2009.3.9

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第10回
3・8国際女性デーにかこつけて

  3月8日が何の日か、知る人はあまり多くないかもしれない。 実は1910年、コペンハーゲンで開かれた第二回国際社会主義女性会議でクララ・ツェトキンらの提唱により創設された 「国際女性デー」 なのである。 1977年には国連総会決議を経て 「国連デー」 とも決められた。日本婦人団体連合会 [以下婦団連] の機関誌 「婦人通信」 2009年2月号には、 現下の日本におけるこの日の意義と目的がつぎのように説明されている:

   「国際女性デー創設からまもなく100年。今、人としての権利を求める叫びが列島を揺るがしています。 「ハケン切りを許すな!」 「安心して妊娠・出産したい!」 「高齢者に十分な医療を!」 女性デーを国連デーと定めた決議のキーワードは “女性の権利と平和”。 「戦時性奴隷を繰り返すな!」 元 「慰安婦」 連帯運動は、人の尊厳をかけたたたかいです。“九条を守れ!” の世論に、いま国境はありません。 大切なのはくらしと平和─―世界の流れはいま、確実に変わっています。
   日本にも春を届ける国際女性デー。さあ、立ち上がりましょう。全国草の根で、世界の女性たちと連帯して、私たちの手で政治の流れを引き寄せるために。」

  婦団連会長堀江ゆりさんの、この巻頭言に “我が意を得たり” と勢いこんだ私は、同誌の購読者であり、 かつて2回ほど執筆もさせて頂いた特権? につけこんで、当日開催予定の記念大会に、 あのエセル・スマイスの 『女性たちの行進 The March of Women』 のCDを流しては…と提案してしまった。


『女性たちの行進 The March of Women』

  「Shout, shout, up with your song! Cry with the wind, for the dawn is breaking…」 と始まるこの女声合唱曲こそ、 1911年、作曲者が投獄までも経験しながらイギリスの女性参政権運動を繰り広げたさなかに、女性達への応援歌として書いたもの。 3月8日を祝うのにこれ以上ふさわしい音楽はあるまい、と得意の独りよがりを決め込んだ結果であった。 記念大会当日の模様は改めていずれご報告するが、 当連載前々回で予告したエセル・スマイス生誕150年コンサート─―上記 「あの」 の意はここにある─―の後日談をはじめ、 このところ 「女性と音楽」 ないし 「女性作曲家」 を巡る内外の情報がいくつか集ったので、今回はそれらについて書かせて頂きたい。

  2008年12月11日、津田ホールでのスマイス・コンサートの実質入場者はおよそ300人。キャパ490席を思えば、いささか寂しい数字だが、 それを忘れさせるほど、加藤洋之のピアノ、甲斐摩耶のヴァイオリン、阿部麿のホルンが、綿密なリハーサルをうかがわせる充実の演奏ぶりで、 企画者としては何よりのうれしい結果を出せた。聴衆の中に混じっていた日本の代表的演奏家やフェミニストたちからも、 「今年最高のコンサートのひとつではないか…」 「肌に泡立つような感触を得た珍しい体験…」 といった感想をいただけた。
  実は、全く知られないイギリス女性による長い抽象的なソナタ作品が多い今回のプログラム、 一般の音楽ファンよりもむしろ女性問題やジェンダー視点に興味を持つ聴衆を想定したこのコンサートに馴染むだろうか…と、 準備の段階では内心ヒヤヒヤしていたのだ。 「この作曲家の [本分である] オペラも聴いてみたい」 という、さる重要なメディアの代表者からの発言もあった…というわけで、「音楽祭」 でのピアノ曲初演に続き、 室内楽の個展という形で改めてエセル・スマイスの実像を日本に紹介する今回の目的は、とりあえず果せたと考えたい。

  CD録音に目を転じれば、昨秋録音のCD 『日本女性作曲家の歩み〜ヴァイオリン作品〜』 が今年日本のミッテンヴァルト社から発売されたところ。 印田千裕のヴァイオリンと堀江真理子のピアノという組み合わせはなかなかの好演で、二人による2月10日 (上野文化会館小ホール) のリサイタルでも、 上記CDの曲目からひとつだけ、 日本における最初の本格的器楽曲という歴史的意義を持つ幸田延 のソナタ (1895) が取り上げられた。
  事前に毎日新聞が珍しい女性作曲家に取り組む演奏家として印田を写真入で記事にした効果か、当日はほぼ満席の盛況、 その大部分の聴き手のお目当てが、シューベルトやエルガーや貴志康一よりも、紅一点の幸田にあったことは間違いなかろう。 私自身、実はCDに登場した松島つねや外山道子、そして何はさておき、吉田隆子作品も演奏されるものと期待して出かけた。 何しろ吉田は第二次大戦中に反戦を公然と表明して何回も留置場に送られた女性、つまりはあのスマイスに似た境遇を経た存在だから、 この際両者を聴き比べておきたい、と願うのは無理からぬことでは、とご理解いただきたいのだが…。


幸田延の写真、昭和初期頃?

  ところで、コンサート当日のCD即売は大変な盛況だったし、コンサートについては事後も日経新聞がしっかり批評を載せたらしい。 しかるにスマイスの場合、CD国内盤などもちろんなく、輸入盤も今やほとんど在庫切れで、即売など不可能な状況。 加えて昨年のコンサートを巡っては、東京新聞に依頼された拙稿が唯一のメディア露出機会だった…この大きな落差の因はどこにあるのか、しばし思いをめぐらせてみた。
  愚考が行き着いた先は結局日本と西洋の違い…つまり、同じ女性でも、日本という、クラシックの本流にはない辺境の国の女性をとりあげるのなら許容できるが、 男性中心の価値観でがっちり固まっている西洋の場合は、女性を認めるなどあり得ないからでは…思い返せば昨年夏、 フランス在住の歌手、奈良ゆみも、上記CDに取り上げられたのとほぼ同じ顔ぶれの女性作曲家による歌曲リサイタルを銀座の松尾ホールで二夜連続開いたが、 これも大変な関心を呼び両日とも満席だった。80席ほどの小さな会場だったし、奈良の熱唱も感動的だったが、 同じ条件でフランスやドイツの女性歌曲のリサイタルが行なわれたとしても、スマイスの場合と同じく、これほどの熱い反応は期待できなかったに違いない。 つまり、辺境の弱者たる日本女性で多少盛り上がったところで、正典たる西洋男性中心のクラシック界を脅かすことには全くつながらないが、 反対にスマイスのような西洋女性をまともに話題にしたら、正統クラシック界にとっては厄介な火種を背負い込むことになるから、 無視を決め込むしかない…ということではなかろうか。

  もちろん日本女性への関心が高まるのはこの上なく意義深い重要な動きで、これに水を差すつもりは毛頭ない。 ただ私が言いたいのは、依然として音大でのカリキュラムやコンサート演目の軸である西洋音楽の場合には、いつまでも女性作曲家への回路が頑なに閉ざされている、 その落差を問う必要があろう、ということなのだ。ここには私達日本人が、西洋音楽への憧れや教養主義に絡め取られて自らを名誉男性白人と錯覚、 非西洋圏=日本の女性を二重に辺境の他者と看做している日本人のジェンダー偏見やスタンスが投影している、といったら穿ち過ぎであろうか…。

  さて、海外でも大きなメディアでは全く取り上げられていないが、それなりに意味ある女性作曲家の企画について、友人からいくつか情報が送られてきた。 まずは2月4日から14日、ミラノはクレリチ宮殿にて、“Settimana Mozart 2009 [モーツァルト週間]” と題したシリーズの最終日に、 モーツァルトと同時代の女性の鍵盤作品がまとめて演奏された由。日本の若手で最も注目すべき古楽鍵盤奏者の松岡友子が、フォルテピアノに拠り、 モーツァルトの伝記にも登場するマリアンネ・マルティネスやヨゼーファ・フォン・アウエルンハンマーを弾いたのだ。 残念ながら前回の本稿の主役だったパラディスも同じモーツァルト絡みで重要な存在だが、このミラノでは紹介されなかったようだ。
  それはさておき、松岡からの報告に拠れば、なんとも優美で軽やか、 そして楽しいアウエルンハンマーの 『魔笛の主題による変奏曲』 がとりわけ聴衆の熱い反応を呼んだという。 ちなみに本連載のきっかけとなった 「女性作曲家音楽祭2007」 でも、この変奏曲は岸本雅美の水際立った演奏で強く印象付けられたものだった。 また、松岡はモーツァルトも訪れた由緒ある宮殿の音響が、使用した同時代の楽器の鳴り具合を理想的に反映してくれ、 まさしくこのような場のためにこうした古楽器が造られたのだと実感したことも、興奮気味に伝えてくれた。 昨年秋、ジャケ=ドラゲールのバロックオペラがバイロイトのバロック劇場で上演されたことと並び、埋もれた女性作品が当時のしかるべき場で、 素晴らしい演奏で再現されたという意味で、これは2009年の快挙といえる出来事ではなかったか。

  一方フランスではパリの市立音楽院がいくつか連携、女性作曲家のピアノ、歌曲、室内楽等に学生およびプロの演奏家が取り組み、 2月はじめに4日間のコンサート・シリーズを開催している。“Grandes dames de la Musique [偉大な音楽の貴婦人たち]” というタイトルのもと、 こちらに登場したのは19世紀から20世紀初頭のフランスの女性たち…となれば、 これにはきっと、近代女性作曲家研究としていまや音楽関係者には必携のツールと評したい、 あのロネイの著 『19世紀フランスの女性作曲家たち』 の影響があるはず… 果たしてプログラム2日目の項には 「レクチャー・コンサート」 としてロネイの写真が飾られていた。 マンハイム在住のロネイは普段はソプラノ歌手としての活動と知られざる女性作曲家の研究・コンサート造りを平行して実践している人。


ロネイ著書の表紙

  今回はパリに招かれたのであろうか、シャミナードやヴィアルド、メル・ボニスなど、私にもおなじみの顔ぶれに加え、 ソフィー・ゲイル、アルマンド・ド・ポリニャック、マリー・ルノー・モリ、マチルド・ド・ロトシルド [ロスチャイルド] といった、録音もまだ見当たらないような、 まさに埋もれていた女性たちを取り上げ、自ら歌ったようなのだ。レクチャーの論題も明記されず、ロネイ自身がこのシリーズにどの程度関与したのか不明だが、 企画者の一人であり、私にプログラムを送ってくれたパリ20区音楽院教授のバリトン歌手ヤン・トゥッサンによると、 ロネイとの話のなかに 『女性作曲家音楽祭2007』 のことも出て、彼女からくれぐれもよろしく、と私宛の挨拶をことづかった、とのこと! 『音楽祭』 終了後、 何はさておき先ずこの人に、とドイツに送ったあの 「ガイドブック」 が、このシリーズの実現に向けて、少しはお役にたったのかも…なんともおめでたい、 この自惚れた想像を、どうぞお笑いあれ…

  以上、3・8 「国際女性デー」 にかこつけて、今回は最近の内外の女性作曲家コンサート情報を雑駁にまとめてみた。 蛇足ながら最後にひとつ、目前に迫った私自身のかかわるイヴェントを予告させて頂こう。 3月12日(木) 15時から17時まで、 藤沢市教育委員会 (0466-25-1111)の主催で 『音楽と女性〜過去から未来へ〜』 と題したトークとコンサートが、 湘南台文化センターにて開かれる。演奏は多面的でユニークな活動を展開している地元出身のピアニスト清水友美。 曲目は 『乙女の祈り』 からビートルズを素材にした現代作品まで。 私もこのピアノ史上最大のヒット・ナンバー 「乙女の祈り」 に絡めたお話をするつもり。申し込みは11日までに上記へ。お近くの皆様、どうぞお出かけ下さい!


作曲者テクラ・バダジェフスカのお墓の立像
2009.3.9