現の橋渡しをした人もいただろう。 それに対して、私の提案は、できるだけ多くの議員たちに、デモの前で原発について対話をさせるということである。 60年安保の時、総評(安保改定阻止国民会議)は国会に対する請願デモを組織し、デモに動員された人たちは請願署名を行い、 革新政党の議員が国会の入り口に出てきて、挨拶していた。 これを全学連の人たちは 「お焼香デモ」 と呼び、自分たちは国会を 「実力占拠」 するのだといって、警官隊と衝突し、死者を出してしまった。
  私のいう 「国会占拠」 は物理的な国会占拠ではなく、“心理的占拠” である。 主権者は選挙の時だけ、主権者だが、選挙と選挙の間は奴隷だといわれることもある。 しかし、私たち主権者は行政担当者や裁判官に対して、直接自分たちの前に出てきて、説明しろとはいえない。 しかし、議員は選挙民が要求すれば、人々の前に出てきて説明する責任がある。また、そのような接触は議員にとっても、票を集めるために必要なはずだ。
  選挙前に、具体的な政策について、アンケートを候補者に出すことは多いが、これは一方的なものであり、表現も限定される。 それに対して、選挙区の大衆から面会の希望があれば、それを理由なく断るということは本来、できないはずである。 そこで、脱原発運動に関わっている人たちがそれぞれの選挙区の議員に面会を求め、何人か出てきてもらい、デモの前で対話をするのである。
  この場合に、私は次の二つの原則が重要だと思う。
  @ 選挙区という地域の生活に根ざした視点と全国的、長期的視点との両方を組み合わせること。 地域だけだと、NIMBY(「私の裏庭にはやめて」)現象も起こる。
  A 大衆の前での公開された対話の方式にこだわること。代表者2−3人を部屋に招き入れて話をさせることは断るが、デモの前だけの対話にこだわらず、 ある程度の人数が入れる場所で公開討論の形をとることは認める。
  この原則に従って、脱原発への賛否を問わず、できるだけ多くの議員を対話に引き出すことが必要で、 そのためには選挙区からある程度の数の人が上京することが必要になるだろう(小選挙区制では、上京できる人が十分に見つからないかもしれないので、 府県別にして、出身議員を逐次、呼び出すというのが実際的かもしれない)。

●期待される効果
  1.デモ参加者にとっては、目の前に議員を引き出し、議論することによって、自分も政治に影響を及ぼすことができるという自信を強めることができる。 これによって、デモへの参加など運動を継続し、強化しようという意欲が大きくなる。
  2.国会議員にとっては、脱原発という全国的争点の深刻さと大衆の力の強さを改めて印象づけられ、 今後の活動で主権者の視点を大切にせざるをえなくなる。
  3.選挙の時だけしか、主権者に選択の機会はなく、それ以外は政治家任せにするほかはないという政治のあり方を変えて、 政治は日常的に主権者の運動によって、動かせるという “新しい型” を生み出す方向を示す点において、「国会占拠」 の意味は大きいと信ずる。

石田 雄 (いしだ たけし)
1923年生まれ。政治学研究者・東京大学名誉教授。敗戦後、軍国青年となったことを反省し、丸山眞男ゼミに参加。 明治期以後の政治思想史から政治過程を研究する。 近年は、主に地域での学習会に参加、発言を続ける。近著に 『誰もが人間らしく生きられる世界をめざして』(唯学書房、2010年)、 『安保と原発』(2012年、唯学書房)。