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司法はこれでいいのか
──行政事件「鑑定意見書」執筆30年の経験から──

2021年4月29日

  4 月24日の「司法はこれでいいのか」集会 (主催 23期弁護士ネットワーク) における岡田正則早稲田大学法学部大学院教授 (行政法) の発言を詳しく知りたいとの要望が主催者に寄せられました。
 岡田教授のご了解を頂きましたのでNPJに掲載します。後に「法と民主主義」 6 月号に掲載するときは、若干の加除補正があるとのことです。編集部


   司法はこれでいいのか
   ──行政事件「鑑定意見書」執筆30年の経験から──


      2021.04.24/『司法はこれでいいのか。』出版記念集会
      於・アルカディア市ヶ谷 (私学会館) / 岡田正則 (早稲田大学)
 
1 はじめに──日本の司法への絶望と希望

 このたび出版された23期・弁護士ネットワーク著『司法はこれでいいのか。──裁判官任官拒否・修習生罷免から50年』(現代書館) は、日本の司法に対する絶望と希望の間で50年にわたって格闘をしてきた法曹の記録であると同時に、将来世代の法曹へのバトンでもある。

 「絶望」は、本書の副題が示しているとおり、50年前の任官拒否・修習生罷免にあらわれた司法行政と司法官僚制の悪弊が今なお強固に存続していることから生じている。希望にあふれた門出になるはずであった司法修習の終了式が、折からの「司法反動」に直撃されて、絶望の門出となったのである。これ以来、本書の著者らは「司法はこれでいいのか」という問いを、日本の法曹界と社会全体に対して投げかけてきた。
 「希望」は、その後の歩みであろう。著者らは、苦難の中でも、さまざまな創意工夫と連帯で、罷免対象とされた阪口氏の法曹資格回復を実現し、あるいは難事件の裁判での解決や立法措置による被害救済などで実績をつみ重ねてきた。これもまた日本の司法の一面である。著者らの「司法はこれでいいのか」という問いかけは、こうした歩みの先に見える希望を、これからの法曹界と日本社会に示している。
 
 司法に対する絶望と希望は、これほど激烈ではないとしても、洋の東西を問わず、そして昔から今日に至るまで存在している。その中で「希望」が語られるのは、政治権力の濫用に対して司法が毅然としてこれを抑止する場合である。政治権力の濫用を抑止することが近代における司法権力の第一の存在意義だからである。裁判では、行政権を相手とする訴訟においてその存在意義が試されることになる。
 以下では、日本の司法の特有の歪みを簡単に確かめた後、私の行政事件「鑑定意見書」執筆の経験を振り返ることによって、著者らの「司法はこれでいいのか」という問いかけに答えることにしたい。

2 日本の司法の特有の歪み

 日本では、宗教的な権威を含めて、1868年の時点で明治政府に権力が一元化されたことによって、行政権が「上から」近代国家の建設を推進する構造になった。司法権力は、歴史的にみれば、政治権力とは別の権威──国王に対する貴族や都市市民、領主に対する教会など──を基盤として成り立つのであるが、日本においてはこのような近代化の事情から、行政に対して司法が従属的になったのである。ここでは、その政治的および制度的な背景を確かめておこう。
 まず、政治的背景をみておく。明治政府は、当初、裁判所が行政権の違法行為に関する事件を審判すべきものとしたが、政府内の主流である行政官の側 (薩長閥) は、傍流である司法官 (外国語や法律の知識を身につけることによって政府に登用された判検事) が裁判手続で行政関係の事件を扱うこと自体を問題視し、司法官による行政牽制を排斥した。旧幕府側等の法律家の出自が “小さな司法” の一因となったのである。

 次に法曹養成制度の面で、行政官と司法官との間の上下関係が固定化された。すなわち、1886年の帝国大学令によって行政官養成が法学教育の中心に据えられたため、法曹養成はその周縁に追いやられたのである。
 さらに裁判制度の面でも、行政に対する司法の従属構造が形成された。1889年制定の大日本帝国憲法61条は行政裁判所を設置して行政事件を包括的に審理する方針を示したが、翌1890年制定の行政裁判法は、行政官の側の巻き返しによって行政裁判所の審理事件を 5 種類に限定した。一方、司法裁判所は、みずからが処理すべき事件を「私法」事件と刑事事件に限定する方針をとり、行政権に対する審査を全面的に放棄した。これらの結果、多くの行政事件は訴訟による救済の対象から除外された。

 以上のような出発点の問題に加えて、第 2 次世界大戦後の日本国憲法の下でも、行政に対する司法の従属構造は強められた。戦後、たしかに司法権は行政権から独立したが、行政事件を突然担当することになった民事裁判官は行政権との対応に苦慮することとなった。不慣れだというだけでなく、平野事件 ( 1 ) のように、アメリカ占領軍の圧力にもさらされた。そしてこの事件を契機として、訴訟法 (行政事件訴訟特例法) も行政に特権を認める仕組みとされた。それは、1962年制定の現行の行政事件訴訟法にも引き継がれている。日本の司法官僚制は、行政権に対して従属的な態度をとることで保身を図る体質になってしまったのである。
 行政と司法との間のこうした構造的な問題は、2000年代の司法制度改革で検討の俎上に載せられたが、抜本的な見直しが行われることなく今日に至っている
( 2 )

( 1 ) 1948 (昭和23) 年初頭に前農林大臣・平野力三が占領軍の公職追放指定に対して地方裁判所に国会議員身分の保全を求めた事件。東京地裁は議員身分保全の仮処分を決定したが、占領軍は最高裁判所と東京地裁に対して決定取消しの (超憲法的な) 指令を出し、裁判所をこれに服させた。岡田正則「平野事件」法学教室349号 (2009年) 9 頁を参照。
( 2 ) 以上については、文献を含めて、岡田正則「行政訴訟の審理と裁判官の責任──その歴史と現状」判例時報2351号 (2018年) 122頁、同「国策と裁判所── “行政訴訟の機能不全” の歴史的背景と今後の課題」法と民主主義534号 (2018年) 4 頁など参照。

3 行政事件「鑑定意見書」執筆の経験から

 日本の裁判所は、上述のような特有の司法官僚制の下で、行政事件をできる限り門前払いにすること、そして本案の審理に進んだ場合には行政権の言い分を尊重することを行動原理としている。このような病理現象は、行政訴訟の議論における訴訟要件論と行政裁量論の異常な肥大化にあらわれている。
 一方、多くの裁判官は、行政事件を担当することになった場合、対象となっている行政分野の法解釈について、行政法学説の動向を確かめようとする。行政権の解釈を鵜呑みにするのでは、一面的な事件処理になりかねないからである。また、司法制度改革の前後から最高裁が過去の行政判例を見直す姿勢を示しているので、判例変更の可能性を視野に入れておきたいという心理も働いていると思われる。それゆえ、行政法学者は「鑑定意見書」の提出を求められる機会が比較的多いと考えられる。

 私が初めて裁判所に「鑑定意見書」を提出したのは、1992年に提訴された、身体障害のある高齢者の年金併給調整事件である。まず、管轄裁判所がどこになるのかが争点になった。国側は、原告居住地の裁判所 (金沢地裁) ではなく、処分行政庁 (社会保険庁) 所在地の東京地裁が管轄裁判所だと主張した。私は、行政事件訴訟法12条 3 項の立法趣旨に基づいて、地元の社会保険事務所所在地の地裁が管轄裁判所となる旨を説いたが、結局、東京地裁に係属することになってしまった。 しかし、和歌山県で同種の事件が提訴された際には、外国法の状況を含めた論文を完成させていたので、これを提出し、最高裁で原告の地元の地裁を管轄裁判所とする決定を得ることができた。以後、これが判例となっている ( 3 )

( 3 ) 最決2001 (平成13)・ 2 ・27民集55巻 1 号149頁 (和歌山年金訴訟・移送申立事件) 。論文は、岡田「行政訴訟の管轄と裁判を受ける権利──行政事件訴訟法12条 3 項の立法史的・比較法的検討──」早稲田法学第71巻第 3 号 (1996年) 39頁。

 上記の年金併給調整事件において、原告は、行政の指導に従った結果として障害年金と老齢年金を約 5 年にわたって受給した後に過剰受給分の200万円余の返還を求められた。私は、行政に対する信頼保護の原則から行政側の請求権が制限される旨の意見書を提出し、裁判所もおおむねこれに沿った判断を行った ( 4 ) 。社会保障事件では、このほか、学生無年金障害者訴訟や発声障害議員の代読裁判、「消えた年金」事件などで意見書を提出した ( 5 )

( 4 ) 東京地判1997(平成 9 )・ 2 ・27判時1607号30頁 (宮岸年金事件) 。論文は、岡田「社会保障領域での授益的行政行為の取消しと行政手続の課題──社会保険 (年金) 分野を中心に──」行財政研究第31号 (1997年) 12頁。
( 5 ) 岡田ほか「学生無年金障害者訴訟の経緯と論点──違憲立法の合法性審査を中心に──」法律時報77巻 7 号 (2005年) 69頁、岡田「議会における「いじめ」の違法性と地方自治体の賠償責任」川崎和代・井上英夫編『代読裁判──声をなくした議員の闘い』 (法律文化社、2014年) 80頁、岡田「厚生年金保険 (船員保険) の保険料徴収権の時効消滅について保険者 (国) 側に責がある場合には被保険者に対する保険給付を行うべきものとした事例──櫻井年金訴訟」賃金と社会保障1467号 (2008年) 14頁。櫻井年金訴訟は、戦時中に徴用された船員の年金保険料納付の証拠書類が残っていなかったため、徴用期間分の年金が支払われていなかった事案であるが、「国側は保険料徴収責任を有するのであるから、原告の不納付を立証できない限り、原告の年金受給権の成立を否定することはできない」という趣旨の立証責任転換の意見書を高裁に提出し、逆転で勝訴することができた。
 
 基地訴訟では、小松基地訴訟で、民事訴訟によって自衛隊機騒音差止め請求をなしうる旨の意見書を提出し、裁判所で証言した。地裁はこの意見を採用したが、高裁・最高裁は厚木基地第 1 次訴訟最高裁判決に沿って、訴え却下の判断を行った
( 6 ) 。この後、厚木基地訴訟弁護団の求めに応じて、行政訴訟による差止め請求が可能である旨の意見書を地裁と高裁に提出し、地裁では無名抗告訴訟による自衛隊機の差止めが、また高裁では法定抗告訴訟によるその差止めが認容された。これは基地訴訟では画期的な成果であった。最高裁は、法定抗告訴訟による差止め請求の途を認めて、判例として確立する一方、自衛隊側の騒音低減の努力等を理由として請求を棄却した。また、米軍機騒音の差止め請求の途については課題として残されたままである ( 7 )

( 6 ) 提出した意見書と証言の内容は、岡田「公共事業の公権力性と差止訴訟──厚木基地訴訟 (第一次) 最高裁判決の再検討」法律時報70巻 6 号 (1998年) 95頁、地裁判決は、金沢地判2002 (平成14)・ 3 ・ 6 判時1798号21頁。
( 7 ) 横浜地判2014 (平成26)・ 5 ・21判時2277号38頁、東京高判2015 (平成27)・ 7 ・30判時2277号13頁、最判2016 (平成28) ・12・ 8 民集70巻 8 号1833頁。関係の論文として、岡田「基地騒音の差止請求と改正行政事件訴訟法」早稲田法学88巻 3 号 (2013年) 1 頁、「厚木基地訴訟・辺野古訴訟最高裁判決からみた司法制度の現状」法と民主主義516号 (2017年) 38頁など。

 戦後補償に関しても、10本程度の意見書を出している。最初のものは、名古屋朝鮮女子勤労挺身隊訴訟で、戦後の裁判所が国家無答責の法理を用いることは許されないという点、および国家総動員法体制の下での「動員」をめぐる法関係とその実態に照らしてみれば損害賠償請求権が成り立つ点を論証する意見書であった。その後、731部隊による被害の訴訟などで、この法理の形成史を全面的に検討し、その成果を学位論文にした ( 8 ) 。この延長で、横浜事件国賠請求訴訟でも意見書を提出した。国家無答責の法理には実定法上の根拠がないことを裁判所の共通認識にすることはできたが、大日本帝国憲法下の判例を維持する裁判所の態度を改めさせるには至っていない。

( 8 ) 岡田「大審院判例からみた「国家無答責の法理」の再検討 ( 1 ) ( 2 ・完) ──朝鮮女子勤労挺身隊の動員を例として」南山法学25巻 4 号85頁、26巻 1 号33頁 (2002年)、同「明治憲法体制確立期における国の不法行為責任 ( 1 ) 〜 ( 5・完) ──国家無答責の法理と公権力概念」南山法学28巻 4 号 1 頁〜31巻 3 号49頁 (2005〜2007年)。後者は後に『国の不法行為責任と公権力の概念史──国家賠償制度史研究』 (弘文堂、2013年) として公刊した。

 公務員法の分野では、まず、政治的行為の制限をめぐる堀越事件・世田谷事件でいくつかの意見書を提出し、東京地裁と東京高裁で証言も行った
( 9 ) 。堀越事件は、社会保険庁職員による政党ビラ配布が国家公務員法102条 1 項違反だとして起訴された事件であるが、高裁・最高裁で無罪判決を得て、猿払事件の判例を実質的に変更することができた。一方、世田谷事件は同様の行為であっても幹部職員の活動だという理由で最高裁は罰金10万円の判断を維持した。次に、日の丸君が代関係の訴訟に関わった。起立・斉唱命令違反を理由とする懲戒処分は戒告を上限とするという最高裁判例が確立された。また、再雇用拒否処分については地裁・高裁で違法判断を得たが、最高裁ではまともな理由の説明もなく棄却判決が出された (10)。これらの最高裁の判断は、総じて 1 勝 1 敗の判断を示すことによって自らの存在意義を演出しているように見える。

( 9 ) その内容は、岡田「公務員の政治的行為に対する罰則適用の意義と限界」早稲田法学81巻 3 号 (2006年) 335頁、同「国家公務員の政治的行為規制に関する人事院規則委任条項・罰則適用条項挿入の経緯と趣旨 ( 1 ) 〜( 3 ・完) 」早稲田法学84巻 1 号147頁〜84巻 4 号67頁 (2008〜2009年) 。両事件の最高裁判決は、最判2012 (平成24) ・12・7刑集66巻12号1337頁および同1722頁。
(10) 懲戒処分取消訴訟については、最判2012 (平成24)・ 1 ・16判時2147号127頁および139頁、再雇用訴訟については、最判2018 (平成30) ・ 7 ・19判時2396号55頁。意見書をもとにした論文として、岡田「教育公務員の懲戒処分に関する裁量権の逸脱・濫用の違法について」Law & Practice, No.5 (2011年) 171頁、同「教育公務員の再雇用における行政裁量の限界──東京都教職員再雇用拒否事件を例として」南山法学38巻 3 ・ 4 号 (2015年) 409頁など。


 このほか、建設アスベスト訴訟 (一人親方への国家賠償) 、税務訴訟、辺野古埋立て問題関係の訴訟などでも意見書を提出した
(11)

(11) 関係の論文として、岡田「国による石綿建材の指定・認定行為と国家賠償責任」早稲田法学87巻 2 号 (2012年) 75頁、同「国家賠償訴訟における反射的利益論──建設アスベスト事件を素材として」早稲田法学91巻 4 号 (2016年) 1 頁、同「地方分権改革後における条例制定権の範囲に関する一考察──神奈川県臨時特例企業税条例事件控訴審判決の検討を中心に」早稲田法学87巻 1 号 (2011年) 1 頁、同「埋立承認の職権取消処分と取消権制限の法理」紙野健二・本多滝夫編『辺野古訴訟と法治主義』 (日本評論社、2016年) 187頁、同「行政処分の撤回における適法性と公共性──公有水面埋立承認処分の撤回を例として」晴山一穂ほか編『官僚制改革の行政法理論』 (日本評論社、2020年) 200頁など。

4 おわりに

 以上のような日本の司法の特有の歪みと「鑑定意見書」経験に照らしてみると、日本の司法への「希望」は、やはり本書の中で示唆されていると思われる。それは、政治権力・行政権力に対して司法権力が本来の役割を果たすように働きかける営みであり、これと連動して憲法に基づく立法と行政を促す取り組みである。司法官僚制自体を是正するためには、人事の透明化と国民参加が不可欠であるし (西川報告参照) 、EU やヨーロッパ人権条約で制度化されている裁判官の国際的な対話で、司法判断の基準の風通しをよくすることも必要であろう (12)

(12) ヨーロッパでの「裁判官対話」については、法律時報93巻 4 号 (2021年) の小特集「『裁判官対話』の地平」の諸論文を参照。

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