2010.8.16

悪の枢軸

木村 朗 (鹿児島大学教授、平和学専攻)

  悪の枢軸(あくのすうじく)とは、2002年1月29日の一般教書演説でブッシュ米大統領が、イラク、イラン、北朝鮮の3カ国を、 大量破壊兵器を保有する一方でテロ組織と連携して世界に脅威を与える 「テロ支援国家」 として名指しで批判し、 それらを総称して 「悪の枢軸 (axis of evil)」 と糾弾したものである。

  この 「悪の枢軸」 という表現は、チャーチル英首相が第二次世界大戦時に連合国と戦った諸国(日独伊三国同盟=「東京−ベルリン−ローマ枢軸」) を非難する際に用いた 「枢軸国(すうじくこく、Axis Powers)」 という言葉と、 冷戦の再び激化する状況のもとでレーガン米大統領がソ連を批判するために使った 「悪の帝国」 という言葉を組み合わせたものだと推測できる。 ただし、「枢軸」 という言葉自体は、1936年10月にムッソリーニがイタリアとドイツを結ぶ南北の軸=ベルリン・ローマ枢軸を指すものとして用いたのが始まりとされており、 ブッシュ大統領が崇拝するレーガン大統領が同じ一般教書演説で行った 「悪の帝国」 発言を真似たのではないかとの指摘もある。

  また、この 「悪の枢軸」 という言葉を作ったのは、デーヴィッド・フルーム前米国防次官(カナダ出身の記者、新保守主義者)であるといわれる。 そして、「悪の枢軸」 に北朝鮮を加えたのは、イラク、イランだけだとイスラム教徒とキリスト教徒との間の 「文明の衝突」 と受け取られることを嫌ったためであったと見られる。

  この 「悪の枢軸」 と類似した用語に、「ならず者国家(ならずものこっか、rogue states)」 がある。 この 「ならず者国家」 という言葉は、1994年にクリントン大統領が大量破壊兵器の開発やテロ支援を行っている、 米国にとって好ましくない国家に対して用いられたのが最初である。それ以降、議会やメディアで頻繁に用いられるようになったばかりでなく、 クリントン政権を継いだ現在のブッシュ政権によって新しい国家安全保障戦略、つまり 「ならず者国家」 戦略として正式に採用されたのである。

  すなわち、ブッシュ政権の新しい世界戦略の最初の徴候は、2002年1月に米国防総省が議会に提出した報告書 「核戦略体制の見直し(NPR)」 に見られた。 この報告書では、有事(不測事態対応)計画の一環として非核保有国を含む7カ国(イラク、イラン、北朝鮮、シリア、リビア、ロシア、 中国−このうちロシアと中国を除く5カ国を 「ならず者国家」 と位置づけていた)に対する核攻撃計画の作成や、 地下貫通型の新しい小型核兵器の開発とそのための核実験再開の必要性等が強調されていた。 特に注目されるのは、核兵器を 「使える兵器」 として考え、核兵器先制使用を 「選択肢」 の一つとして確保するという方針を明確にしていたことである。

  こうした米国の攻撃的な姿勢は、同じ年の9月20日に公表された 「米国の国家安全保障戦略」 の中でさらに明確になる。 ブッシュ大統領は、「ブッシュ・ドクトリン(予防戦争・先制攻撃戦略)」 とも称されるこの新しい戦略で、 冷戦期に抑止と封じ込めを中心としてきた従来の政策を転換し、冷戦後における米国の圧倒的な軍事力の優位を前提に、 大量破壊兵器を持つ 「テロリスト」 や 「ならず者国家」 に対しては、 必要ならば単独でも先制攻撃を行って政権を転覆させる 「予防戦争」 を打ち出した(「ならず者国家」 にはソマリアやスーダンなどが加えられる一方、 先の5カ国から核開発計画を放棄したリビアはその後に解除されることになる)。 これは、国際協調、すなわち国連や同盟国・友好国との国際的な協力よりも国益を優先的に考える、 米国の 「新しい帝国主義」 的な考え方を鮮明に反映したものであった。

  ブッシュ大統領は、「テロとの戦い」 を 「新しい戦争」 (A War Like No Other)と位置づけたが、米国にとっての 「戦争」 は、 冷戦終結を契機にその意味内容を大きく変えることになった。これは米国の安全に対する新しい脅威を非対称的脅威、 すなわちゲリラ・テロリストといった 「見えない敵」 とそれと結びつく可能性のある 「ならず者国家」 ・ 「テロ(支援)国家」 へ移行させ、 またそれを排除・殲滅することが最大の目的となったのである。また、「ブッシュ・ドクトリン」 は、新しい脅威に対する米国の新しい戦略であり、 米国が 「新しい帝国」 として登場したことを世界に告げるものであった。 このブッシュ・ドクトリンには、新しい帝国主義・植民地主義ともいえる性格が秘められていた。 それは、米国流の価値観、すなわち民主主義、人権、自由、資本主義・市場経済を世界に広めることこそが米国の 「明白な使命」 であり、 必要な場合には軍事力を用いても米国にとって最も望ましい世界新秩序、 すなわち米国の一極支配を前提とする 「新しい帝国秩序」 を確立しなければならないとする新保守主義者の考え方である。 この考え方に基づくならば、現代世界は米欧日等の一部の民主国家とその他多くの独裁国家・破綻国家から構成されており、 その独裁国家の民主化(実際には親米化)、 あるいは破綻国家の委任統治(実際には植民地支配)を行うことは最大の民主国家で 「自由の帝国」 である米国の 「帝国的使命(責任)」 であるということになる。

  米国が主導する 「新しい帝国秩序」 の形成に真正面から抵抗・挑戦するものは力で叩きつぶすという新しい帝国主義的な考え方は、 アフガニスタン戦争、イラク戦争という新しい戦争のやり方にもそのまま反映されていた。 これまでの国家対国家の通常の戦争では、交戦権を保持する双方の正統政府が当事者となって戦争法規に従って戦闘を行い、 何らかの形での当事者間における合意文書の取り交わし等で戦争が終結するというのが普通であった。 しかし、非国家組織であるテロリストや民主国家ではない 「ならず者国家」 ・ 「テロ(支援)国家」 を敵とする戦争の場合は、 敵・相手国について、交戦権を保持する正式の当事者として認めなくてもいいことになる。 とりわけ、アフガニスタン戦争は、敵・相手国には一切の人権・主権を認めないという徹底した非人道的な性格が顕著であり、 まさに帝国主義時代に宗主国が独立を求める植民地に対して行った 「植民地戦争」 の再現であったと言えよう。

  ブッシュ政権は、9・11事件以後、「テロとの戦い」 を宣言して、 米国の安全・覇権のためには国際機構・国際法の権威や他国の主権も躊躇なく無視して行動し、 自国や同盟国も含む世界の人々の人権を一方的に制限することも構わないという形で 「帝国化」 した。 これは、冷戦終結後に米国が喪失しつつあった国際社会への支配的影響力・コントロールを再び取り戻そうとする試みであった。 特に、この 「帝国化」 を象徴する出来事が、キューバのグアンタナモ基地における囚人の取り扱いである。 彼らは 「テロリスト」 「適性戦闘員」 であり、通常の 「捕虜」 や 「刑事被告人」 が受けることができる基本的人権の保障をまったく認める必要がない存在であると見なされている。 グアンタナモ基地の収容所には現在でも400人近くが収容されており、 彼らは裁判を受けることもなく連日拷問を伴う過酷な尋問と無期限の拘留という非人間的な扱いを受け続けている。 こうした秘密収容所がヨーロッパなど10カ国以上に拡がり、 国際社会の監視を受けることのない状態で収容者に対する非人道的な拷問などが放置され続けているのが現状である。

  また、米国内では、9・11事件直後から主にアラブ・中東系の人々に対する 「予防拘禁」 や盗聴・検閲の強化がテロ対策の名の下に実施された。 ブッシュ政権は、対外的には司法・警察・金融・情報等各分野にわたる 「国際反テロ同盟」 の構築に取り組む一方で、 事件に関係したとみられるアラブ・中東系の人びと約1200人を逮捕令状なしに拘束・長期拘留し、当初はそれらの人びとの氏名や容疑、 人数すら明らかにしなかった。またブッシュ政権は、同年10月6日に愛国者法(Patriot Act)を成立させた。 この法律は、テロ実行の協議やテロ活動への支援を取り締まりの対象とし、 テロ関与の疑いがあると当局が判断した移民・外国人の拘留期限を7日間に延長し、 通信の傍受や携帯電話・Eメール記録等の強制的な開示を可能とすること等を主な内容としていた。 その結果、テロ対策という名目で、合衆国憲法で保障された市民の基本的人権が過度に制限され、 愛国心の異常な高揚とテロへの恐怖・不安が広がる中で、移民・外国人に対する差別と迫害が生じた。 ブッシュ政権の巧みな情報操作によってテロへの恐怖やイスラムへの偏見を一方的に煽られた米国民もそうした政策を支持した結果、 「安全」 のためには 「人権」 を犠牲にすることを正当化する監視社会化が急速に浸透することになった。 そして、こうした監視社会化の傾向は世界中に拡大することになった。

  9・11事件直後にブッシュ大統領は、「世界は米国の側に立つのか、テロリストの側に立つのか」 という二者択一を国際社会に強要した。 こうした善と悪、文明と野蛮、正義と邪悪を対立させる単純な二分法的思考は、ブッシュ政権が9・11事件以後に行う内外政策の本質的特徴となっていく。

  米国の真の狙いは、既存の国際法では正当性をもたない人道的介入権や先制的自衛権を、 事実上の新しい国際法の基本原則として国際社会に受け入れさせることにあると考えられる。 米国自身を 「世界の警察官」 とみなす考え方の原型は、 第二次世界大戦中にテヘラン会議(1943年11月)においてフランクリン・D・ルーズヴェルト米大統領によって提起された 「4人の警察官」 という戦後世界構想に見られる。これは、戦後の新しい世界秩序を米英中ソという戦勝4大国によって維持・支配しようという発想である。 当初、この構想は、「大国は一致して行動しなければならない」 という原則として国連発足に大きな影響をあたえたが、 その後の冷戦の開始による米ソ対立によって事実上実現不可能となった。 そして、ブッシュ政権の 「単独行動主義(ユニラテラリズム)」 は、 冷戦の終了後に 「唯一の超大国」 となった米国だけが唯一の 「世界の警察官」 として振る舞う権利と資格を有すると宣言するに至ったことを示している。

  しかし、このような権利を米国だけに認めることは、米国に世界の統治権・決定権を委ね、「法の支配」 を放棄して 「力の支配」 に屈することを意味している。 すでに9・11事件以降の米国の行動を既成事実として、一部の国々ばかりでなく国連までもが容認するかのような状況が生じている。 その一方で、米国こそが 「世界最大のならず者国家」 であり、 真の 「悪の枢軸」 とは米国・日本・英国の新しい三国同盟ではないかとの指摘がノーム・チョムスキーなどによってなされている。 国際社会が米国の世界的覇権を容認するか否かという問題は、きわめて重大な問題であると言えよう。

  この点で、戦後一貫して外交・安全保障の分野において米国追従一辺倒でやってきた日本の選択も問われなければならない。 米国の正義が必ずしも普遍的な正義ではないことが明らかになった現在、21世紀に戦争のない世界を築くために日本はどうするべきなのか。 特に、核開発疑惑問題をめぐってイランや北朝鮮に対して米国が再び先制攻撃による予防戦争という強硬手段に訴える可能性が出てきている今日、 同じ過ちを繰り返すことは許されないだろう。

<参考文献>
1.ロバート・S・リトワク 『アメリカ 「ならず者国家」 戦略』 窓社(2002年)
2.ノーム・チョムスキー著/塚田幸三訳 『『ならず者国家』 と新たな戦争−ベイ同時多発テロの深層を照らす』 荒竹出版(2002年)。
3.新原昭治 『アメリカの戦略は世界をどう描くか−「ならず者国家」 論批判』 新日本出版社(1997年)。
4.フィリス・ベニス 『国連を支配するアメリカ−超大国がつくる世界秩序』 文理閣(2005年)。
5.加藤俊作 『国際連合成立史−国連はどのようにしてつくられたのか』 有信堂高文社(2000年)。
6.アムネスティ・インターナショナル日本 (編) 『グアンタナモ収容所で何が起きているのか―暴かれるアメリカの 「反テロ」 戦争』 合同出版(2007年)。

≪用語解説 「悪の枢軸」 (『応用倫理学事典』 丸善株式会社(2008年)、576〜579頁≫