【NPJ通信・連載記事】読切記事
日本の金利上昇と政策論争
失われた30年という現実
「失われた30年」の初出は1999年5月。拙著『日本の総決算』(講談社)帯に「失われた90年代」と記した。同年12月には原田泰氏が『日本の失われた10年』(日本経済新聞社) を刊行した。流行語となった「失われた10年」は20年となり、30年となった。諸外国と比較すると日本の停滞は鮮明だ。
ドル表示名目GDPの推移を見てみよう。1995年、日本のGDPは5.6兆ドル。米国の7.6兆ドルに肉薄する堂々の世界第2位に位置した。しかし、2010年に中国に抜かれて第3位に転落。2023年にはドイツにも抜かれて第4位に転落した。
1995年を基準とすると米国のGDPは2025年に4倍になった。中国のGDPは2025年に27倍になった。その一方で日本のGDPは1995年の5分の4に縮小した。過去30年に日本のGDPは5分の4に縮小した。いまや、米国のGDPは日本の7倍、中国GDPは日本の5倍弱である。日本経済だけが30年間、一歩も前進できなかった、というより、後退した。
為替レートを見てみよう。通貨の実力推移を正確に知ることができるのが「実効実質為替レート」。「実効」は多通貨との関係を勘案して算出されていることを意味する。他国通貨はドルだけでない。ユーロも人民元もルーブルもある。貿易量の比重で加重平均する。
実質は内外インフレ率格差を調整したことを意味する。日本のインフレがゼロで米国のインフレが10%だったら、名目で円が10%上昇して購買力は不変になる。1年前の1ドル100円と現在の1ドル90円が同じ水準になる。
円の実力推移を示す実質実効レートを振り返ると日本円が最強だったのは1995年4月で194 (2020年を100として)。日本円が最弱になったのが2026年7月で65。この水準は1970年8月の74よりも低い。
当時1ドル360円だった。海外に出かけるのに巨額の資金が必要だった。このときの日本円よりもいまの日本円が弱い。「失わた30年」で日本経済は地に堕ちた。
労働者一人当たりの実質賃金は1996年から2025年までの30年間に18%も減少した。アベノミクスが始まった2012年を起点としても9%減った。日本は世界最悪の賃金減少国である。
経済停滞下での長期金利急騰
この日本に経済の荒波がさらに押し寄せている。日本の唯一と言ってよい強みは物価安定だった。インフレが抑止されて、これだけが救いだった。賃金が上がらず物価が上昇したら目も当てられないが、物価が上昇しない状況が続いていた。ところが、これを破壊する活動が活発化した。
2013年に日銀総裁に黒田東彦氏が起用された。黒田氏は就任当初から「インフレ誘導」の旗を振った。黒田氏は日銀総裁を2期10年務めた。異例である。その10年間、インフレ誘導の旗を振り続けた。筆者は2013年に上梓した『アベノリスク』(講談社) において、黒田日銀のインフレ誘導は成功しない可能性が高いと記述した。日銀が短期資金を潤沢に供給しても市中銀行が融資を拡大しないと通貨量は増大しない。通貨量が増大しなければインフレは実現しないと指摘した。
予測は的中してインフレは実現しなかったが、20年以降に状況が急変した。コロナを背景に無担保無利子の融資が激増。日本でもバブル期以来の通貨量激増が発生した。このマネー増大を背景に日本でも悪性インフレが発生してしまった。25年には消費者物価上昇率が前年比で4%の上昇を示してしまった。
黒田氏は2023年4月の任期満了までインフレ誘導の旗を振り続けた。黒田日銀は23年度のインフレ率 (生鮮食料品とエネルギーを除く) が2%に届かないとの「甘い」見通しを示してインフレ誘導を続けたが、実際には3.9%も上昇してしまった。完全に見通しを誤り、深刻なインフレを招いてしまった。
23年4月に日銀総裁が植田和男氏に交代。植田氏は慎重に金融政策運営を軌道修正して現在に至る。本年9月の金融政策決定会合で0.25%幅の利上げを決定する。こうした状況下で日本の長期金利が大幅に上昇。10年国債の利回りは本年9月に3%の大台に乗せた。
長期金利上昇を背景に住宅ローンの金利も引き上げられている。メディアは日銀の利上げが住宅ローン金利上昇の原因であるかのような解説を示す。日銀の金利引き上げ政策は間違っているのだろうか。
錯綜する政策論議
他方、高市内閣が財政政策において政府の支出拡大や消費税減税を提唱していることについての論議もかまびすしい。日本の政策論議に米国のベッセント財務長官まで参入し始めた。ベッセント財務長官は日本円が上昇するべきとの見解を示し、円高を誘発するために日銀が金利引き上げを行うべきだと主張する。また、日本の積極財政政策について財政規律を重視するべきとの注文も発し始めている。
高市内閣は日銀の利上げに対して一貫して反対の姿勢を示してきたが、ベッセント財務長官が日銀の利上げを求めると、手のひらを返して日銀利上げ容認の姿勢に転じた。米国の命令に隷従するだけで、独自の考え方を有していないようにも見える。
他方、メディアは高市内閣の積極財政を総じて批判する。とりわけ、消費税減税については、日経、読売、朝日などの大手全国紙が足並みをそろえて高市内閣批判の論調を示している。一般市民は議論が錯綜して、何が正しく、何が間違っているのかも判定し難い状況に置かれてしまっている。
議論が錯綜している主因は、メディアが流布する情報が特定の勢力によって「操作」されているからだ。特定の勢力とは日本の財政当局=財務省である。日本の「失われた30年」をもたらした戦犯の第一は財務省と言ってよい。バブル生成を放置し、バブル崩壊を激烈に拡大させた。不良債権問題の処理が最優先されるべきだったが問題処理を先送り。事態を救い難い水準にまで深刻化させた。
日本経済が健康体を回復していないなかで消費税増税だけを推進してきた。その結果として30年間の経済超停滞がもたらされたのである。
正統な経済政策論の概要
まずは、議論の概略を整理したい。各論については稿を改めて論じることとしたい。メディアの論調をまとめると次のようになる。
・住宅ローン金利が上昇するから日銀の利上げは望ましくない。
・円安は企業収益拡大をもたらすから大きな問題ではない。
・積極財政は財政不安をもたらし、円を下落させ、物価上昇をもたらすから望ましくない。
・とりわけ、消費税減税は日本の財政運営に対する不安を増幅するから取りやめるべきである。
しかし、これらのすべてが正しくない。
・日銀の政策は住宅ローン金利のために存在するものでない。インフレ圧力が強いなら利上げでインフレを抑止するのが適正である。日本のインフレ率は現在約2%。これに対して日銀の政策金利1%は低すぎると言える。
・円暴落は外国資本による日本乗っ取りを招いている。日本国民は円暴落によってドル表示の所得、資産の激減に直面している。円暴落是正が必要不可欠で、そのためにも日銀の利上げ政策が求められる。
・積極財政は金利上昇と通じて円高要因になる。財務省もかつてはその主張を示していた。日本の一般政府 (中央政府・地方政府・社会保障基金の全体) は2024年末時点で427兆円の資産超過の状態にあり、財政不安が発生する可能性は皆無である。
・緊縮財政を中立または小幅積極財政に転換することは正しいが、方法としては利権バラマキの歳出拡大ではなく減税措置が望ましい。減税では大衆課税の消費税を減税するのが適切である。
これが正論である。メディアの情報が歪んでいるのは、背後で財務省が情報操作しているからだ。財務省は金利負担増大を回避する視点から日銀の利上げを嫌い、消費税減税潰しに全力を挙げている。利上げがインフレ心理を抑制して長期金利低下をもたらすという金融のメカニズムも知らない。財務省は大企業と富裕層への利益供与だけを重視して、その財源として一般大衆への課税強化を狙っており、そのために消費税減税を敵視している。
現在、内外で長期金利が上昇している背景に原油価格上昇がある。イラン戦争終結への動きが顕在化して原油価格は1バレル60ドル台に低下したが、米イラン交渉が停滞して再び100ドルを突破した。このインフレ心理が内外長期金利上昇をもたらしている。
このとき、中央銀行が利上げ対応を取らないとどうなるか。先行きのインフレ懸念が増大して長期金利上昇が加速する。中央銀行がインフレ抑止のスタンスを明示して利上げを断行する場合、将来のインフレ抑止が想定されて長期金利上昇が抑制される。インフレ心理悪化で長期金利は上昇しているが、その長期金利上昇を抑止するためには、中央銀行が短期政策金利を引き上げることが適正である。この意味で住宅ローン金利が上昇するから短期政策金利引き上げを見送るとの対応は正しくないと言える。
ベッセント財務長官が円高を求めるのは巨額の対日投資を実行した米ファンドの「出口戦略」として円高が望ましいからだ。日本の財政規律に言及するのは消費税減税が法人税増税につながることを警戒するからだ。日本企業株式の3分の1を保有する米ファンドは日本で法人税を払いたくないのだ。
それぞれが自分の利益だけを考えて情報誘導している。抜け落ちているのは国民の利益を増大させる経済政策のあり方を追求する視点である。
了
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