2012.2.24

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第29回
クラシック音楽の問題点(7)
何故、私は 「知られざる作品を広める会」 を主催するのか
谷戸基岩

  高校生の頃、私が自ら進んでクラシック音楽の世界に首を突っ込んだ時から今日に至るまで約45年が経った。 その間に自分にとって 「え、これが本当に名曲なの?」 と思ってしまうようなこの業界のスタンダード名曲に私は数多く遭遇した。 確かに見事に構成されている作品なのだろうが旋律的な魅力に乏しかったり、曲が長過ぎて訳が判らなかったりして閉口することが少なくない。 研究の対象として分析するのには面白いのかもしれないし、アーティスト・サイドは完璧に演奏すれば達成感が得られるのだろう。 また聴き手の立場からすれば 「難しい名曲が理解出来た」 という満足感に浸れるかもしれない。 しかし私がこうした作品を能動的に聴きたいかといえば全く食指が動かない。恐らく余程の才能を持った演奏者に恵まれなければ、 私にとって心ときめくような楽曲にはならないのではないかと思ってしまうのだ。

  その一方でクラシック音楽ファンと話していても相手の知らないような作品が私にとって最愛のものであることが少なくない。 ポーランド共和国の初代大統領にもなったピアニスト・作曲家イグナツ・ヤン・パデレフスキ(1860−1941)の 「ピアノ協奏曲イ短調op.17」 はグリーグ、 サン=サーンスの第2、5番とともに私にとって最愛のピアノ協奏曲のひとつ。 ポーランドのアーティストによるものを中心に録音も決して少なくなく私は音源も10種類近く持っている。 けれども実際のコンサートで聴いたことは一度も無い。またほとんどのクラシック音楽ファンはこの曲を聴いたことが無いようだ。 また私が社会人になりたてだった1970年代後半にはロシアの作曲家アントン・アレンスキー(1861−1906)の 「ピアノ三重奏曲第1番ニ短調op.32」 は全くといっていいほど知られていない作品だった。 1980年代末のCDブームでヨーロッパの様々なマイナーレーベルがこの曲を録音するようになって徐々に有名な作品になって来たが… それでも私のように古今東西のピアノ三重奏曲の中の最高傑作に挙げる人はまずいないのではないか?  わずか19歳で夭逝したスペインの作曲家フアン・クリソストモ・アリアーガ(1806−26)の 「弦楽四重奏曲第1番ニ短調」 もまたしかり。 聴かれさえすればかなりの人がCDを買ってみようと思う作品であるにも関わらず聴衆がアクセス出来る機会がとても少ないのだ。 私はこれまで実演では2度しか聴いたことがない。

  自分が好きな作曲家・作品で一般的に知られていない作品の魅力を世に知らしめること、それはレコード会社での18年半、 そして音楽評論家になってからの18年間で私が終始一貫取り組んできたテーマである。 万人が必ずや自分の気に入るものにアクセス出来るように業界の価値観の多様化を促進することこそが、 クラシック音楽を本来の魅力的なものにすることにもつながるのだという信念からそうしている。 「同じものを誰もが良いと思わなくてはいけない」 という価値観の画一化や押し付けはクラシック音楽を衰退させる原因に他ならない、 ということを私は自分自身の経験から良く知っている。けれども私のような考え方はこの世界では少数派だ。 ひとつの大きな原因として業界の多くの人が 「これは一般的ではない作曲家・作品なのでコンサートで取り上げても集客に繋がらず、 チケットが売れない」 という風に判断しがちな傾向がある。 さらに困ったことに音楽評論家はこうした作品について言及しても原稿料のネタになることが少ないから、 日常的にこうした知られざる作品に対して積極的にアクセスしようとしなくなる。 そんなことをするくらいならむしろ頻繁に取り上げられる作品に関して多面的に知識を深めておいた方がお金になる、と考えたくなるのだ。 それに有名な作品については国内外の文献資料・楽譜・音源もアクセスが容易だが、知られざる作品に関してはかなりの困難が伴う。 だから手間暇もお金もかかる有名でない作曲家・作品に関わるのは損ということになる。 ある意味で 「マニアック」 という言葉で一般的でないものを否定することはクラシック音楽の 「高い趣味性の否定」、「多様性の否定」 に繋がっているのだ。

  私の 「クラシック音楽の世界で作品に対する価値観の多様性を実現する」 という信念を実現するべく、 「知られざる作品を広める会」 を立ち上げたのが2002年のこと。これまで7つのコンサート・シリーズを組み、21のコンサートを実現させた。 この会の目的は 「有名・無名を問わず、優れた演奏家の方々にご協力いただき、知られざる作曲家たちの忘れられてしまった作品の価値をもう一度、 実際の演奏を通して判断していただこう」 というもの。 例えば先述のアレンスキーは2006年に没後100年の記念年だったのだが、 その命日に当たる2月25日には彼の作品ばかりをたっぷり4時間かけて特集したコンサートをトッパンホールで催した。

  実は3月24日午後3時から津田ホールでコンサートを行う。私がこの連載の軒下を借りている小林緑さんの企画、 そして 「知られざる作品を広める会」 (とはいえ実質上は私)が主催する形での開催。 ショパン、リスト、グノー、ベルリオーズ、サン=サーンス、フォーレといった同時代の作曲家たちに多大な影響を与えたフランスの女性歌手・作曲家、 ポリーヌ・ヴィアルド(1821−1910)の作品を中心としたコンサートだ。 近年、世界的なメゾソプラノ、チェチリア・バルトーリをはじめとしてヴィアルドの歌曲を取り上げる人も出てきている。 しかしまだまだ耳にする機会は少ないし、未だに聴いたことのない曲の方が圧倒的に多い。 今回取り上げる彼女のピアノ曲、連弾曲などはほとんど小林さんが昨年末にパリまで出かけて楽譜を入手して来たもので、 CDでも聴くことの出来ない作品ばかり。 そしてここ数年、事あるごとに知り合いの音楽家たちに演奏を奨めているヴァイオリンとピアノのための 「6つの小品」 も取り上げる。 とにかく彼女の歌心とコンサートの現場感覚に溢れた楽しい作品を大いに楽しみたい。

  会のもうひとつの目標は主催コンサートで取り上げる作曲家および作品の宣伝を行うということ。 そのためにA3二つ折りの作曲家の略年譜などが載った詳細なチラシを作成し、様々なコンサートの会場などで約2万4千枚配布している。 またこのチラシには参考文献、主要ディスコグラフィといった基本データも載せて興味を持った人がさらに知識を深めるのを手助けするようにしている。 (ご参考までに本稿の最後にチラシの4ページを掲載させていただいた)

  それと同時に私は常々コンサートを企画する人間は、 自分が演奏を依頼するアーティストに関してその起用する理由を説明できなくてはいけないと考えている。 従ってコンサートのチラシにはアーティストの側から提供されるプロフィールをそのまま載せて済ませるのではなく、 必ずその演奏家のセールスポイントが何なのか、あるいは何故この人を選んだのか理由を自分なりの言葉で記すようにしている。 チラシを読まれる方々への説明責任とでも言おうか…

  私はこれまでずっとポピュラー音楽と同じように 「ひとつの趣味として」 クラシック音楽を聴いて来た。 「一般教養」、「上流階級の文化」、「高尚な芸術」 として聴こうと思ったことはほとんど無い。 ひたすら自分の気に入るものを幅広く、深く探求し続けてきた。だから夢中になって聴いて来られたし、飽きることも無かった。 自分が本当に好きなものや興味のあるものを見聞し、その結果として気に入ったものを探求し続け、それを他人に薦めるべく筆を執って来た。 昨年は東日本大震災の影響はあったもののトータルで272のコンサートに通った。

  そういえば 「2011コンサート・ベストテン」 という記事をある雑誌用に書いたのだが編集部の都合でボツにされてしまった。 その記事はベストテンを選び第1位に選んだコンサートについてのコメントを書くというもの。 例年なら 「まあ仕方ない」 と諦めたのかもしれないが、2011年は東日本大震災と福島第一原発事故もあり特別な年だ。 そして音楽評論家としての社会的責任という点に鑑みて第1位に選んだコンサートに関してはどうしても自分の意見を表明したかった。 それゆえにボツにした雑誌編集部には原稿料の支払いを拒否し、ボツにされた原稿を自由に使わせてもらうことにした。 そして第1位のコメントは一部手を加えた上で、東京新聞1月7日朝刊の 「発言」 欄に投稿し採用された。 私の個人的な趣味の表明として残りの9つも含め、ベストテンに選んだコンサートを改めてここにご紹介させていただく。

〔第1位〕
◎戦没作曲家・尾崎宗吉を聴く/モルゴーア・クァルテット、山田武彦(ピアノ)、ほか [11月12日/戦没画学生慰霊美術館 「無言館」(上田市)]

以下、開催日順
●河村尚子(ピアノ)の室内楽/佐藤俊介(ヴァイオリン)、鈴木康浩(ヴィオラ)、ほか [1月13日/JTホール]
●竹澤恭子ヴァイオリンリサイタル/江口玲(ピアノ) [2月14日/町田市民ホール]
●華麗なる饗宴/南紫音(ヴァイオリン)、菊池洋子(ピアノ) [3月13日/アートスペース・オー(町田)]
●日本モーツァルト協会第527回例会/前田拓郎(ピアノ) [3月16日/東京文化会館小ホール]
●東日本大震災被災者救援募金のためのマラソン・コンサート [4月9日/ウィング上大岡2階ガーデン・コート(横浜市)]
●矢代秋雄の足跡/上森祥平(チェロ)、野田清隆(ピアノ)、下野竜也指揮大阪交響楽団 [6月24日/ザ・シンフォニーホール(大阪)]
●小山実稚恵、山下一史指揮仙台フィル〔ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番〕 [10月2日/仙台市青年文化センター]
●井上二葉ピアノ独奏会 [10月6日/浜離宮朝日ホール]
●〈レクイエムの集い〉2011/ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京 [11月18日/東京カテドラル聖マリア大聖堂]

 今回のトラブルを経験してつくづく思った。音楽評論家は自分自身の価値観を正直に表明してこそ音楽評論家たりうるのではないか、と。 そうでないとしたら原子力村の中で業界の都合のいいように説明を付けることが仕事であるかのような、 原子力安全保安院や原子力安全委員会と大差ないのではないか?  お墨付きを与えることの責任、それはクラシック音楽業界においてきっちりと果たされているのであろうか? そのことはコンサートゴーアーの方々、 CDの消費者の方々が一番良くご存知ではないかと思う。 酷いコンサート、つまらぬCDを薦められたことへの恨みは自分自身がお金を費やしてみないと判らないのだ。 幸か不幸か音楽への好奇心の旺盛な私は未だに重篤な消費者であり続けている。

 東日本大震災以降、日本は地震活動が活発な時代に入った。そして福島第一原発事故による放射能汚染の実態は今後徐々に明らかになってくるのであろう。 そんな中で、残り少ないかもしれない人生の中で自分が心底愛せる、そして興味の持てる音楽・演奏を心して聴いて行こうと思いを新たにする私である。