沖縄在住ヤマトンチュの県民大会参加ルポ
2010年4月26日 N・A生

  ウチナンチュ夫妻の車に便乗し、那覇から大動脈の58号線を一路北上。普段の3倍の時間を見込んで那覇を出発したが、予想通りの混雑。 市町村が市民に提供した送迎バスが何台か並走していた。小生の住む那覇市も数個所の集合地点を定めて希望者を募っていたが、締切前に定員を超過した由。

  会場のある読谷村に入った途端に大渋滞。バイク・自転車どころか、歩いて向う人にも抜かれる始末。 やむなく、横道脇に駐車して、数キロの徒歩を覚悟して会場に向う。空にはTV3局のヘリが舞う。 幸福ナントカ党の宣伝カーが 「鳩山政権は…」 と音をまきちらしながら走っていく。 すかさず、「あいつら、名護の市長選ではよう…」 と誹る声が会場に向う一団から挙がる。

  会場が近づき、スピーカーの声が耳に入ってきた。すでに開会時刻を過ぎている。聞き覚えのある県知事の声。 会場入口付近での大量のビラまきや団体のスピーカー合戦を予想しないでもなかったが、至って平穏。 大会プログラムの他に手にしたのはチラシ2枚と 「沖縄タイムズ」 速報版(4頁立て、早々と会場光景のカラー写真が刷り込まれていた)。

  帽子とサングラスで身を固めたものの、強い日差しを避けて会場の運動公園外周部の巨大なガジュマルの繁みを目指すと、 足の踏み場もないほどの密度で人々が座り込んでいる。演壇に耳を傾け、時折、静かだがしっかりした拍手が起こる。 普天間基地を抱える宜野湾市長の声はかなり張り詰めた感じだ。続いて演壇に立った名護市長は、ウチナーグチで冒頭の一節を切り出した(中段にも、再度)。 司会者を含め絶叫に走る発言者はひとりもいず、いずれも強く張りのある声で語られたなかでも、印象に残ったのは、 埋立て案が急浮上した勝連沖の漁業者を代表して演壇に立った漁業組合長の語り口だった(「本日 は地元漁業者もモズク漁を休み、この大会に参加をされてます。 よろしくお願いします」)。

  途中、ひな壇に並ぶ国会議員の名前が10名ほど紹介されたが、政権与党のなかで社民党議員が大きなアクションを見せたのに比べて、 民主党県連代表でもある喜納昌吉の動きは思いのほか控えめだった。 最前列中央に座る県知事が身にまとったシャツは大会カラーの黄色(黄信号=イエローマークの意味で選ばれたという)ではなく目の覚めるような青色、 やけに目立っていた(ちなみに、翌日は黄色のシャツで登庁した)。

  主催者発表9万人。宮古・石垣でも大規模な集会が開かれた。開会中、渋滞を抜けきれず会場に着いていない集団のあることが司会者から何度か報告されたし、 会場を探し回って一時間半、やっと辿り付いたと憔悴しきった表情で小生に訴えた中年男性もいた。 4月の休日に催される沖縄独特の祖霊祭祀行事・清明祭(シーミー)とかちあった家もずいぶん多かったらしい。 当日参加できない市民に向けて那覇・名護などの市街地で前日、黄色のリボンが配布されていた。

  個人意思で参集したごくふつうの市民の多いことを、行き帰りの道々あるいは会場で、実感した県民大会だった。

  最後に、本土メディアの論調は、普天間問題をもっぱら政権追及の 「手段」 と化している感があるが、ウチナンチュの目は真っ直ぐに、 長期固定化した米軍の存在に向けられていると思う。

追記
1.地元TV局のニュースを見た知人から教えられたのですが、知事が舞台裏でシャツを黄色系から青色系に着替えたのを目撃した記者が、 「どうしたんですか?」 と訊ねると、「汗をかいちゃってね」 と応じたそうです。
2.大会には、県内全市町村の首長と自民・公明を含む国会議員が参加したなかで、県内移設に舵をきった国民新党は不参加を早々に表明しました。