音楽・女性・ジェンダー ―─クラシック音楽界は超男性世界!?
第11回
女性グループが進める女性作曲家の復権
―─国際女性デー後日談から
国際女性デーに絡む話題をいくつか取り上げた先回からずいぶん日が経ってしまった。新しい年度に入り様々な雑用が増えた…という事情はどなたにも共通なので、
言い訳にもならないが、ともかく遅延の程、心よりお詫び申し上げます。
まずは先回 「国際女性デー」 の後日談から。「許すな、雇用とくらしの破壊、たちあがろう! 未来のために、いかそう! 日本国憲法」 をスローガンに掲げ、
保守派権威筋の中心に位置する九段会館で行なわれたたこの中央大会。満席900人の参加者とともに、最後はお茶の水淡路公園までのパレードで打ち上げとなった。
この種の [政治色の強い] 女性大会にフルに参加したのは私としては初体験だったが、それというのも、先回記したとおり、
エセル・スマイス作曲の合唱曲 『女性たちの行進』 (1911年作曲) を、当日の大会中どこかでCDで流し参加者に聞いてもらい、
縁遠く敷居も高いと思われているクラシックの歴史のなかにも、実は女性の参政権獲得を目指して 「立ち上がろう、
未来のために!」 と叫ぶイギリスの女性作曲家がいた…ということを、是非識っていただきたかったからだ。
私自身、およそ15年来、「女性と音楽」 を生涯の課題と肝に銘じ、学問的研究よりは女性作品を紹介するコンサートの企画・開催といった実務面にシフトするに連れ、
女性を囲む社会的不正義や矛盾に開眼せざるを得なくなったという下地がずいぶん固まってきたためもある。
舞台中央にはキューバ大使館から贈られたという大きな花束。主催者や来賓たちの挨拶に続き、記念講演で登壇したのが、
新藤兼人の孫娘で祖父と同じく映画監督という新藤風さん。なんともしなやか、率直な語り口も魅力的だったが、
同性愛者問題をテーマにした初作も含めすでに二本製作の実績ありながら、当初は自らの職業が持つ社会的責任の重大さに気付かずにいた、
と反省されたのがとりわけ印象的だった。
西洋北方白人男性中心の確立された音楽作品のみを後追いし、女性や 「周辺」 地域の音楽や芸能を劣位に置いて恥じないこの国の音楽業界人が、
己の持つ社会的責任の重大さを、彼女のように意識しているとは、とても感じられないからである。
全国から参集した女性グループが次々登場する交流と連帯の広場、昨年から現地で活動されている国際ヴォランティア・センター役員による生々しいアフガニスタン報告、
藩基文国連事務総長からのメッセージの代読など、盛りだくさんのプログラムの中、
一番会場を沸かせたのが最後に登場した 「マイノリティ・オーケストラ」。
元気溌剌、オケマンの黒一色を笑い飛ばすようにド派手なカラフル衣装のこの自称 「女の子5人組み」、軽妙な歌と弾き語りのアコーディオン、トランペット、サックス、
トロンボーン、打楽器でジプシー・バンド風に民謡やポップス、替え歌などでコミカルに演出、目いっぱい耳いっぱい楽しませてくれた。
人に訴えかける音楽の効力、音楽家が発揮し得るコミュニケーション力というものは、大袈裟なオーケストラでなくとも、
こうした小さなユニットでも十分発揮できる…新藤風さんのいう 「社会的責任」 は、広い意味でここにも重なるのではないか。
パレードを先導するマイノリティ・オーケストラ
さて問題の 『女性たちの行進』 は、休憩中と終了後、作品の謂れのアナウンスとともにCDを流していただき、まずは一安心。
受け付けの壁にもスマイスのポートレートと先回図版で掲げた楽譜表紙が、面映いことに紹介者として私の顔写真とともに貼られてあった。
本番のプログラムの中に挟み込めなかったのは一重に私の申し出でが遅きに失したためで、これは致し方ない。
逆に、本大会の主催者 「全日本婦人団体連合会」 〔婦団連〕 創設100年に当たる来年、なんとか実演で紹介できるようにしたい、とのアイデアを終了後、
実行委員の方からうかがった。ネットで注文していた実用版楽譜もアメリカから送られて今や手元にある。
これで来年に向け十分練習も積んでいただけるだろう、めでたし、めでたし…
この類のうれしい企画・計画の申し出でがいくつか続いているので、この際ついでにそれらを予告させて頂こう。
まず6月20日(土)、岡山市男女共同参画課の主催によるレクチャー・コンサート。3月12日に無事終えた藤沢市教育委員会のイヴェントと同じく、
地元の演奏家たち (ソプラノ歌手川井弘子さんとイウス・フェミーネ合唱団) のご出演で、クララ・シューマンやファニー・メンデルスゾーン、
ポリーヌ・ヴィアルドの歌曲とともに日本の合唱曲が取り上げられる。
金子みすず詩に基づく女性作曲家の曲を歌いたい、との同合唱団の意向にまさにピッタリの女声3部合唱曲集 『海の果』 が、
中堅の実力者田丸彩和子さんの手から生まれ、3月15日に東京文化会館小ホールにて初演されたばかり、というタイミングが幸いし、
とりあえず4曲中の1曲が、当日歌われることになった (来春のコンサートでは4曲全部を検討中とのこと)。
私はレクチャーのみの担当で企画には関与していないが、国立音大のご卒業でよく存じ上げている作曲者田丸さんの仲介役を果せたことが何とも喜ばしく、
このようにして女性と音楽のネットワークが広がっていくのか…との感慨を新たにした次第である。
岡山の一週間後の27日には、立川市主催 「女性作曲を聴く喜び─―ハープとヴァイオリンとピアノの多彩な作品から」 が予定され、私が企画・構成に当たっている。
レクチャーと企画・運営に携わるのは今回で4回目となるが、毎回ご好評を頂いたおかげで国立音楽大学から定年退職した今年もお声をかけて頂けた。
元を質せばこの企画、6年前に私が立川市男女共生推進会議委員会の末席に列なったのを機に、立川市に立地する大学から出た委員として、
1996年東京都で最初に男女平等宣言を発した同市で、音楽畑からの男女平等を発信したいとの想いに掻き立てられ、
女性作曲家を紹介するコンサートを提唱したことに遡る。そもそも国音が立川市唯一の大学であるという事実も始めて知り軽いショックを受けた私が、
「なれば絶対に!」 との一念を募らせたことも否定できない。今年は名だたる国際コンクールで最高位を獲得するなど、
まさに前途洋洋の若い名手たちがご協力くださることになり、わくわくしながら準備を進めているところだ。
婦団連の計画が浮上した来年2010年には、ほかに二つの団体からレクチャー・コンサートのご相談を頂いている。
まず、日にちは未定ながら3月中の実施で合意している大学女性協会の主催事業。
会場は本郷通り近く、仏堂と教会の美点を混在させたユニークな求道会館を、建築主で所有者でもある方がご提供下さる由。
その会場の雰囲気に合わせ、念願の古楽器によるバロック時代の作品も…と可能性を探っているが、チェンバロの運び込みなど、
現実問題を計算するとやはり夢物語に終わらざるを得ないかもしれない。
日月は全く決まっていないが、「女性国際戦犯法廷」 10周年記念の来年を目標に、
主催者 Vaww−net の周辺で女性作曲家のコンサート開催も検討されているとのこと。
この 「法廷」 をまさしく命がけで実現された今は亡き松井やよりさんは、実は大変音楽もお好きだったのだが、そのご葬儀や偲ぶ会などに流された音楽が、
バッハやモーツァルトといった 「定番」 の男性大作曲家たちの作品ばかりであったことを、Vaww−net の一員でもある私はなんとも残念に感じていた。
そこで中心メンバーとしてご活躍の方につい私の気持ちを漏らしてしまったのだが、あるいはそれがこの動きのきっかけとなったのかもしれない。
ただし、Vaww−net を取り巻く状況はあまりに厳しく、予算は一銭でも惜しい。
とはいえ、昨年のスマイス生誕150年コンサートに参加してくださったメンバーの皆さんにはよい印象をお持ちいただけたようだ。
音楽創造における女性の実績を可視化することは松井さんのご遺志に沿うことでもあろう。
記念年にはなんとかコンサートの実現にむけ、世界に誇るこの女性組織の合意が形成されるよう心から願っているし、私としてもどのような形であれ、
協力させていただく覚悟である。
以上、今回も私の個人的宣伝記事のようになってしまい、恐縮の極みであるが、それにしても気付いてみれば、こうした企画の出所はいずれもみな、
地方自治体ないしそれに属する女性グループで、音楽の専門機関ではない。この事実自体がまさに 「女性問題」 の現状を反映しており、何だか笑えてしまう…!
本丸の音楽関係業者が無視を決め込む一方、専門外の組織から相次ぎエールが送られる女性作曲家というテーマ、
裏を返せば、「音楽」 に沁みこんでいる宗教もどきの権威主義を炙り出す絶好の材料であると同時に、専門家以外の世界でもひときわ人気が高く、
待望されている文化メディアもまた、この 「音楽」 なのだ、ということを教えてくれる。
だからこそ、その 「音楽」 の実態をよく見極め、そこに多様な在りようを共存させ、尊重していくことがなんとしても重要なのではないか?
最後に、またしても直近に迫った女性作曲家がらみのイヴェントをめぐる雑考を以って終わりたい。
4月18日(土)16時より開始の朝日カルチャー・センターの講座 「チェロ作品で辿るクララ・シューマンンの生涯」 がそれ。
講師は谷戸基岩がつとめるが、演奏者に長谷川陽子 (チェロ) と鷲見美幸 (ピアノ) を迎える贅沢な企画である (問い合わせ: 03-3344-1945)。
当日のチラシ
当日は、本連載3回目の最後にご紹介したルイーゼ・アドルファ・ルボーの 「チェロとピアノのための4つの小品」 からも一曲取り上げられる予定だが、
それというのも、彼女が自らの回想録 『ある女性作曲家の生涯の思い出』 (1910) で、クララ・シューマン評を繰り広げているからだ。
1873年に12回、バーデン=バーデンにあるクララの夏の家で個人レッスンを受けたルイーゼはクララを 「愛嬌というものが微塵も無い」 人物と述べ、さらにその演奏スタイル、
レッスンの進め方、音楽観、個人生活までも対象に辛らつな批判を展開している。
回想録の表紙
実は本連載6回で記した 「もう一つのバイロイト」 紀行の途次、私はバーデン=バーデンに立ち寄り、ようやくこの 『回想録』 リプリント版と、
ルイーゼについての新しい資料を入手済みだった。
回想録執筆当時ルボーの写真
その新資料には、ルイーゼの問題の記述を改めて詳細に読み直しつつ、クララの残した文字資料からはルイーゼに何の言及も無いことも併せ、
ルイーゼの批判は一方的に過ぎるのでは…と見るブリギッテ・ヘフトの論文が収録されている。
私にはもちろんどちらが正論なのかを判断する力は無い。ただ、おそらくシューマン研究者と思われるヘフトが、
果たしてルボーの作曲家としての驚くべき実力を見通したうえで論を展開したのか、疑問ではある。
ルイーゼの苛立ちの根幹に、作曲家=ピアニストとして名高い先輩から、自らを凌ぐ教えを期待し熱望する気持ちが疼いていたはずだからだ。
いずれにせよ、資料の読解は一筋縄ではいかない。筆者の立ち位置や歴史背景も十分意識して活用する必要がある。
メディア・リテラシーの重要さに改めて自戒の念を強める昨今である。
2009・4・17
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