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【NPJ通信・連載記事】練馬自衛隊基地ウオッチング~ダイコンと基地の街~/坂本 茂

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秘密!? 2年半 しゃべりまくった第一師団広報マンが貝になった

2014年7月2日

師団長の命令か?質問書の回答 ノーコメント

「ウォッチの会の文書を請願書として受け取った。これを第一師団長へ届けるという処理で今日は終わり」。

応対した自衛官からはたったこれだけの回答。ものの1分も費やさなかった。この自衛官は、レンジャー市中行軍(2012年6月12日)などでも市民団体に応対していた。いつもはおしゃべりが過ぎるくらいの広報マンであった。

2014年6月20日、陸上自衛隊練馬駐屯地(東京都練馬区北町)内の面会室で、「自衛隊をウォッチする市民の会」は第一師団広報と交渉した。2014年4月13日の練馬駐屯地祭で、子どもを戦車の上に乗せる事に対する危険性や、なぜ小火器の展示を取りやめたかについての質問に、三佐から一尉までの星がついた3名の自衛官が応対した。

参加した市民が、「わざわざ会社を休んで来ているのに不誠実だ。質問に答えよ」、「あなたの対応は誰の命令なのか」、「公式の見解か」と問いただしても、この広報マンは「ノーコメント」、「来年はどうなるか、どうするかわからない」、「請願法にのっとり処理する」を連発するだけだった。

19年前の1995年2月10日、防衛庁長官官房総務課の森井係長(当時)が、東京平和委員会に対し、「地元の要望事項は練馬駐屯地で交渉してくれ。窓口は練馬駐屯地業務隊司令業務室長だ」として以来、地元の要望は防衛庁(省)ではなく、地元の練馬駐屯地での交渉となった経過がある。

第一師団のスローガンは 「やさしさを、護る力へ」だ。

被災者には愛の手を差し伸べ、感謝され、

防災訓練という「教練」でルール・マナーを・・・自助・共助の心を持った中学・高校生たちを育て、

「平和を仕事に」と就職斡旋。

でも、市民団体にはノーコメント。

壁に耳あり障子に目あり うかつなことは言うな!

交渉から10分後、面会室から突然、逃げるように出ていった三佐を追いかけると、ドアの外の左右に、目つきの悪い黒いズボンに白いワイシャツ姿の背の高い男性2人が、壁に寄り添うように直立不動で立っていた。

諜報活動のスタイルもなんだか古くさい。自衛官たちにあの2人は情報保全隊かと問いかけると「そのような人はもともといない」とその自衛官は答えたが、師団長の命令で、第一師団の広報マンが、我々にうかつなことを言わないように、最小限に答えるよう監視していたのであろう。

2014年6月20日、自衛隊正門前で45回目の“命こそ宝”宣伝中に変化が!

集団的自衛権問題で緊迫する6月20日、第186通常国会は事実上の閉会状態だったが、自衛隊駐屯地を一歩出て、シャバに出た自衛官たちは、水を得た魚のようであった。

夕方1時間の宣伝、練馬駐屯地正門前などでは、400人の自衛官やその家族らが集団的自衛権反対のビラを受け取ったり、反対の署名に協力したりしていた。

「駐屯地に9条の会を」と訴えた練馬9条の会の事務局長は、「4人に3人の隊員が受け取った」と感想を述べた。ベトナム反戦運動から運動している女性は「師団長が代わった4月のときと比べ、なんでこんなに受け取るの」と驚いた。

別の地元住民は「男女の若い自衛官らが正門から出てきた、先を歩いていた男性2人がありがとうございますと言ってビラを受け取り、後ろからついてきた女性自衛官に向かって『もらわなけりゃダメじゃないか』と言っていた」と話す。自分たちの命の大切さを書いたビラに共感したようだ。

部活帰りの中学1年生の女子生徒に「家族で読んでね」と語りかけると、「私は目の前の自衛隊官舎に家族で住んでいる。私のお父さんどうなっちゃうの」と言いながら、ビラを両手で受け取り頭をペコリと下げた。

ぽつんと一粒の雨が落ちてきた。

入隊して30年の古参自衛官は曇り空を見上げながら、「入隊した時と違ってきた・・・俺は年だから派遣される心配はないが、若い人は・・・」と苦笑い。同行していた30歳の若い部下は「取材は受けるなと言われています」と言いながら、私が「命を大切にしろよ」というと、ニコッと笑い、「ありがとうございます」と返事が返ってきた。

ビラ取るなの命令なんて クソくらえ 妻にスマホでラブコールする

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