2014.4.2

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第45回
国際女性デー・コンサート・日本とフランス、そして高麗博物館

  先回慌しく予告させていただいた国際女性デー・記念コンサートは無事に終了した。 素晴らしい天候に恵まれ、満席の聴衆を得たことも合わせて、先ずは御礼申し上げたい。

  予定通り…といかなかった点は一つだけ。「19世紀フランスにおける良家の子女の習い事」 についてプレ・トークするはずの長谷川イザベルさん(在日およそ40年、フランス史研究者・上智大学名誉教授)が前夜、足首を骨折、 身動きならぬ事態となり、急遽テキストの代読で凌いだこと。 同時通訳を実施する関係で、予め長谷川さんご当人からフランス語の完全原稿を頂いてあったため、この緊急事態もなんとか切り抜けられた。 ただし、代読された主催の日仏女性研究学会事務局長が、いかに日本人離れしたフランス語の使い手とはいえ、 日仏の共同イヴェントとしての体裁からも、フランス人の肉声による語りを期待して来場された向きも多かったと思われる。 それだけにやはり残念な結果ではあった。

  ルイーズ・ファランクとポリーヌ・ヴィアルド、二人の女性作曲家の作品でまとめた本体のコンサートについては、 言い出しっぺの企画者として私が全面的に責任を負うべき立場にあるため、アンケートの回答や感想をお伝えすることは控えようと思う。 ただ、思いもよらぬ反応として、地方から当日の参加を目指しながら、どうしても時間的に無理とわかり断念した男性から、 「ファランクはこの数年来もっとも興奮させられた発見!」 とメールを頂いた件はお知らせしたい。 折り返しすぐ、当日配布したプログラムと過去に実施したファランクのコンサート資料に、 「実は交響曲第三番も日本初演が実現済み」 と添え書きしてお送りした。 受け取られたご当人は驚かれたかもしれないが、むしろ私こそ、日本でもこのように、 男女に関わらずファランク評価が根付きつつありことに得もいえぬ感慨を持った。 何しろかれこれ25年前、「女性作曲家を真剣に取り組まねばならぬ」 と覚悟を決めた契機が、 ファランクのフルート三重奏曲のドイツ製CDを初めて聴いたことだったのだから…今回のコンサートの締めくくりにこの三重奏を配した理由もここにある。 それだけに、堅固な構成力とあふれ出る旋律性を兼ね備えたファランクの美質を聞き手に印象付けてくれた演奏者に、改めて深く感謝する次第である。

  ヴィアルドについては本連載でもすでに何回も話題にした。今回はパントマイム作品 『日本にて』〔図版1・楽譜の表紙〕を一部、ご披露した事実だけ、 ご報告するに留めよう。これまたおそらく日本初演であったろうと思うこのジャポニズム作品をめぐっては、いずれ文章にまとめる積もりでいるが、 先立ってまずは作品の全曲演奏を、もちろんパントマイムの実演付きでなんとか実現できないものか、と思案している。読者の皆様もどうか応援して頂きたい。


楽譜の表紙

  ところでこの 「国際女性デー」、日本のメディアは相変わらず無視を決め込んでいるが、 国連はもとより、ヒラリー・クリントンも記念メッセージを発表したり、海外では随分様子が違う。 音楽に関連しては、フランスのソルボンヌ大学にて、3月5日(水)午後から、《女性の音楽を創造し、演奏し、拡散する》 と題するシンポジウム、 そして夜にはコンサートが持たれた。日ごろヴィアルドの楽譜や情報を快く提供してくださり、 自身シンポとコンサートの双方に登壇したフランスのピアニストから届いたニュースである。 私も本来なら何を置いても飛んで行くべきだったが、なにせ上記コンサート直前のこととて、とても無理。 それにしてもかつて私の留学先でもあった、あの古色蒼然たるソルボンヌという機関がこれを主催とは…なんとも嬉しいびっくりだったが、 ともかくもこれが持続的に発展していくことを切に願いたい。

  コンサートは女性の創造として何よりも実利的であり、かつ蓄積豊富なジャンルである “歌曲 Mélodie” に絞ったプログラム。 エレーヌ・ド・モンジェルー(1764-1836))、ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル(1805-47)、エイミー・チェニー=ビーチ(1867−1944)、 アルマ・シントラー=マーラー(1879-1964)、リリ・ブランジェ(1892-1918)、カイア・サーリアホ(b.1952)―以上フランス(2)、ドイツ、アメリカ、 オーストリア、フィンランドの各国から6人の作品が演奏されたようである。 先立つシンポジウムでプログラムの解説を担ったのが、以前本連載でもご紹介した 「フランス19世紀の女性作曲家たち」 の著者フロランス・ロネイ。 また、国立フランス図書館の司書etcとならぶ他の登壇者に、第42回の傍聴紀で触れたクレ−ル・ボダンの名前もあり、ああ、やっぱり…と嬉しかった。 オペラ・コミックで初対面を果し、名刺交換もできたこの若い女性(南フランスを本拠に女性作曲家紹介の意欲的なプロジェクト “女性の現前” を率いている)には、今後フランス全土に女性作曲家を知らしめる役割をさらに積極的に担って欲しい、と心からのエールを送りたい。

  さて、日仏会館でのコンサートが行なわれた国際女性デーの、まさにその日、実は拙宅からごく近いところで、 なんとも素晴らしい記念イヴェントが行なわれていたことを知り、今、地団太を踏む思いに駆られている。 そのイヴェントとは、1月29日より3月30日まで、 新大久保の高麗博物館で開催された 『夜明けを求めて―詩と画でつづる独立運動の女性たち』。 日本の植民地化に身を挺して戦った朝鮮女性20人を選び、その姿を詩文と絵画で表したこの展示会のことは、 去る1月15日、杉並女性団体連合の新年会で 「平等と平和を願う女性作曲家たち」 と題して講演させていただいた折、関係者から直接伺い承知していた。 即座にこれは絶対行かねば…と気にかけながら、2月一杯はコンサート開催準備に追われ、 終了後も 「戦争と女性の人権博物館」 へのスタディ・ツァーでソウルに出掛けたり、神戸でのNHK問題のパネラーに招かれたりで、 3月も終わろうかという28日にようやく、念願を果せたのである。


  2001年にヴォランティア運動として設立以降、一貫して会費と寄付のみで運営されているというこの小さな博物館の存在も、問題の展示対象についても、 これまで何も知らずに来たことはほんとうにショック!!本来なら大々的にその詳細をお伝えしたいところだが、何しろ朝鮮語もハングルも全然解さず、 日本語訳付きのカタログも売り切れのため、これは断念するほかない。 実は日本の侵略に抗して独立運動を担った朝鮮人のなかに女性や母親も数多くいたという事実は3年前、 済州島へのスタディ・ツァーの一環で海女博物館を訪れて知り、言葉に尽くせない衝撃を受けていた。 海女という、それだけでも過酷な生業をこなす傍ら、命も顧みず母国を護った誇り高く名も知れぬ無数の海女たち… 海 mer と母 mère が同じ字画を共有する日仏の言葉の不思議にも改めて感じ入ったのだったが…

  しかし今回、高麗博物館の展示に私が感嘆したもっとも大きな理由は、企画と詩文の執筆を担った李潤玉(イ・ユノク)という女性その人にある。 当日受け取った上掲チラシ裏面の写真から、未だ50歳前後かと思しいのだが、見るからに積極的でパワフル、包容力の大きなお人柄がしのばれる。 韓国・現代オウリム研究所所長にして早稲田大学客員研究員という肩書きに加え、長年韓国外国語大学で日本語を教えられている由。 画像のみは男性作者の手になるのだが、イ・ユノクさん自ら一人ひとりの女性の痕跡を訪ね歩きまとめあげた詩文と、 それを鮮やかなハングルの筆跡で伝える…これら三つが重ね合わさった表現の美しさは、会館の静けさと優しさ、そしてなんともいえぬ暖かさに包まれて、 なおいっそう高貴な輝きを放っていた。

  ところが展示を一点ずつ丁寧に解説してくださった会館メンバーのお話ではなんと! 国際女性デーに合わせ3月8日当日、 イ・ユノクさんご自身が来館され、記念講演をされたというではないか…! 思わず 「ええっ! その日私も実はこんなコンサートをしてたんですーっ! これがなければ絶対、こちらを聴きに伺ったのに…」 と思わず叫びながら、前回掲載したあのチラシをお渡しすると、 「あらまあ、これがわかっていたら…イさんが日本ではこのような、埋もれた女性達を紹介する活動は何かありますか? と聞かれたのに対し、 聞き手は無言のまま、誰も答えなかったので、ずいぶんがっかりされたようでしたから…」。

  改めるまでもないが、会館の所在地はヘイト・スピーチの根城、創設時に較べ近頃はすっかり人通りが少なくなり、 維持するにも大変な危機に直面しているという…平穏に人々が暮らしていける差別のない当たり前の世界、誰しもが願うその実現を、 諦めず、粘り強く求めていきたい。