『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別』(高文研)
木村 朗(鹿児島大学教員、平和学)
今年本土復帰40年をむかえた沖縄では、圧倒的多数の県民の声を無視して、
「世界一危険な」 普天間基地に事故を相次いで起こした米海兵隊のMV22オスプレイが強行配備されようとしている。
4部構成からなる本書では、鳩山政権の挫折によって浮上した 「構造的沖縄差別」 をキーワードに、
その言葉の由来と現実の差別構造がどのようにして生まれてきたのか、またそれを克服する途をどこに求めるべきかを、
沖縄現代史を知りつくした著者ならではの視点で戦後の日米関係と沖縄、米軍基地と沖縄県民の闘いを歴史的に検証して明らかにしている。
第1、2部では、「構造的沖縄差別」 とは、「数十年にわたる思考停止状態の中での “沖縄の米軍基地に対する存在の当然視”」 に他ならない。
米国の占領政策の中で、象徴天皇制、日本の非武装化、沖縄の分離軍事支配は三位一体のものであり、
ここに 「構造的沖縄差別の上に成り立つ対米従属的日米関係」 が始まった。
つまり、そこから 「沖縄への基地押しつけを中心とする差別的仕組み」 が生まれ、
「構造的沖縄差別としての日米安保」 につながったことが明らかにされている。
また、50年代の本土の反安保・基地運動のリーダーには 「米日沖の特殊な関係」、構造的沖縄差別の仕組みは認識されず、
むしろそれを日米の国家権力の側が60年の安保改定後は沖縄の本土との分断のために利用することになった、
また条件付普天間返還はかえって構造的沖縄差別を浮き彫りにし、「民衆運動・沖縄世論の持続的抵抗」 に直面することになった、と指摘している。
いずれも深い洞察であり強い共感を覚える。
第3部では、「中国脅威論」 との関連で尖閣問題が扱われ、日中間の政治的摩擦・対立の背景には、
それを口実に沖縄の米軍基地の存在を正当化したい米国側の政治的意図や、
与那国島などの先島地域への自衛隊配備を計画している日本側の思惑があるとの鋭い指摘がされている。
第4部では、「構造的沖縄差別」 の克服の可能性を、筆者は、特に辺野古や高江の座り込みの抗議活動などに見られる、
本土や韓国の人々との交流など沖縄独自の幅広い連帯運動に見いだしている。
その意味で、「沖縄の闘いが、構造的沖縄差別を突き崩す時期は、周辺諸地域の民衆の、沖縄に対する共鳴・共感・連帯の度合いによって、
遅くもなれば早くもなるだろう」との著者の指摘は重い。
日米安保と沖縄問題の本質を根源的に考えるためにも、本書を一人でも多くの人々、特に本土の若い人たちに薦めたい。
(【沖縄タイムス】 2012年9月22日付に掲載)