【NPJ通信・連載記事】一水四見/村野謙吉
近代西欧知識人の悪癖 ~現世思考・秘密結社のエリート主義・性的遊戯の 共犯意識・優生学的世界設計~
イギリス領インド帝国のボンベイ(現ムンバイ)に出生した作家のキップリング (1965-1936) は、
「ああ、東は東、西は西、両者は決してまじわることはないだろう」
(Oh, East is East, West is West, and never the twain shall meet.)」
で始まる詩を書いた。それは今日の欧米と中国の文明的価値観の対立を暗示しているかも知れない。
そして『真昼の暗黒 (Darkness at Noon) 』の著者アーサー・ケストラーは次のように日本に問いかけた。
「東は東、西は西と言うけれど、日本はいずこに安住するのだろうか?」
( If East is East and West is West / Where will Japan come to rest?)
ケストラー (1969年) ↑ |
アーサー・ ケストラー (1905ー1983) はハンガリー生まれのユダヤ人作家だが、 様々な国に居住し、ついに英国籍を得て安住の地をイギリスに求めたかに見えた。しかし ケストラーが本当にイギリスを安住の地として満足していたのかどうかはわからない。 ケストラーには、本当に愛着している郷土と母語があったのだろうか。 |
著名な欧米の知識人らしく (?) 多彩な女性関係の持ち主でもあったが、これについての情報は英文のウィキペディアに不名誉な解説がされている。(1)
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ケストラーは東洋が西洋文明の悪徳に対してなんらかの解決策を提供できるかどうかを確認するかのように (おそらく不安な自身の安心立命を求めることも兼ねて) 1958年12月から1959年初めにかけてインドと日本に滞在した。そして東洋の旅でえた体験と鈴木大拙 (1870-1966) の
Zenに関する文献などの知見にもとづいて (自分が期待したことが見出せなかったためか) 日本の文明的価値観について否定的見解を抱いて帰国したようだ。
インドと日本の滞在経験の結果は『The Lotus and the Robot (蓮華とロボット)』(1960) の作品となった。これは西洋の知性と情念の深部をみつめていたケストラーによるインドと日本についての文明批評である。
しかしインドの理解については、ケストラーと交流のあった『1984年』の著者・インド出生のオーウェルが父子2代にわたって支配者としての英領インド帝国に奉職しイギリス植民地政策の徹底的批判者となったから、ケストラーの短期間の滞在による印象的なインド体験とは比較にならない。
本書の日本の部の最後の章のタイトルは「A Stink of Zen」。直訳すれば「禅の悪臭」。「A
Stink of Zen」は禅語録では決して否定的な表現ではないと著者は序文で断っているが、本章を読めば禅語録に対する文字面の自己流解釈であり、結論的に日本文化に自分の求めたことが得られなかったようだ。
しかし、仏道としての禅は「わたくし」の期待に応えるためにあるのではなく、外部に(文明、民族、性愛、財力、思想などに)「わたくし」の究極的期待を求めることを戒めるのが禅であり、仏陀の無我の教えである。
本書の批評姿勢は ~常に相手より上位に立って支配権を維持し、自分の非は巧みな言説と具体的な慈善的言動のレトリックによって上書きし非は相手にある~ とする典型的な支配者意識を維持している西洋知識人の姿勢を踏襲しているように (多少の禅体験があり鈴木大拙師と個人的面識のあった日本人の筆者には) 見える。
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ケストラーの形而上の言説活動と形而下の性的行動に触れたので、彼と同時代の著名な西欧知識人について (筆者のつぶやきを加えた) 概略を以下に記す。
- バートランド・ラッセル (1872-1970 : 英・哲学者) =97歳没。生涯4度結婚、最後の結婚は80歳。
- L・ウィトゲンスタイン (1889-1951 : オーストリア・哲学者・ケンブリッジ大学教授) =62歳没。ユダヤ系。ラッセルの教え子。超富豪の息子。4人兄弟の3人の兄は自殺。性的嗜好はWikipediaを参照。生涯独身。
- H.G. ウェルズ (1866-1946 : 英・作家・「SFの父」) =80歳没。少なくとも愛人が二人いた。彼の妻は「SFの父」である夫とどのような生活を送っていたのだろうか。ウェルズは日本国憲法の原案作成に大きな影響を与えたとされるが実態については (筆者には) 不明。(2)
多くの社会科学系の学者に強い影響を与えたと言われ日本の知識人に高く評価されているらしい『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で有名なドイツ人のマックス・ウェーバーは、どうか。
- ウェーバー (1864-1920 : 独・社会学者・政治学者) =56歳没。 D.H.ロレンスの愛人フリーダ (当時既婚、『チャタレー夫人の恋人』のモデル) の姉エルゼ (ウェーバーの友人の妻) と不倫関係。“プロテスタンティズムの倫理 ” と著者の “実生活の倫理 ” の関係はどうなのか。
- M.ハイデッガー (1889-1976 : 独・哲学者) =87歳没。主著『存在と時間』。カトリック教徒の実存哲学者ハイ デッガー教授 は反ユダヤ主義者でありつつユダヤ人学生のハンナ・アーレント (18歳) と愛人関係をもった。当時ハイデッガーは妻帯者で2児の子持ちの35歳。ハイデッガーとアーレントのどちらが誘いをかけたのか、そこで生じた愛についての “存在と時間” に関わる関係は (筆者には) 不明。
- J.P.サルトル (1905-1980 : 仏・実存主義哲学者) =75歳没。妻ボーボアールと生涯契約結婚。その契約の仔細は (筆者には関心なく) 不明。その間、関係した愛人らしき女性は多数。師匠格のハイデッガーが『存在と時間』を書いたのでサルトルは『存在と無』を書いた。サルトル・フアンは “実存的” に気を悪くするかもしれないが、オーウェルによるサルトル評は「大ぼら吹き (a bag of wind) 」。 A. シュバイツァー (90歳没。ノーベル平和賞受賞者) とは親戚関係にある。
ケインズ↑ |
ある日、ロレンスはバートランド・ラッセルとケンブリッジのキングズ・カレッジに居住のケインズを正午頃訪問した。その時のロレンスの反応は? |
「そんなに毒々しい、恐るべき生温かい黴の感覚が、まるで深い内部の汚物から、一種の下水から生ずるように、なぜ K、B、D、G のような男たちの深部から生まれてくるのか。私には殆ど耐えられないのだ。倫理的に是認できないからそうなのではない。 私自身は、プラトンやオスカー・ワイルドが、どうしようもなく間違っていると考えたことはなかった。
Kを見たとき、ケンブリッジでKを見たときに初めて、その正体が解ったのだ。よく晴れた日の正午に、私たちは彼の部屋に行った。彼はいなかったから、ラッセルはメモを書き始めた。そのとき突然戸が開き、パジャマ姿のKが、寝惚け眼をしばたたせて立っていたのだ。・・・腐肉のようなものの感覚、禿鷹が連想させるあの感じだ。それを思い出すと気が狂いそうになる。」(3)
4つのイニシャルの最初のKはケインズである。「ケインズは、ウィトゲンシュタインに対して、友情と尊敬の念を終生にわたって抱きつづけた。」(4) 異性愛専門のロレンスによるケインズ評は感情的で大袈裟過ぎるのだろうか。
ロレンスは1930年、ケインズは1946年それぞれ亡くなっているが、ケインズの人物に対する嫌悪感を述べるロレンスの記録文書は1979年まで公開されなかった。
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当時のケンブリッジ大学には「使徒会」 という秘密結社が組織されており、多くの著名な学者、作家、芸術家、科学者、官僚らが関わっていた。ここには、E・M・フォスター (作家)、G・M・トレブリアン (歴史家)、G・E・ムーア (哲学者)、L・ヴィトゲンスタイン、B・ラッセル、もちろんケインズが参加していた。
一方、欧米のエリート知識人を嫌っていたオーウェルとロレンスは、「料理や繕い物などの家事をよくし、労働者階級の生活を理想化し、自分が労働者たちの心の温かさや彼らの感情に触れていることを信じていた。彼らは都市(生活)、機械文明、拝金主義を嫌い、田園を愛し、自然に対して深い知識を持っていた。階級組織を憎み、ブルジョア的諸価値を攻撃し、そういった者たちに挑戦する彼らの出版物は禁止の憂き目に遭った。
・・・生涯を通じて病弱に悩まされ、同一の医師に治療を受けていたオーウェルとロレンスは四十歳半ばにして同じく肺結核で死亡した。」
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男性の知識人や学者の業績と当人の (同性愛を含む) 成人女性との関係自体は関係がないという見方もあるかもしれない。しかし、一般庶民や芸術家の恋愛事情ならともかく、行政と高等教育に影響力のあるエリート知識人が秘密結社に参加し特殊な性愛関係を愛好することは、安定した社会形成の基本である一般家庭の崩壊に関わってくるのではないか。
著名なエリートの知識人らが関わっていた「使徒会」のような人脈が、高度な政治性を帯びた「エプスタイン文書」で暴露されているような欧米著名人らが関わる小児性愛 (虐待) と底流において関係はないのだろうか。
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日本にとっての問題は知識人の形而下の性的行動ではない。使徒会グループに参加しているような西欧の知識人らの論文を有り難く研究している西欧コンプレックスを持つ一部の日本の知識人たちだ。
それは「なにしろ明治の文明開化以来、西欧的なものへの劣等感は、少なくとも私の学生時代頃までは日本人の深層心理の奥深くに潜んでいた (脇本平也『全仏 No.535 (2007)』;東京大学名誉教授、宗教学者) 」。
「西欧的なものへの劣等感」でなにが悪い、洋の東西を問わず、是々非々でいいものはいいのだ、と居直られれば言い返す言葉がないが「相手方の価値観を基準に置いて自己批判を試みていると思われる点に問題がある」(前掲、 脇本) のではないか。1960年代でも、この 劣等感は知識人・研究者らの間に影響をもっていたようだ。
“西欧製”の批判の鏡を掲げて様々な日本の暇疵を指摘する特に戦後の日本の知識人の習性から未だに抜け切れていない状況に、現在も日本は置かれているようだ。
ハイデッガーをはじめ欧米の多くの著名な知識人と面識を持っていた鈴木大拙は、彼らの人格と思想の乖離に気がついていたが、そのような西欧知識人たちに憧れている日本の知識人たちに苦言を呈する。
「東洋には、哲学がないとか、美学がないとかいう人が、かなり多い。それだけならどうでもよいが、それが何か東洋人の頭の、西洋人のほどに発達しなかったかのように考えて、何か卑下する感じを持ちたがる若い学者がいる。この下劣感はいらぬ話だ」(鈴木大拙「東洋「哲学」について (1961) 」)。
当然のことながら西欧の近代は、奴隷貿易、魔女裁判、陰惨きわまりない異端審問、政府・企業・教会一体の植民地政策を歴史の前段階としているのであり、今日のパレスチナ、アフリカ、ミャンマー 、 アフガニスタン、イラクに起こっている諸問題はすべてかつての西欧植民地の負の遺産が清算されていないことが深く関わっている。
概して西欧の知識人による歴史解釈は、自分たちの負の遺産を巧みに上書きしてゆく。コロニアリズム (植民地主義) は、現状の解決の困難な部分はそのままにして西欧の知識人がポスト・コロニアリズムを論壇・メディアで “論じることによって” 言説操作が行われ、歴史的にコロニアリズムが克服されているかのように言説上錯覚させられる。
そのような基本的歴史的事実を考慮せず、西欧の思想家の人間性に触れずに、彼らの思想の言説のみに被れた日本の知識人の傾向はすでに明治期に始まり、その後GHQの見事な日本人劣化政策には無関心なのが、 現在まで続いている “進歩的知識人” や “保守” や “反体制派” を名乗る様々な言論人たちなのだろうか。
しかし、ケストラーという、西欧の情念と思想の複雑な暗部を象徴的に一身に体現した知識人を思うとき、日本は東西のいずれの文明に地位を確定するのであろうか、 というケストラーの問い自身に近代西欧知識人の自己自身についての自省がないのではないか、と考えざるを得ない。
同時に「文明」の語義についての吟味も必要であり、西欧文明の暗部を鋭くして指摘しているケストラー自身が西欧文明の価値観の負の部分をも深いところで是認しているのではないのか、と考えざるを得ない。
日本は「和の精神」で常に生成的に充足してゆく文化国家であり、量の拡大と効率化を価値観とする支配的イデオロギーが主導する文明国家でなくてよい。
ケストラーはインドと日本でえた体験と知見から、ギリシャ・ローマ文明とユダヤ・キリスト教文明から構成されている西欧の知的空間における多様性のなかの統合性と、時間的変化をつらぬく持続性を内包したヨーロッパ文明の価値を肯定して東洋の旅を終えたようである。
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1983年、ケストラー (77歳) はパーキンソン病などを理由に、三番目の最後の妻シンシア (55歳) を道連れにして薬物により自宅で自死した。両人の遺体は3月3日、死後36時間を経過して発見された。そして、彼らの “double suicide” は少なからぬ論争を欧州で引き起こしたようだ。
健康な妻を道連れにしたケストラーの死に様は、いかにも非ユダヤ・キリスト教的である。
しかし、ケストラーは、ユダヤ・キリスト教的情念の内部で育成されてきた近代西欧知性のエリート的人間関係に対する愛着は捨てきれなかったようだ。
ケストラーは日本の文明的帰属を問うていたのではなく、実は東西の文明論を超えた、自分の死生観を求めていたのではなかったか。
禅を批判し日本文化の和の心に触れず、鈴木大拙が生涯求めていた「自己の究明」に関心も持たなかったケストラーが選んだ自らの人生の結論は、実は女性の抱擁力に依存した一人の男の「心中」だったのではないか。
ロレンスに散々こき下ろされたケインズの自省らしき文を記して、このコラムを終えたい。
「文明とは、ほんのひとにぎりの人間の意思によって支えられた、薄くて頼りない外皮のようなものであり、しかも巧みに悪智慧を働かせて守っている慣行や慣習によってのみ維持されうるにすぎない。生活の秩序のために先人たちが果たした並々ならぬ成果を尊重することなど、われわれには思いもよらなかった。あるいは先人たちは秩序を守るために精巧な枠組みを創造したわけだが、そのことにわれわれは気がつかなかった。」(5)
(2026-07-20)
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*このコラムに関して引用文の誤記や一定の内容について筆者の意図しない誤解などがあれば、ご指摘を受けて訂正したい。
(1) Wikipedia (last edited on 22 May 2026) → Arthur Koestler:Personal life and allegations:Koestler’s relations with women have been a source of controversy. David Cesarani alleged in his biography of Koestler, published in 1998, that Koestler had been a serial rapist, citing the case of the British feminist writer Jill Craigie who said that she had been his victim….
(2) (4) H・G・ウェルズ、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン →『ウィキペディア(Wikipedia)
(3) 井上義男『新しき天と地 評伝 D・H・ロレンス Ⅱ』小沢書店
(5) W・カール・ビブン(斉藤精一郎訳)『誰がケインズを殺したか』日本経済新聞社
[参考文献]
・ディーコン・リチャード(橋口稔訳)『ケンブリッジのエリートたち』晶文社
・村石恵照「G・オーウェルの自由 ― 王冠・絞首刑・偽善をめぐって ―」(『オーウェル―20世紀を超えて』) 音羽書房鶴見書店
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