国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟弁護団
東京「日の丸・君が代」処分取消請求訴訟弁護団

2007年2月27日

   声 明

  本日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は、日野市立南平小学校の音楽専科の教諭が上告していた懲戒処分(戒告処分)取消請求上告事件(通称「ピアノ裁判」)について、口頭弁論を開くことなく上告棄却の判決を言い渡した。

  上記事件は、1999(平成11)年4月に、校長が音楽科教諭に対し同校の入学式において国歌斉唱の際にピアノ伴奏をするよう発した職務命令に対し、ピアノ伴奏を拒否したことを理由として、東京都教育委員会が懲戒処分に付し、その違憲性が争われた事件である。

  多数意見は、上告人のピアノ不伴奏を上告人自身の思想・良心に基づくものと認めながら、ピアノ伴奏強制が当人の思想・良心を抑圧することを考慮せず、一般論として思想・良心とピアノ伴奏拒否とが不可分に結びつくものと言うことは出来ない、という奇妙な論理で憲法19条違反と認めなかった。この論法では、あらゆる少数者の基本的人権が認められないことになり、これまでの最高裁判例とも大きく矛盾するというべきである。

  また、多数意見は、具体的な検討なしに、公務員としての地位の特殊性及び職務の公共性、学習指導要領等の趣旨から本件職務命令が不合理でないとした。しかし、具体的な内実の検討を伴わない職務の公共性や全体の奉仕者性がそれ自体で人権制約原理になることはあり得ない。

  上記多数意見の憲法19条論は、入学式におけるピアノ不伴奏と思想・良心の自由についての誤った解釈と言わざるを得ず、厳しく批判されなければならない。藤田裁判官は、思想・良心の内容として、公的儀式で「君が代」斉唱を強制すること自体に反対であるという考え方も含まれるとし、また、人権を制約する理由として「公共の福祉」を挙げる場合には、その具体的な内容が何かを慎重に検討する必要があるとし、「人権の重みよりもなお校長の指揮権行使が重要なのかが問われなければならない」とする、精緻な少数意見を付しているが、この少数意見こそ高く評価されるべきである。

  上記事件の最高裁判決は、次に述べる点で、現在、裁判所に係属している事件とは異なる点を有することにも留意されるべきである。

  上記事件は、小学校の音楽専科の教諭に発せられた職務命令の効力とピアノ不伴奏による懲戒処分の効力が争われた事案である。

  これに対し、現在、東京高裁及び東京地裁に係属している国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟(「予防訴訟」)及び「日の丸・君が代」処分取消等請求訴訟は、いずれも、都教委が「日の丸・君が代」を処分をもって教育現場に強制する10・23通達を発令するとともに、それに従って校長が教職員に対して職務命令をしたことの効力が争われており、両者の間では、そこで争われている職務命令の持つ意味が基本的に異なっていると言わなければならない。

  このこともあってか、上記ピアノ裁判においては、下級審においても学習指導要領の国旗、国歌条項の法的拘束性の有無や教育の自由・教育への不当な支配等については何らの判断が示されていない。

  これに対し、予防訴訟の東京地裁判決(2006年9月21日)は、旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決(1976年5月21日)の判旨を大幅に引用した上、学習指導要領の国旗・国歌条項の法的強制力を否定する判断を示している。先の教育基本法改定についての国会審議の際にも、教基法改定があっても上記大法廷判決の趣旨は生きるものであることの政府答弁がなされていることは留意されるべきである。

  今回の判決が小法廷限りの判断であったことからしても、上記大法廷判決の論旨はなお維持されていることは明らかである。

  なお、3月の卒業式を目前に控えたこの時期に、判決を出した最高裁の政治的意図は厳しく批判されなければならない。  

  私達、国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟(予防訴訟)、「日の丸・君が代」処分取消等請求訴訟など「東京心の自由訴訟」弁護団は、10・23通達及びそれに基づく職務命令の違憲、違法性を明らかにし、東京に教育の自由を取り戻すため力を尽くすこととする。

2007 (平成19) 年2月27日

    国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟弁護団
    東京「日の丸・君が代」処分取消請求訴訟弁護団