軍需産業と軍産複合体
木村 朗 (鹿児島大学教授、平和学専攻)
軍需産業(ぐんじゅさんぎょう、Military Industry)とは、狭義では、銃器、航空機、戦車、艦船などを受注、
生産する兵器産業(へいきさんぎょう)のことをさすが、広義では、それらに加えて、燃料、戦闘服や制服の繊維製品、建築業、文房具、家電機器、
自動車、医薬品・食料品など多岐に渡る産業部門全般のことを意味する。
防衛産業(ぼうえいさんぎょう)、あるいは国防産業(こくぼうさんぎょう)とも称される。
国が発注者であるため、ミサイル防衛システム導入に見られるように予算・契約規模が大きく契約履行に不安がなく、景気動向に左右にされにくいことで、
企業経営としてはかなり安定するという特徴がある。
この方面で著名な企業としては、米国では、ロッキード・マーチン社、ボーイング社、ノースロップ・グラマン社、レイセオン社、ハリバートン社、
ゼネラル・ダイナミックス社、またスタンダード石油に代表されるメジャー(国際石油会社)や投資会社のカーライル・グループ、
世界最大のゼネコンであるベクテル社なども含まれる。日本では、三菱重工業、川崎重工業、三菱電機、日本電気、石川島播磨重工、小松製作所、東芝、
沖電気工業などがあげられる。
昔から 「戦争は最大のビジネス・チャンスである」 とも言われるように、
戦争・紛争の背後で各当事国・当事者たちを相手に武器売買を行って巨利を貪ってきた兵器ビジネス関係の人々は 「死の商人」 と呼ばれてきた。
この 「死の商人」 は、古くは南北戦争の時代にカービン銃の売買で暴利をせしめたジョン・ピアモント・モルガンや、
幕末維新期の日本で長崎を拠点として西南雄藩へ洋銃や軍艦を大量に売り込んだイギリス人貿易商トーマス・グラバー、
あるいは米西戦争や日露戦争などで暗躍し 「世界の軍需王」 との異名を持った露人バシル・ザハロフなどが代表的な存在であろう。
この 「死の商人」 は、さらに19世紀末には、英国のアームストロング社やヴィッカーズ社のような、
世界の武器市場に君臨するような武器製造業者・軍需産業として登場する。
当時のイギリスでは、軍需産業が独自の産業部門として確立し、政府がそれを公認・依存する環境のもとで急速に巨大化し、
独占的な地位を築くことになったのである。
このように軍需産業の歴史は19世紀にその起源をさかのぼることができる。そして、20世紀初頭にはイギリスばかりでなく、米国、ドイツ、フランス、
日本などの列強において現代的な意味での軍産複合体の萌芽がすでに構築されていたと言えよう。
この傾向は、二度にわたる世界大戦によってさらに加速化し、覇権国家がイギリスから米国に移行する過程で新たな段階に到達したのであった。
そして、これとの関連で注目されるのが、第34代米大統領ドワイト・アイゼンハワーが1961年1月の退任演説で行った、軍産複合体についての警告である。
「われわれは総力を結集し、軍産複合体がその好むと好まざるとにかかわらず、
不当な影響力を増していくのを防がねばならない」 というアイゼンハワーの言葉は、軍産複合体がすでに現在の米国で生まれているという事実と、
その存在が国家の公的な政策に大きな影響力を及ぼして自由と民主主義が危機に陥ることの危険性を強調したものであった。
この演説で言及された、軍産複合体(ぐんさんふくごうたい、Military-Industrial Complex)とは、
通常は軍部と軍需産業を中心とした結びつき・癒着構造のことをさしている。産軍複合体(さんぐんふくごうたい)、
あるいは産軍共同体(さんぐんきょうどうたい)とも呼ばれる。
この用語は、アイゼンハワー演説の起草者の一人であるマルコルム・ムース(元ミネソタ大学総長)が作り出したと言われる。
最近では、それに学界・マスコミ界や官界・政界などが含む強大なネットワーク・体制を示す 「軍産(官)学複合体」 や、
「軍産政複合体」 という呼称が用いられることも多い。
これは、軍産複合体が単に軍事と経済ばかりでなく政治を含む社会全体に大きな影響をもたらす存在となっていることを意味している。
この軍産複合体は、第二次世界大戦中における原爆開発のための巨大なマンハッタン計画(1942年から1946年まで4年間続き、
そのコストは約22億ドル、動員された人々は約12万人、ダウケミカル社、デュポン社、ロッキード社、ダグラス社などの軍需産業やシカゴ大学、
カリフォルニア大学、ロスアラモス研究所など多くの大学・研究機関が参加・協力した)への着手とともに形成・確立され、
戦後直後から本格的に開始されることになった冷戦状況下での核軍拡競争の展開や宇宙・原子力開発政策の推進によってさらに肥大化することになった。
すなわち、政府は国家安全保障や国防目的のための大量の武器調達や軍事技術の革新を軍需産業に委任・依存する一方、
軍需産業は利潤拡大と企業存続のための巨大な軍事支出と恒常的な注文生産を政府に期待・依存する相互依存の癒着構造が生まれ、
そのことによって客観的な軍事的脅威や真の仮想敵国の有無に関わらず、
戦後一貫した形での軍拡の実施と官僚組織・軍需産業の肥大化が可能となったのである。
1989年から1991年にかけてのソ連・東欧圏の崩壊による冷戦の終結は、国際社会に平和の配当としての軍縮の動きをもたらし、
これまでのすべての対立・衝突が消滅して平和的な新しい世界秩序が到来するとの期待と希望を世界中の人々に抱かせた。
しかし、こうした期待と希望は、1990年から翌91年にかけてのイラクによるクウェート侵略・併合に端を発する湾岸危機・戦争によって、
すぐに大きく裏切られる結果となった。
湾岸戦争の結果、世界は軍縮から軍拡へと再び転換し、そのおかげで軍需産業を中心とする軍産複合体は復活することとなったからである。
この湾岸危機・戦争の背後に、米英などを中心とする武器輸出国とそれと結びついた軍需産業、
すなわち世界的規模での軍産複合体の暗躍があったことが指摘されていることは注意すべきであろう。
そして、2001年の9・11事件を契機に米国は世界的規模での 「対テロ戦争」 に乗り出すことになる。
この9・11事件についても、政府による自作自演との疑惑が浮上し、その背後にある軍産複合体の存在が取り沙汰されるようになっていることに注意する必要がある。
いずれにしても、9・11事件以降、アフガニスタン戦争やイラク戦争などが相次いで行われると同時に、
世界的な規模で急速に軍拡と軍事化がすすむことになる。
「世界の警察官」 「唯一の超大国」 を自負する米国の軍事費は、2003年に4,000億ドルを突破し、その後も増え続け、
2006年には5,000億ドルを超えるまでになっている。この数字は、冷戦時の最盛期をも上回る巨大なものであり、
世界の軍事予算の半数以上を占める 「超軍事帝国」 ・ 「新しい帝国」 が誕生したことを示している。
米国の軍事費の内訳を見ると、人件費と作戦維持費、兵器調達・研究開発費に大別されるが、
ブッシュ政権になって最も大きく伸びているのが兵器調達・研究開発費である。その総額は05年に1650億ドルに達したが、
とりわけ研究開発費を中心に今後も増加する傾向にある。03年と04年において兵器契約額の1位から3位までを占めたのは、
ロッキード・マーチン、ボーイング、ノースロップ・グラマンの3社であり、
90年代のクリントン政権下で急速に合併が進んで軍需産業においてすでに寡占体制ができ上がっていた結果であった。
このような寡占体制は、研究開発費の分野においても顕著であり、03年に上位3社で43・8%、04年に46・8%まで達した数字がそのことを如実に示している。
より具体的に言えば、イラク戦争によって米国の軍需産業は莫大な利益をあげていた。
軍需産業上位4社だけで2002年に米国国防総省との間で受注合計493億ドル(約5兆9160億円)という、
とんでもない金額の契約を結んでいたという驚くべき事実がある。
その内訳は、第1位 ロッキード・マーチン 170億ドル、第2位 ボーイング 166億ドル、第3位 ノースロップ・グラマン 87億ドル、
第4位 レイセオン 70億ドルであった(テレビ朝日 「サンデープロジェクト」 で2003年10月12日に放映された 「米国を支配する軍産複合体という怪物」 より)。
また、軍産複合体の規模が次第に膨張するなかで、軍事の外注化、戦争の民営化が急速に広まっている。
イラク戦争に関する報道で最近よく耳にする、「民間軍事会社(Private Military Companies)」 とは、戦闘作戦、戦略計画、情報収集、危険評価、
作戦支援、教練など戦争と深く関連する専門的業務を売る営利組織のことで、イラクにすでに入っている PMC 社員は約2万人、
米軍以外の駐留外国軍に匹敵すると言われている。
以上で見てきたように、第二次世界大戦後に米国で登場し世界に拡大・普及してきた軍産複合体は、
いまや各国政府の外交・軍事政策を左右するまでの強大な影響力を持つ存在となっている。
そして、最近における戦争の民営化や宇宙への新たな軍事化・兵器化の進展によって、
ビジネス・チャンスを求めて本来ならば避けることのできるはずの不必要な戦争を引き起こす動機・要因が、
世界中でますます増大しつつあると言わざるをえない。
スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の2006年年鑑によれば、2005年の世界の軍事費は、1兆1180億ドル(約127兆7千億円)で、
上位5カ国は、米国、英国、フランス、日本、中国の順で、米国だけで総軍事費の48%、その他の4カ国はそれぞれ総軍事費の4〜5%を占めている。
また、日本の軍事費はすでに世界4位という規模に達しており、武器輸出禁止三原則の廃止を求める最近の動きは、
軍産複合体の形成や戦争の民営化を一層促進することが予想される。
とくに、現在の世界的な米軍再編の下で、日米の軍事的一体化が日米 「軍産複合体」 の一体化と重なる形で急速に進められようとしている。
その象徴的な出来事がミサイル防衛(MD)構想での日米協力であり、すでに日本企業の工場内に日米合弁会社を設立することが検討されている。
具体的には、三菱重工業・三菱電機などが米国のイージスシステムの主契約企業である
ロッキード・マーチン社やミサイル防衛の机上作戦演習などを行う統合国家インテクグレーションセンターの主要委託業者である
ノースロップ・グラマン社と組む形で保守作業を受託してのライセンス生産が行われようとしているのである。
また、こうした日米 「軍産複合体」 の一体化を含む日米の軍事的一体化は、新たな防衛秘密保全体制の確立を求める動きをともなっている。
すでに米軍再編に伴う緊密な日米軍事協力体制強化の前提として、軍事情報の共有と機密保護の確立が仮題となっており、
「軍事情報保全一般協定(GSOMIA)」 が締結される運びになっている。
これは、防衛保全に違反した場合の処罰対象を防衛庁関係者ばかりでなく、外務省など他省庁や国家議員にも拡大しようとするものである。
2001年11月の自衛隊法122条改正による民間業者への処罰対象拡大と合わせ、
国民の知る権利を制限することによってシビリアン・コントロール(文民統制)を有名無実下する危険性を秘めていると言えよう。
忍び寄る戦争の危険性を避け民主主義の危機に歯止めをかけるためには、こうした現実をもっと直視するとともに、
市民による政府(権力)や企業(資本)の監視と抑制という本来の意味でのシビリアン・コントロール(文民統制)を強化する必要があるであろう。
<参考文献>
1.横井勝彦 『大英帝国の<死の商人>』 講談社、1997年。
2.西川純子編 『冷戦後のアメリカ軍需産業―転換と多様化への模索』 日本経済評論社、1997年。
3.広瀬 隆著 『アメリカの巨大軍需産業』 集英社新書、2001年。
4.本山美彦著 『民営化される戦争−21世紀の民族紛争と企業』 ナカニシヤ出版、2004年。
5.宮田 律著 『軍産複合体の米国戦争をやめられない理由』 青灯社、2006年。
6.『軍縮地球市民−特集 「死の商人」 の実態を暴く』 第4号 (明治大学軍縮平和研究所発行、2006年4月)
≪用語解説 「軍需産業と軍産複合体」 (『応用倫理学事典』 丸善株式会社(2008年)、572〜575頁。≫


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