ウォール街占拠(Occupy Wall Street)
ならぬ 「ワシントンDC占拠」 報告

2011.10.22 NPJ編集部


Occupy DC 入口 DCという文字の左隣のマークは 「District of Columbia
(首都ワシントンの正式名称)」の正式なマークであるが、ドルマークでもじられている。

  ワシントンDCの目抜き通り、Kストリートの一角にある公園が数週間前から Occupy(占拠)されている。McPherson Square というその公園は、 Kストリートの対岸にシティバンク、2ブロック南西にはホワイトハウスというロケーション。 人口自体がNYの10分の1もないワシントンDCのその 「占拠」 の規模は小さいが、寝食をそこで行っている人で100人程、 日中は随時入れ替わりながら常に300人程は集まっているだろうか。平日ランチ時には周りのオフィスからさらに多くの参加するとのこと。 10月15日(土)の時点ではテントは61個。ホワイトハウス前まで Occupy を広げる! と参加者は意気込む。


テント村・拡大中

  そこは、まるで小さな町である。テントのエリアがあり、即席インフォメーション・センターがあり、即席キッチンがあり、即席図書館があり、 町のルールは 「Occupy DC ガイドライン」 に決められている。毎日、1、2度のデモ行進を行い、午後6時に総会を開き、随時委員会のミーティングを開く。 あとは、思い思いの時間を過ごす。さらにアピール行動をするもよし、公園で本を読んだり、インターネットで発信したり、 とにかく一番の目的は Occupy 「占拠」 である。とはいえ、たくさんイベントがあり、みな何らか担当を持っていて、人々はせわしなく動き続けている。 すべてを運営し、各国各街と連携し、世界中に発信して、「占拠」 急成長を支えているのは彼らであり、 何人かの人には会話の途中 「ごめん、今から委員会だから失礼するね。」 などと話をさえぎられた。


共和党ロン・ポール下院議員の支持者たち

  飲酒・薬物絶対禁止、完全な Non-Violence (非暴力)の戦いである。警察もぶらぶら散歩がてら加わっている。 「占拠」 している人に聞くと 「警察も総会をのぞいていったり、普段も楽しくおしゃべりしてるからすっかり仲良しだよ。」 とのこと。 介入などは全くないとのことであった。


今日と明日のスケジュール

1.運営
  「ウォール・ストリートの運営方法を真似しているんだよ」 とのことだが、総会が全体の意思決定機関。 その日の総会では、翌日の行動計画や必要な出費への許可、公園内で守るべきルールの拡張・確認、などが担当委員会のリードで行われていった。 「占拠」 の成長傾向は明らかで、テントが増え続けるがテント設置禁止エリアを決めようとか、 インターネット用のソーラーパネルがこれから設置されるが出費してよいか、など議論され、 また 「Occupy DC 新聞」 の発行やラジオステーションでの放送が決まっていた。 ちなみに、10月15日(土)の総会参加者150人の3分の2ほどは初めて 「占拠」 に参加した人であった。


手前は配給の水。奥で参加者が自分たちの掲げるサインボード(看板)を書いている

  実際の 「占拠」 の運営を行うのは委員会。運営委員会、アクション委員会、トレーニング委員会、法律委員会、財政委員会、ファンドレイジング委員会、 メディア・テクノロジー委員会、アウトリーチ(宣伝)委員会、食糧委員会、医療委員会、衛生委員会、有色人種労働者委員会、コンフォート(快適)委員会、 安全な 「占拠」 委員会、眠る人(sleepers)委員会……。新しい委員会を作りたい人は総会に持ち込み承認されれば成立。 その日は、家族連れで 「占拠」 している人が、家族委員会(family committee)を提案し、 子供の遊び場確保のためにある一角を禁煙にしようという議題を出して承認されていた。


「勝手にもっていかないでください。世界が見ています。私たちは99%です」

  あらゆるものが寄付やら現物支給で賄われている。日に三回、プロのシェフ(「占拠」 参加者)の作る温かい食事にありつける。 もっとも、食事の全てを 「占拠」 村での支給で全員分が賄えているかは、自分が受け取った分からは少し疑問だが、 日帰り 「占拠」 参加者には遠慮して受け取らない人もいたので、泊まり込んでいる人には十分な量なのかもしれない。 トイレは周辺のスターバックスやレストランが解放してくれ、また、それらのお店は残り物を毎日差し入れてくれているそうだ。 コンフォート(快適)委員会の支給所には整髪料から女性の生理用品まで潤沢にそろっていた。


医療委員会・基礎的な薬品はそろっている

2.「占拠」 しながらの連帯感
  「占拠」 はするけれど近所の迷惑には絶対にならない、という意識でやっている。ルールがいろいろある。掃除はこまめにしてごみの分別もしっかり。 鳴り物は一切禁止。総会での拍手も禁止である。時折、Kストリートを通る車が応援表明のクラクションを鳴らし、 喜びの呼応がテントから上がって一瞬の盛り上がりもみられるが。


ごみは分別しています(この街では珍しい!)

  マイクを使わないので、公園全体に伝えなければならないことがある場合には、発信者が大きな声で 「マイクチェック! マイクチェック!」 と声を張り上げる。 そうすると周りの人がそれに呼応して、10人20人の声で伝達していくのだ。人間拡声器である。 今日のデモのルート、何とか委員会の集合時間・場所、料理ができた、大口の寄付に感謝、 誰それの洗濯物ができたから取りに来い、といったことまでみんな、人間拡声器で放送されていく。 ちょうど、私がキッチンでスープをもらっているときに、「料理用ボールが今すぐ必要なの。誰か放送で呼び掛けて!」 とキッチンの大学生くらいの女の子。 私の横でスープを受け取っていた大柄の男性が、「マイクチェック! マイクチェック!」 と声を張り上げる。 それを聞いた周りの人も 「マイクチェック! マイクチェック!」 と声を上げて続く。
男性  「キッチンで」
周りの人全員(10人?)  「キッチンで」
男性  「料理用ボールが」
周りの人全員(20人?に増える)  「料理用ボールが」
男性  「直ちに必要」
周りの人全員(30人?)  「直ちに必要」
男性  「サンキュー」
周りの人全員(50人?)  「サンキュー」
  3分くらいして、どこからかアクション担当の男性が料理用ボールを持ってやってきた…。
  何とも面白い光景なのだが、そんな参加形態が連帯感を生んでいるのだろう。参加者の多くが何らかの委員会に参加して自分で役割を担っていることも、 この抑揚した雰囲気の源だろう。今にも溢れそうな興奮を抑えながらの息の長い取り組みである。


みんなの図書館。最近の雑誌などもおかれていた

3.参加者
  17歳くらいから65歳くらいまでの幅広い年齢層の男女。白人黒人ラテン系はまんべんなく参加している。が、アジア系はほとんどおらず、 総会の後、総会に唯一出ていたもう一人のアジア系の学生に 「なんでアジア系は僕たちしかいないのかな」 と話しかけられたくらいであった。


メディア委員会が、随時情報をインターネットにアップする

  DCは政府の街である。総会で隣になった50半ばの白人男性は入国管理局の職員だった。 ちょうど彼に彼の弟から電話がかかってきて、「今 『占拠』 に参加していると伝えたら怒られたよ」 と彼は笑っていた。 「この町は政府関係者ばかりだから、僕以外にもたくさんの政府関係者が来てると思うよ。みんな職業は明かさないかもしれないけど」 と。 その彼は 「また明日も来るよ、この動きは素晴らしい」 と穏やかに感動を示してしていた。


占拠村の入り口から道路対岸のシティーバンクを眺める

  参加者の大半はリベラル層だろうが、保守中の保守・リベタリアン(訳は 「自由至上主義者」? 「自由統治主義者」?) からもこの運動は根強い支援を受けている。リベタリアンからの大統領候補であるロン・ポール下院議員(共和党)のサポーターが公園の一角で訴えていた。 (ちなみに、リベタリアンはアメリカの海外派兵の大規模縮小を訴えており、ロン・ポール議員は沖縄からの海兵隊即時撤退を唱え続けている)


中心になっているのは圧倒的に若者たち。総会での司会進行

4.首都の誇り
  メディア委員会のインターネット作業を見ていた時、日本から来たと言うと 「Occupy Tokyo があったんだって!?」 と聞かれる。 「うん。でも残念ながら、「占拠」 というよりはデモで、しかもそんなに大きくなかったみたいなんだけどね」 というと、 「でも、東京でもやっているってことがすごい! 東京では原発反対のことも訴えたんだってね。今日本では一番大事だよね」 と興奮気味である。


「警察官、あなたも99%の一人だ」 とのサインボード。思い思いの発信をしながら、
「占拠」している彼らは、思い思いの時間を過ごしている

  ここの参加者は 「NYに続け!」 「私たちが世界を変える!」 という意気込みをキラキラと背負って一瞬一瞬を過ごしている。 話しかけると、そこに何日も住んでいる人からは 「自分自身の取り組みなんだ」 と興奮した口調が帰ってくるし、初めて参加した人からも、 取り組みに圧倒されながら自らが参加していることへの感動が伝わってくる。 既存の組織には全く頼らず、一人一人が参加している感がストレートにあふれる 「占拠」 村。 規模は小さくとも、ワシントンの Civil Movement (市民活動)は本気だ、と言われる。 キング牧師の時代、いやその以前から、常にアメリカ中の運動の終着地はここ、首都が変わらなければ変わらない、と取り組むのがワシントニアンの自負。


キッチンでスープの配給を受ける

  さて、日本の首都は。


総会。毎回、初めて来た人も多く加わりながら、活発に議論がなされる

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