2009.6.28

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第13回

声とジェンダーを考える

  今回は、その不思議さと難しさゆえに、ずっと長いこと私が興味と関心を募らせてきた事柄に触れてみたい。表記のとおり、「声とジェンダー」 である。
  実は先回取り上げた柳兼子が、ドキュメンタリー・フィルム 『兼子』 のなかで、何故歌手の道を選んだのか、と問われて答えた言葉が、 今回このテーマにしようと決めたきっかけでもあった。「絵画でも料理でも、一流になっているのは、皆男性だが、歌なら、女と男がはっきり分かれていて、 女でも活躍できる、と考えたから」…絵画や料理の男性は 「一流」 というよりも 「プロ=有償化」 ということです! と偉大な先輩に抗議したい気持ちは、この際措くとして、 私が引っかかったのは、声というものは男と女にはっきり分かれている、という観方…先走りして大雑把な結論を言ってしまおう。 声こそは両性具有的な特性の最たるものであり、男声は低く強い、女声は高く細い、という 「常識」 は、音楽の歴史から見て全く正しくない。 それどころか、様々な声を男と女が共有し、分け合ってきた、だから歌い手の性別もはっきり分かれてはいなかった…ということである。

  「声」 の発信源が生身の人間であるからこそ、ジェンダーと不可分であるのは、考えれば当然過ぎる話なのだが、 なにしろ音楽学研究の本流は楽譜を見ての作品分析とそれを生み出した作曲家研究にあり、とするこの国では、 とりわけ音楽を実際の音や声に再現させる演奏家・演奏史への取り組みは全くおざなり…だからこそ、「声」 の問題を安直な常識で片付けたがるのだ。
  とはいえ、私自身にも、ずいぶん前から拘っていながら、当該の新しい知見や研究成果を知らぬまま、 かなり通り一遍の常識的物言いをあちこちでしてきた後ろめたさがある。 であるから今回はとりあえず、この広くて深い、そして長い歴史を持つ問題領域から、「アルト」 という声種に着目し、そのジェンダーとの係わり合いを、 現在私の知る限り、ごく簡単に整理してみたい。

  ソプラノ、アルト、テノール、バス―おなじみの混声4部の呼び方は中世キリスト教会の聖歌隊で始まった。 318年の宗教会議以来、女性は教会内では声を発してはならぬと決められたため、聖歌隊も男性だけで固められ、テノールとバスばかりか、 ソプラノもアルトも、男性歌手が担うことになったのだ。SOPRANO、ALTOという言葉が男性語尾であることがそれを端的に示している。 もし女性が担ったのなら、当然SOPRANA、ALTA、と女性語尾になっていたはず、ソプラノもアルトも、もともと女には何の関係も無く、 女性本来の声を表す言葉はいまだ存在しない…ソフィ・ドリンカー 『音楽と女性の歴史』 [Music and Women-The Story of Women in the Relation to Music] (1948→水垣玲子訳、学芸書林、1996,p.286) のこの指摘が、私には決定的だった。 バロック時代のオペラでは去勢した男性歌手、いわゆるカストラートが女性の声域を受け持ち、彼らが隆盛・跋扈した理由も、ここに繋がっていくからだ。 聖歌隊や合唱団では声種といっても役割や演技もなく、抽象的な存在で収まるが、 声と生身の肉体を持った歌手とその役割・演技が欠かせないオペラのような舞台芸能は、実にジェンダー問題の集積場だったといえるのである。

  上記バロック・オペラにとりわけ顕著な声とジェンダーの複雑な絡み合いは、何よりも高く澄んだ声に美を見出す価値観に起因する。 「女のように綺麗な声」 と男の声を褒めることはよくあるが、「男のように綺麗な声」 という言い方は、男女どちらに対しても聞いたことがない。 「男のような」 といえば低く太い声のこと、これはオペラでは滑稽な役回りか、神託のような超越的で特殊な存在にあてがわれていた。 高くて綺麗な声といえば、「天使の歌声」 の謳い文句で大人気のヴィーン少年合唱団に代表されるボーイ・ソプラノがまず思い浮かぶ。 そう、声変わりする前の男の子の声だ。だがしかし、子供の声なら男女同質、どちらも 「高くて綺麗な」 はずでは…? ガール・ソプラノ―いや、 まさしくこの場合はガール・ソプラナというべきか―では駄目なのだろうか…?

  オペラに話を戻そう。特に初期のバロックの舞台では、性と役と声の複雑な倒錯、変換、異装こそが醍醐味だった。 現代のオペラ劇場で自明とされる 「ヒーロー=男性=テノール」 「ヒロイン=女性=ソプラノ」 という図式、 つまり主役男性の声が主役女性の声より1オクターヴほど低いという枠組みは、 ナポレオンのイタリア遠征やレアリズムの勃興と関連するカストラートの衰退に伴って1830年代以降に固まったに過ぎない。 それ以前、主役として求められた高い声は男女役とも、少年に去勢手術を施し、成人した暁には普通の男性並みの声量に加え、 少年=子供の声質を兼備するように改造した歌手がすなわちカストラートに委ねられていた。


カストラートの舞台姿
左端がファリネッリ(カストラート)、真ん中がクッツォーニ(女性ソプラノ歌手)、
右端がセネシーノ(カストラート)、(いちばん小さな人物はバス歌手と思われる)

  とりわけカトリック教会の女性排除の規制が最も厳しいローマでは彼らの独壇場だったが、 ローマの監視の目が届かないミラノやヴェネツィアにおいてはしばしば女性も登用されたという。 つまり、主役スター歌手は、男性が男性を演じることもあれば女性を演じることもあり、逆に女性が男性を演じることもあれば、 女性を演じることもあった…オペラで性とジェンダーがことほど左様に容易に入れ替わったのは、高い声がありきたりの 「女性らしさ」 とは逆に、 地位の高さや精神的・肉体的強さ、さらには若さと性的魅力を表すコードだったために、主役の英雄には女性と同じ、あるいはそれより高い声が要求されたためである。

  以上はオペラ発祥の国イタリア中心の話であるが、国や都市によって女性への対処が異なるため、 声とジェンダーをめぐる実態もそれぞれの地域ごとにさまざまだったらしい。ドイツでは18世紀初頭まで、台詞劇でもオペラでも、 舞台にはほとんど男性しか上れなかったし、カストラートを容認しない宗教や教育がらみの上演では、女性役は男性のファルセット (裏声) か、少年で代用した。 イギリスのシェークスピア劇では女性がご法度だったから、少年あるいは成人男性が女性役を演じたのは周知の通り。 カストラートをオペラでも退けたという点で例外的な国フランスでも、オペラを上回る威光に支えられた宮廷バレエの踊り手は、 17世紀後半まで男性ばかりだったという―以上の情報は、関根裕子 「ケルビーノからオクタヴィアンへ―オペラのズボン役をめぐる二つの世紀末」 (『演劇研究センター紀要』 IV、早稲田大学21世紀COEプログラム 2005,pp.71-77) から多くを得ている。

  関根論文のタイトルにも掲げられ、日本でも大人気のケルビーノ (モーツァルト 『フィガロの結婚』 の小姓役) やオクタヴィアン (シュトラウス 『バラの騎士』 主役の青年貴族) など、若い男性役を女性歌手が演じるところのいわゆる 「ズボン役」。 その詳細に触れるのが今回の目的では全く無いが、関根氏はこれが生まれた複合的要因の一つに、イギリス王政復古期、本来男性のために書かれた男役を、 目の楽しみのために女性に演じさせたことを挙げている。この、「目の楽しみ」 ゆえに敢えて女性に男性役を担わせ、「綺麗で高い」 女の声のみか、 その舞台姿を介して女性の身体をも垣間見たい、という屈折した欲望…もちろんそれが満たすのは男の目だ…は、 実はここに限らずイタリア・バロック期の英雄役からロマン派のロメオのような恋人役にいたるまで、様々に様態を変えてオペラ舞台を牽引することになったという。 カストラート 「造成」 によって、17、18世紀のオペラでは女性が主役からはほとんど排除されていた、と思い込んでいた自分の浅はかさを恥じ、 これまで誤った物言いを繰り返してきたことを、この際お詫びしたい。 いずれにしてもこの事態を生んだ裏には、身体的にはあくまで男性であるカストラートが衰退した歴史と、 巨額の出費となる花形カストラートより女性歌手ならはるかに安価で確保できるといった経済面の影響もあったようだ。

  さてこのように女性が主役男性を演じるとなれば、カストラート消滅以降はとりわけ、女性役は女性が担うことが当たり前になったため、 舞台上の主役カップルの声はともに女性の声ということになる。オペラではクライマクスに主役二人の二重唱を置くのが定石だから、 そこでの声はともにまさしく 「高くて綺麗な」 女の声、等質の柔らかいその声が二重に溶け合って、えもいわれぬ官能的な響きを醸し出す…これに較べれば、 通常のソプラノとテノールという男女二人の二重唱の、なんと粗野で味気なく思われることか! 反して若い女性二人の身体が艶かしく絡み合い、 かつそこで歌い上げられる陶酔の二重唱…視覚も聴覚も、二つながら男性観客の欲望を満たしてくれる、これこそオペラの醍醐味だったことは、十分に納得がいこう。
  男が女を演じ、女が男を演じもする…その男あるいは女が演じる英雄、王、 騎士といった主役人物はテノールやバリトンではなくソプラノやアルトの声で歌われる…歌手の性と役の性と声の性がかくまで食い違い、不一致であるばかりでない。 さらにそこには劇中劇としての変装、異装が入り込むのだから、まさにオペラとは意想外の目くるめきや驚異に満ちた異界だったといえよう。 だがその大元が、舞台からの女性排除に伴って喪われる高い声、つまりは女性に特有とされる高く綺麗な声をいかに確保するか、 あるいはその代替物を作り出すかに、当事者が智恵を振り絞ったことにあるのを忘れてはいけない。 19世紀前半にとりわけもてはやされた男装した女性歌手 (ジュディッタ・パスタ) にしても、それが消滅途上のカストラートの補充という意味合いと、 女性身体に男性のジェンダーを纏わせ倒錯したエロティシズムを視覚的にも満たすという機能をも担わされていたのだから…


ロッシーニ 『タンクレディ』 のタイトル・ロールに扮したジュディッタ・パスタ
  以上のカリカチュアとジュディッタ・パスタの銅版画は以下の書物から転載しました。
  Naomi Andre:Voicing Jender― Castrati, Travesti, and the Second  Womman in the Early-Nineteenth -Century Italian Opera. Indiana University Press, 2006


  とはいえ、いつでも、どこでも、あくまでオペラの眼目は声そのもの。その滑るようななめらかさで筋肉や体液などの皮膚感覚に浸みこみ、 境界も階級も性別も、あらゆる区別を廃絶させる声の魔力―鍵盤のキーや弦楽器のフレットのような仕切りもない声というものは、 その意味でも道具 (instrument) である楽器とは根本的に異なる次元で捉えられて来た。 19世紀後半からの近代的音楽観は、器楽 (=交響曲etc.) を歌唱より上位に置いているが、それは身体を発音源とする声すなわち歌唱が、 女性という劣性のジェンダーと抜きがたく結びついているためでもあろう。 だがオペラが追い求めた声の実相は、安直に世の中で言われているような 「女性」 的なものではない。 その不可視性や呪術性からも明らかなように、むしろ決定的に 「両性具有的」 なのであり、声域としてはアルトに準じる。 男性歌手でいえば、ファルセット技法を駆使したカウンターテナーだ。つまり極端に高くもないし低くもない。中音域からわずかばかり上ずった声であれば、 長丁場のオペラでも耳を疲れさせないし、甘美な美しさが損なわれる心配もない。ヴォーチェ・ビアンカ “白い声” と表されたカストラートにしても、 大方はそのアルトの声域をカヴァーしつつ、決めの聴かせどころで超高声を自在に操ったのだといわれる。 オぺラ創成期から20世紀に至るまで、最も頻繁に取り上げられた題材はギリシャ神話の英雄にして音楽の神とされるオルフェーオだが、 オペラ史を飾る有名なオルフェオ作品のタイトル・ロールの顔ぶれにもそれが反映している。
  1607:モンテヴェルディ=フランチェスコ・ラージ (カウンターテナー)
  1762:グルック=ガエタノ・グァダーニ (カストラート)
  1764:グルックのフランス語版=ジョゼフ・ルグロ (オート・コントル)
  1859:グルックのベルリオーズによる編曲版=ポリーヌ・ヴィアルド (コントラルト)

  オート・コントルとはフランス男性の最高音域を指し、カウンターテナーとほぼ同義。コントラルトとはメゾよりも低い女性アルトの意だが、以上はいずれも、 いわゆる 「アルト」 に準じる声域を主体とする歌手たちでだ。最後のポリーヌ・ヴィアルド (1821-1910) こそは、テノールとソプラノの交じり合った、 まさに両性具有の声で19世紀最大のオペラ・スターの一人として名を馳せた女性である。


ポリーヌ・ヴィアルド (アリ・シェフェールによる肖像画)

  “何と快い、おお、不思議の音色よ! 男にしてまた女の、二重の響き…” これはフランス・ロマン派を代表する詩人テオフィル・ゴチエ 『七宝螺鈿詩集』 (1852) の、 ずばり 「コントラルト」 と題された全20節からなる長大な詩のほんの一部だが、これを見ても、19世紀の耳がいかに両性具有の声に魅せられていたか、得心がいく。 ゴチエが実際にヴィアルドのオペラ・デビュを聴き、そこに理想的な声を見出していたとされることからも明らかなように、 フランスではとりわけ、主役女性にはソプラノでなくアルトやメゾの声を与える伝統が長く続いた。 『カルメン』 然り、『サムソンとデリラ』 然り…後者の作曲者サン=サーンスはヴィアルドにこの名作を献呈している。 そのヴィアルドが先鞭をつけたグルックの男装オルフェーオは、今も女性アルトの必須のレパートリーとされ、およそ歌に関心ある人なら知らぬはずもない役柄であるが、 しかし何故女性が男性役を? という根本的な疑問に立ち返って考えた人が、果たしてどれほどいるだろうか?

  今回は時間の余裕もなく、最低限のことも言い尽くせなかった思いがあるので、次回、もう一度このテーマで続けたい。どうぞご了承下さい。
2009・6・28